第18章 鬼の弱味

 翌朝、りょうは安富の声に起こされた。

「良蔵、馬の練習をするぞ!」

安富は、足守藩士時代に、大坪流馬術を身に付けていた。歳三も、近藤も、安富から馬に乗るすべを習った。安富から得た技術が、墨染での襲撃から近藤の命を救ったといってもよい。

「良蔵、安富さんは厳しいぞ!覚悟しろよ」

と言って馬を引いてきたのは、野村だった。

「俺と相馬は、どうやら新選組に復帰する命令が出るとのことだ。また一緒に働けるな」

野村の声は明るかった。野村は新選組に戻りたかったのだろう。野村と一緒なら、相馬もきっとわかってくれる、と、りょうは思った。

「そうなんですか!?良かった!」

と喜んだのもつかの間、安富と野村の指導は厳しかった。本山や伊庭の比ではない。りょうは、毎朝毎夕、馬に乗せられた。


 「馬を操ろうとするな。馬の呼吸、馬の動きに自分を合わせるんだ。そうすれば、馬の方から、人を乗せようとするぞ」

安富に教えられた通り、毎朝、毎夕、練習をした。練習のあとは、馬の世話だ。馬の体を拭いてやり、藁をとりかえてやり、厩舎の掃除もした。世話をするようになると、馬がかわいくなった。

「鉄、馬ってね、こんなに長いまつげがあるんだよ。かわいいの!」

そんなりょうを見て、鉄之助も銀之助も安心した。りょうの表情が段々と明るくなっていくのが見てとれたからだ。

「でも、あのふたり、いまだに会話してないんだよな」

と鉄之助が言うと、

「強情なところ、そっくりだもんね」

と、銀之助が答え、ふたりは笑った。


 安富も、りょうの上達の早さには、感心していた。

「やはり、土方先生の血を引いているのですね。何事も、真剣になると覚えが早い。昔の先生を見ているようです」

安富は、歳三に言った。

「才助の教え方がうまいんだ。教えられた通りにやっているだけなのに、まるで自分でできるようになった気にさせる」

歳三はそう言って笑った。

「……まだ、仲直りされていないんですか?」

安富が聞いた。

「……あ?あぁ。なかなか話す機会がなくてな……」

安富は、仕方ないなあ、という顔をして苦笑いをした。


 「うわっっ!!!」

いきなり馬に振り落とされて、りょうは叫んだ。

「良蔵!大丈夫か!?」

野村と安富が駆け寄った。その一瞬、りょうは周囲の景色が『京』になった気がした。

……前にもこんな感じで、安富先生と野村さんに助けられた……本願寺の裏手で、鉄と一緒に、侍たちに襲われていた君菊さんを見て飛び込んで……

「良蔵、頭、打ったのか?俺たちがわかるか?」

心配そうに覗く野村。その野村の向こうに、りょうは今は亡き新選組の人たちの姿が浮かんだ。沖田や山崎、井上、原田……もう、何人がこの世を去ったのだろう……自然と、りょうの目に涙が溢れた。

「すいません……安富先生と野村さんがいて、京の……屯所の頃みたいで……」

「良蔵……」

野村も、つい黙ってしまった。不動堂村の屯所に移った頃が、自分がもっとも充実していた日々だったことを感じていた。

 すると、安富が言った。

「良蔵、後ろを振り返るな。前を見ろ。土方先生なら、そう言うぞ!」

安富に言われて、りょうは涙を拭いた。先で草を食んでいる馬に追い付き、ぽんぽん、と首筋を叩く。

「お前もだ、野村。失ったものは帰ってこない。先生がお前を新選組に復隊させたのは、前を向かせるためだ。これからのことを考えて生きろ、と」

安富が言うと、野村は、

「俺よりも、相馬のほうが過去に捕らわれている……あいつは、まだ土方先生のことを許せないんだ……」

野村は、りょうに目を遣りながら呟いた。


 りょうは、練習の甲斐あって、軽い駆け足くらいなら、乗りこなせるようになった。乗れるようになると楽しい。つい速く走らせようとして落馬したところを、ちょうど城にやってきた伊庭と本山に、しっかり見られてしまった。

