第19章 ふたつの『誠の旗』

 斎藤は、りょうの言葉に共感を覚えながらも、自らを律するように言った。

「良蔵、お前の気持ちはわかった。だが、今は塩川へ行くのが先だ!勝手な行動は許さん!」

りょうを無理やり馬に乗せると、自分も乗った。


 だが、小幡は、

「斎藤さん、俺の気持ちはこいつと同じだ。新政府軍のバカどもに、痛い目見せてやるぜ。俺は新選組がどう動こうが、知ったこっちゃねぇ!」

そう言うと、あっという間に走り去った。

「三郎……!」

小幡を横目で見送り、斎藤はりょうを乗せて、塩川に馬を走らせた。


 「遅くなりました」

斎藤とりょうが塩川の陣に着いたときは、すでに夜も更けていた。歳三は、ちら、とりょうを見て、今後の方針を話し始めた。本陣には、新選組の他、大鳥圭介おおとりけいすけの伝習隊と、松本良順と弟子がいた。良順と弟子たちには、歳三が別室で休むように勧めたので、この部屋にはいなかった。


 歳三は、いつものように、良く通る声で言った。

「会津藩は、籠城を決めた。松平容保かたもり公のご意向により、新選組は、会津藩への支援を打ち切ることにする」

その言葉に、りょうは驚いて顔を上げた。

「会津を見捨てるんですか!?」

安富が、りょうの肩をつかんだ。

「良蔵、今は静かに聴け!」

りょうは唇を噛んでうつむいた。歳三の言ったことが信じられなかった。歳三は話を続けた。

「これより我々は、伝習隊と共に米沢から仙台に行き、榎本武揚艦長率いる幕府脱走艦隊に加わることとする。伝習隊は大鳥圭介隊長が率いる。新選組は山口二郎隊長が率いること。俺は松本良順先生を庄内に送り、庄内藩から会津藩への援軍を要請するつもりだ。今、米沢は新政府への恭順派が大勢を占めているらしいから、いつ領内を抜けられなくなるかわからない。発てる隊はすぐに発つように。以上!」

(父さんは、新選組は、会津を見捨てるつもりなんだ……もう負けるとわかっているから……?今までの父さんなら、最後まで戦ったはずだ……何故……?)


 歳三は、りょうの方を向いて言った。

「良蔵、鉄たちは、すでに仙台に向け出発した。おめえは才助と一緒に、傷病兵士のいる隊について行く。いいな」

すると、りょうは、歳三を見つめて言った。

「嫌です。僕は会津に残ります」

「なんだと?」

歳三はりょうを見た。

「会津に残り、薩長と戦います」

そう言い切るりょう。安富は、

「良蔵、冷静になれ!お前は城下の様子を見て頭に血が上ってる。落ち着いて考えるんだ」

と諭した。

「俺の命に従えないと言うんだな」

歳三の声は冷静だった。こういうときの歳三は逆に怖いことをりょうは知っていた。でも、りょうの心は変わらない。

「新選組は、会津藩の援助のおかげで、京で大きくなったんだと僕は聞いています。局長のお墓を建ててくださったのも、容保様の力だと。それなのに、負けるからって、会津を見捨てるなんておかしいです!僕には大切な友がいた。でも彼らは皆、会津を守るために死にました。彼らが守りたかった会津を、僕が守ります。それが、僕の『誠』だと決めました」

それを聞いた歳三は、兼定を抜いて、りょうに突きつけた。一瞬、場が凍りついた。

「土方先生!」

「土方くん!」

斎藤や安富、大鳥までもが歳三を止めようとした。歳三は冷静な声で、

「命令に従えないやつは斬る、と言ってもか?」

とりょうに聞いた。りょうは兼定のきっさきを見つめながら、動揺していない自分に、逆に驚いていた。

(僕の心が、父さんと違う方を選ぶなんて、想像もしなかった……ごめんなさい、父さん)

「僕が許せなければ、斬ってください」

りょうは目を閉じた。歳三は一瞬、柄を握る手に力を込めたが、ふっと息を吐き、刀を鞘に納め、

「袖章を外して、去れ」

と言い、背中を向けた。りょうは言われたとおり、新選組の袖章を外して、

「ありがとうございました。今まで、たいへんお世話になりました」

と言って、部屋の外に出た。安富は、

「土方先生!いいんですか!?このままでは、良蔵は……!」

と言ったが、歳三は、

「命に背くやつは必要ない」

と言ったきりだった。


 すると、意を決したように、斎藤が言った。

「俺も会津に残ります。良蔵の言うことは間違いじゃない!」

これには、歳三の顔色が変わった。

はじめ、何を言う!?これは容保様の決めたことだ。新選組は城へは入れねぇんだ。おめえが良蔵に付き合う必要はねぇ!」

斎藤は、歳三の言葉の意味がわかっていた。新選組が会津を捨てるのではなく、会津が新選組の支援を拒んだのだということが。会津もなんとかして生き残りを模索している。新選組と最後まで共にいては、薩長の攻撃が止むことはないであろうという重臣たちの決定を、容保は受け入れざるをえなかったのだ。


