二話

遠くからシュンシュンと湯気が立つ音がする。

それに合わさってトントンと軽い足音が近づいてくる。

最初に知覚したのは鋭い聴覚からで、段々と意識が眠りから浮上していくのが分かった。

それでも瞼は非常に重たく、まだ寝ていたいと本能が告げてくる。

もう一度深い所に潜ろうとする意識を必死に叱咤して、何とか重い瞼を薄く開けた。

僅かながら光が目に入ってくる。もう少しと目を開き焦点を合わせようと眉間に力を入れる。

まず視界に入ったのは見知らぬ天井。古いのか少しくすんでいるが暖かみのある木目が視覚を優しく刺激した。


「こ……こ、は…………?」


知らず疑問を口にするが、掠れた声は周囲も自分の鼓膜さえも震わさなかった。

見たこともない天井ということはここは知らない場所だと言うことだ。他に何か情報は無いかと身体を動かそうとすると、頭に鈍い痛みと左肩から胸に掛けて鋭い痛みが同時に襲ってきた。


「……ぐっ」


更にロイドは自分が異常なぐらい汗をかいていて、体温が高すぎることに気付いた。

危うく情けない呻き声が漏れそうなのを歯を食い縛って耐えた後、傷口を確認しようと恐る恐る両腕を動かす。

左腕は殆ど感覚もなく、動く気配は全くないし左肩が余計に痛んだ。右腕は辛うじて動くようだ。左腕を動かすのを諦めて右腕だけでゆっくり弄るとフワフワの毛布が少し持ち上がり、その柔らかさに触覚が復活した。

そのまま痛みを抑え付けて傷口付近を触ってみると、包帯が巻かれているのか覚えの無い質感のする服の上からは少し厚みがあった。

服。触ったことのない手触りの服。

ボンヤリ覚醒半ばで考えながら右手で服を撫でていると、ヒョッコリと視界から飛び込んできた見知らぬ少女の顔にギョッとした。


「目が覚めましたか?」


高くもなければ低くもない、小さな声ではないけれども大きな声でもない、何とも言えない平坦な声が耳に届いた。

余りにも抑揚が無い声だったので、一瞬目の前の人物が喋ったのだと分からず反応がなかったロイドに、少女はもう一度口を開いた。


「目が覚めましたか?」


そして口を閉じてジッとロイドを見る、いや、凝視する。

物凄くこっちを見てくる少女にかなり居心地が悪かったが、返事を待っているのだとようやく気付いた。

というか、インパクトが強すぎて固まっていたという方が正しいのかもしれない。


「ぁ……は……」


言葉を返そうとして、喉が引き攣りまともな声さえ出なかった。それどころか、異様なほどに喉が乾いている。

顔を顰め、何とか声を出そうと苦心している姿をどう見たのか、少女の手がそっとロイドの口を塞いだ。


「……飲んで下さい」


今度は疑問形ではなく断定だった。

何を?と問い返すこともできず、成り行きを見守っていると少女の口を塞ぐ反対の手が顔の上に掲げられた。

その手には細長いストローのようなものが付いた平べったいガラス瓶が握られている。恐らく吸い飲みだろうか。中身は薄い桃色のした液体がっていた。

果実水だろうか。余り見掛けない色をした液を眺めていると、少女は口を塞いでいた手を退けて吸い飲みの先端を口にそっと……いや、結構強引に突っ込んできた。

そのままガラス瓶を傾けて中の物を飲ませようとする。

ゆっくりとだが確実に、液体が管に向けて流れていくのが見えた。

得体の知れない液体に拒否や反論をしようにも、口に突っ込まれたガラスの先端はほぼ口内の奥付近に突っ込まれている。もう少し奥に押されると嘔吐きそうだった。

どうにもできずにされるがままの状態で待っていると、果たして液体が先端から口内に流れてきた。

覚悟を決めて待ち受けていた液体はしかし、思っていたよりも少量で少しずつ喉に溜まっていく。清涼感と微かな苦味が乾いた口内に味覚を揺り動かした。

味を認識すると、身体が勝手に液体を嚥下した。

途端に喉は癒やされ、全身が軽くなる感覚になる。頭痛や傷の痛みさえも弱くなったような気さえした。

潤した液体が次に流れてくる前に、ロイドは口を窄め吸うように飲み始めた。

ロイドの意思を感じ取ったのか、少女は先程よりも吸い飲みを傾け液体を流れやすくしてくれる。

どれほどの時間が経ったのか。それともそんなに経っていないのか。

やがて吸い飲みに入っていた液体を全部飲み干したロイドは不思議な安堵に包まれた感覚に浸っていた。

先程とは違った、傷を治すための眠気とは別の微睡みが全身に巡るが、何とか瞼が閉じないように力を込めて少女を見遣った。

吸い飲みの中身が空になったことを確認していた少女は、ロイドの視線に気付くと空いた手でロイドの瞼の上にそっと置かれた。


「……もう少しお休み下さい」


先程と同様労りも感じられない平坦な声だったが、ひんやりとした手の感触に安らぎ、段々と意識が遠くなっていくのが分かった。

さしたる抵抗もできずに瞼を閉じる。暗闇の中で先程の薬とは違った、林檎に似た香りが嗅覚をくすぐった。

それがロイドが感じた最後の意識だった。

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