第59章 記憶と記録の封印

 『おぉい、トシ、こっちだ』

歳三が葦をかき分けて声のする方へ行くと、川原でのんびり釣り糸を垂れている近藤の姿があった。


 慶應4年(1868)3月。甲陽鎮撫隊と名を変えた元新選組は、綾瀬、五兵衛新田ごへえしんでんにいた。江戸では、勝海舟と薩摩の西郷隆盛との会談が終了して、江戸の平穏が約束されたばかりであった。軍事行動は控えろと言う勝の言葉に従った近藤たちは、束の間の休日を過ごしていたのだった。


 『総司は、どうしているのだろう?少しは落ち着いているのかな?』

近藤が歳三に聞いた。その頃、沖田は浅草今戸の松本良順の別邸から、千駄ヶ谷の植木屋の離れに移ることが決まっていた。歳三は、すでに松本良順から沖田の命が残り少ないことを聞いていた。良順は南部医師の計らいで、会津藩に身を寄せることになり、沖田の看病は、良順の弟子と、りょうが行うとのことだった。

『できる限りの最高の薬を調合したと、良順は言っていた。胸の苦しさは、少しは軽くなるだろうが、それもずっと続くわけではないだろうな』

と歳三は答えた。

『トシ、相談なんだが』

『なんだ、勝っちゃん』

歳三の言葉に、近藤は目を丸くし、そして嬉しそうにニッと笑った。

『懐かしいな、その呼び名。多摩のワルガキ時代に戻ったみたいだ。あの頃も、よく浅川あさかわで釣りをしたなぁ』

『釣りと、喧嘩な』

歳三もニッと笑った。川面をわたる春風が気持ちよかった。


 『で、相談てのは?』

また歳三が聞いた。近藤は、今度は真顔になり、歳三を見つめた。

『総司とりょうくんを、夫婦めおとにさせたいんだ。いや、仮祝言でいい。総司の嫁にりょうくんを貰えないだろうか?』

歳三の顔が曇った。

『勝っちゃん、それは……』

『解ってる。総司が自分から、求婚を取り下げたことは聞いてる。でも、あのふたりは好きあってんだろう?俺が総司をなんとか説得すれば……』

近藤は本気のようだった。歳三が黙っていると、近藤は続けた。

『総司の命が長くないことは知ってる。だが、俺は天然理心流宗家に、あいつの名を刻みたいんだ。あいつは今、何も残せない絶望感でいっぱいだ。りょうくんがそばにいることで、総司に生き甲斐が生まれるに違いないんだ。りょうくんだって、総司の気持ちを知れば、きっと……』

すると、歳三が言った。

『りょうは、総司のためなら、自分の身を盾とすることも厭わない娘だ。だから、もし総司が夫となり、天然理心流を継いだら、自分はそれを助け、総司が死んだ後も、懸命に守ろうとするだろう。だが、あいつはまだ16なんだ、勝っちゃん。あいつのすべきことは、天然理心流を守ることじゃねぇと俺は思う。これからの時代に生きていく者には、それにふさわしい道があるはずだ』

『天然理心流は、時代遅れだというのか?』

近藤が反論した。

『そんなことは言ってねぇ。俺は日野の義兄貴あにきやあんたを通じて、天然理心流に出会った。そのお陰で武士になり、幕臣にもなった。俺やあんたはそれでいい。無論、その流派を引き継いでいく者が必要だということも解る。でもそれを総司とりょうに押し付けるのは間違ってるぞ。第一……総司はそんなこと望んじゃいねぇ。あいつは、新選組であんたを守ることに誇りを感じていた。だから、どんな仕事でもやった。総司の絶望感は、あんたを近くで守れなくなった自分に対してのものだ。今さら、形ばかり宗家の名を継いだからって、喜ぶものか……!』

歳三が言い放つと、近藤は肩を落として言った。

『……俺は、あのふたりに幸せになってもらいたいだけなんだ。俺は総司の人生を狂わせてしまった。りょうくんだって俺のせいで……俺はふたりに借りを作ったままで、会津には行けないんだ』

近藤のその言葉に、歳三は、

『ちょっと待ってくれ。ふたりに、って何だ?勝っちゃんが、りょうに何の借りがあるってんだ?』

と聞いた。すると近藤は慌てたように、

『い、いや、その……俺が……怪我をしたから、りょうくんが山崎くんのあとを引き継いだようなもんだから……』

と答えた。

『それはあんたのせいじゃねぇ。何を言ってんだ?その前から、山崎はりょうを育てていたじゃねぇか』

歳三が言うと、近藤は、

『そう……そうだったな。俺もいろんなことがあって、記憶がごちゃ混ぜなんだ、はは……』

と笑い、それきり黙ってしまった。


 流山で敵に囲まれたとき、切腹しようとした近藤を止め、あくまでも甲陽鎮撫隊の長、大久保大和守で通せと言ったのは、歳三であった。最初は武士の面目を主張した近藤だったが、勝海舟に証拠の書状を貰い、必ず助けに行く、と歳三が言うと、全てを悟ったかのような、穏やかな笑みを浮かべた。

