第52章 敵将との取り引き
翌日の夜明け前であった。きな臭さにりょうが目覚めると、煙が漂っていた。
「良さん!火事だ!敵に火をつけられたぞ!早く、この場から逃げろ!」
伊庭が促し、りょうや他の医師たちは、急いで怪我人を連れていく準備をした。夜の内に、山側から新政府軍別動隊が、木古内村めがけて来ていたのだ。
伊庭の遊撃隊と額兵隊に応戦を任せ、りょうたちは泉沢に向かった。しかし、りょうは伊庭が気になって仕方なかった。嫌な予感がした。途中で、りょうは、
「まだ、怪我人がでるかもしれない。一度、木古内に戻ります」
と言って戻ろうとした。董三郎が驚いて止めた。
「何を言ってんだ!?正気か!?向こうは戦場だ!」
すると、りょうは董三郎を見つめて言った。
「僕は従軍医師です。もう、宮古湾の
りょうの真剣な目を見て、止めるのは無理と思った董三郎は、銃を持ち、
「君はなんて無鉄砲なんだ……仕方ない、私がついていく」
と言って、りょうにも銃を渡した。ふたりは木古内に戻っていった。
周りが明るくなり、夜が明けた。本営から戻った大鳥は、りょうと董三郎が木古内の怪我人を収容しに戻ったことを知り、再び早馬を五稜郭に向けて走らせた。海軍の派遣要請をし、連れてきた援軍と共に、木古内に向けて、再度進軍を始めた。
りょうと董三郎が木古内の陣幕をあげたとき、目に飛び込んできたのは、力なく横たわった伊庭八郎の姿であった。りょうの嫌な予感が当たってしまったのだ。
左肩は貫通創であったが、位置が悪かった。どうも、体の中に弾が留まってしまったようだ。ここでは、手当てができそうにない。
「伊庭さん!しっかりして!わかる?僕だ!良蔵だよ!」
その声に伊庭が少し目を開けた。
「良さんか……やられちまったよ。情けねぇな……」
「大丈夫!一緒に箱館に帰ろう、伊庭さん!」
伊庭は少し微笑んだが、また目を閉じた。
そのとき、陣幕が揺れ、怪我をした兵士、いや敵方の指揮官がよろけて入ってきた。
「だめ!相手は怪我人だ。殺してはだめです!」
りょうが叫ぶと、額兵隊士のひとりが言い返した。
「こいつは司令官だぞ!撃ち取れば手柄になる。なぜ止める!?先生!!」
先生、とりょうが呼ばれたのを見て、その男は少し驚いたようだった。
「先生……?医者か……?」
そういうと、がくっと膝をついた。りょうはその男に近寄ると言った。
「我々は、怪我をしたものは、敵味方の区別なく、治療するように申し遣っています。あなたは長州の方ですね?」
「明治新政府陸軍参謀兼海陸軍参謀、
それを聞いた別の隊士が叫んだ。
「総司令官だ!!やはり生かしておくわけには……」
だが、りょうは、
「だめです!凌雲先生の意志に反します!董三郎さん、少しの間、伊庭さんをお願いします」
と董三郎に頼み、その男、山田に言った。
「怪我を診ます。被り物と服を脱いでください」
山田は覚悟したように、
「若い方なんですね。司令官とは、もっとお歳を召した方と思ってました」
とりょうがいうと、相手も、
「それは、こちらのせりふだ。お前はまだ、子供であろう?」
と聞いた。
「まだ、医者の見習いなので……」
と笑うりょうの手当ての手際のよさを、山田はじっと見つめていた。
やがて、手当てが終わると、山田はりょうに、
「かたじけなかった。で、私は捕虜となるのか?」
と聞いた。すると、りょうは頭を振った。
「さっきも言いましたが、医師、高松凌雲先生の方針で、治療は敵味方関係なく平等にいたしますので、治療後は、戻られて結構です。でも、あまり走りますとまた傷が開きますので気をつけてください」
と言ってりょうが戻ろうとすると、
「待て。治療の礼がしたい。私は敵に借りを作りたくない」
と、山田が言った。
りょうはしばらく考えていたが、
「では、お願いがあります。僕たちは、ここにいる怪我人を船まで連れていかねばなりません。この方たちを収容できるまで、戦闘をやめていただけますか?」
と答えた。
「戦闘をやめろと?」
山田は突拍子もない願いに驚き、真剣な顔をしている少年医師に呆れたような表情を向けた。
「お前は今の戦況を理解しているのか?今、攻撃を中止すれば、その方らの援軍に、またここを奪われるではないか。そのようなことができるわけがない」
すると、りょうは言った。
「今、
それを聞いた額兵隊士が慌てた。
「先生!そんなことを言ったら!」
山田が、少し緊張した顔になった。りょうは更に、
「あなたは総司令官なのでしょう?部下の方々に無用な怪我を負わせないようにしてください。それに、この決定は、あなたにしかできないことです!」
と言った。子供のような医師に言われるまでもなく、山田とて、連日の戦闘で部下が疲弊していることはわかっていた。
「わかった。我らは一旦、兵を引く。その間に、怪我人を運び出すといい」
山田の言葉に、りょうは、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!」
りょうが頭を下げたとほとんど同時に、幕の中に、新政府軍の兵士たちが入って来た。
「参謀殿!ご無事ですか!?この逆賊めら!」
銃を構えて撃つ寸前だった兵士を、山田が制した。
「やめろ!!ここの医師に治療をしてもらったのだ!恩人である!銃を引け!」
若くとも、その威厳は、総司令官のものであった。兵士は、途端にかしこまって銃を下ろした。
「知内と泉沢から、敵の援軍が来るとの情報を得た。我らは一旦、木古内から引く。急ぎ、艦隊にも伝えよ。海からの砲撃は一時中止だ!」
兵士は敬礼して、総司令官の伝令を伝えに走っていった。
山田は、
「これで貸し借りはなしだ。我らはまた、ここを奪いに来る。そのときは容赦しない」
と言って、部下に支えられて立った。幕から出ようとして、気がついたように振り返った。
「見習いの手際には見えなかった。よい腕をしている。先生、名はなんという?」
「玉置良蔵です」
「玉置……?覚えておこう。さらば!」
山田と新政府軍が行ってしまうと、りょうも、董三郎も、額兵隊士も、ふう~っと大きなため息をついた。
「先生、なんで敵に大事な情報を漏らすんだ!?奴らを倒す絶好の機会なのに!」
若い額兵隊士はりょうを睨んだ。りょうは、
「すいません。この方たちを船に全員運ぶのに、他に考えが浮かびませんでした……」
と謝った。そこに、董三郎が
「敵の数はどんどん増えている。一時的に勝ったとしても、また補充されるんです。今は怪我人を安全に収容することの方が先です。敵は砲撃をやめてくれるんです。急いでここを出ましょう!額兵隊の皆さんも、手伝ってください!」
と言ったので、その勢いに押されたのか、兵士たちは戸板に怪我人を乗せ始めた。
「伊庭さん、箱館に帰るよ!しっかりしてね!」
りょうは、意識が途切れがちな伊庭に声をかけ続けた。
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