六話

食事やお茶の厄介になりながら何もせずただ座っているだけというのは、ロイドに複雑な心境を抱かせた。

視線は部屋の中をあちこちと移ろうが、やがて最後は少女の背中を見遣った。

彼女は洗い物をしていた。ロイドが使っていた皿やカップなどを一つずつ丁寧に綺麗にしていく。

線の細い少女だった。洗うために質素なワンピースの袖を捲くっている腕は、少し力を入れただけでポッキリと容易く折れてしまいそうに細い。少し痩せすぎだと思うのも過言ではなかった。

女性にしては珍しく、髪は肩よりも上に切り揃えられている。濃茶の髪はボサボサでは無いが、かと言って艷やかにも見えない。

勝手な想像だが、痩せた肢体と髪を見ていると苦労しているのではとついつい考えてしまう。

そんな詮無いことを考えていると、洗い物は直ぐに終了した。

少女は手近にあった布巾で手を拭いた後、テーブルに近付く。袖を元に戻しながら、椅子の背もたれに掛けてあった真っ黒なローブを手に取った。

次は何をするのかと疑問に思って見ていたが、少女はローブを着ながらロイドに視線を向けてきた。


「ここから一番近い街まで送ります……が、大丈夫ですか?」


何が?と口から出そうになったが、その前に少女の言葉に違和感があった。

何か忘れているのかと少し考える。

だが、直ぐに答えが閃いた。少女の言葉にはたと、今自分が何処にいるのか完璧に抜け落ちていた。

ロイドは慌てたように早口で少女に聞いた。


「待て。一つ確認したいのだが、ここは森の中なのか?」

「え、はい。森の中です」


何を言っているのこの人みたいな表情ーーはしていないが、首を傾げて見ている姿は絶対思っていると確信を持てた。


「そもそも……ええ、と…………どうして森の中にいたのですか?」


少女の素朴な疑問に、そうだろうなと思う。

何せここは間違っていなければ魔の森だ。一度入れば魔物に遭遇し、まず助からないと言われている場所だ。

けれどその事実を頭からすっぽ抜けても文句は言えないだろう。誰が想像しただろうか。森の中に平和に暮らせる家があるなどと。

理由は思い当たらなくもない。だけど、目の前の少女が捜していた人物ーー魔女なのか自信がなかった。

少女の薄緑の目がジッとこちらを伺っている。そう言えばまだ疑問に答えていなかった。


「大丈夫……でもないが。ある目的のために森に入ったんだが……」

「そうですか。その……目的とは何でしょうか?もしお手伝いできるのであれば致しますが」


少女のこちらを気遣うような発言に、ロイドは胸を突かれた。

不審な変異種相手にする提案ではない。……まぁ、そもそも年頃の女が見知らぬ男を介抱している時点で色々と問題だが。

少女の能面のような顔には好意的には見えないが、嫌悪も不快も見出せなかった。

本当に、単純にロイドを慮って言ったのだろう。口調は変わらず平坦だったが、何故かそう感じた。

正直に言うべきか。それとも言わざるべきか。

ロイドの内心の苦悩を余所に少女は静かに返答を待っている。

仕方なく、ロイドは重々しく口を開いた。


「実は、森に住む魔女を討伐するように言われている」

「魔女……ですか?」

「ああ……森に住む魔女が最近、森の魔物を野に放っているという噂が誠しやかに囁かれている。それを討伐してこい、というのが俺の任務だ」


黙っていた少女がパチパチと瞬きを繰り返していたが、段々とあらん限り目を見開いた。

今まで全く感情を表に出していなかった少女の変化にロイドは驚く。何で素直に喋ってしまったのかと物凄く後悔した。魔女と変異種は畏怖と蔑みの対象だから彼女の反応も当たり前だ。

少女の表情を見る限り、この森の中には彼女以外は住んでいないのだろう。

と言うことは、このままでは”魔女”とは誰を指してしまうのか想像に難くない。

傷付けてしまったか、と内心大慌てで咄嗟に口をついて出た。


「だが、俺が見て回った範囲にそんな奴はいなかった。だから…………魔女はいなかったと、一度報告に戻ろうと思う」


そう言って立ち上がる。椅子が大きな音を立てて後ろにズレていった。無作法な所作だがロイドは別に礼儀作法を仕込まれた訳では無いから気にもならない。

だけど、その音に少女の小さな肩が少しだけ跳ねたのを見てまた少し後悔した。

これ以上少女を怖がらせないように、なるべく穏やかに問い掛ける。


「すまないが、街まで案内してくれないか?…………ええ、と……」


ロイドは名前を言おうとして、まだ名前を聞いていなかったことに気付いた。

介抱してくれた上に食事やお茶まで厄介になったというのに、今のところ分かったのは回復薬と師匠についてだけだ。

口籠ったロイドを見て少女にも意図は伝わったのだろう。まん丸目玉から一転して元の無表情に戻っていく。


「申し遅れました。私はレティと言います。……もし、良ければ貴方のお名前を聞いてもいいですか?」


そうだった。少女の名前を聞く以前に自分の名前を言っていなかった。

何故最初の内に名乗らなかったのか。これは先程の礼儀作法が云々以前に、ここまで世話になった相手に常識外れにも程がある。


「ロ、ロイ…………ど」


心の中で自分を罵倒しながら口にすると、何故かどもってしまった。最後の方がかなり小さく呟く形になってしまっている。果たして少女にちゃんと届いただろうか。


「ろ・ろいさん…………ですか?」


案の定、彼女は聞こえなかったらしい。小さく小首を傾けていた。

反対に、ロイドの眉間にみるみる深い皴が刻まれていくのが実感できた。


「いや、違う。ロ・ロイじゃなくてロイで…………」

「あ、はい、分かりました。……それでロイさん、街までですが、宜しくお願いします」


ロイドは訂正しようとしたが、少女ーーレティは最後まで聞かずにペコリと頭を下げてきた。

そのまま徐にトコトコとロフトの下、本棚の所為で奥が見通せない場所に向かい入ってしまった。

言い直す機会が完全に無くなってしまい、ロイドは思わず嘆息してしまう。

まぁまたいずれ、次の機会があるだろうと思い直す。もしくは、これで別れてしまえば誤解したままでも別に構わないかと。

そう気持ちを切り替えるが、何となくあの少女にはちゃんと名前を覚えて欲しいと考えてしまいーー何故そんな思考に至ったのか自分でも不思議だった。

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