第2章 再び旅立つ
りょうは、寺に帰って、こっそりと旅支度を始めた。薬の行商の箱に、自分のすべてのものを……もちろん、あの観音像や、会津でもらった『
(もし蝦夷に新しい国ができたら、ここに帰ってくることは、もう無いかもしれない……)
と、りょうは思った。母の墓をそのままにして旅立つのは心苦しかったが、引き返す訳にはいかない。りょうは、横浜の港から出港する船になんとか潜り込ませてほしい、と、人足をしている小吉に頼みこんだのだ。最初は断っていた小吉だったが、どうしても蝦夷に会いたい人がいる、と必死になるりょうを見て、手伝うことを了承してくれた。翌日の朝早く船に積み込む荷物の中に、りょうは隠れることになっていた。
「ご住職さまには、黙って行くけど……密航なんて、言えないもんな……許してくれないだろうし……」
と独り言を言っていると、
「あたりまえじゃろうが!黙って行くとは、礼儀を知らぬ愚か者じゃ!」
と障子を開けて、住職が怒鳴った。りょうはびっくりして、
「ご、ごめんなさい、住職さま!でも、僕はどうしても、蝦夷に行きたいんです!これが最後の機会なんです!僕は、僕はどうしても、父さんに会いたい!父さんの『誠の道』を、共に歩きたいんです!」
と住職に言った。
「ここはお前の生まれたところだ。母親の墓もある。望むならお前に医者としての勉強もさせることができる。お前は若い。ここで落ち着いた暮らしをする方が良いのではないか?お前が幸せに暮らすことが、父上の望みではないのか?」
住職は、以前に、りょうが中村半次郎に言われたことと、同じようなことを言った。
「なぜ密航などするのだ?捕まればただでは済むまい。お前は新選組にいた。それだけでも逆賊として、死罪になるかも知れないのだぞ!」
住職に言われると、りょうは住職を見つめた。
「もし、それで死ぬのなら、それが運命と思って受け入れます」
しばし沈黙の時が流れた。りょうの目は、まっすぐに住職を見つめている。
(あの時と同じじゃな。10年前にここから日野に向かった時と、同じ目をしておる……)
りょうの強い意志を認めた住職は、何通かの文を見せた。それは、佐藤彦五郎と、住職の間で交わされた文であった。
「これは、お前が日野にいると知らせてくださった時のものだ」
10年前、6才のりょうは、母の不幸の原因は父歳三が母を捨てたせいだと思い、母の仇を討つため、日野に向かった。それは、りょうは日野にいるので、安心してほしい、という文だった。
「こんな文を、彦五郎先生が出してくれていたなんて……知らなかった」
りょうは、他にもある、彦五郎からの文を開いてみた。
りょうが剣術の稽古を始めたこと、玉置良庵のもとで勉学と医術を学んでいること、父、歳三と初めて対戦したこと、良庵の養子になったこと、新選組に入ったこと……その時々の、りょうの成長を、住職に伝えていた。住職は、その文を、うめの墓前に供え、りょうが元気でいることを報告していたのだ、と語った。
「僕は……なんにも……知らなかった……ご住職さまと、彦五郎先生が、僕のことを……こんなに……」
りょうは、言葉に詰まった。
会津が降伏した、という話や、旧幕府の脱走艦隊が蝦夷に向かうという話は、関東にも届いていた。りょうが生きていれば、土方家や佐藤家に迷惑がかかるから、と日野に戻ることは考えまい、戻れるところは、母と過ごした神奈川宿だけだと推測した彦五郎は、住職にその旨を伝えていた。何年も離れていたりょうを、何も言わず住職が置いてくれたのは、全て彦五郎の取り計らいであった。
そして、住職は、りょうがここにいることも、彦五郎に知らせていた。
「ほれ、これが一番新しい文じゃ」
その文を、りょうは途中から読むことができなかった。涙が溢れて、文字が見えなくなっていた。その中には、彦五郎とのぶの、りょうに対する愛情が溢れていた。
その文には、りょうに対し、いつでも安心して日野に帰ってきてよい、と書かれていた。住職には感謝の言葉と、りょうは必ず歳三を追って蝦夷に行きたいというだろうから、その時は自由にさせて欲しいということが書かれており、金子が10両、添えられていた。りょうは、自分の知らないところで、自分がこんなにも、多くの人たちに守られていたということを、あらためて思い知った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ご住職さま、彦五郎先生、おのぶさん……でも、僕は、蝦夷に行きます……!!」
りょうは言った。
住職は、
「この金子は、私にくださったものだが、私は僧なので、受けとるわけにはいかないのでな、お前が持っていくといい。何かの役には立つだろう。ありがたく受けとって、旅立つがよい……!」
と言って、部屋を出ていった。りょうは、住職の出ていった方を向き、畳に頭をつけて、深々と礼をした。
「ありがとうございます……お世話に……なりました……!」
翌朝、りょうは寺を出た。住職は、門前を掃き清めていた。
「ご住職さま……!」
「父上に孝行するのだぞ……必ず、生きて戻れ。戻ったら、また顔を見せるのじゃぞ……!」
「母の墓を……お願いします……!」
りょうはもう一度、深く頭を下げ、横浜の港に向かった。これが、父に会える最後の機会だと思うと、冬の荒れる海でさえ、怖くはなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます