2章:薬を作っているのは誰

一話

レティが本棚の向こうに消えてしばらくも経たない内に何かを持って戻ってきた。

それはロイドがここまで着ていた服やマントにブーツ、そして剣や金銭等が入った小さなポーチだった。

渡されて、しげしげと眺める。服もマントもブーツもとても綺麗な状態だった。

魔の森に入る前から任務続きで泥で汚れていた上に、魔物との戦闘で血もついていたはずなのに洗ってくれたのだろう、汚れは何処にもなかった。

上着とマントに至ってはシャツと同様繕われた跡がある。上着はシャツと同じく粗い縫い目が長く伸びていたが、マントはさほど大きく破れていなかったのか縫い目はそれほど目立っていない。

剣は鞘まで丁寧に拭かれていた。長年そこそこ使っているからくすんではいるが、服と同様に泥はついていない。

鞘から抜き、刃を確かめる。

血糊が無いのは当然として、刃こぼれや凹みは取り敢えずなかった。と言っても、普段から余り使っていない。魔物の戦闘時でも接近を許してしまった数体ぐらいしか斬り伏せていないし、その後は専ら近寄らせないように戦っていた。

その結果が、疲れで集中が途切れた時に無様を晒してしまったのだが。

視界の端でレティが若干後ずさっていた。

怪訝に思いながらも、鞘に納めてベルトに括り付けた。

ポーチの中はここに来る前と同じ状態だった。中には騎士の身分証代わりの宝石が入っているのだが、レティは盗もうとかそういう下心もなかったのか、触った様子は見受けられなかった。

ロイドが一つ一つチェックして身に着けていくのを、レティは無言で見守っていた。

やがてロイドの支度が終わる頃、レティは流し台の上にある布を上に被せた籠を持ちあげ、玄関前まで移動した。


「待たせたな」

「いえ、それでは参りましょうか」


簡単な遣り取りの後、レティが扉を開けて先に外に出た。外からの冷たい空気が入ってくるのを感じながら次いでロイドも外に出るとーー唖然として知らず足を止めってしまった。

「どうし」ましたか?レティの言葉は耳に届いているが、目の前の光景に圧倒されて返す言葉も無かった。

目の前には湖が広がっていた。

それもかなりの広さである。三百六十度、絶景と賞せる程の広大さだった。

どうもこの家は湖のド真ん中にポツンと浮いている小島らしい。島そのものは狭くも無いが、湖と比較するとどうしても小さく感じてしまう。

二階の小さな窓からも湖らしき景色があるのは知っていたが、一階で食事していた時は窓が直ぐ側にあるにも関わらず黙々と食べていたせいで外を確認していなかった。まさかここまでとは。

そして橋。玄関から真っ直ぐ歩くとまるで場違いな長い石橋が一直線に対岸まで伸びている。誰が作ったと突っ込みを入れたくなるような石橋は、人が数人横に並んでも余裕で歩ける程の幅を有している。

