四話

この数日間はかつてないほど、かなりぐっすり寝たような気がする。次に目が覚めた時は傷の痛みは殆ど無く、熱でまだ朦朧としていたが身を起こせる程度には回復していた。因みに物凄い数の毛布が被せられていたのにはかなり驚いた。

そのタイミングを計ったように少女がやってきて、手ずからスープと水を飲ませてくれた。

まだ体力が万全ではなかったからそのまままた寝入ってしまい、その次に起きた時は夜明けだった。

身体を起こして具合を確認する。全身がかなり軽くなっているし、思考もスッキリしている。森に入る前は連日連戦で疲れも溜まっていたのが嘘みたいだ。

次いで周囲を確認する。

ベッド脇にはサイドテーブルと、その上には火が消えた燭台。小さな窓からは湖らしき水面が見えて朝日に照らされてキラキラと反射している。

どうやらここは二階らしくベッドの端には転落防止の手すりがあり、座っていても下の階にある棚の天辺が見えた。

ベッドから足を下ろすと足元にスリッパが用意されていた。ここまで履いてきたブーツを探すが、近くに置いてはいないみたいだった。

裸足なのも何なのでスリッパを履いて立ち上がる。

そこで、服がロイドが森に入ってきた時と同じシャツとズボンであることに気付いた。不格好ではあるが、丁寧に繕われ洗った形跡がある。縫い目を確認していてふと疑問が走った。

確か寝ている時は全く異なる質感の服だったと思う。おまけに包帯らしき厚みもあったはずだった。慌ててシャツを捲って確認するが、左肩から胸の中央に向けて薄い傷跡があるが、包帯は巻かれていなかった。

誰かが着替えさせた。その思考に行き着くとどんどんと渋面になっていくのが分かった。

ここに寝かせられてから見たのは少女一人だけだ。あの、見たこともない薬を飲ませてくれ、スープまで食べさせてくれた。

顔が上げられなくなり手で覆う。恥ずかしさの余り危うく呻きそうになるが寸前で何とか堪える。

そう言えばその少女の姿が見えなかった。下の階にいるのかと手すり越しに吹き抜けの部屋を覗き込んだ。

いた。壁際に備え付けてあるテーブルと二脚の椅子。その一つに少女らしき人物が座っていた。

らしい、と思ったのはフード付きの真っ黒のローブを頭まで被っていて上から見ただけでは誰だか分からなかったからだ。もしかしたら少女以外にも人がいるのかもしれない。そうでもなければ大の男を女性が二階まで運べるはずがない。