 「俺は、今まで、新選組は一つになることが当然と思ってきました。そのために動いてきた。そのために、刀を振るったことも、何度もありました。個人の思いよりも、新選組としての考えに従うのが『誠』だと。でも、会津に来て、俺の中にある、もうひとつの気持ちが大きくなってきたんです。俺たちがまだ、京でただの浪士組だったときに、会津が引き立ててくれたのは、紛れもない事実です。俺たちが新選組を名乗れたのも、幕臣として、ここにいるのも、会津の庇護があったからです。政権が変わり、新選組のあり方も変わって当然です。洋式軍隊を整備して、新しい組織になるのは仕方のないことです。そのために会津から離れることはやむを得ないのかもしれない。でも、俺は会津から離れたくない。今、良蔵の言葉ではっきりわかりました。今、瀕死の会津を見捨てることは、俺の『誠の義』に反することだと。俺は、俺の『誠』を貫くために、会津に残ります!」

それは、今まで口数が少なく、新選組の組織を守ってきた斎藤の、最初で最後の意志表明だった。歳三は、黙って斎藤の話を聞いていた。


 「新選組が別れてもいいと?」

歳三は斎藤に聞いた。斎藤は、

「土方さんの『誠』は容保様の意を汲んで、仙台に向かい、榎本どのと共に戦うこと。俺の『誠』は会津で戦うことです。新選組の心に変わりありません……それに」

斎藤は一度言葉を切り、言った。

「俺にも、徹底的に守りたいものがあります」

その言葉に、歳三は斎藤を見た。斎藤も、歳三を見た。安富は、はらはらしながら、二人を見守っていた。


 暫くの沈黙のあと、歳三が口を開いた。

「二つの『誠の旗』か……わかった。残りたい者ははじめにつけ。後の者は、大鳥さん、悪いが、あんたに任せる。伝習隊と共に、仙台まで頼む」

大鳥は、

「了解した」

と言った。


 伝習隊は、幕府が軍隊を整えるために、フランスから軍事顧問団を招いて作った、幕府直属の西洋式軍隊である。広く一般から募集したため、農民や商人だけでなく、博徒や雲助、馬丁、火消しなどが多かった。幕府脱走軍に加わった彼らの統率を努めたのが、幕府の歩兵奉行、大鳥圭介であった。大鳥は医者の息子だったが、医学よりも兵学や工学が好きで、歩兵として訓練を受け、奉行にまで出世したのだ。無頼の徒であった伝習歩兵たちを、大鳥は幕府最強の歩兵隊に育て上げた。新選組も含め、旧幕府軍を最後まで支えたのは、武士以外の出自の者が多かったというのは、なんとも皮肉な話だ。