「わかったよ、トシ。こんなところで死ぬわけにはいかないものな。俺は、俺の責任を全うする。あとは、お前に任せた……!」

そう言って、近藤は新政府の軍門に下った。


 (あれは、全てを封印して先に逝く、ということだった……近藤は解っていたのだ。もう、徳川からの助けは来ないことが……)



 「……行、奉行」

安富の声に、歳三は、ハッと顔を上げた。近藤との会話を思い返していて、万屋の前に来ていたことに気づかなかったのだ。

「まだ出陣までには、一時いっときほどあります。お住まいに戻られて、少しお休みになられては?」

安富は心配そうに言った。前回の二股口出陣から、歳三がほとんど休んでいないのを知っていたのだ。だが、歳三は笑ってそれを断った。

「すまねぇな、才助、心配させて。俺は大丈夫だ。それよりも、五稜郭に行って、あの無鉄砲に、今日は待機だと伝えてくれねぇか?昨日、うっかり一緒に連れていくなんて言っちまったんだ。病院が一杯で怪我人を五稜郭に移すから、医者がいるんだとさ。これから病院に回らなきゃならねぇんだが、ちょっとここで待っててくれ」

歳三はそう言って万屋よろずやの離れに寄り、すぐに戻ってきた。その手には、袋に入った一振りの刀が握られていた。

(総司の刀は、それを持つに相応しい者に預ける……悔いなく戦うために、手元に心残りは置いておけねぇな……)


 安富は、病院の前に馬を繋ぎ、五稜郭に向かった。

(土方先生、北海屋で何を聞かれたのか……何かを決心されたようだが……)


 歳三は、高松凌雲と、凌雲に呼ばれ急いでやって来た林董三郎に、りょうが土佐藩に追われていることを伝え、りょうを敵兵の看護に当たらせないように頼んだ。

「土方さん、承知した。箱館病院には来させないようにする。しかし、もうひとつのことを良蔵が知れば、なんと思うか……自分のしてきたことを、全て記録に残せないとは。可哀想だ。あんなに一生懸命、兵たちの治療に当たったというのに」

「あいつが生きていると、土佐に知られてはいけないんだ。そうするしかねぇ。新選組の土方小姓で医師の玉置良蔵は、胸の病ですでに死んでいる、ってことにするんだ。頼む、記録にそう書いてくれ、先生」

凌雲は歳三の申し出を受けた。

「戦の最中に、武士が自分の身を守るために斥候を斬ったって、何の罪に問えるというんだ!?それに、会津での良蔵は、兵士ではないだろう?土佐藩は、参戦してもいない箱館まで追手を差し向けて、何の得があるんだ?」

凌雲は歳三に聞いた。

「御親兵として、十津川郷士が箱館に来ている。あいつらは、土佐に取り入って尊皇攘夷をかかげ、官軍を気取ってやがる。あいつらとは、京の天満屋でもやりあって、山口次郎が郷士を斬り捨てている。新選組には恨みを抱いているはずだ。土佐の力で新政府の役人にでもなるつもりなのだろう。良蔵が捕らえられれば、女であることも、俺の子であることも調べられる」

と歳三は言った。凌雲には坂本龍馬との件は伏せた。それは、歳三にとっても『歴史に残せぬ出来事』なのだ。


 「憎い『新選組副長』の子を血祭りに挙げることなど、なんとも思わない、というわけか……権力バカどもが!」

いまいましげに、凌雲は言い捨てた。

「良蔵には、高龍寺に開いた分院に時々通ってもらおう。あそこは彰義隊を始め、味方の兵たちだけが入院している。そこなら、敵の目も届くまい。皆『チビ先生』の腕を信頼しているからな。ただし、そのあだ名のお陰で、本名を知らない者も多い」

凌雲がそう言うと、歳三は頼む、と言って出ていった。その後ろ姿を見送った凌雲は思った。

(やっと、父と子として過ごすことができるようになったというのに。その、ほんのわずかな平穏でさえも、あの親子には与えられないのか……)


 箱館病院には、りょうの書いた患者の記録がたくさん残っていた。凌雲は、董三郎と手分けして、りょうの記述箇所を書き替えた。その丁寧な記述は、新選組時代に山崎から叩き込まれたものであった。これを歴史の中から全て消さなくてはならないとは……宮古湾での戦の折りの、怪我人の様子など、残しておけば貴重な医学的資料になるものもあった。書き替えが無理なものは焼却した。ふたりは、この事実を永遠に封印することを約束した。悔しさと共に……

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