第20章 籠城

 りょうは、戻ってきた時尾に奥まで連れていかれた。そこには、高貴な雰囲気の女性がいた。時尾が、

容保かたもりさまの姉ぎみ、てる姫さまですよ。照姫さま、この者が玉置良蔵です」

りょうは深いお辞儀をした。照姫は、

「良蔵、あなたの話は時尾から聞いています。わたくしたちと一緒に、この城を守りましょう」

と言った。りょうは、照姫の美しさと毅然とした言葉に圧倒されて、

「は、はい!」

と答えられただけだった。


 照姫の行動力は大したものだった。城内の女たちをとりまとめ、仕事を分担し、自らも献身的に兵士の看護にあたった。籠城戦を続けられたのには、この女たちの力も大きかったと言っていい。


 りょうは、怪我をした者たちが集められているところに行った。古川医師や鈴木医師、息子の金二郎もいた。金二郎がりょうに気づいて近寄ってきた。りょうは、源吉のことを思い出し、金二郎に一礼した。

「君は、日新館で会った、源吉の友達の……」

「玉置良蔵です」

りょうは、金二郎が差している脇差しの柄巻が血で汚れているのに気づき、

「その刀は……」

と問いかけると、金二郎はそれを愛しそうに撫でた。

「我が家に伝わる刀で、源吉の出陣の時に父が渡したものだ。そして、源吉はこの刀で自刃したらしい」

と言った。りょうは、

「それがなぜお手元に……?」

と聞いた。金二郎は、

「今朝早く、城の通用口に布にくるまれて置かれていたと聞いた。誰かが我が家の刀と気付き、届けてくれたようだ。どなたかわからぬが、きっと、生前の源吉を見知っていた方なのであろう。ありがたく受け取らせていただいた」

と言った。りょうには、それが誰であるか見当がついていた。小幡である。小幡が源吉の亡骸から刀を抜き、届けたのだ。

「これで源吉も家に戻ることができた。我が自慢の弟だ。君も、源吉とは仲良くしてくれていたそうだね、ありがとう。これから一緒に頑張ろう」

金二郎の言葉に、

「よろしくお願いいたします」

と、返すりょう。閉ざされた城の中で、不思議な連帯感が生まれていた。


 すると、子供の声がした。声の方を見ると、女の子が母親にまとわりついていた。

「ご家老の、山川さまのご家族だ。もう少し静かにしていただけると、ありがたいのにな」

金二郎が諦めたように言った。声の主は、8才の末娘のさきだった。りょうには、そのさきの笑顔が、同じ年頃の、西郷家のたづと重なった。

(同じ家老の娘として生まれ育ったのに、親の立場の違いで、こんなにも差が出るのか……!)

りょうの脳裏には、白装束で横たわる西郷家の娘たちの姿が浮かんだ。

(生きてさえいれば、未来は開けたのに……きっと、たえや、たづだって……!)

りょうはもう一度、山川さきの姿を見つめた。この、さきこそ、数年後に日本初の女性留学生としてアメリカに渡る、山川捨松である。


 8月25日、夜明けと共に、大砲による砲撃が始まり、また追手門に新政府軍が迫ってきた。朝、城内の病院に入ってきたのは山本八重だった。

「良蔵さん、いる!?」

「はい!」

呼ばれて反射的に答えた。八重の姿を見て、りょうは驚いた。髪の毛は断髪し、男の着物を着て、両腕にはスペンサー銃を抱えていた。

「私が教えたこの銃の使い方、覚えているわよね!?」

八重が聞いた。

「これを教えたのは、悌次郎さんとあなただけなんだから。行くわよ!」

りょうにスペンサー銃を渡して外に出ていく八重。りょうは何も言えずに八重の後を追う。走りながら、りょうはある夏の日を思い出していた。


 「八重姉ちゃん、なんで新選組なんかに教えんだよ!こいつは敵方なんだぞ!」

御前試合の前に、りょうが八重から銃の指導を受けていたとき、白虎隊の伊東悌次郎が八重に食ってかかった。悌次郎は、八重の近所に住んでおり、小さい時から八重を姉のように慕っていた。八重の父は藩の砲術指南役だったので、子供達は早くから銃に興味を持ち、悌次郎もその中に入って、八重の父から教えてもらうことも多かった。

「何言ってんの!毎日訓練しているあんた達と違って、良蔵さんは日新館で藩士の方々の看病をされているのよ!不公平をなくすために指導して何が悪いの?悔しかったら、早くスペンサー扱えるようになりなさいよ」

八重は男勝りの性格で、その時は悌次郎も何も言い返せなかった。りょうは、悌次郎と一緒に、八重からスペンサー銃の扱いを習ったのだった。その悌次郎も、飯盛山で自刃し、今はもういない。


