第58章 歴史に残せぬ出来事
歳三が、北海屋のお弓から文を受け取ったのは、二股口への再度の出陣が決定した直後だった。
歳三は添役達に準備を任せ、北海屋に急いだ。出陣まであまり時間が取れなかったが、案件がりょうの事だったので、無視するわけにはいかなかったのだ。
「やはりおめぇか、中村」
と言ってすぐ、中村の顔に苦悩の色を見て取った歳三は、
「あんまり話したくない内容のようだな。俺はこれから、おめぇたちと戦をしなきゃならねぇんだからな。変な話はごめんだぜ」
と背を向けた。
「おいは新政府側ん人間だが、今だけはそんこっを忘れてほしか。りょうんためだ」
中村の言葉に、歳三も黙ってそこに座った。
りょうが土佐に追われている経緯を中村が話し終えると、歳三が聞いた。
「大体のことはわかった。だが、会津で土佐兵を斬ったのがりょうだと決めつけた根拠はなんだ?医者の格好だけで分かったわけではなかろう?」
中村は、
「土佐にも、薩摩にも、新選組を離脱した者たちが加わっちょったど。それも幹部級ん奴らがな。じゃっで、傷口を見ればだいが殺ったか見当がちたんじゃろ。ないせ、『三段突き』ん証拠が残っちょったんじゃっでな」
と答えた。歳三の顔色が変わった。
(総司……おめぇはりょうを守ろうとしたのか……?)
「何を、馬鹿なことを……総司が生きているとでも思って震え上がったか?衛士の奴ら……」
その声から、歳三も動揺していると、中村は思った。
「惚れたおなごを『人斬り』にしてしまうような剣ん技など、おいなら決して伝えたりはせん!!……それも、そん技を使うたことを気づかせんなど……沖田こそ、ほんまもんの鬼じゃな」
と中村は言った。歳三はそれに対して、
「惚れた女に残してやれるものが、あいつには『人斬りの技』しかなかったのだ……そんな男の心なんぞ、おめぇには決してわかるめぇよ……」
と答えた。中村はそれに反論できなかった。沖田のりょうに対する心を思い知らされたようで、悔しかった。
歳三は、ふん、と息を吐き、
「りょうが総司の弟子で、ずっと看護していたことは、新選組なら知っているからな。『三段突き』と医者の格好から見当をつけられても仕方ないと言うわけか」
と言った。
「じゃっで、りょうが生きちょっ証拠を、はよ消すことを考えてくれ。時間がなかど」
と中村が言うと、歳三は立ち上がって中村の前に移った。
「甘く見るんじゃねぇよ、中村。それで俺が納得するとでも思ったか?土佐の本意は何だ?斥候のひとりやふたり、戦の最中に斬られたって仕方あるめぇ?それを躍起になってりょうを追いかけているのには、ほかに理由があるんだろう?玉置良蔵を野放しにできない理由が。新政府にとって、それは表に出せないもんなんじゃねぇか?」
今度は中村の顔色が変わった。
「……おいが本当んこっをゆたや、あんたはこれまでん生き方を後悔すっかもしれんぞ……」
と中村が言うと、
「何を聞いたって、もう進むしかねぇことは、百も承知だ。りょうは俺の娘だ。生きて多摩に帰すとは言ったが、死んだことにするなんて考えちゃいねぇ!」
と、歳三は強い口調で答えた。
すると、中村は歳三の顔をキッと睨んだ。
「そうじゃ。りょうはあんたん娘や。あんたん娘でなけりゃ、こげんこっはせんでん良かど。山田市之允は、りょうん医術ん技量を、こん国ん将来んために生かすべきじゃ、ち言い、あんたん子とは知らんでこん計画をおいに任せた。箱館にも新選組にも、玉置良蔵はおらんやったことにせーちゆた。だが、あんわろは長州ん人間や。玉置良蔵と土方歳三が親子じゃちゅうこっは、いっか新政府にもばるっ。そん時、長州ん者は草ん根を分けてでもあんたん血を引っ子どんを探しだし、京でん仇を討とうとすっ。山田とて責めは免れめ……よかか?土方どん。慶応3年11月15日、新選組ん小姓であっ玉置良蔵が、坂本龍馬に会うちょったちゅう事実があっとじゃ……坂本は、大政奉還ん建白を出したこっで、逆に敵を多う作ってしもたど。命を狙わるっほどに。そして、『
歳三は黙って、中村の言葉を聞いていた。その顔は何かを思いつめたように、何かに怒っているように、ただ一点を見つめていた。
「そこには……何が書いてあったのだ」
「……」
「俺は何を聞いても、前に進むしかねぇ、と言ったろう。話せ」
歳三は身動きせず、中村に尋ねた。
「……おいは知らん。だが、坂本に危険を告ぐっ伝言やったに違いなか。坂本に真実を知られたこっで刺客側が動いた、ちゅうこっじゃろ」
中村は答えた。
「りょうが坂本にそれを渡すのを見た……からだな?土佐は、りょうを坂本殺しの一味にしたいわけか。下手人を明らかにして事件を終わらせたいと」
歳三の問いに、
「そうじゃ」
と中村は頷いた。
「その中には、坂本の予想もしなかった人物の名が書かれていた。薬を確認しようとしたりょうが、中身を見たかもしれない。捉えて抹殺したいということか……」
歳三が呟いた。その顔からは血の気が引いていた。
「証拠は出らんやった。じゃっどん、土佐は強引なやり方に出た……そんたあんたも知ってん通りじゃが……そいにちては、上ん方からん批判もあったごたっがな」
と中村は言った。
少し間を置き、中村が意を決したように口を開いた。
「りょうは利用されただけじゃ。たぶん、りょうを行かせた人物も、天気までは考えちょらんじゃったんじゃろ。あん日は雨が降っちょった。坂本ん帰りが遅かとをいぶかしんせぇ、迎えけ来た者がおったど。そん結果、りょうは姿を見られ、そん人物を疑いもせんやった坂本は、薬を届けたとが新選組じゃちゆてしもた。りょうにそげんこっをさせたんな、
「やめろ!もういい……!」
歳三の声に、中村は一端、言葉を切ったが、最後に一言呟いた。
「はがいかとは、あんただけじゃなか……!」
歳三の脳裏には、ふたつの顔があった。ひとつは、坂本が殺されたと報告があった日、助けを求めるように怯えていたりょうの顔だった。新選組が犯人にされたのは自分が坂本に薬を届けたからだと自分を責めていた。
そしてもうひとつは、五兵衛新田に移った頃、束の間の休息を得てくつろいでいた、無二の親友の顔だった。それがふたりきりで話した最後だった……
歳三は立ち上がり、振り返ることなく、そのまま黙って北海屋を出た。すると、馬の口を取って待っていたのは安富だった。
「奉行が北海屋の者と出掛けられたと聞いて」
と安富は言った。歳三を心配して来たことはすぐにわかった。
歳三は、ほっとしたような表情を安富に向け、馬に乗った。今は、まともに歩いて五稜郭に戻る自信が、歳三にはなかったのだ。安富もそれ以上は何も問わず、歳三が乗った馬を引きながら、ゆっくりと五稜郭への道を戻っていった。
中村は、歳三が出ていった方を見つめていた。
(あんたは、わかってくるっはずだ……おいもあんたも、いっばん守ろごたっもんな同じなんじゃっで……)
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