第5章 サンライズ号② 同じ志を持つ者

 『お前は、俺の昔の知り合いに似ているんだ』

伊庭の言葉に、りょうが何か尋ねようとしたとき、また大きく船が揺れた。りょうは、うっかりと伊庭の方によろけてしまった。腕に支えられたが、その時、伊庭の左手の肘から下がないことに気づいた。

「ご、ごめんなさい」

あまりにも素直な言葉使いに、伊庭の方が面食らった。

「なんだ、最初からそのくらい素直ならいいのに……この腕はな、箱根の戦いで斬られてちぎれる寸前までいったから、自分で切り落としたのだ」

さらっと答えた伊庭だったが、りょうはびっくりした。色の白い優男だと思っていた伊庭が、自分で自分の腕を切り落とすほどの豪胆な人物だとは思ってもいなかったのだ。


 「なんだ?俺にそんな力があるようには見えないって顔だな」

と、伊庭が言うと、りょうは素直に頷いた。すると伊庭は眉をひそめ、

「……素直すぎるのも考えもんだな。そこは否定するところだろう」

と呆れたように呟いた。そんなふたりのやりとりに、本山は笑いをこらえるのに必死だった。


 本山がりょうに聞いた。

「お前は、江戸の者か?訛りがないから、京や大坂の出身ではないだろう。『練武館』を知らないか?」

「……知らない。僕はそんなに江戸市中は詳しくないんだ」

江戸にいた頃は、ほとんど沖田の看病をしていたりょうである。市中に出たのは、甲府へ行った時と、千住宿まで行った時くらいだ。

「お前は、剣術をやるのだろう?北辰一刀流や、神道無念流の道場くらいは知っているだろう?」

本山が聞くと、

「それは知っている。神田お玉ヶ池の『玄武館』、九段下の『練兵館』、南八丁堀大富町あさり河岸の『士学館』が三大道場だろう。他の道場は知らない」

と答えた。以前に新選組の幹部たちから聞いた話の受け売りだった。それを聞いて、本山は笑いながら、

「八郎、伊庭道場はまだまだだなぁ」

と伊庭の肩をたたいた。伊庭は、ふん、と言って、

「うちは、地味だからな」

と言った。りょうはその時、京で、この男が伊庭八郎と名乗っていたことを思い出した。

「その三大道場に、練武館の伊庭道場を足して、四大道場と呼ぶんだ。この男は、これでもやがては道場の跡を継ぐ身だぞ」

と、本山が言った。

「小太郎、これでも、てぇのは余計だ」

と伊庭は笑った。りょうは、このふたりは敵ではなさそうだ、と思うようになっていた。

「あ、あともうひとつだけ知っている。牛込甲羅屋敷の、『天然理心流、試衛館』だ」

りょうが得意気に言うと、本山が、

「それはまた、ずいぶん小さなところを知っているもんだな」

と苦笑いした。だが、伊庭は何か思うことがあるのか、黙っていた。


 船が、房総半島を回って太平洋に出たようだ。外海に出ると、多少揺れが強い。本山が、気分が悪くなったのか、青い顔をしていた。

「船酔いか?手のツボを押すと、よくなるぞ」

りょうは言い、ツボの場所を示した。

「お前は船に酔わないのか?」

伊庭が聞くと、りょうは答えた。

「ついこの間、仙台から乗ってきたばかりだからな。慣れているんだ」

すると、伊庭は、

「仙台か……本当なら俺も今頃は榎本武揚と一緒に、仙台から蝦夷に行っているはずだったのだが」

と言った。りょうは、その言葉に目を輝かせた。

「あなたは、旧幕府の脱走艦隊の仲間なのか?」

と聞くと、

「俺はもとは遊撃隊、幕臣だ。徳川を守るために戦ってきた。最後まで戦うという仲間がいる所に、これから俺も行くのだ。最初は榎本たちと一緒だったのだが、船が沈んでしまい、行けなかった。これが最後の機会だと思い、今この船にいるのさ」

伊庭がそう言うと、本山が、

「おい、そんなことまでこんな小僧に話してしまっていいのか?」

と心配した。

「船酔い、少し治まったでしょう?」

りょうが聞くと、本山は、

「あ……」

と、気がついた。吐き気が治まっていたのだ。伊庭は、

「小太郎、こいつが敵なら、お前が船酔いでのたうち回っている間に、お前を殺すか、逃げるかしているだろうさ」

と言って笑った。


 りょうは、このふたりが同じ志であることを確信し、言った。

「僕は、折浜おりのはまで船に間に合わなかった……僕がついたとき、船が出てしまったんだ」

伊庭は、

「お前、行商じゃなかったのか?お前、やはり隠密かなにかで……」

と身構えた。りょうはあわてて、

「ち、違う。僕は、元新選組なんだ!隠密なんかじゃない!でも薬の行商をしているのも本当だ。多摩で薬をつくっているんだ!この薬は伯母からの預かりもので……」

と弁解した。

「多摩……?薬……?」

伊庭は、はっとして、荷物の中の薬箱をあらためた。

「山型に丸……土方家の道具を示す紋だな……薬は、『石田散薬』だろう!?」

りょうは驚いて、

「どうして、それを……!?」

と、立ち上がって伊庭を見つめた。伊庭も、りょうを見つめた。本山はなんのことかわからず、ふたりを見つめた。


 伊庭は、頭の中を急速に整理した。目の前の顔、試衛館を知っていること、薬の行商道具から導かれる結論はひとつだった。

「お前は、歳さんの子供だ。歳さんと、梅乃さまの……そうだな!?」

りょうは、伊庭の口から出た言葉に動揺を隠せなかった。

(この人は、何者なのか?父だけでなく、母の名を……それも、僕が会津で教えてもらった、本当の名を知っているとは……!幕臣だというこの人と、父と母の間に、何があったというのか……)


 りょうは、なんと答えていいのかわからず、立ちつくしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る