第57章 中村半次郎の決意
りょうは、五稜郭に戻ろうと病院を出た。すると、
「失礼、玉置りょうどのですね?」
と、男に呼び止められた。りょうは、反射的に刀に手をかけようとしたが、相手の素早い動きで手を取られ、逆に喉元に短刀をつきつけられた。
「お前は誰だ!?その名を知っているなんて!」
りょうが聞くと、
「大人しくなさってください。騒ぎになると
と、その男は言った。見ると、兵士とは明らかに違う風体の数人の男が、病院の回りに潜んでいた。
「やめろ。中にいるのは、動けない人たちばかりなんだ!」
りょうは仕方なく男に従った。いつのまにか、怪しい男たちは消えていた。
「先程は、手荒なことをいたし、申し訳ありませぬ。りょうどのが剣の上手とお伺いしておりましたので、身を守るために仲間と共に先手を打たせていただきました。お許しください。
男に促され、見上げると、そこは北海屋だった。そして中にいたのは、中村半次郎だった。
「やっぱり、この店は薩摩と繋がっていたのか。あの女将さん、父さんの古い知り合いって言ってたのに……僕を捉えるのに手を貸すなんて……!」
りょうが再び刀に手を掛けると、男は反射的に中村の側に寄った。だが中村が目で
(いらん)
と合図すると、男は離れ、店の外に出た。
中村は落ち着いた顔で言った。
「わいは誤解しちょっ。女将は、わいと話そごたっちゅう、おいん希望を叶えてくれただけじゃ。もっとも、おいも、女将が土方歳三と知り合いじゃちゅうこっは知らんやったがな」
そのとき、りょうは、中村が丸腰であることに気づいた。薬丸自顕流の使い手である中村が、刀を携えていないなんて?……と、りょうは不思議に思った。
りょうの怪訝そうな顔を見て、中村はフッと笑い、
「何度もゆちょっことだが、おいはこん軍に加わっちょらん。西郷
と言った。しかし、りょうは刀から手を離さない。
「あんたは他にも僕に嘘をついた。僕を薩摩に誘っておきながら、本当は奥方がいたんじゃないか!僕が何も知らないと思うなよ!」
(しまった!こんなことを言うつもりはなかったのに!僕としたことが……!)
思わず口から出てしまった言葉に、りょうは、恥ずかしさで顔が火照るのがわかった。
驚いたのは、中村も同じであった。りょうの怒りの原因がそこにあるとは思っていなかったのだ。なんだか焼きもちをやかれているようで、少しだけ喜んでいる自分に気づき、口の端が緩んだ。途端にりょうが声を荒げた。
「何がおかしいんだ!?これ以上馬鹿にすると承知しないぞ!」
中村は、そんなりょうが可愛かった。やはり自分はこの娘に惚れている、と思った。だが今はそれよりも大切なことを伝えねばならない。中村は真顔になり、りょうを見つめ、
「おいんこっが憎かれば、話を聞いた後で、斬ってんかまわん。大事な話や。聞け」
と言った。りょうが刀から手を離すと、中村は安堵の表情を見せた。
「わかった」
とりょうは刀を自分の右に置き、座った。
中村は聞いた。
「ないごて、蝦夷を出らんかったど?土方ん命令じゃらせんじゃったんか?」
りょうは、
「そんなこと、あんたに関係ないだろう」
と、ぶっきらぼうに答えた。
「どげんわいが怪我人を助けたとしてん、こん
中村の言葉に、脳裏におのぶや良庵、彦五郎の顔が浮かんだりょうだったが、自分でそれを打ち消した。
「それが僕の『誠』だからだ。僕は従軍医師になると決めた。僕はここに残る」
りょうは、まっすぐ前を見て言った。それは、中村にというよりも、自分に言い聞かせているようにも見えた。
中村は、小さくため息を吐くと、続けて聞いた。
「実は、土佐がわいんこっを捉えちゆてきたげな。身に覚えがあっな?」
りょうは顔をこわばらせた。会津で土佐兵を斬ったことは覚えていた。あの時は、中野家の遺体を前にして、薩長への怒りで頭の中がいっぱいだった。どうやって相手を斃したのかは記憶になく、気がつくと足元にふたりの侍が倒れていたのだ。
「自分の身を守っただけだ。先に刀を抜いたのは向こうだ」
りょうは答えた。中村は、
「そげんこっが通用すっか!?我らに歯向かうもんな、すべて逆賊や。ただ新選組に加わっちょっだけん者たちなら、投獄さるっだけで済んかもしれん。じゃっどん、わいはちごっ。調べられて、土方歳三ん子供じゃとわかったや、間違いなっ死刑になっど!」
と、真剣な顔で言った。りょうは
「僕は父さんと共に戦って死ぬんなら、本望だ!」
と叫んだ。
「『父さん』……親子じゃと互いに認め合うたちゅうこっか……そんた、まあ、望みが叶うて良かったな」
中村は、わざと感情のこもらない響きで答えた。
「やっと、言えたんだ。素直に『父さん』って……父さんも僕が残るのを許してくれたんだ」
りょうがそう言うと、
「ほんのこてそうか?土方どんな、わいに、最後まで一緒にいろとはゆわんはずだ」