「はっはっは。調子に乗っていると、馬は言うことを訊かないものだ」

そう言って大声で笑ったのは、本山であった。

「もう、笑わないでくださいよ!本山さん!」

「ずいぶん上手くなったじゃないか、良さん。これなら、箱館まで馬に乗って戻れるな」

伊庭の言葉に、馬の手綱をとって駆け寄る、りょう。

「箱館へ帰れるんですか?」

「俺たちの国ができるんだ。『デ・ファクト(事実上の政権)』というらしい」

そう言って、伊庭はりょうから目をそらした。どうも、あれ以来、りょうの顔と梅乃の顔が重なってしまい、気恥ずかしいのだ。本山はそれを見てクスクスと笑う。

「伊庭さん?」

りょうは、その理由がわからないので、きょとんとしている。


 りょうは、伊庭と本山を、歳三の部屋の前まで案内した。

「良さん、部屋、入らねぇのか?」

伊庭が不思議そうに尋ねると、りょうは、

「まだ、馬の世話があるので、失礼します」

と言って行ってしまった。入れ替わるように歳三が出てきて、伊庭と本山を招き入れた。


 「歳さん、一足お先に、箱館に帰ることになったんで、挨拶に来たよ。良さんが案内してくれたんだが、行ってしまった。どうしたのかな?」

伊庭が聞くと、

「そうか……?馬の稽古がきついようだからな……」

などと、あやふやな答えが返ってきた。

「あんなに総督の側にいたがってたのに、願いが叶ったら、あっさりしたものなんですね」

と本山が言うと、

「……そうだな」

と気のない返答だ。伊庭と本山は、顔を見合わせた。

「なんだか、向こうでは入れ札で役職を決めるらしいぞ。歳さんは松前を降伏させた英雄だ。どんなお役になるのやら……」

と伊庭が言うと、歳三は、

「役職になんか就いたら、窮屈になって、叶わねえな……」

とため息をついた。


 伊庭は、その夜、歳三にりょうと出会ったいきさつや、りょうの母、梅乃のことを話し、歳三を驚かせた。

「おうめが伊庭家に嫁入りすることになっていたとは……世間てのは、狭いもんだな……それにしても、義兄嫁あによめになるはずだった女を慕って呉服屋に通うとは、なんてぇませたガキだ。その上、試衛館に転がり込んできやがって」

歳三は、苦笑いしながら伊庭を見た。

「それを言うなって。土方歳三って男が、どんなやつだか確かめたかったのさ。ませガキとしては」

伊庭はいたずらっぽく笑った。

「だから、行商にまで、くっついてきたってわけか?伊庭道場の御曹子が」

「覚えてたんだ?でも、行ってみてわかったよ。歳さんて、いいやつだなぁって。俺ぁ、あんときから、歳さんに惚れてるのさ」

伊庭は、歳三に酒をつごうとしたが、歳三は断った。

「俺はいい。八郎どのは、遠慮なく飲んでいいぞ」

歳三は自分の器に薬缶の白湯さゆをそそいだ。

「歳さん、酒やめたのか?それとも、からだの具合が悪いとか?」

伊庭が心配すると、歳三は笑って、

「俺は健常だ。今はちょっと、酒を控えているだけさ」

と答えた。伊庭は歳三の気持ちを察するかのように、それ以後は自分も白湯をついだ。


 「あ、俺たちが行った『吉原』のことは、良さんには、ちっとしか話してないからな」

伊庭が言ったとたん、歳三は白湯を吹き出しそうになった。

「歳さんの女遊びはきれいなものだって言っておいたよ」

伊庭が言うと、歳三は困ったような顔をして、

「あの無鉄砲に余計なことは言わねぇでくれ。こっちに来た日に、そんな話でやりあって、未だに、そばに寄り付かねぇんだ」

と、肩をすくめた。

「それで、あんな態度をとってたのか。鬼の土方も、娘の強情には弱いってことだな」

と伊庭は笑った。

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