 斎藤に従うのは、十数名だった。安富は、仙台に向かう方についた。

「才助、すまねぇな。怪我人と病人をおめえに任せることになっちまったが……」

歳三は安富に言った。安富は、

「私の『誠の旗』は、土方先生と共にありますから」

と言い、部屋を出た。安富才助は、この時の言葉通り、歳三に最後まで付き従うのだ。


 仙台に向かう隊は、移動を始めた。斎藤と共に残る者は、それぞれの準備のため散っていった。部屋には歳三と斎藤だけが残された。

はじめ、さっきも言ったが、新選組は会津に拒まれたんだ。おめぇたちは会津軍に加わることはできねぇんだぞ。それでも戦うのか」

歳三は斎藤に聞いた。

「それは、覚悟の上です。俺たちは、城下から離れたところに移動します。それよりも土方さん、なぜ良蔵を……無理やりにでも連れていくことはできたでしょうに」

斎藤は歳三に言った。歳三は、

「何言ってやがる、今さら……あいつのからだの中に残ってる『会津の血』がそうさせるのなら、俺には止める権利はねぇよ……たとえ、本人が気づいていなくても、な」

と笑った。寂しげな笑顔だ、と斎藤は思った。歳三が、誰よりも一番手放したくないのはりょうだ、ということを斎藤は知っていた。斎藤は歳三を励ますように言った。

「待っていてください。いつか必ず、良蔵は、土方さんの元に向かいますよ」

それを聞いた歳三は、独り言のように呟いた。

「それまで俺が生きているといいがな……」


 夜明け前に、歳三は松本良順一行を連れ、米沢に向かった。


 斎藤は外に出ると、本陣の厨のところでうずくまっているりょうを見つけた。

「この寒いのに、風邪引くぞ。中に入れ」

旧暦の8月下旬は、新暦の10月にあたる。会津では、朝晩の冷え込みが厳しくなってくる頃だ。

「土方先生は……?」

りょうは恐る恐る聞いた。

「良順先生たちを連れて出立した。夜が明けると動きづらいからな」

斎藤は言った。

「そうですか……」 

(もう、二度と父さんには会えない……最後まで、娘だと呼んでもらえなかった……)

りょうは、もしかしたら、歳三が自分を怒鳴りつけてでも、強制的に仙台に向かわせるのではないか、とも想像した。だが、歳三は何も言わず、すでに米沢に行ってしまった。命令違反をした小姓は新選組から追放され、切り捨てられたのだ。わかっていたことだった。歳三は、今まで一度も、りょうを特別に扱ったことはなかったのだから。


 「後悔してるのか?自分の選んだ道を」

斎藤はりょうに聞いた。

「こ、後悔なんてしていません。会津を守りたいというのは、本当のことです!」

りょうは言った。後悔ではない。ほんの少し、寂しかったのだ……すると斎藤は、りょうの心を見透かすように、

「また追っかければいい。土方さんの『誠の旗』が翻る場所に。きっと待っていてくれるさ」

と、りょうの頭をポン、と叩いた。

「僕が新選組じゃなくても?僕は先生から切り捨てられたのに……」

りょうが呟くと、斎藤は言った。

「お前の『誠』が真実なら、土方さんは納得する。そういう人だ、あの人は」

それを聞いて、りょうの顔が明るくなった。

「はい!」

りょうの心には、もう迷いはなかった。いつか、父の後を必ず追う……そう決心したのだった。


 夜明けと共に、銃声が轟いた。新政府軍の城への攻撃が始まったのだ。

音もなく現れたのは、小幡だった。

「三郎!」

驚くりょう。しかし、小幡と斎藤は目で合図した。斎藤は、

「良蔵、城へいくぞ!」

とりょうを促した。

「えっ?新選組は城には入れないんでしょう?」

りょうが聞くと、

「お前は土方さんに袖章を取り上げられたろう?新選組じゃなきゃ、入れるさ」

と斎藤は笑い、りょうを馬に乗せて城へ走った。

「僕は兵士のひとりとして戦うと……」

りょうが言いかけると、

「お前が銃や剣で戦ったって、たかが知れている。お前はお前の武器で戦え!」

斎藤は言った。

(僕の武器……)

頭に浮かんだのは、ひとつだけだった。


 りょうは、斎藤に尋ねた。

「山口隊長は、時尾さんが好きなんですよね?」

斎藤は、その質問にドキッとしたが、何も答えなかった。りょうは言った。

「いっそのこと、会津藩士になってしまったらいいのに……!」

「お、俺はそんなことは考えたことがない……!」

斎藤はそう答えた。しかし、りょうのこの言葉は、斎藤の心に深く刻まれた。


 若松城の北、東、西側には、敵兵か回り込んでいたが、城の南側は敵が少なく、斎藤は難なく城内に通じる通用口に入ることができた。その入口に待っていたのは、時尾だった。

「山口さま、良蔵さん、こっちです!」

時尾に促され、中に入るりょう。しかし、斎藤は入らなかった。

「山口隊長、行かないんですか?」

りょうは聞いた。

「俺はお前を城内に入れるために来ただけだ。早く行って、古川先生や鈴木先生を手伝え。それがお前の役割だろう?」

(会津のために、僕のするべきことは、一人でも多くの怪我人を手当てすることだ……!)

りょうは、はい、と頷いて城内に入っていった。

斎藤はそれを見て、

「では、後免」

と言って去ろうとした。すると、時尾が呼び止めた。

「山口さま!」

斎藤は時尾を見た。

「あなたはどうなさるのですか?……これから」

時尾が聞くと、斎藤は言った。

「俺は、あなたのいる会津を守るために、最後まで戦います」

斎藤が初めて表に出した、自分の気持ちだった。

「生きてください……あなたを待っています……!」

時尾は言葉を返した。それもまた、初めて声に出した斎藤への気持ちだった。

「……必ず……!」

斎藤はそう言い残し、城から出た。このあと、斎藤たちは郭外でのゲリラ戦を展開し、やがて如来堂へと追い詰められていくことになる。

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