第6章 サンライズ号③ 『試衛館』の話

 伊庭は、ふう~っと大きくため息をついた。

「もう、お互い隠し事はよそうぜ。俺の名は伊庭八郎。さっき小太郎が言ったように、伊庭道場が俺の家だ。お前の母上、梅乃さまは若い頃、我が家に来られたことがあったのだ。義兄上あにうえ許嫁いいなずけになるはずだったが、訳あってそうならなかった。歳さんと梅乃さまが出会ったのはそのあとのことだ」

それは、りょうが初めて聞く話だった。この人は、今まで自分が知らなかった父と母の若い頃を知っているのだ……


 「まあ、座れ。旅は長いんだ。小太郎、なんか食うものはあるか?腹が減った」

伊庭は、どっかと腰を下ろした。りょうは、小吉からもらった握り飯を出した。

「よろしければ……僕をこの船に乗せてくれた友人が作ってくれたのですが」

伊庭は、大きな握り飯を見て、

「お前のために、一生懸命作ったとみえる。ありがたくいただこう」

と一個を頬張った。本山も、

「大事な米だろうに、大きくこしらえたな。お前が旅の間、飢えないようにと思ってのことだろう。俺は本山小太郎、同じくもと幕臣で、八郎の友人だ。まぁ、保護者みたいなもんだ」

と微笑みながら握り飯を取った。

「こいつ、調子に乗って。まるで俺が手のかかるガキみたいじゃねぇか」

と伊庭は笑った。本山が

「似たようなものだ。短気なお前と付き合えるのは、俺くらいだからな」

と言うと、伊庭がぷうっと膨れた。りょうは、小吉の握り飯が、この場をなごませたことに気づき、その優しさに守られていることに感謝した。


 りょうも握り飯を手に取った。

「僕は、玉置良蔵といいます。おっしゃるとおり、土方歳三の……子供です。母の名は、僕がものごごろついたときには、うめ、といっていました」

りょうは、自分が日野に行ったいきさつを話した。伊庭は、

「そうだったのか。梅乃さまは、病で……あの頃は横浜も江戸市中も、『麻疹はしか』だの、『ころり』だの、悪い病に魅入られていたな。俺の父も、『ころり』であっけなく死んでしまった」

と話した。伊庭の父、伊庭秀業ひでなりは、早くに隠居をして、養子の秀俊ひでとしを九代目として道場を任せていた。伊庭が本格的に剣術に打ち込むようになったのは、14才位からだった。伊庭が剣術に打ち込みはじめてまもなく、その父は亡くなったのだ。

「俺は、義兄上に反発していたわけではなかったが、遊びがやめられなくて……」

「女の方のな」

本山が、口を挟んだ。りょうの顔が赤くなったのを見て、伊庭が、

「小太郎、子供を前に、何を言うんだ」

と本山をにらんだ。本山は、すまん、すまん、と笑って、

「なにせ、この顔だろう?女の方が八郎を離さないんだよ」

と言うと、伊庭が、

「うるせぇな。もとは、小太郎が俺に教えたんだろう!」

と言い返した。りょうは、そんなふたりが、歳三と沖田のように見えた。


 「おふたりは、本当に仲が良いのですね」

とりょうが言うと、本山が、

「それがね、こいつ、一時期、全く音沙汰無しでね、道場に行っても会えやしないんだ。話を聞くと、毎日、牛込柳町の『試衛館』に通っては、そこの門人と遊んでいるっていうじゃないか。俺は嫉妬したねぇ……」

と眉をひそめた。

「それって……」

「そうそう。それが土方歳三だよ。八郎にとっちゃ、初恋の恋敵だ。その恋敵と、毎日、剣術の稽古やら、飲み歩きやら、さんざん遊んで、吉原まで行ったってぇんだから……」

本山が、つい口を滑らせると、伊庭が本山を小突いた。

「小太郎、いい加減に……!」

本山が、あっと口をつぐんだが、時すでに遅し。

「吉原だって……?」

いくらその筋に疎いりょうでも、吉原くらいは知っていた。

「僕は、日野の彦五郎先生に、父さんは江戸で剣術の修行をしているから、お前も負けるな、って聞かされていたんだ。それなのに、吉原で遊んでいたなんて!」

怒るりょうに、伊庭は弁解するように言った。

「大丈夫。歳さんは、女遊びはきれいなもんだったよ。その頃は、お前さんも梅乃さまも死んだと聞かされていたんだから、仕方ねぇや。歳さんだって若かったんだから、息子なら、許してやれよ」

りょうは、『息子』と言われて、

(いけない、僕は『男』だった……)

と、気を取り直した。その表情を、伊庭はじっと見ていた。


 伊庭の話によると、伊庭はいさみの師匠の近藤周助しゅうすけと知り合い、試衛館に出入りするようになったらしい。


 その頃、周助は道場を勇に譲り、隠居して、周斎しゅうさいと名乗っていた。名前を聞かれて伊庭と名乗れず、

「い、飯野八助」

と適当に名前を作ったのだったが、後で、しっかり見破られていた、と笑った。


 「俺が行くと、『八郎、よく来た。飲みにいこう』って周斎先生が言うんだ。でも、体調があまり良くなくて、歳さんは、そんな先生を心配して、『じいさんは引っ込んでな。若いもんが遊ぶところに行くんだからよ』って憎まれ口言って、外に出さないんだ。俺たちは、小遣いをもらってよく飲みに行った。周斎先生もわかっていたんだ。歳さんが、自分の体を気遣っていたことが……歳さんは優しいんだ、ホントは」

りょうは、伊庭の話を静かに聞いていた。自分の知らない、若い頃の歳三の姿が浮かんできた。やっぱり不器用で、憎まれ口ばかり言うけど、それは必ず相手のため……

「父さんは変わらないんだ……昔から……」

りょうは呟いた。伊庭は、

「俺たちは遊んでばかりいたわけじゃないぞ。ちゃんと剣術の稽古だってしたさ!沖田さんの剣は、すごかったな……」

沖田の名が出たので、りょうは顔を上げた。歳三にはタメ口なのに、沖田には、さん、付けなのが可笑しかった。

「そりゃあ、沖田さんは剣術では先輩で、腕だってかなわないもの。歳さんは悪友。立ち合っても、絶対俺が勝つ!」

伊庭はそう言って胸を張った。

「ああ、でも、喧嘩したらきっと負けるなぁ。あの人、喧嘩だけは強ぇ」

りょうはクスクスと笑った。新選組時代、よく自慢していたのを思い出した。鳥羽伏見のあとでさえ、

『素手の喧嘩なら、薩長になんか、ぜってぇ負けねぇ!』

と言っていたっけ……



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