第21章 会津の血統を継ぐ者

 9月5日、佐川官兵衛は会津遊撃隊、別選隊などに命じ、再度の攻撃に出た。材木町で敵を撃破し、敵兵の残した武器や食料を城中に運び込むことができた。これが、会津側の最後の勝利であった。そんな折、如来堂にょらいどう付近の守備についていた新選組と旧幕府軍の隊が新政府軍に攻撃され、新選組が全滅した、という情報がもたらされた。それを聞いた時尾は愕然として、倒れそうになった。りょうは思わず時尾を支え、

「山口隊長は、今までだって、何度も危ないところを脱出してきた運の強い方です。今度もきっと大丈夫ですよ!しっかり、時尾さん!」

と励ました。


 その時である。時尾を起こそうとしたりょうの懐から観音像が転げ落ち、その衝撃で合わせの箇所が開いていた。中に紙が入っているのが見え、何か字が書かれていた。取り出した紙を開き、りょうと時尾は驚いて顔を見合わせた。その紙には、

『松平容敬庶子かたたかしょし 梅乃うめの 天保五年弐月生』

と記してあった。


 その夜、砲撃が止んだ頃、りょうは容保かたもりに呼ばれた。部屋には、照姫もいた。

「良蔵、以前会ったのを覚えておるか?」

容保はりょうに聞いた。

「はい。日新館でお目にかかりました」

りょうは答えた。

「その時、余が、父に孝養をつくせ、と申したであろう。なぜ土方と一緒に行かなかったのだ……?」

容保が優しく聞いた。りょうは、容保が自分のことを歳三の娘だとわかっていることに驚いたが、下を向いたまま答えた。

「新選組を去れ、と言われました」

容保は、それを聞いて、苦笑いしながら言った。

「土方らしいのう……憎まれ役ばかりを買って出るのは相変わらずじゃ」

「え?」

りょうが顔を上げた。容保は続けた。

「新選組では、命令に背いて隊を離れることは禁じておろうが?」

「はい。切腹です……」

りょうはまた、暗い顔になってうつむいた。すると、容保は微笑んで言った。

「しかし隊長の方で解雇すれば切腹する必要はない。土方はそちの意志を汲んで、切腹せずに済むすべを選んだのだ。しかも、そちが土方に引け目を感じずに会津に残れるようにした。親心だとは思わぬか……?」

りょうはそんなことを歳三が考えていたとは、夢にも思わなかった。歳三に見限られたとばかり思っていたからだ。

「土方を恨んではならぬ」

容保は、諭すように言った。りょうは、

「恨んでなんかいません……大切な……父です……!」

りょうのその言葉を聞いて、容保は微笑んだ。だが、やがて真剣な表情になり、重々しい声でりょうに言った。

「そちが、土方を心より慕っておるのを確認した上で、これから大事な話をする。よく考えて返答をせよ」

「は、はい……!」

りょうはごくん、と唾を飲み込んだ。


 容保は、照姫から観音像と書き付けを受け取り、りょうの前に広げた。その紙には、

『松平容敬養子 照 天保三年拾弐月生』

と書かれていた。

「そちの持っているものと同じ観音像じゃ。そちの持っているものは、そちの母が生まれたとき、我が義父ちちがご生母どのに贈ったもの……そちの母は、当時藩主であった松平容敬の実子なのだ。証拠は他にもある。今、土方が所持しているであろう、『堀川国広』だ。あれも、ご生母どのが嫁ぐ折りに、義父上が賜った刀じゃ。余は、観音像が残っているのは知らなんだ。なので、土方にも話さなかった」

と、容保は言った。

「『堀川国広』の脇差は、母が亡くなる間際、『土方歳三が立派な武士になっていたら渡せ』と、僕に言い残したものです。京から大坂に移る前日に、土方先生が僕に返そうとしたのを断って、逆に、先生に託しました。あれが……容敬さまから祖母に賜ったものだとは知りませんでした」

そう語りながら、りょうは、京での最後の日を思い出していた。必ず迎えに行ってやる、と言った歳三の顔を……

「松平容敬公は、歴代の会津藩主の中でも、名君とうたわれ、会津の多くの民に慕われていた……良蔵、余も姉も、今の藩主の喜徳も、義父上の血をひいてはいない。名君、容敬公の血を受け継ぐものは、そちだけだ。そちは、もう新選組ではないと聞いた。もし、そちが、このまま会津に残り、会津の民と共に生きることを望んでくれるのなら……」

「……?……」

「余は、そちに会津松平家を継がせても良いと、考えている」

容保の言葉に、りょうはすぐには反応できなかった。何の話をされたのか、わからなかったからである。しばらくして、容保が何を言ったのかを理解すると、

「ええ~っ!?」

と大きな声を出した。りょうの頭の中は真っ白になった。

「ち、ちょっと、良蔵さん、殿様の前で……」

時尾が慌てて、りょうをたしなめた。りょうもハッとして、頭を下げた。

(僕が、松平家を継ぐ……?この会津を継ぐ……?)

