第22章 降伏

 数日後、城内に収容された怪我人の一人が、りょうを探している、との話を聞き、りょうはその怪我人の元に急いだ。

「僕を探していたのは、あなたですか?」

その人物は、阿賀川あががわ沿いでゲリラ戦を行っていた会津藩兵の一人だった。兵士は、りょうに文を渡した。その文にはたった一行の言葉が書かれていた。

『韋駄天、如来堂ヨリ不帰』

りょうは、その一行の手紙ですべてを理解した。

(小幡三郎が死んだ……?あの三郎が……!)

「この文を書いた方は、どうされたのですか?」

りょうが尋ねると、兵士は、

「私はその文を書いた男から、若松城内の病院方にいる、玉置良蔵という少年に届けてほしいと言われた。彼のいる隊は今、高田方面へ移動しているはずだ」

と答えた。りょうが、

「如来堂で、新選組が全滅したと聞きましたが……」

と、わざと他人事のように聞くと、その兵士は小声で言った。

「新政府軍はそう、話を広めているようだな。だが、如来堂から逃げ延びた者も、中にはいたらしい。皆バラバラになって行方不明だそうだが」

と言った。


 りょうは、その兵士に礼を言って、その場を離れた。涙を見せないためである。

もう、自然にそのように動いてしまうほど、『山崎すすむの命令』は、りょうの心と体にしみついていた。

(山崎先生……三郎が側に行きました……よくやったって、誉めてあげてくださいね……!)

りょうのそんな様子を見とがめた時尾が、声をかけた。

「良蔵さん、何かあったの?」

りょうは、涙を拭き、時尾に文を見せた。

「時尾さん、山口隊長は生きてますよ。如来堂から無事に逃げられたみたいです」

時尾は、喜びの表情になって文を見たが、

「これだけで、山口さまが生きていることがわかるの?」

りょうに聞いた。りょうは、

「僕にこの言葉を伝えられるのは、山口隊長だけなんです」

と答えた。りょうの言葉に不思議そうな顔をする時尾。

「ここにある、韋駄天、とは?」

「僕の、多摩の幼なじみで、新選組の仲間です。足が早くて、韋駄天と呼ばれていて、山口隊長の部下で……如来堂で死んだと……」

りょうは言葉に詰まった。

「良蔵さん、辛いときは、我慢しなくていいのよ……」

そう時尾に言われると、涙がこぼれ落ちた。

「もう、友を失うのは……嫌だ……!」

りょうは、回りを憚って、小さな声で叫んだ。だが、時尾には、それがりょうの心の底から絞り出された声のように思えた。時尾は、優しくりょうの肩を抱いてやった。


 京においては山崎の配下となりさまざまな探索活動を行い、会津まで近藤勇の首と刀を届け、会津如来堂で斎藤と共に戦った影の新選組隊士、韋駄天小僧こと小幡三郎は死んだ。彼の素顔は、誰も知らない。

……幼なじみの、りょう以外は……。


 9月8日、元号が『明治』となった。


 9月9日、それまで郭外で、なんとか抗戦していた大鳥圭介隊と、古谷佐久左衛門さくざえもん衝鋒しょうほう隊が会津を離れ、仙台に向かった。この時、残っていた新選組の隊士たちも従ったようだ。旧幕府軍は会津を見捨ててはいなかったのだ。


 会津藩内では、降伏に向けた動きが一部で始まっていた。すでに降伏を決めた米沢に使者を送り、米沢から降伏を勧めてもらおうとしていた。だが、藩内はまだ徹底抗戦の様相であり、佐川隊などは、大内辺りでまだ奮戦していた。生きて戻るつもりがない会津兵士の勢いは凄まじく、新政府軍を撃退することもあったようだ。


 しかし、それも時間の問題であった。城内では弾薬が底をつき、抗戦もできなくなった。薬もなくなり、りょうたちは怪我をした兵士に、なすすべがなくなってしまった。薬があれば治る怪我人が、傷の悪化で次々に亡くなっていった。砲弾で開いた穴から、すきま風が吹き込んでくる。季節は、晩秋を迎えており、風邪をひいたり、病が悪化する者も増えてきた。医師の中にも病で倒れる者も出て、城内の人々の心は、限界を迎えていた。


