変異種も魔女も、誰かを想う気持ちは変わらない

立花砂那

1章:あなたは誰

一話

しくじったな、とロイドは思った。

暗い森の中、しとど降る雨粒は密集した木々に溜まって余計に大きな雫になり、雨避け代わりのマントや服はお陰でぐっしょりと濡れる羽目になっている。

ただ、最早寒いとは感じなかった。

まだ冬も終わらぬ季節。

振り始めの頃は気温と雨の水で寒さに身が震えていたが、疲労と失血のせいか今では当たる雨粒の方が温かいとさえ感じ始めていた。

引きずるようにして森の奥を目指して歩いていたが、ふらつきながらも何とか動かしていた足もとうとうもつれて地面に倒れ伏してしまった。

どうにか無様に顔面をぶつけることは回避したが、べしゃりと地面にうつ伏せになったまま、ボンヤリともう一度しくじった、と自嘲気味に思った。

ここ数年の間、ここまで酷く傷を負ったことはなかった。前の任務からの疲労が色濃く残っていたとはいえ、魔物と連戦を重ねただけでここまで手傷を負うとは。

今も左肩から胸にかけてざっくり開いた裂傷のせいで、左腕が全く言うことをきかない。傷口は氷魔法で止血をしているが、戦闘時は使う余裕もなくそのままにしていたせいで出血量も少なくなかった。

朦朧とする頭で、周りの景色を見る。

見えるのは高い木々と、柔らかい腐葉土と、所々に落ちている細い枝だけ。

さっきから全く代わり映えしない景色は、本当に前に進んでいたのか、それとも同じ所をグルグル彷徨っていただけなのか疑いたくなってくる。

森に入る前は夜明け前だったが今はもう日没を過ぎた辺りだろうか。木の葉が邪魔をして陽光が殆ど射さない森の中は、雨と怪我も相まって時間の感覚が分からなくなっていた。

段々眠気が襲ってくるのを感じて、これはいよいよ駄目かもなと考え、ロイドは目を瞑った。

しばらくの間、闇の中で雨の音楽を聞いていたが、そこにカサッと、とても小さな異音が混じった。

ロイドははっとして目を開き、気力を振り絞って音のした方へ視線を向けた。

同じ形をしたような木々しかなかったのに、いつの間にか木々に混じって小さな黒い影が一つだけそこにあった。

目を凝らしてよく見てみると、黒い影の正体は真っ黒のフードを目深に被った人らしき存在だと分かった。

魔物でないことにホッと安堵するが、同時に内心訝しんだ。

ここは森の中だ。ロイドが間抜けにも森の入り口付近でずっと迷っていない限りかなり奥の方まで進んできたはずだ。

それなのに人影が佇んでいる。その疑問に朦朧とした意識を総動員して考えた結果、二つの答えに辿り着いた。

魔女か、もしくは死神か。


「はっ、そう……か…」


そう導き出した途端に、ロイドはなけなしの気力さえも消えていくのを感じた。

魔女だろうが死神だろうが、行き着く先は変わらない。

即ち、”死”だ。

帝国内で噂されている魔女の本質が本当なら助からないし、死神ならそもそも死からの迎えなので助かろうはずもない。

もう一度気力を奮い立たして人影を追い払ったとしても、体力が切れた時点で止血している魔法も無くなり、失血死は目に見えている。

どちらにせよ変わらない結末にロイドは自棄になる。変異種らしい末路だなと心中で嗤ってしまった。

ロイドの死を待っているのか、小さな人影はじっと佇んでいた。

長いような短いような時間。

やがて、焦れたのか人影が小さく一歩を踏み出した。

視界がかすみ始めていたロイドだが、人影が動き出したのが見えて諦めたように全てを投げ出した。

今まで抗っていた眠気をそのままに身を任せ、思考を放棄して深い深い眠りの中に落ちていった。

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