りょうは、ひれ伏したまま、そこから先のことを何も考えられなかった。ただ、頭の中に、容保の言葉が繰り返し響いていた。りょうのそんな様子を見て、助けを出したのは、照姫だった。

「大殿、いきなり大変な選択を求められて、良蔵は混乱しているのでしょう。少し時間をあげてくださいませ。たれか、良蔵にお水を」

照姫の声に応じて、侍女がりょうに水を渡した。りょうはそれをごくごく、と一気に飲み干した。すると、少し、気分が落ち着いて、言葉が出るようになった。

「……の、喜徳のぶのり様……!喜徳様が、跡を継いでいらっしゃるではありませんか!?それなのに、どうして!?」

りょうが聞くと、容保は落ち着いた様子で答えた。

「良蔵、これは喜徳が言い出したことなのだ。喜徳は、正当な血筋がいるのなら、その者が会津を継ぐのが一番良い、と言っている」

りょうの表情が曇ったのを見て、容保は言った。

「そちを困らせてしまっていることには、すまぬと思っている……良蔵、わかっていると思うが、会津は、もう長くは持たぬ」

「そんなことは!山川さまや佐川さまが、必死で戦っていらっしゃいます!」

りょうは言ったが、死傷者の数は増えるばかり、食料も少なくなっていることは既に明らかになっていることだった。

「余と喜徳は、藩主としての責任を取らなければならぬ。この地は新政府軍に奪われることとなるであろう。もし、余や、喜徳が切腹することになれば、ここまで続いた会津松平家は、断絶するのだ。できればそれだけは避けたい……」

りょうは、容保の意図することが、少しわかってきた。松平家の血を引く者を後継ぎとして届け出、家名の存続をしたいということだ。


 りょうは、あらためて、あの観音像が持つ意味と、自分の中に流れている血の意味を思い知らされた。

(武士になるために、多摩に行き、父に会い、京に行き、父の後を追い会津まで来たのは、運命だったのだろうか……?会津に惹かれる心、会津の人々が好きだと思う心には、偽りはない。会津のために戦う決心をしたとき、このままここで死んでもかまわないと思ったのも事実だ……でも……)

「容保様、もうご存じかとは思いますが、僕は女です。隠していても、いつかは露見するでしょう。それでも、僕が会津を継ぐことを望まれるのですか?」

りょうは、思いきって容保に尋ねた。容保は、りょうを見つめた。

「余が会津へ来たとき、義父、容敬にはとしという姫しかいなかった。余は12才、敏姫は僅か4才だった。余は必然的に、敏姫の婿になることを決められていたのだ。そして余は、会津を継いだ。敏が早世し、余は、加賀前田家の姫を娶るよう、結納も交わしておるが、このような事態になり、たぶんこの縁組は解消となるであろう……もし、徳川の世が続いておる中で、そちのことがわかったならば、そちを我が養女とし、喜徳とめあわせたことであろう。そちは正当な容敬の孫だ。会津を継ぐことに支障はなかったはずだ……だが、今は少し異なる。そちを会津松平家の血筋として家名存続を願い出た後は、婿となり会津を継ぐ人物の選択を、新政府に委ねることになろう……悔しいことだが……」

容保の話を、りょうは黙って聞いていた。すると、照姫が口を挟んだ。

「大殿には、ふたりの側室がおりますが、このどちらも、まだ懐妊のきざしがなく……どちらかが男児を生んでおれば、このような重荷、良蔵に背負わせなくても良いのですが……」

「姉上、そのことは今、この場で申さなくとも……」

容保が、少し照れたような表情を見せた。りょうは、容保という人物は、とても優しい性格なのだ、と思った。喜徳のことは、当時の徳川慶喜との関係を深めるために、勧められるまま養子にしたのだろうに、その喜徳を、容保は実子同様に可愛がっていることがよくわかる。りょうは、もし自分が会津のために役立つなら、この心優しい『叔父』を助けてあげたい、とも思った。


 だが、その時である。

「そちがもし松平を継げば、実の父、土方とは縁を切らねばならぬ……そちの父親は、多摩の医師であることにせねばならぬのだ……」

容保は、容保自身、一番言いにくいことをりょうに告げた。それを聞いたりょうの顔が一瞬、こわばった。

(父と……縁を切る……!?)

