第50章 土方小姓、それぞれの『死番』

 「銀之助くん、私の言うことがわからないだろうか?これは、歳さんと相談して決めたことなんだ」

榎本が声を大きくした。銀之助は黙っている。しかし、その目は、明らかに拒否を示していた。

「銀之助くん、なぜ黙っている?」

すると、銀之助はゆっくりと話し出した。

「鉄には、土方先生から命じられた任務がある。良蔵には、その鉄を警護して、日野まで案内するという任務がある。当然だ、日野は良蔵の育ったところだもの。良蔵は剣の腕も立つ。大人の隊士が付くのと同じくらいの力がある。だから、ふたりが任務のために蝦夷を出るのはわかる。じゃあ、僕は何のために蝦夷を出るんだろう?榎本先生、僕の任務は何ですか?」

銀之助は榎本をまっすぐに見つめて聞いた。いい加減な答えは許さないぞ、という真剣な眼差しだった。

「そっ、それは……任務はないが、君は一番若い。五稜郭も箱館も、戦場になるかもしれぬ。いつ命を落とすかもしれないんだ。君はまだ15才、これから長い人生がある。その命を惜しむのは当然だろう?私も歳さんも、君を大切に思っているんだ」

榎本は言った。しかし、銀之助は榎本に言った。

「一緒に蝦夷に来た小姓の五郎さんは18で、3つしか離れていない。でも、蝦夷から出ろなんて言われなかった。15才で惜しい命は、18才になったら惜しくなくなるんですか!?」

「なんだって?」

榎本は、銀之助の理屈っぽい性格は嫌いではない。むしろ、これからの日本には必要な力だとも思っている。しかし、今は状況が異なる。答えに窮していると、銀之助は続けた。

「15才で惜しければ、20才になったって、30才になったって惜しいに決まってる。80になったってひとつしかない命が、惜しくないことなんてあるもんか!僕は、仙台で一郎兄に何度も残ることを勧められたけど、自分の意志で、土方先生についてきた。それを後悔したことなんてない!今、その意志を否定されることの方が悔しい!」

そう言って榎本をキッと睨んだ銀之助の顔には、もう少年のあどけなさは感じられなかった。

「僕はここに残ります。船には乗りません」

「銀之助!!」

榎本が声を荒げた。


 「鉄や、良蔵が任務のために蝦夷を離れるなら、残った小姓の僕がここを出るわけにはいきません。小姓には先生達のお世話をする役目があるんです。病院の人手だって足りないでしょう。良蔵みたいに手当ては出来なくとも、手伝いくらいはできます。戦に出なくても、僕の任務はたくさんあります。イギリス領事さまには、そうお伝えしてください」

「戦闘になれば、誰も君を守ってやれない。それでもいいのか?」

榎本が聞くと、銀之助は胸を張り、

「先生、僕だって、武家に生まれた男です。徳川の侍のひとりとしての自覚はもっています。この蝦夷を豊かにして、皆で暮らすというのは、僕の目標でもあるんです。いざとなれば、先生たちと一緒に戦います。守ってもらわなくても構いません」

と言った。榎本は、

「君は肝の座った男だな、銀之助」

と苦笑いした。

「榎本先生、これは僕の、『死番』なんです」

と、銀之助は言った。

「『死番』だって?残ることが?」

と、榎本は聞いた。新選組で真っ先に斬り込む役目をそういうのだと聞いたことがあった。

「土方先生は、一番に斬り込んで死ぬ役目じゃないって言っていました。死地を切り開いて、自分も仲間も生かす役目だって。それができれば、一人前になれるって。僕はここで、『死番』を果たして一人前の新選組隊士になるって決めたんです」

銀之助はそう言って、左肩の『誠』と染め抜かれた袖章をぎゅっと掴んだ。


 「私はもう、何も言えなかったよ。すまん、歳さん」

五稜郭の広間で、榎本は歳三に頭を下げた。歳三は、

「今まで一番年下の味噌っかす扱いで、守られるばかりだった銀が、守りたいものができたということなんだろう。あいつも一人前に男になってきたんだ。仕方ねぇ……だが、釜さん」

と真剣な顔で榎本を見た。

「わかっている。銀之助くんは助けてみせる、絶対に……!」

榎本は歳三に向かって頷いた。


 「歳さん、銀之助くんは、こうも言っていたよ。義父上がまだ最前線で戦っているのに、それを見捨てて自分だけが蝦夷を出ることは、誠の道に反する、と。全く、君の小姓たちは、教育が行き届いていることだ……」

榎本の言葉に、歳三は、

「春日どののことか……松前の戦況は危ういらしいからな」

と、顔を曇らせた。歳三は、広げられた地図に目を落とした。松前と新政府軍が上陸した江差の間には、折戸おりと台場があり、そこを守るのは、遊撃隊や陸軍隊、一連隊などであった。そこは海からの距離が近く、松前沖には新政府軍の軍艦がいて、海上からの砲撃も受けやすい場所だった。


