第51章 友への挽歌

その51 友への挽歌

 りょうたちを乗せた回天は、翌朝、木古内きこないの東、約二里の泉沢いずみさわに来ていた。これより先は、新政府軍の艦隊に見つかる恐れがあり、今は進めないとのことだった。泉沢の港に停泊し、そこからは歩いて木古内の陣まで進む予定だという。りょうは、他の医師や助手たちと荷を分担して運んだ。左手には、津軽海峡。春の海はどこまでも青く、美しかった。この先で、血なまぐさい戦いが繰り広げられているとは思えないほどに。


 夕刻まで、近辺の小屋に隠れ、日が落ちてから木古内の陣に入った。大鳥が医師たちを出迎えた。そこにりょうがいるのを見た大鳥の驚きは凄かった。

「りっ……良蔵くんじゃないか!?どっ、どうしてここにいるんだ!?君は昨夜、鉄之助くんと箱館を出たのじゃないのか……!?土方くんは、知ってるのか!?こ、これはどうしたら……!」

おろおろする大鳥を、医師たちがなだめた。

「大鳥奉行、医師はひとりでも多い方が助かるのです。まして、『宮古湾』を経験している玉置くんがいてくれるのは、我々には心強い限りで……」

「そ、それはそうだが、イギリス領事は承諾されたのか?良蔵くんが戦場に来ることを強く反対されていたんだ!」

大鳥は、宮古湾のいくさ後のごたごたが再来することを心配していた。

「たぶん、領事のお父様から、ご連絡がいっていると思います。領事のお父様が許してくださらなければ、来られませんでした。僕はここで、僕の『死番』を全うします」

りょうは大鳥に言った。

「『死番』?どういう意味だね?」

大鳥はきょとんとしていたが、りょうは、

「なんでもありません。新選組の決心を表す言葉です」

と、せっせと荷をほどき、治療の準備をした。


 りょうたちは、大鳥と他の兵士につれられて、怪我人のいる幕に入った。

「春日さん!」

その声に、春日が振り返った。長身の春日はすぐにわかった。怪我はそれほど酷くなく、戦況報告のために、木古内まで来ていたのだった。りょうは、五稜郭に残った銀之助を思い、春日に声をかけた。

「春日さん、銀も心配しています。会えて良かった……」

すると、春日は力なく答えた。

「折戸台場も、松前も守りきれなかった。新政府軍の数は、増える一方だ。どんなにたおしても、次々に現れる。撤退が遅かったんだ……銀之助と養子縁組を解消しておいてよかったよ……土方さんの言った通りだったな……」

途切れ途切れの言葉に、憔悴しきった様子がうかがえた。春日は、知内しりうちにいる陸軍隊のもとへ、その日のうちに戻った。


 折戸台場が落ちた、という情報は、すぐさま、大鳥により五稜郭にある本営に伝えられた。そして、大鳥はその情報に添えて、歳三に、りょうが木古内に来たことを伝えた。小姓達が、自分の行動を『死番』だと言っていたことも伝わった。

「あの、バカどもが……!!」

歳三が大きな声を出した。

「歳さん、子供たちも大人の言うことに従うばかりではなくなったということだ。もしかしたら、我々の魂胆なんて、見透かされていたのかもしれん」

榎本が言った。

「やつらの結束の強さと、鉄の生真面目さから考えて、三人一緒なら必ず、と思っていたんだがな……今になって、三人が別行動をとりやがった……『死番』だと?生意気な小僧どもめ……」

歳三はあきれたように呟いた。だが、その言葉とはうらはらに、少年達の成長を誇らしくも感じていた。


 鉄之助は、新選組に入った頃からずっと歳三を尊敬し、慕っていた。このままでは、いつか必ず、歳三のために死を選んでしまう。彼の兄、辰之助が鳥羽伏見の後で脱走してから、鉄之助にはその負い目があり、絶対に新選組に殉じようとしていた。歳三はそんな鉄之助の重荷を取り除いてやりたかったのだ。また、りょうの性格からも、ひとりでは蝦夷を出られないが、鉄之助を助けるためなら一緒に行くだろう。ふたりが行くなら、銀之助も従うだろうとたかをくくっていた大人達だったのだが、見事に三人にかわされてしまったのだった。