と中村が返した。
「そ、そんなことない!父さんは……!」
りょうは言葉に詰まった。あの時歳三が言ったのは、
『もうしばらく箱館においてやる』
という言葉だった。いつまでも、とは言わなかった。
「土方どんなおいにゆた。『りょうを生きて帰すのが父親としてん最後ん役目や』てな。あんしは、わいに一緒にけしんでほしかねどとは思うちょらん」
りょうは中村を見た。自分より、この男の方が父の心の中をわかっているのか、と思うと悔しかった。
「よかか?わいはお尋ね者や。ひとりでは行動すっな。でくれば五稜郭から出らん方がよか。土佐はそう簡単には引かんじゃろうでな」
中村が諭すように言うと、りょうは聞いた。
「どうして、僕にその話をするんだ?黙ったまま僕を捉えてしまえばすむ話なのに。中村さんこそ、こんなことをしたら、新政府への裏切りじゃないか?」
それを聞いて中村は笑った。呼称が『あんた』から『中村さん』に変わったからであった。
「おいん心配をしてくるっとな?そんたあいがてことじゃな」
「じ、冗談じゃない!誰が……!」
そう言ったりょうの頬が少し赤くなったのを中村は見た。たったそれだけのことでも、中村にとっては嬉しい変化なのだった。
「じゃっで、病院にも顔を出すな」
その言葉には、りょうは反論した。
「病院に行くなって……?それじゃ、仕事ができないじゃないか!今は、医者はひとりでも多く必要なんだ!」
すると、中村は言った。
「高松凌雲ちゅう医師は、敵も治療すっらしいが、中には、そいをあいがてて思わん連中もおっ。箱館ん病院には新政府ん怪我人もおっとじゃろ?わいん存在がわかればないをすっかわからんぞ。特に十津川ん御親兵には気を付け。あや土佐に繋がっちょっ」
「そんな……病院に迷惑をかけることはできない」
りょうはうつむいた。中村は、
「じゃっで、五稜郭から出っなちゆちょっ。それと、『玉置良蔵』ちゅう名も使うな」
とも言った。
「名前も?だって仲間はみんな、僕の名を知っている!」
りょうが食って掛かると、
「土佐にはすでに名前も知られちょっど。新選組土方小姓、玉置良蔵、とな」
中村は静かに答えた。
りょうは、八方塞がりだった。自分が働きたくても、敵に捕まれば、病院や高松凌雲が取り調べを受けるのは、目に見えていた。りょうが頭を抱えているのを見て、中村は思わずその肩に手を置いた。りょうが顔を上げた。
「……どげんしてん医者として働こごたっねら、敵兵んおらん、わいを詳しゅう知らん者が多かところで働け」
「どうやって?」
「似たような名前ん者なぞどしこでもおっ。新選組ん中で、おらんごつなった者ん名を借ればよか。おいがわいに譲るっことは、ここまでだ……わかったか?わかったや、もう行け」
中村のその声が優しさを帯びていたので、りょうは思わず中村を見つめた。
「中村さん……」
(そげん目で見つめっな。また、わいを抱いてしめとうなっじゃらせんか……)
中村が目をそらせると、外から声がした。
「中村さま、そろそろ……」
中村は、はっとして立ち上がった。
「半蔵が五稜郭へん近道を教えてくるっじゃろ。行け……よかか?おいんゆたこと、必ず守れや……!」
外に出ると、中村が『半蔵』と呼んでいた男が待っていた。
「りょうどの、こちらの通りを行けば、五稜郭です」
狭い路地を抜けると、五稜郭が見えた。
「あの、あなたは、中村さんの……中村さんが言っていた、信頼できる部下って、あなたのことですね?」
りょうの言葉に、半蔵は振り返った。
「私は、あの方の影です。今までも、これからも……りょうどの、あの方のことを、信じてあげてください……」
そう言うと、半蔵は消えた。
北海屋では、中村がまだ座っていた。戻ってきた半蔵が、中村に聞いた。
「本当のことは、伝えられなかったのですね?」
すると、中村は顔をあげたが、その表情は暗かった。
「本当んこっなど、言ゆっはずがなか。自分が信頼しちょっ者に利用されたなど、知らん方がよか……『正統』な新政府が続いていっためには、坂本はあっまでも『討幕ん志士』でなってはならんど。そんた土佐にとってん、薩摩にとってん同じこっじゃ。『坂本にいっきょた新選組ん玉置良蔵』は、消さんにゃならん。だが、谷ん思い通りにさせっわけにはいかん……りょうん命を助くっために、こんた必要なことなんじゃ……!」
(本当んこっを知れば、わいは今よりももっとおいや新政府を憎んじゃろうな……じゃっどん、おいも、わいん親父と同じごつ、前に進めばならん。こん
中村は心にそう言い聞かせた。
その前日、中村は歳三に会い、りょうには話せなかったことを伝えていたのだった……
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