 夜になった。鉄之助とりょうは、箱館港についており、銀之助が来るのを待っていた。しかし、銀之助はなかなか現れない。出港時間はとうに過ぎていた。

「ギンノスケサン、オソイネ」

と、ヒュースチン領事の父(老ヒュースチン)が覚えたての日本語で言った。

「銀之助も急な話だったので、支度が遅れているのかもしれません。もう少し待ってください」

と、鉄之助が言った。


 そのとき、バタバタと何人もの走る音が聞こえ、りょうはその方を見た。すると、その集団は箱館病院の医師たちだった。その中に、林董三郎とうざぶろうの姿を見つけたりょうは叫んだ。

「董三郎さん!どうしたんですか?」

董三郎はりょうに声をかけられると驚き、しまった、という表情を見せた。りょうがこの日、箱館を出ることを凌雲から密かに聞いていたため、港に来る時間をずらしたつもりだったのだが、イギリス船の出港が遅くなり、鉢合わせをしてしまったのだった。

「い、いや、これは、何でもないんだ」

董三郎はあたふたしていた。他の医師たちは血相を変えていた。りょうは、何か異変があったことを察した。すると、

「林くん、急いでくれ。松前が落とされるのは、時間の問題らしいぞ!」

と、董三郎を呼ぶ声が聞こえた。りょうは、董三郎の手をギュッと掴んで聞いた。

「松前で何があったんですか!?教えてください、董三郎さん!!」

りょうの気迫に押された董三郎は、

「松前と江差の間の折戸台場で敵軍と戦闘になっている。怪我人も多く、混乱しているらしい。我々は怪我人の収容と治療に、これから回天で赴くんだ。人員が足らず、私も手伝うことになった」

と答えた。


 りょうの衝撃は大きかった。折戸台場には、伊庭八郎や本山小太郎、春日左衛門がいる。彼らが大変な時に、自分は蝦夷を出ようとしていたなんて……!

「良蔵くん、大丈夫だ。凌雲先生から聞いている。君は土方さんの言うとおりに蝦夷を出ろ。あとは私たちでなんとかする」

董三郎は優しく言って、りょうの肩に手を置いた。

「元気でな」

董三郎はそう言うと走っていった。りょうの頭の中には、伊庭や本山の顔と、歳三の顔の両方が浮かんでいた。

(鉄を守るのが僕に課された任務だ。鉄を無事に彦五郎先生のところに送ること……それが父さんの命令……でも、でも、松前では伊庭さんたちが……!)


 すると、いつのまにか、鉄之助と老ヒュースチンが後ろに立っていた。鉄之助は言った。

「行け、良蔵。行って医者の役目を果たすんだ」

りょうは驚いて振り向いた。老ヒュースチンが言った。

「ギンノスケサン、モウ、コナイ」

「え?」

りょうが聞くと、鉄之助が言った。

「五稜郭から、榎本先生の伝言があった。銀はここに残るそうだ。それが銀の『死番』だと言ったそうだよ」

「『死番』……!」

りょうは、その言葉に銀之助の決心を読み取った。

「俺は、土方先生の命令を全うすることを、俺の『死番』だと決めた。良蔵には、良蔵の『死番』がある。今、それをするべきだ」

鉄之助は笑った。その顔は、沖田によく似ていた。りょうは、鉄之助を見つめ、言った。

「ごめん、ごめんね、鉄。僕は、鉄の警護はできない……僕は、山崎さんから『新選組の医者』を任されたんだ。怪我人を助けなければ……これが僕の『死番』だ!」

「それでこそ、良蔵だ。大丈夫。俺だって、ひとりで日野まで行き着いてみせるさ!」

鉄之助は言った。すると、

『ダイジョブ。ワタシ、テツサン、タスケルネ』

老ヒュースチンは、にこっと微笑み、手を出した。りょうは、老ヒュースチンの手をしっかり握り、

「鉄のこと、よろしくお願いします!」

と、深く頭を下げた。

「早く行け!向こうの船が先に出そうだ」

鉄之助の言葉に、走り出すりょう。その背中を見送り、鉄之助は思った。

(俺は、絶対に日野にたどり着く!日野で、良蔵と土方先生を待つ!)


 りょうは、回天の下まで来て叫んだ。

「箱館病院医師見習い、新選組、玉置良蔵、参りました!回天に乗せてください!」

一度外された渡し板がかけられた。董三郎が驚いて出てきた。

「良蔵くん、いいのか?土方先生に逆らって……」

すると、りょうは言った。

「もう、何度も命令に背いていますから、先生も慣れっこですよ。でも、今回は、史上最大の命令違反かもしれませんが……」

もう、歳三のもとには戻れないだろう。だが、りょうには、やっと自分の本当の『誠の道』が見えてきた気がしていた。


 りょうを乗せた回天と、鉄之助を乗せたイギリス船は、夜の箱館を出港した。三人の土方小姓は、それぞれの『死番』へ向けて、別々の道を歩き出したのだ。

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