第19章 榎本武揚の悪戯
伊庭たち、遊撃隊は一日早く、松前を出た。その翌日、新選組らも松前を出て、箱館、五稜郭に向かった。
「えっ?鉄も、銀も、馬に乗れるの?知らなかった〜!いつの間に?」
りょうは驚いた顔でふたりを見つめた。
「お前たち、ちゃんと荷物を押さえとけよ。落っことしたら、雪道を取りにいかせるぞ」
と
「馬が、鉄のいうこと、よくきくんだよ。だからそりも上手に……」
と銀之助が言った途端に、そりが小石に乗り上げて傾き、りょうと銀之助は必死に荷物にすがりついた。
「いやぁ、ごめんごめん」
と謝る鉄之助に、
「荷物より先に、僕らが落ちるんじゃないか……?」
と、半分青くなるふたりだった。
「僕ら、会津で、五郎さんに馬の乗り方を教わったんだ。五郎さんて、実は身分の高いお武家のお子らしいよ。どこかの藩のご家老さまだとか……」
と情報通の銀之助は言った。
「そうだったのか……」
だから、剣も、銃も、弓も、なんでもできるんだ、と、りょうは納得した。会津で御前試合を披露したとき、作法も技も、全てにおいてそつなくこなしていたのは、
(そういえば、江戸の江川塾で藤堂さんと出会って、新選組に入ったと聞いていた。江川塾に入るには身元の保証が必要で、身分も高くないといけないんだって、いつだったか、総兄ぃが言っていたっけ……)
りょうは、五郎作が、常に歳三のそばにいることを羨ましいと思い、嫉妬したこともあったが、そんな自分を恥ずかしいと思った。五郎作と自分とでは武士としての心得も、才能も雲泥の差だったのだ、と自覚した。
箱館に着いたのは12月15日で、歳三たちの到着を待って、五稜郭から箱館までの行進を行うことになった。榎本に、ラッパ隊の最後に『デ・ファクト』を示す旗を持って行進する役目をりょうは仰せつかった。
「僕が、旗持ち?」
りょうが心配そうに聞いた。
「釜さん、こいつはやっと馬に乗れるようになったばかりだ。旗をかついで片手で馬を乗りこなせる訳がねぇ。落っこちたりしたら縁起でもねぇからやめておけ」
歳三が断ったが、榎本は、
「ごつい男が旗を持つより、美しく見える。それに、私には考えがあるんだ」
と主張した。りょうはそのため、正午に出発するまで、片手で手綱を持つ練習を安富にみっちりしこまれることになった。歳三は、はらはらしていたが、自分も行進に加わらなくてはならず、その準備にとりかからざるをえなかった。
さて、正午。先頭を行くラッパ隊に続き、箱館政権の主力たちが行進する。その先頭に、旗を掲げて馬に乗るのは、きらびやかな陣羽織を着せられたりょうだった。
「いいかい、良蔵くん、笑顔、笑顔を忘れずにね」
榎本はそう言ったが、旗はそんなに軽くないし、にわかで覚えた片手綱である。りょうは内心、泣きそうになるのをこらえて、必死の笑顔で馬に乗っていた。
「c'est beau! C'est comme Jeanne d'Arc!(美しい。ジャンヌ・ダルクのようだ)」
と叫んだのは、五稜郭の出口で見ていたフランス人将校の、ブリュネ大尉だった。
ジュール・ブリュネ大尉は、幕府の要請によって来日したフランス軍事顧問団の一員で、幕府伝習隊を指導して幕府軍の近代化に貢献した。フランス皇帝ナポレオン三世より、帰国命令が出ていたが、これを断り、幕府脱走軍に加わったのである。彼には、肩までの髪をなびかせながら旗を掲げる小柄な姿が、故国フランスの歴史的ヒロインに見えたのであろう。
榎本の意図していたことはこれだったのだ。榎本は、パリに行ったとき、『ジャンヌ・ダルク』という少女が、フランスの英雄だという話を聞いていた。フランス軍事顧問団の注目を引くことにより、招いている全ての外国領事にも意識させよう、という目論見であった。
新選組の隊士たちも同様である。
「あれ、良蔵か?あんなキラキラしたもの着ていると、なんだか、別人に見えるな」
島田魁や、中島
「あの旗が、『誠』の旗だったらなあ……」
勿論、箱館政権を担う幹部の姿も圧巻だったが、後方ながら颯爽とした歳三の姿には、沿道の人々だれもが見とれていた。だが、伊庭や本山は冷ややかだった。
「榎本さんは、良さんを箱館政権の広告塔にするつもりなんだ。歳さんもそれがわかっているが、逆らえない。見ろ、あの複雑な顔」
伊庭が言った。確かに、歳三の顔には笑顔はなかった。しかし、歳三は、りょうの心配というよりも、こんな風に、箱館の民に派手に見せつける榎本たちに、一抹の不安を抱えていたのであった。
箱館の港では、101発の祝砲を上げ、五稜郭に戻り祝賀会が行われた。祝賀会が始まる前、歳三は、榎本に、
「釜さん、今日みてぇな悪戯は、もうよしてくれ。俺はあいつを表に出すようなことはしたくねぇんだ。また問題が起きるのだけは勘弁だ」
と言った。
「すまんな、歳さん。今日だけだ。回りへの印象づけが必要だったので、あえて良蔵くんをパレードに出したのだ。狙いは当たったようだ。彼女の柔らかな表情で、我々が侵略軍でないことを示せたよ」
疲れたような歳三の顔を見て、榎本は頭を下げた。
「歳さんがもし、彼女を追い返そうとしたら、私が本当に引き受けるつもりだったんだよ。冗談でなく……」
と、榎本が言ったので、歳三は意外そうな顔をした。
「釜さんが小姓にする、と言えば、俺が新選組で引き取るだろうと思ったんじゃねぇのか?」
榎本は、またあのいたずらっ子の顔をして言った。
「仙台で、松本良順どのが別れる際に、私に言い残したことがあるんだ。『戦においては何者にもひるまない、鬼神のような土方歳三。鉄砲の弾も、彼を避けて通るらしい。そんな土方にも、ふたりだけ、敵わぬ者がいる。ひとりは、多摩の姉上。土方の親代わりで、鬼の副長も頭が上がらぬ相手。そしてもうひとりは、愛しい女の面影を宿した娘。医術に秀で、新選組でも、会津でも、多くの命を救ってきた。しかし無鉄砲で親父に逆らってばかりいる。喧嘩ばかりしている親子だが、この娘を守るために、土方は生きているのだ。頼む、釜次郎、あの娘が蝦夷に行ったら、仲間として迎えて欲しい』とな」
歳三はそれを聞いて、
「あのハゲ医者め……余計なことまで……」
とため息をついた。
榎本は、歳三に聞いた。
「良蔵くんには、
すると、歳三はふっ、と微笑みながら、
「あの先生も、良順先生に負けず劣らず、厳しい人だ。あいつには、いい修行になるだろう」
と答えた。
高松凌雲は、将軍家の奥詰医師であった。パリ万博で徳川昭武一行の随行医を勤め、その後留学生となったが、徳川幕府の瓦解に臨んで帰国し、自分を引き立ててくれた徳川幕府への恩義のため、榎本武揚に合流したのだ。歳三は高松凌雲を信頼していた。高松凌雲は医師でありながら、相手が軍の大将であろうと、藩主であろうと、自分の信念を曲げない。その性格は、歳三とよく似ていた。
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