 八重が率いる鉄砲隊の中にりょうは混じって、城壁の影に身を寄せる。他の兵士の持った銃は、ゲベールだ。八重とりょうだけがスペンサーを持っている。

「指揮官だけを狙いなさい。後の者はいいから」

八重が言った。指揮官はすぐわかる。被り物をして後ろにいるのがそうだ。ゲベール銃では届かない。りょうは、八重と目配せして、後ろの指揮官だけを狙った。

銃声が炸裂し、赤熊しゃぐまの被り物をした指揮官が倒れた。指揮官が倒されたことで、敵は混乱して退却した。

「大したものだ。さすが、覚馬どのの妹ごと、新選組土方歳三の小姓だな」

変な褒め方をしたのは、佐川官兵衛さがわかんべえである。これをきっかけに佐川隊が城門まで討って出て、完全に敵を制圧した。『鬼佐川』の異名をとる家老、佐川官兵衛は、武勇に優れ、在京時期には、会津の別選隊隊長として、京都警備に勤めた人物であった。会津に戻る前は、長岡城の攻防戦で薩長と激しい戦いを繰り広げ、会津戦争においては、積極的に城外に打って出るなど、その勇猛さは新政府軍にも知られていた。斎藤はじめとは京ですでに顔見知りであり、新選組本体と別れて会津に残った斎藤やりょうに、好意を持っていた。りょうがすんなり城内に入れたのも、佐川の許可が大きかったようだ。


 城内に容易に突撃できないことがわかると、敵は無理に前進して来なくなった。代わりに新政府軍が用いたのは、アームストロング砲であった。これは大変な破壊力で、一発で壁が破壊されてしまう。りょうはもう、スペンサー銃を使っている暇はなくなった。怪我人が増え、手当てが追い付かない。女たちは着物を裂いて、包帯の代わりを作ったり、打ち込まれた銃弾を溶かしてこちらの銃弾にしたりと色々な作業を行った。


 りょうが若松城に入った日、松平容保は、高木時尾を通じて、新選組の内、斎藤たち十数名が会津に残ったことを知った。

「あれほど言うたのに……命知らずのものどもじゃな」

そう言いながら、容保は斎藤たちの行動をありがたいことだと思っていた。


 城内では、西郷頼母たのもが玉砕論を主張したことにより、他の家老たちから危険人物とされ、追放の訴えが出ていた。容保は、もうこれ以上頼母を庇うことはできないと、頼母に城外への使者を命じた。実質上の追放であった。


 頼母が息子を伴い城外へ出ようとしたとき、たまたまそこを通りかかったりょうと目が合った。そのとき、時尾が側にいなかったら、りょうは頼母に斬りかかっていたかもしれない。時尾に引き止められながら、りょうは頼母に向かって言った。

「僕はあなたも許さない!たえがあんな風に死ぬことはなかったんだ!たえが死んだのは、あなたのせいだ!」

頼母は、一旦、りょうを見つめたが、顔を背けて出ていった。西郷頼母は、後に榎本武揚の軍に加わったらしい。


 会津の戦況は、日増しに悪化していた。8月の末、会津は、佐川隊を筆頭に、城下にいた新政府軍に総攻撃をかけた。食料や薬を補給するための経路を確保するためだったが、結果として確保はできず、かえって死者や負傷者を多く出してしまった。会津側の死者は100人を越えた。城下の通りに兵士の死体が折り重なっていた。新政府軍は、そんな会津兵士の死体を埋葬することを禁じた。城下は目を覆うばかりの惨状であったという。


 9月に入ると、増加する怪我人に加え、薬の不足が深刻になった。りょうは、古川医師の助手として怪我人の治療にあたったが、亡くなる者が増えるばかりであった。埋葬場所にも困るようになり、ついに、一部の井戸に、遺体を投げ入れるようになった。砲弾による衝撃で、城のあちこちが崩れていた。ともすると、人間らしい感情も失ってしまいそうな状況で、医師たちは必死で治療を続けた。

「米沢藩が降伏したそうだ。仙台も時間の問題らしい」

りょうは、城内にいる兵士から、そんな話を聞いた。歳三は援軍要請が無理な場合、そのまま仙台に行くと言っていた。りょうは歳三の安否が心配であったが、誰にも聞くわけにいかなかった。なぜなら、城内では、

『新選組の土方は会津を見捨てた。山口はそんな土方に逆らって会津についた』

という噂がまことしやかに囁かれていたからである。


 会津藩が米沢に送った援軍要請の使者が米沢城下で自刃した、という情報が届いた。庄内からの援軍は、ついに来ることはなかったのだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る