 松前からの敗走軍は、知内や木古内まで退却し、怪我人が陣に運ばれていた。それらの怪我人を、泉沢に泊まっている回天にできるだけ運び込まなくてはならなかった。木古内の陣では、治療に限界がある。重傷者は、箱館まで連れていく。18日、回天は知内まで移動して、負傷者を収容した。


 4月19日、伊庭たち遊撃隊が木古内に合流した。その姿を見たときのりょうは、伊庭の変わりように驚いた。あの明るく元気な伊庭は、どこにもいなかった。一言も発せず、血の気の失せた人形のような顔をしていた。どんな苦難が彼を襲ったのだろう、と、りょうは傷だらけの伊庭を手当てしながら思った。ふと、いつもそばにいる本山の姿がないことに気づいた。すると、伊庭が、ぼそっと言った。

「小太郎が逝っちまった……俺より先に……」

りょうは、包帯を巻いていた手を止めた。


 「本山さんが!?」

本山は、折戸台場での戦闘中に、敵の銃弾に斃れた。戦闘に臨む前に、伊庭に木古内へ撤退することを勧めていた本山だったが、伊庭の負けん気が撤退を良しとせず、結果、遊撃隊の多くを失うことになってしまった。伊庭の衝撃は大きく、自分の過ちの重さに、押し潰されていたのだった。

「俺が、小太郎を殺した……俺の判断が遅かったから……あいつは、撤退しろって言ったのに、俺は訊かなかった……あいつが死んだのは、俺のせいだ……!」


 本山小太郎は、伊庭にとって、とても大きな支えであった。本山無くしては、伊庭はとてもここまで走り続けて来れなかった。その本山を失い、伊庭はずっと、自分を責め続けていた。

「ねぇ、伊庭さん」

りょうは伊庭に話しかけた。伊庭は、無表情のまま、顔をあげた。りょうは、ゆっくりと話し出した。

「僕、最初、本山さんに馬の乗り方、教えてもらっていたでしょう?本山さん、口は悪いけど、教え方は優しいんだよ。僕に自由に練習させるけど、必ず後ろで見ていてくれる。転げ落ちても、必ず支えてくれるんだ。本山さんは、優しいんだ」

りょうの言葉に、伊庭は頷いた。

「……そうだ……あいつは、俺のわがままをいつも笑って許してくれていた。蝦夷へ来るのも、俺が強引に誘った……あいつは、決まっていた役職を辞めて、ついてきてくれたんだ」

りょうは、

「だから、本山さんは、伊庭さんがどれほど、折戸台場を守りたかったのかをわかってくれていたと思う。本山さんは船の中で言っていた。『俺は八郎の考えてることなんか、手にとるようにわかるんだ』って。すぐ、顔に出るからだって。『俺は八郎に黙ってついていくだけさ』って笑ってたよ」

と、伊庭を見つめた。

「あいつめ……いつも口うるさいことばかり言ってたくせに……」

と、伊庭は呟いた。りょうは、

「本山さんなら、きっと言うよ。『何を情けない顔してるんだ、八郎、お前の思う通りに行け』って」

と、伊庭の右手に自分の手を重ねた。すると、伊庭は、

「そう、そうだな。まだやれることはある。小太郎は少し先に行って、きっと待っててくれるだろう……俺がそこに行くまで……あいつに謝るのは、それからでいいな」

と笑った。その悲しげな笑顔が、りょうには少し心配であった。


 後日、伊庭は、本山を思い、詩を詠んだ。


『待てよ君 冥土も共にと 思ひしに しばし後るる 身こそ悲しき』


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