 米沢藩主から、容保に宛てて降伏を促す書状が届いたが、容保は、まだ、どうすべきか、悩んでいた。そんな容保の気持ちにけりをつけさせたのが、9月14日の集中砲撃であった。その二日前にも1200発の砲撃があり、天守閣の壁が崩落し、容保かたもりてる姫は、下の階に降りて避難しなければならなくなった。この時の砲撃で、りょうに斎藤の文を届けてくれた兵士が死んだ。二日間の集中攻撃で、城内での死者がさらに増え、食料の補給のために出撃した部隊も全滅したとの報告も入った。そして、錦旗を奉じた皇族の軍が米沢より進軍してきたことを知り、容保の降伏の意志は固まった。


 9月15日には、仙台藩が降伏している。仙台にいた榎本や歳三は、仙台藩と連日協議を行ったが、仙台藩の降伏は覆らなかった。歳三たちは、大鳥隊に従ってついてきた新選組隊士を待ち、17日には、蝦夷に行く意志を隊士たちに示し、折浜に向かった。


 この歳三たちの動きを、密かに仙台に送った部下から聞いていた者がいた。薩摩の中村半次郎であった。中村半次郎は、仙台が会津の援軍に回らぬようにする必要があった。榎本軍を巨大にしてはならなかった。彼らの協議が決裂したのを確認すると、安心して会津の処理に取りかかった。


 渉外役の手代木直右衛門てじろぎなおえもんと軍事副奉行の秋月悌次郎あきづきていじろうにより、米沢の土佐本陣に降伏の意志が伝えられ、やっと、城への発砲は止んだ。会津田島では、佐川隊が戦闘中だった。斎藤もその中にいたかもしれない。佐川隊が戦いをやめたのは、容保からの命令が届いてからだったという。9月21日、松平容保は城内の藩士を集め、降伏の意志を伝えた。

「もうこれ以上、余のために人が亡くなるのは忍びがたい」

と、決意を述べた。藩士は皆、悔し涙を流した。女たちは、涙を流しながらも、降伏の白旗を作った。


 そしてその夜、最後に容保はりょうを呼んだ。

「良蔵、土方を追うのだ。もう、そちが会津にいることはない」

だが、りょうは、首を振った。

「いいえ、居させてください。このひと月、お城の中で皆さんと一緒に戦いました。最後まで、会津の民の一人として大殿様や喜徳のぶのり様のために働かせてください。父も、母も、きっと許してくれましょう」

「良蔵……」

容保は、りょうの顔を見た。会うことのなかった義姉あね、梅乃にそっくりだという顔を。そして思った。りょうの中には、確かに会津の血が流れているのだ、と。

(だが、そちを会津に殉じさせてはならぬな。土方のために……)

「良蔵、余は、明日より捕らわれの身になる。そうなったら、もうそちとは会えぬであろう。そちは、血は繋がらぬとも、余の姪にあたる者。何か願いがあれば申してみよ」

りょうは、顔をあげ、容保を見た。

「……私のことではありませんが、ひとつだけ……殿さまにしかできないことなのです」

りょうの願いを容保は快く引き受けた。そして、書状をしたため側近に渡した。


 翌朝、追手門に白旗が掲げられた。

降伏式に望む容保と喜徳を、城内にいた者たちが見送った。降伏式における新政府側の代表は、薩摩の中村半次郎だった。降伏式のあと、藩主親子と照姫は、妙国寺みょうこくじに移った。


 城内に残った者のうち、男は名を控えられた。女と、15才以下の者はその場で解放されたという。りょうは明治元年(慶応4年)は数えで16になっていたので、正直に名を言い、記録された。鈴木医師が、

「君はおなごではないか。正直に言えば、解放されるであろうに、なぜ?」

と聞くと、りょうは、

「命が惜しくなって女に戻ったと思われたくありません。僕は武士です」

と答えた。鈴木医師は、りょうの利かん気な気性に苦笑いした。そして、赤い布地をりょうに渡した。

「これは……?」

りょうが聞くと、鈴木医師は言った。

「大殿と若殿が降伏式に臨まれた場所に敷いた緋毛氈ひもうせんだよ。皆で式のあと城に戻されたものを刻んでそれぞれ持っていることにした。君にも渡しておこう。会津武士としてこの日を忘れないために」

