三話
街に近付くと横に長い大きな建物が街道の左右に並んでいる。そのまま緩やかに円を描くように建物が並んでいるが、全部背を向けた形をしており、扉は無く小さな窓だけが幾つもあった。
建物の間の隙間は狭く、一種の城壁の代わりとなっている。変わった構造にロイさんが少しだけ眉を上げていた。
レティから向かって右側には建物が一部街道に飛び出して煉瓦造りの小屋が建っていた。中から同じ服を着た男性が二人出てくる。
小屋は検問所で、男性はこの街の警備兵だった。
この街の最南端に位置する検問所の周辺には殆ど人が居ない。稀にレティ以外にも利用する人ーー東西にある山脈の裾野に住む集落の人達ーーがいるが、殆どの人は商人を含め街の東西から出入りするため、ここの警備兵は必要最低限しか配置されていないらしい。見張りも杜撰で、大体は二人か三人しか見掛けなかった。
レティはいつも通りに、薬を売りにきたと言葉少なに警備兵に伝える。いつもはそれだけで簡単に通してくれた。
いつもと違うのは、警備兵達が露骨にロイさんを見ていた。その顔には驚愕が半分、不審が半分と言ったところか。
反対にロイさんの顔は完全な”無”だった。ここまで来る時と一転して感情が完全に抜け落ちている。
「……誰だ、貴様は?」
警備兵が不躾に誰何してくる。が、ロイさんは無言だった。
背が高いため碧い瞳がギロリと警備兵を見下ろすと、向こうは腰が引けて後ろに後退った。
本当はーーどう答えるべきか彼は思案していただけなのだが、レティと警備兵が知る由もなかった。
だから、剣呑な空気になりつつあった中でレティがロイさんの前に出た。
任務の内容が、他人には言えないのだろうと思って。
「彼は、私の知り合いです。一緒に薬を届けに来ました」
つい最近知り合ったばかりだし、成り行きとはいえ薬も持ってくれているのだから嘘は言っていない。
レティの前と後ろからギョッとした驚きがあった。
「なっ!?え……と、お前の連れ添いか……?」
「はい、そうですけど……」
若干、警備兵とニュアンスは違うような気がするが、レティは首肯する。
「…………何処から……?」
「私の家からですが」
いえ、と警備兵が絶句している。
レティは訳が分からず少しだけ首を傾げたが、家にいたのも本当のことなのでそのまま頷いた。もう、ロイさんが森に戻ることはないだろうけど。
固まってしまった警備兵が、二人して顔を見合わせている。
どうしたんだろうと思っていると、一人がカチコチな挙動でレティの後ろに視線を遣った。
「…………本当、か?」
「……………………………あぁ」
レティの後ろから、警備兵に負けず劣らずの硬質な返事があった。
その答えを聞いて、警備兵が考えを放棄したのか投げやりな態度でそうか、と呟いた。
「…………なら、通っていい。しかし………………おかしな真似だけはするなよ」
検問所を通り抜けて街の中央を目指す。
結構大きな街だから結構な距離がある。いつも買い取ってくれるお店は中央の大通りを過ぎた所にある裏路地だから、そこまでロイさんと並んで歩いた。
ロイさんは複雑な表情で歩いていた。眉間の皴が刻まれるほどではないが、ご機嫌かと言われれば違うような気もする。
二人揃って無言で歩くが、いつもと違う情景にレティは内心で不思議がっていた。
人通りが多いのだ。
南に位置する街道は店が少ない。かといって住宅街という訳でもなく、レティにとってよく分からない建物が並んでおり、出入りする人もそう多くはないはずだった。
しかし、今は動きやすそうな服を着た人達が大勢、建物に入っていく。
建物についている大きな煙突からはもくもくと煙が立ち昇っていた。それも一つや二つではなく、街道に並ぶ殆どが同じ状態だった。
レティは街に来る時は昼過ぎが常だった。朝早くから訪れるのは振り返っても記憶にない。
だからなのか、朝と昼とでこんなにも景色が違うのかと、ロイさんの事を半ば忘れて周りを眺めていた。
そしてふと、一人の男性と目が合った。
向こうは慌てた様子で逸らしたが、その後もチラリとレティの方に視線を向けていた。
男性だけではなかった。
レティがキョロキョロしていると、何回か先程と同様のことがあったのだ。
殆どの人はレティと視線が合うとあらぬ方に向き直るが、中にはジロジロと向けてくる者もいた。
更にはレティでさえ悪意だと分かる刺々しい敵意の目を向けている者さえいた。
一体何だろうと思う。
普段ならレティのことなど気にもされずに素通りされるはずなのに、今は通り過ぎる大半の通行人がこっちを窺っている気がする。
何が原因だろうと考えていると、ロイさんがマントのフードを目深に被っているのが目に入った。
いきなりどうしてと、彼を見ると視線が交錯した。
フードの中からは街に入った時と同じ、複雑な感情を湛えた瞳がレティを捉えた。
「……悪かったな。巻き込んでしまって」
「……何にですか?」
巻き込まれたと言うがレティにはサッパリだった。知らない間に彼が何かしたのだろうか。
疑問に思っていると、更に小さな声で教えてくれた。
「肌と髪の色だ…………俺は慣れているが……」
言われた合点がいった。
確かにロイさんみたいな肌の人はいない。レティだって初めて見たのだ。
髪の色に関しては更に珍しいだろう。朝日に照らされていた時は綺麗な金髪に輝くのに、影に入ると途端に透き通った白が目立つのだ。誰だって注目するだろう。