湖の美しさや石橋の荘厳さと相まってかなり幻想的だが、ここは魔の森の中だ。そうであるはずだ。レティが嘘を吐いてない限りここは魔物が跋扈する危険地帯だったはずだ。

一人混乱の絶頂にいるロイドを怪訝に思ったのか、レティは籠を持っていない手をヒラヒラと顔の前に振ってくる。

小さな手が目の前に揺れるのを見て、やっと現実の世界に戻ってこれた。


「これは……」

「はい?」


言葉に詰まって上手く喋れない。レティの訝しげな返事も尤もである。

ロイドは唾を飲み込んでようやく口を開いた。


「ここは湖の真ん中だったのだな」

「あ、はい。ここは浄化の湖と呼ばれているみたいです」

「じょうかの湖?」

「はい。この湖は聖水でして、近くに魔物は発生しないんです」

「……何だとっ!?」


思わず大きな声を出してしまった。レティが驚いたように顔を後ろに仰け反らせていたので抑えたが、信じられずにもう一度湖に目を向けた。


「これが全部、聖水だと?」

「え……はい。そうです。この湖は私や動物達の飲み水として利用していますが、魚などは生息していないんです。あと、回復薬にも使います」


レティが説明をしてくれるが、それでも俄には信じられなかった。

聖水とは奇跡の水である。伝承には癒やしの力と魔物を退ける力があるとだけ書かれているが、現代では誰も見たことがないためお伽噺の一つとしか認識されていない。

そんな伝説の水が湖として大量にありますよ、と言われてもはいそうですかと鵜呑みにできるはずもない。その後嘘です詐欺でした、と言われた方がよっぽど現実味がある。

だけど、レティがそんな嘘を言うような子ではないとロイドは知っている。僅か数日の(内殆どは床で臥せっていたが)付き合いだが、レティは人を騙す性格ではない。

現実逃避かも知れないが、ロイドはこの話を軽く流すことに決めた。


「そうか…………ところでどうやって街まで行くんだ?このまま徒歩で行くのか?」

「いえ、私が普段行っている一番近い街でも確か歩くと早くて一時間は掛かったはずです」

「ならどうやって行くんだ?」


ロイドの軽い疑問に、レティは初めて視線が泳いだ。

しばらくの間、今度はレティが口を開いたり閉じたりを繰り返している。

絶対嘘が吐けないタイプだな、と思いながらもどうしたのかと黙ってレティを見つめた。

短い時間だったが、結論が出たのかレティはロイドを見てから一つ大きな深呼吸した。


「すみませんが、少し目を瞑るか、空を見ていてくれませんか?」


口を開いたと思ったらおかしな要求だった。

けれどロイドは素直に目を閉じた。ここまで世話になったレティの小さなお願いを突っぱねる気は無い。

表情は一向に動いていなかったが困っている気配を漂わせる少女を更に困らせるなど、ロイドにはできそうにもなかった。

一瞬だけ足元から浮遊感が身体を包んだが、気の所為だったのか直ぐに元の感覚に戻っていく。

まだ身体が本調子ではなかったのかと考えているとーー、


「もう目を開けてもいいですよ」


レティの言葉に従って開くと、今日何度目かの思考停止に陥った。

まず湖が無い。ついでに湖の向こうの木々も無くなっている。

代わりに雪解けしていない、頂上が真っ白な山脈が左右遠くにあり、森から真っ直ぐ向こうには小さくだが建物が建っているのが見える。

後ろを振り向くと家は綺麗サッパリ消えていて大きな木の影の上に立っていた。どうやら森の出入り口にいるらしい。

驚きで隣に立っている少女を見遣る。

転移魔法。

古い魔法で存在はしていたらしいが、聖水と同じぐらい実際にはないとされる伝説の一つだ。

それをこの小さな少女が使ったのか。

驚きでレティを見ていたが、当の本人がローブのフードを目深まで被った。

その動作に追求しないでと言われているみたいで、ロイドは深く考えるのを止めて別の質問をした。


「この街は?」

「北の王国の街です。辺境らしいですが、商人も多く栄えていると聞きました」


北の王国。という事はセン・リオーネ王国か。

確か山脈に囲まれた、一年の大半が寒い気候の小さな国だったはずだ。森にいた時と比べて空気がより冷たい気がする。

これと言った特産品もなく、強いて言えばワインと茶葉ぐらい。

東の帝国が無意味にセン・リオーネ王国の領土を狙っているが、天然の要塞が邪魔をして踏み切れず、森から進行しようにも魔物に邪魔されて立ち往生で、ずっと膠着状態を保ち続けている運の良い国だ。

山脈の一部に険しいながらも道があり、そこに一部の商人が通っているのは知識として知っているが、ここから見える街もそういう商人が通っていく街なのかもしれない。

ロイドが物思いに耽っていると、側でレティが籠を持ち直すのが視界の隅に入った。

どうにも重そうである。気まぐれでヒョイと籠を取り上げると想像以上にズッシリとした感触が手に伝わってきた。中からカチャ、と音がする。

籠を取られたレティから驚いた気配がするのを感じた。しかし横目で覗いても能面がそこにあった。

この少女とまともな会話をしてまだ数時間も経っていないが、本当に感情が面に出てこない奴だ。

心の中でついつい苦笑を漏らしたが、ロイドもレティに負けず劣らず表情に出にくいのは自覚がなかった。


「……あの、荷物ぐらい自分で持てますよ?」

「いい、街まで行くついでだ」

「でも、街に着いたらそこでお別れでは?」

「そうだな。今日までの礼だ、と思っておいてくれ」


そう言ってさっさと歩くことにする。

と、言っても知らず歩調はゆっくりとしていた。

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