どちらにせよここまで厄介になったのであれば礼を言うのが筋である。

少女が何をしているのか、此処からでは分からないが身じろぎ一つしていない。朝のお祈りでもしているのか。

スリッパのまま階段を降りる。そして最後の一段を降りきる中途半端なままピシリと固まった。

少女は寝ていたのだ。壁を枕にして唇を小さく開いてスヤスヤと。

良く良く考えなくてもロイドがベッドを使っていたということは、翻って少女の寝る場所はないということ。

少女の座る後ろには消えかけの薪ストーブ。部屋の中は少し肌寒い。寒さを凌ぐためにローブを着込んでいたのか。

いっそ今からベッドに運ぶか。近付くが待て待てと思い留まる。

先程まで怪我人だったロイドが占領していたのだ。横たえさせるには少しーーいや、かなり躊躇してしまう。

かと言ってこのままにしておくのもどうにも居心地が悪い。

片手を上げて起こそうか運ぼうか、それともこのままにしておくべきなのか迷う。

その間も視線は少女の顔に釘付けになっていた。別に女の寝顔など見たことないことはない。

だが、多分十代後半ぐらいに見える年頃のあどけない姿は見た記憶がない。フードから除く濃茶の髪が頬に掛かっている所まで知らず知らず粒さに見ていたくらいだ。

何度も手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返している内にーー、

パチリと、真円まで開いた目とバッチリ合ってしまった。

丁度手は少女の肩付近にある。これでは粗相をしようと言っているようなものだ。

余りのタイミングに羞恥で顔を顰めてしまうのをロイドは感じた。


「あ、いや……」


咄嗟に何か言おうとしたが、上手い言葉が出てこない。何がいや、なのだ。もう少しマシな言い訳が出なかったのだろうか。

内心で思いっ切り狼狽しているロイドを他所に、少女は寝惚けまなこでロイドを見つめていた。

やがて徐々に覚醒してきたのか、少女の瞳に焦点が合っていく。

と、顔が俯いたと同時にガタン、と大きな音を立てながら立ち上がった。

反射的に手を引っ込める。弁解しようと口を開きかけるが、その前に少女は後ろを向いてスタスタと薪ストーブに向かっていった。

呆気に取られているロイドを放置した状態で少女は薪ストーブに薪を足していき、火を強くしていく。途端に部屋の中が暖かくなっていくのを感じた。

そしてストーブの上に置いてあった鍋の蓋を開けて中身を確認するとおもむろに振り向いて頭を下げてきた。


「すみません、スープがまだ温まっていないので座って待っていて下さい」

「……は?」


意図していなかった会話に間抜けな返事をしてしまう。

それにも頓着せず、少女はもう一度ペコリと頭を下げた。


「ごめんなさい、起きているの気付かずに。そんなに冷めきっていないので直ぐに温まると思います。どうぞ座って待っていて下さい」


もう一度同じ台詞を言われた。

どうすれば正解なのか分からず、取り敢えずおずおずと、少女が座っていた椅子とは反対側に座った。

そのまま何とも言えない奇妙な時間の中、淡々と準備を進めていく少女の背中だけを見つめながら待つこと十数分後。

テーブルの上にスープと硬そうなパンが少し。水が入ったコップが載せられた。最後にスプーンを手渡される。

ロイドが口を開く前に少女はローブを脱いで座っていた椅子の背もたれに適当に掛けていた。


「どうぞ、召し上がっていて下さい。私は少し用事がありますので失礼します」


そう言ってそそくさと、流し台に置いてあった桶を持って玄関から外に行ってしまった。

ポツンと残されたロイドはスプーンを握ったまま少女を見送った。


「……どうしろと」


いや折角温めてくれたスープを冷ましてしまうのも悪いだろ、と自分に突っ込みを入れてしまったがとにかく、少女の気遣いを無下にしては駄目だろうと思いスープを口に含んだ。

野菜だけが入ったスープで味はとても素朴だった。けれど病み上がりの身としては有り難いのかもしれない。

黙々と、食事を口に運んでいながら周りを見渡す。小さくはないが大きくもない木造建ての家だ。二階の部屋はどちらかというとロフトの構造になっていた。ロフトの真下のスペースには天井ギリギリまである本棚が置かれていて、奥のスペースは見通せなかった。台所近くの窓辺には植木鉢。幾つかの花や草が植わっている。

部屋は全体的に小綺麗だった。少女がいつも綺麗にしているのだろうか。

そんなことを思い、何となく少女について考える。


ーー何も、聞いてこなかったな。


ロイドの髪の色と肌の色を見て、何も言ってこないのは意外だった。普通なら直ぐに変異種かと誰何され、そのまま揉め事に発展するのはよくあることだった。

過去のことを少しだけ思い出してしまい、ロイドは眉を顰める。

食事が不味くなると無理矢理頭から追い出したが、脳内にこびりついた鬱陶しい視線は中々抜けてくれない。

自分の思考にうんざりして溜息が漏れそうになったがしかし、少女の澄んだ瞳がロイドを見つめていたことを不意に思い出した。

ロイドと会ったほぼ全員の人間が嫌悪の視線を向けてくるのに、少女の目にマイナスの感情は何処にもなかった。

それどころかロイドを助け、こうして食事まで用意してくれた。

変異種相手に嫌悪感を抱かないのだろうか。

普通ならばそんなことは有り得ない。ロイドの今までの人生で、蔑まない人など見たことなかった。

だがやはり熱に浮かされた時から思い返してみても、少女は嫌な顔一つせずにロイドを介抱していた。

無表情だった彼女の顔を浮かべる。

失礼な話だが、目鼻立ちは特徴的でも取り分け優れた容姿でもない、ありふれた顔立ちだ。

けれどあの瞳。

少女が起きた時、真っ直ぐにロイドを見た薄緑色の瞳に吸い込まれそうになった。

緑色の目なんてロイドのいた帝国でも珍しくはなかったが、何となく、少女の瞳の色は他の人の色よりも鮮やかに輝いていたように見えたのだ。

段々と気持ちが落ち着いてくるのが分かった。

ロイドは止めていた手を動かし、食事を再開した。

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