理由は分かったが、その中で敵意を向けてくる人に対しては納得できなかった。
知らず、フードからはみ出た髪の房を眺めながらうーんと唸ってしまう。
「私には、よく分からないです。別に、ロイさんが悪い訳ではないのに」
フードの中の彼の目が、少しだけ見開いたのをレティは知らなかった。
ただ、只管考えていた。どうすればロイさんが嫌な目に合わないようにできるかと。
結論から言えば、ロイさんが本来帰るべき場所まで送っていくことだが、森から離れ過ぎて無理になっている。それに彼は薬を店まで届けてくれるみたいで、まだ籠は持ってくれていた。
なら、取り敢えずは早く店に行って用事を済ませてしまえばいい。そして森に急ぎ戻ってロイさんを送っていけば、彼がこれ以上嫌な目に合うことはないだろう。
決心すると歩く速度を上げて目的の場所まで急ぐ。と言ってもレティは元々体力があるタイプでは無いから息切れしない速さであるが。
案の定、いきなり歩調が早くなったレティにロイさんが少し驚いた様子だったが難なく合わせてきた。
そうしてドンドン進んでいく。次の通りを右に曲がれば街の中央だ。
そう思い、角を曲がっていったがーー。
レティの足が硬直した。ロイさんは怪訝に思いながらもいきなり立ち止まったレティと同じように足を止める。
「どうした?」
問い掛けてくるがそれに返答する余裕はレティには無かった。それほどに中央通りで見た光景はレティが知っているいつもの街並みとかけ離れていたのだ。
まず見渡す限り人、人、人。
常だって人通りは少なくなかったが、大抵いつも辻馬車も通る道だから徒歩の人は両脇に寄っていたものだ。それがごった返している。
次いで、見たこともないテントがズラリと並んでいる。
ここは街のほぼ中心地だ。だからなのか、華やかな喫茶店や服飾雑貨店、その他珍しい商品を売っている店もこの街道に集中している。
しかし、今はその店の前にテントがあるものだから、各店の出入り口がかなり狭くなっている。かと言って既に開店しているみたいで、テントの脇をすり抜けて入っていく人もチラホラと見掛けた。
いつもの半分ほど狭くなった道にレティが唖然としていたが、ロイさんの言葉に正気に戻った。
「ほう、……市場がやっているのか」
「……市場?」
レティの反応に、ロイさんは怪訝な表情を向けてきた。
「……見たことないのか?」
「え、はい……今日初めて見ました」
「この街には……いつも来ていると言ってなかったか?」
「はい…………いつも昼過ぎに来ていました」
「…………そうか」
なら、これは朝市か?とロイさんが口の中で独りごちているが、レティはその光景から目が離せなかった。
”あさいち”の意味が余り理解できなかったが、朝にしかしていないというのなら今まで出合わなかったのも道理だった。
レティの一日は大抵、薬を採集して調合をしている。それ以外は畑や掃除に洗濯などをして、余裕があれば昼食後に街を訪れて出来上がった薬を売りに行っていた。
どうしようかと思案する。他の道を通った方がいいかもしれないが、案内する自信が全然なかった。
裏路地は細い上にかなり入り組んでいる。いつもはこの先にある看板を目印にしていたから、下手をすると迷ってしまいそうだ。
かといって、この人混みの中を進んで行くとなれば結構な労力だろう。
更にロイさんのこともある。顔を隠していてもやはり通り過ぎる幾人かが彼の肌を見て眉を顰めていた。奇異の視線に晒され続けるのは申し訳ない。
いっそ今日は諦めて引き返そうか。ここまで来て成果が無いのもロイさんに失礼だとは思うが、これ以上時間を延ばして彼の帰る時間が遅くなるのも悪い。
少しーーほんの少しだけ”あさいち”とはどういうものなのか見てみたくもあるが、またいつか来ればいいだろうと考え、戻ることを提案しようとロイさんに顔を向けた。
すると、ロイさんも何か言おうとしたのかレティに振り向いていた。
「あの」「この」
同時に言葉を発し、同時に中途半端に言葉を止めた。
「何だ?」
「いえ、ロイさんから先に」
レティが遠慮するとロイさんが少しだけ眉を顰めたが、気を取り直したのかもう一度口を開いた。
「この先に目的の店があるのか?」
「……はい。いつも行っているお店は、この通りを抜けた先にある狭い裏通りなんですけど……」
「そうか……なら、このまま市場も少し見ていくか」
「…………へっ?」
「見たことないんだろう?」
「えっ、はい……でも、ロイさんは大丈夫なんですか?」
レティが問うと、何故か少し呆れたように小さな溜息が聞こえてきた。
「別に構わない。さっき慣れていると言っただろ。それとも……俺といるのは嫌か?」
「え、いえ全然」
レティが即答する。長引かせるのは悪いと思うが、一緒にいても苦ではなかった。
「なら別に問題ない。さっさと行くぞ」
そう言ってずっと止めていた足が歩き出した。レティも反射的に歩き出す。
ワラワラと人が集まっている場所に向かいながらロイさんが訊いてきた。
「ところで、さっき何を言おうとしたんだ?」
「……今日はもう帰りましょうか、って言おうと思ったんですけど」
「却下だ、ここまで来て帰るのは勿体ない」
勿体ないとは如何に。
そう思ったけど賢明にも口には出さずに二人並んで人混みの中に入っていった。
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