「はい」

りょうは、その布地を受け取り、観音像と共に懐に入れた。すでに覚悟はできていた……はずだった。


 城内の男たちは猪苗代に送られることになったが、移送当日、りょうは追い返された。理由は、年齢が15であり、謹慎するに及ばず、ということだった。

「どうしてですか?僕は16です!」

というと、係の者が、

「知らん。薩摩の軍監殿からの通達だ。お前も年齢を偽り手間をかけさせるんじゃない」

と言って、城内の謹慎所からりょうを放り出した。門のところにいたのは、中村半次郎だった。ニヤリと笑う中村を見て、りょうはこの通達を出したのが中村だと判断した。

「お前の仕業か!?僕は歳をごまかしたりしていない!」

りょうは中村に食ってかかった。

「助けてやったどん、なんちゅう言い草や。わいは会津者じゃなか。新選組じゃとわかればまず斬首や。もう戦は終わったんじゃで、故郷に帰れ。おなごは戦う必要はなか」

中村が言った。りょうは、

「僕が女だとなぜ知っている!?」

と聞いた。中村は、

「そげんもん、わいを見ちょりゃわかっ。そいにこんこっは松平容保からん依頼でもある。おとなしゅういうことを聞け」

と言った。

「大殿様からの?」

りょうはその言葉に驚き、中村を見つめた。

 

 松平容保は、降伏式の少し前、降伏式全権の中村に、医師たちの中にたまたま会津に足を踏み入れただけの薬売りがいるので、その者を解き放ってほしい、と願い出た。それを聞いた中村は、たとえひとときでも会津を助けた者は謹慎させる、と答えたが、容保からその者の名を聞き、城内の男の名と数を確認していたが、そこにりょうの名を見つけ、年齢を一つ下げて書き替えたのだ。女として解き放つことは無理だろうと考えた末の措置だった。


 中村は、りょうの目の前に刀を差し出した。それは降伏の際、武器を接収されたときにりょうが提出した刀だった。かつて父、歳三から贈られた刀である。その刀を見て中村が言った。

「良か刀や。わいん身ん丈に合わせて丁寧に磨り上げられちょっ。わいを大切に思うちょっ者が作らせたもんじゃ。大事にせぇ」

自分の決心をあっさり否定され、敵に情けをかけられたことが悔しくてしょうがないりょうが、黙って刀を受け取ろうとすると、中村は、

「おいは、藩主ん気持ちを代わりに伝えちょっど。ないかゆことはなかとな?こん礼儀知らずが!」

と声を荒げた。りょうはビクッとして、

「……ありがとう……ございました。大殿様にも、そのようにお伝えください……」

と答えた。あやうく、容保の気持ちに対しても、不義理をするところだった。中村はそれを諭したのだ。中村は正しい。りょうは自分の非を認めざるをえない。それがまた、悔しかった。

「そいで良か。大人んゆことには従うもんじゃ。はよ会津から出て故郷へ帰れ。わいん解き放しは、そいが条件や」

と言うとりょうを見た。りょうの顔色が悪いのに気づいたからである。りょうは、コン、コン、と咳をしていた。長く病人の看護に当たっていたため、いくら若いといっても疲労から体調を崩しても不思議ではない。

「わい、大丈夫か?」

と中村が身をかがめて、りょうの顔を覗き込んだ。りょうは中村をキッとにらんで言った。

「大丈夫だ。薩摩の情けは受けない!僕は、お前たちのしたことを決して許さないからな!」

中村はふふん、と鼻で笑った。

「ほんのこて気が強かおなごじゃな。おなごはおとなしか方が好かるっど」

「女、女と言うな!僕は武士だ!」

りょうは、自分は中村にばかにされているのだ、と諦めた。いくら食ってかかっても、本気で相手にされていないのだ、と悔しかった。りょうは、中村に背を向けると、歩き始めた。その姿を見送る、中村の心配そうな顔には気づかないまま……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る