容保の言うことはもっともだった。新政府に届け出るためには、新選組と関わりがあってはならない。りょうが土方歳三の娘であることだけは、一生伏せねばならないことだった。


 りょうの脳裏に、母の顔が浮かんだ。会津藩主の庶子として生まれたが、それを知らずに育った母……母は、りょうを武士にしたいと男のように育てた。それは、父にやがて会わせるため……母は、ずっと父を愛していた。母の願いは、りょうと、歳三が、共にいることではなかったのか……?彦五郎にりょうの行く末を頼んだのは、土方歳三という父親の元へ娘を届けるためだったはずだ……


 ふと、どこからか沖田の声が聞こえた。

『りょう、土方さんを一人にしちゃ、だめだよ……!』

沖田の声と共に浮かんだのは、藤堂や君菊の顔。皆、りょうに呼びかけていた。

『土方さんを一人にしないで……』

その時、りょうは、はっきりと気づいた。


 りょうは姿勢を正し、そして、平伏して言った。

「申し訳ありません!僕には、松平家を継ぐことはできません。お許しください!僕は、土方歳三と、呉服屋に奉公していた、うめ、の娘です。それを捨てることはできません!」

「良蔵さん……」

時尾が優しく背中に手をおいた。

容保と照姫は、顔を見合わせ、互いに微笑んだ。

「やはりな。そちはきっとそう答えると思うていた」

容保は言った。

「でも、僕は、会津が好きです。会津の人々が好きです。それは本当です!だから、できる限り、働かせてください、この国のために……!まだ、まだ、会津はやられやしません!」

その言葉を聞いた容保は、

「頼もしいのう、そちは。跡継ぎの話は別として、どうじゃ?喜徳の『室』になる気はないか?」

「しつ……?」

りょうは、きょとんとした。時尾が耳元で、

「奥さま、ということよ」

と言った。りょうはびっくりして、

「え、そ、それは……!」

と言うと、容保は、

「年の頃も丁度良いではないか。どうだ?」

とさらに言う。りょうが思わず、

「ぼ……わたくしには、心に決めたお方がいるので……」

と、真っ赤になって答えると、照姫が容保をたしなめた。

「大殿、ごとが過ぎましょう。良蔵が困っておりまする」

容保は笑って、

「すまぬすまぬ。良蔵、もう下がってよい。困らせる話をして悪かった……医師たちの手助け、引き続き頼む。怪我をした者たち、一人でも多く助けてやってほしい」

と言った。りょうはかしこまって、部屋を出た。


 りょうが部屋を出ていくと、容保は言った。

「山川、佐川、聞いた通りじゃ。喜徳も、今の良蔵の言葉で心が決まったであろう?」

襖が開いて、そこに座っていたのは、現藩主の喜徳と、家老の山川、佐川だった。

西郷頼母の計画を他の家老から聞いた喜徳は、自分の立場に不安を感じていた。容保に、もし良蔵が松平を継ぐことになるなら、自分を水戸に帰してほしいと申し出たのだ。容保はもちろん最初は聞き入れなかったのだが、喜徳が水戸に戻ることは、喜徳の命を救うことにも繋がるという家老たちの意見を聞いて、良蔵の意志を確かめることにしたのだ。

「若殿、見事に振られましたな」

と、佐川が言った。喜徳が、

「あれは強すぎる。余はもう少し弱いおなごが良い。機嫌を損ねたら、斬り捨てられそうじゃ」

と言ったので、容保も照姫も笑った。会津10代藩主、松平喜徳は、その後、容保に実子、容大かたひろが生まれ、家名存続が認められるまで、会津藩最後の藩主としての責任を全うした。


 山川が言った。

「まだ、会津はやられたりしない、か。佐川どの、我らも最後まで踏ん張らねばなりませんな。良蔵どのに負けないように」

「左様。さっさと隊の元に帰り、対策を練らねば。大殿、若殿、姫様、失礼つかまつります」

ふたりの家老は、部屋を出た。


 「良蔵が心に決めた方とは、どなたでしょうね?」

と、照姫が聞いた。容保は、

「さあ、きっと、土方よりも腕の立つ男にちがいない……あれを嫁にするには、まず、父親を倒さねばならぬからな……」

と、とぼけた。容保の頭の中には、何年か前の京、黒谷での御前試合で見事に勝ち抜いた、若い剣士の姿が浮かんでいた。その名を沖田総司という……


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