第55章 玉置良蔵を『消せ』
中村は、山田を見つめた。いや、睨んだといったほうが正しい。
(こんおいに、りょうを殺せちゆんか、こん男は……!!)
中村は息が苦しくなり、背中に冷たい汗が流れた。あの宮古湾で感じたのと同じ感覚に襲われたのだった。自分の手を押さえ、動揺を隠そうとした。
中村の手が小刻みに震えているのを見た山田は、
「中村どの、早合点をしんさんな。わしゃ玉置を殺せと言っちょるのじゃない」
と慌てて言った。中村の呼吸が落ち着いたのを確認すると、山田は言葉を続けた。
「玉置良蔵を『消す』んじゃ。この蝦夷から、ほいで新選組からも、だ」
今度は、中村は冷静に山田を見た。
「ないを
「長うなるで」
「わかっちょっ」
山田が、台の下から酒を出した。
「春たぁいえまだ冷えるけぇ、これがのうではおらられんじゃろう?」
山田はふたつの湯飲みに酒を注ぐと、中村にも勧めた。
山田は、酒を口に運びながら、
「『人斬り』の異名を持つあんたでも、
と言った。中村はジロっと山田を見ると、
「人を辻斬りんごつゆな。おいは薩摩に害を及ぼす
と答え、酒を飲んだ。中村の当て擦りにあい、山田は苦笑いしていた。
「わしゃ、板垣どのの遣いじゃちゅう十津川郷士から話を聞いたとき、もし土佐の侍をふたりも斬った手練れの小姓がおったとしても、箱館まで来ちょるはずがないと思うちょった」
と山田は言った。
「そん、根拠は?」
「新選組ちゅうさあ、ぶち厳しい隊規があるんじゃげな。そりゃ歳の
山田は、自分で調べたのだろう。懐から、幾つか覚え書きを出して、中村に示した。
「そん通りじゃ。そげん者を探してん無駄なこっじゃ。蝦夷までん船賃じゃとて、子どんが払ゆっ額じゃなかち聞いちょっ。おらん者を『消す』ことはできんじゃろ?ハハ……」
中村は笑いを取り繕った。なんとか、この命令を回避したかった。
だが、山田はきっぱりと言った。
「わしゃ立場上、土佐の意向に従わんにゃあならん。玉置を見つけたら捕らえんにゃあならん。玉置が子供じゃとしても、新選組を名乗る限り、敵なんじゃ。出来りゃあ見つけとうなかった」
中村は驚き、
「……見つけたんか?どこでだ?」
と身を乗りだした。
「木古内じゃ。わしゃ怪我をして迷い、うっかり敵方の陣幕をくぐってしもうた。兵に殺されそうになったが、そこにおったのが玉置良蔵と名乗る医者じゃった。聞いた通り、確かに子供じゃった」
と山田は答えた。
それは中村にとって、あまりにも予想外の答えだった。三人の土方小姓は、イギリス領事の要望で蝦夷を出されると聞いていたからだ。また無鉄砲の虫が騒いだのか、と呆れた。
「玉置は、怪我人に敵味方の区別はせんと言い、手当てをしてくれた。わしゃその代わり、一時的に兵を引くと約束し、敵はその間に怪我人を運んだ。手際のええ手当てじゃった。お陰でこねーに、不自由のう体を動かせる」
と、山田は腕を回して見せた。
「あの者は、これから医者として成長するに違いない。わしが
と山田は中村を見つめた。中村は、山田の考えがまだよくわからなかった。土佐に従うといいながら、りょうが必要だと言っている。
「じゃっで、どうせーちゅうとな?」
中村も、さすがにじれてきた。もう夜明けも近い。一刻も早く、りょうにこのことを知らせたいと思っていた。
山田は真剣な顔になった。
「坂本龍馬は、幕臣の永井と連絡を取っちょったのじゃと、元海援隊の者が明かしちょった。幕臣から紹介された薬屋に、あの日坂本どのは行った。ほいで、その坂本どのに、玉置は何かを渡した。これが何を意味するか、中村どのならわかるであろう?」
中村は言葉に詰まった。
「そげん……そんた濡れ衣や。あんわろはないも知らん」
中村が呟くと、山田は、
「確かに濡れ衣であろう。だが明治新政府は正しいと民に解らせるにゃあ、
と答えた。
「そん贄が、新選組ん小姓か……?」
「そうじゃ。『元新選組の玉置良蔵』の名では、これからの世では生きていけん。あの者を生かすために、『玉置良蔵』にゃあ消えてもらわんにゃあならんのじゃ。木古内で玉置を見た部下はわずか少数。こちらはなんぼでも抑えられる。新選組や旧幕府軍とて、よほど親しいものでない限りは、小姓のことやら記憶に残らんはず。有能な、何も知らんひとりの若者を、国家の犠牲にしとうなけりゃあ、我らはやらんにゃあならん!」
山田の強い口調に、中村は圧され、頷いた。
山田市之允には、新政府の行く末が見えていたのかもしれない。邪魔なものを全て排除したあとのこの国が、どこに進んでいくのかを。この国のために残さねばならぬものは、たとえ敵であっても守らねばならないと決めたのだ。
中村は下を向き唇を噛んだ。そして顔を上げ、キッと山田を睨み、
「万事、承知した。たが、やり方はこちらに任せてくれ」
と答えた。山田は、それが中村の苦渋の決断であることを察し、
「頼んだで」
と一言呟くと、陣幕を出た。
馬で箱館への帰路をたどる中村の手に滴が落ちた。自分でも気づかぬうちに泣いていたのだ。
「おいがりょうを守ろごたっち思うたぁ、新政府んためでん、国家んためでもなか!惚れちょっでだ!りょうが愛しかで、あんわろに普通ん暮らしをさせてやろごたっでだ!りょうは会津でん、箱館でん立派な医者や。それなんに、すべて無かったことにさせようとしちょっど、おいは……おいたちが作っ、こん国は……!」
中村は馬に一鞭すると、迷いを振り切るように走った。海からの朝日が、その姿を照らしていた。
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