三話

青年の、小さいながらも先程よりも安定した寝息が微かに耳に届いてくる。

その様子をじっと見つめていたレティは、ようやくホッと安堵の息を溢した。

目を覚ましてくれて良かった、と思う。もし目覚めてくれなけでば本当に危なかった、とも。

回復薬は口腔摂取でないと効果が表れないし、レティは別に医者でも何でもないからこれ以上施しようもなく途方に暮れていたのだ。

運が良いのか、それとも元々の生命力が強いのかは分からないが、目覚めてくれたのは僥倖だった。

もしかしたら馬鹿みたいに二階の寝室と下の居間とを行ったり来たりを繰り返していたから、その足音が煩くて起きたのかもしれないが。

けれどもレティとしても、怪我人をどのように対処すれば正解なのか、全くもって分からなかったのだ。

何故なら、森の中に人がやって来るのはレティが住み始めてからこれまで始めてのことだったから。


*************


宵闇が迫りだしていたあの時。いつもの日課をこなそうかとか雨の日は少しだけ面倒だなとか、そんなことを考えながら支度をしていたら急に獣や魔物とは全く違う、おかしな気配が家からそんなに遠くない場所に感じた。


「……何これ」


漂う気配は奇妙で弱々しくて、ともすれば見逃してしまいそうなくらいに小さな灯火。

訝しんで微かに小首を傾けるが、取り敢えずいつもの黒いローブを適当に纏って準備を済ませる。


「ラフィ」


一瞬だけラフィを呼ぼうかと考えて窓に手を掛けるが、あの子はとても心配性だからこの気配に神経を尖らせるかもしれない。


「……まぁ、いっか」


結論を出し、地面の影を蠢かさて魔法を発動させた。

足元が沼に沈むような感覚が支配したと同時に景色が一変し、先ず目に飛び込んできたのは暗い森の木々と、それから倒れた人だった。

人。人間が。森の中で。

最初は、それを認識した瞬間に驚きの余り思考が止まってしまった。

これまでのレティの人生で森の中で人がいることは現実味がなさすぎるし、それ以上に倒れているという異常事態に脳の処理があっという間に追いつかなくなってしまったからだ。

どれくらいの間突っ立っていたのかも分からなかった。頭が中々再起動せずに目の前の倒れている人間にただただ呆然と眺めているだけだった。

レティの世界が再び動き出した切っ掛けは、倒れていた人が僅かながら身じろぎした時だった。


「ひっ」


その、ちょっとした動作に肩が大げさなぐらいに飛び跳ねて喉から引き攣るような声が出た。意図せず半歩ほど、足が後ろにずり下がったように思う。

そんな小さな動きが聞こえる訳ないだろうが、うつ伏せに倒れていた人物の顔が少しだけ持ち上がり、レティを窺うような俯瞰しているような視線を向けてきた時には心底驚いた。

向こうからはどう見えているのかは分からないが、確かに目線が合ったようにレティには感じられたのだ。

助けを乞うているのかただ見ているだけなのかは分からなかった。しかし、何故か引き寄せられるように足を一歩、前に踏み出す。

その動きをどう捉えたのかは分からないが、細く開いていた目は再び閉じられ、レティが側に近付いた時には一向に開ける気配はなかった。



そうして近付いてみると男の人だとは分かった。分かったのは良いが、全く起き出す気配がない人を一体どうすればいいのか解決策が分からず、かと言ってそのまま放置する訳にもいかず、取り敢えず家まで運んできたのだった。

無論、レティの腕力では大の大人一人を細腕で持ち上げられるはずもない。いつものように横着して影の魔法を使ってベッドまで連れてきたのである。

ベッドに横に寝かせた時には酷い状態だった。

まず傷の具合が悪かった。魔物に負わされたのだろう、マントを脱がして仰向けにしてみると左の肩から胸の中央に走った切り傷は止めどなく出血し続けていた。鎖骨辺りの傷口から見える白いモノは骨だろうか。一瞬思わず目を背けてしまったほどである。

そして、次に身体中が冷え切っているのに嫌な汗が流れ続けていた。多分長い間雨に打たれ続けたせいだろう。荒く繰り返される呼吸は非常に浅く、乱れていた。


ーーこれ、どうすればいんだろう。


こんな状態の人間などレティは見たこともなかった。見捨てることは論外だとして、なけなしの知識を寄り集めても名案など思い浮かべられるはずもない。

ともかくまず、影の触手を数十本呼び出して濡れた服を脱がした。そして縛るように包帯を巻いていき、そこからできた影を魔法で操り止血の代わりとした。

箪笥という箪笥から大きめの服を探し出して着替えさせた。何故あるのか分からない、レティの物でも師匠だった物でもないかなり古くい男性物の服だ。

でもレティの服だと絶対入らないだろうからこれで我慢してもらおう。ついでにこれまた厚めの毛布をあちこちから掻き集めて被せていく。

レティは下に降りて薪ストーブに火を着けた。薪をドンドン足して火を強くしていく。

部屋が暖かくなるのを感じながら次に台の上にある籠の上の布を取っ払って中から瓶を一本取り出した。

そして二階に行こうとしてはたと立ち止まった。

片手に握っている瓶の中には回復薬が入っているが、飲ませる相手は意識を失っているのだ。どうやって飲まそうか考えていなかった。

横になった状態でも飲みやすいように吸い飲みに移し替えるが、それ以上の策が思い付かず、結果として様子を見るため寝室と居間とをウロウロすることになるのだった。


*************


今思い返すともう少し他に何かできたんじゃないかと自分に呆れる。

でも結果としては良い方向に向かったのだと納得させてもう一度ベッドに寝ている青年を見遣った。

この辺りでは見たこともない、珍しい褐色の肌だった。

偶に街に出掛けるが、肌が日焼けしたとかそういう色と全く違う、浅黒い肌だった。まぁ、あの街で焼けている人は滅多に見かけないけど。

書物では、大昔の人の中には青年のような肌をした者がいたらしいが、現在ではとっくにいなくなっていると書かれていた。

そして、髪は殊更に珍しい色をしていた。

ホワイトゴールドと言うべきか白金(はっきん)色の髪と表現すべきか。とにかく、光の当たり具合によって髪の色が違って見えるのだ。

今は近くの燭台に照らされて金の色味が強い。けれど影になった部分は白が強調されている。

火の揺らめきに合わせて色彩が変化してく様は幻想的ですらあった。

その上、瞳の色はーーと考え、そう言えばどんな色だったか記憶していなことに思い当たった。内心ではアタフタしていたから仕方がないことだが、次に起きた時に確認してみようと結論付けた。


「……でも、次はどうすれば……いいの?」


またうんうんと悩みそうになったが、過去を振り返ってレティがされてきたことを思い返し、まずはスープでも作っておこうと階下に降りていった。

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