第12章 母の秘密
御前試合の何日か前のことであった。突然、日新館に松平
「大殿さま!」
とすぐ気づいたのは、時尾だった。時尾は、容保の
「よいよい、時尾。余はしのびじゃ。騒ぐでない」
容保は小声で言ったが、時尾の声に、奥から良順が出てきた。
「これは、容保さま。よくおいでくだされましたな。皆、喜ぶことでしょう」
「良順先生の治療は丁寧で、治りが早いと評判です。上さまの御典医までなされた方に我が会津の兵を診ていただけて、容保、礼を申しますぞ」
すると、良順は笑った。
「医者のすることは、患者を治療すること。将軍も、兵卒も変わらんですわ。優秀な医師も呼んでいただけて、この広い日新館を病院として使用させていただけて、ありがたいことです」
それを聞いて、容保は微笑んだ。
容保がいるのに気づいた負傷兵がかしこまり、平伏すると、容保は言った。
「皆、そのままで。起きずともよい。会津のために、よう働いてくれた。容保、かたじけなく思うぞ」
「大殿、そのような!もったいない仰せにございます……!」
包帯を巻いた武士が答えた。みな頷く。中には涙を流す者もいる。一国の大名が末端の兵士に声をかけるなんてことは、泰平の世ではなかったことだろう。
容保は、ふと、手際よく包帯の交換をしている、りょうに気づいた。
「良順先生、あの少年は?」
良順は、容保の示す方を見て、
「ああ、」
と頷きながら、
「あれは、玉置良蔵、と申しましてな、新選組の土方の小姓をしておる者です」
と言った。
「土方の……?そうか。まだ若かろうに、ずいぶん、手際が良いの」
その手元の動きを見ながら、容保は言った。
「養父は多摩で医者をしておるそうですし、新選組の怪我人や病人の世話もしておりましたから、慣れているのでしょう。私の弟子なんかより、よく働きます。あの沖田総司の最期を看取り、会津に土方を追って来たのですよ」
「沖田総司……あの剣の使い手か?病が重いと聞いてはいたが……そうか、あの者が……」
容保は、りょうをじっと見た。りょうはその視線に気がついて、慌てて頭をさげた。
「ずいぶん小柄な……線の細いおのこじゃの」
と容保が言うと、良順は笑いながら、
「男名を名乗っておりますが、あの者はおなごです。最も、私も初めてあった頃は気付きませんでしたが。新選組の中でも、一部しか知らないようです」
と言った。
「なんと、おなごの身で新選組に?まるで
と容保は言った。山本八重のことである。
「剣の腕もなかなかで……沖田の愛弟子だそうです。今は、その八重さんから、スペンサー銃を習っとるとか……おなごも変わりましたな」
良順は笑った。そのあと、小さな声で容保に言った。
「本人は決してそのようなそぶりは見せませんが、あれは、土方の娘です。
それを聞いた容保は、一瞬、驚いた様子を見せた。そして、たくさんの
「土方の娘とな……そうか。良順先生、あの者を呼んでくれないか?顔が見たい」
と言った。良順は、
「一応、今の話は、ご内密にお願いいたします」
と容保に目配せすると、りょうを呼んだ。
りょうはやって来て、
「容保さま、玉置良蔵と申します。御目にかかれて
りょうはかしこまった。
「よく働いてくれているそうだな。良順先生が誉めている」
と容保が言うと、
「ありがとうございます」
とりょうはうつむいたまま答えた。
「良蔵、
そう言われて、顔を上げたりょうを、容保は見つめた。そういえば、土方に少し似ているか……と思った容保は、りょうに尋ねた。
「良い
聞かれて、りょうは答えた。
「幼い頃に母が
容保は、そう言って顔をしかめたりょうを見ながら、
「そう言ってしまっては、親父どのが、ちと可哀想だの……」
と笑った。
少し間をおいて、容保は、
「ありがとう、良蔵。そちに会えて良かった」
と言った。りょうが何のことかわからずにいると、良順が、
「良蔵、もう仕事に戻って良いぞ」
と言ったので、りょうは容保に一礼して下がろうとした。すると、また容保が言った。
「良蔵、父に孝養を尽くすのだぞ」
りょうは、明るい顔で、
「はい!」
と答えた。容保は、満足そうに戻っていった。
りょうは、良順に尋ねた。
「良順先生、容保さまはなんで僕の顔をまじまじと見ていったんでしょうか?僕の顔、変ですか?」
良順は、
「さぁ、分からんの。白虎隊に果たし合いを申し込まれるようなお騒がせ者を、見にきたのではないか?」
とりょうをからかった。
「僕、御前試合で、殿様に罰を受けるんですか?まさか、切腹にはならないですよね?」
と本気で心配するりょうをなだめながら、良順は治療を続けた。
容保は思っていた。
(梅乃どのと、土方の娘……
8月始めのある日、りょうと時尾は、
「可愛い!」
りょうはすぐにこの子たちが好きになった。ふたりは、たえの下の妹達で、四女・
「ごめんなさいね。こんなときに休んでしまって……」
たえが申し訳なさそうに出てきた。
「とんでもない。風邪はこじらせると厄介だから、ちゃんと養生しなくちゃ。良蔵さんが元気になったから、病院は大丈夫よ」
と時尾が言った。りょうは、拳を握ってみせて、『元気だよ』と身振りで示した。たえは笑った。
西郷家の庭は広い。そこで、次女の
「たえさんは、たくさん
りょうが言った。
「でも、お友達がたくさんいらっしゃるじゃない。とても仲良さそうで、うらやましいわ」
たえが言った。小姓たちのことだ。
「うん、そうだね。彼らとは、兄弟みたいなものかな……」
りょうは4人を思い浮かべて笑った。
「おにいちゃん、石蹴りして遊びましょ」
たづが、りょうに声をかけた。ようし、とりょうは子供たちの相手をした。
「あらあら、あんなに楽しそうな良蔵さん、初めて見たわ。子供が好きなのね。最も、私から見ればみんな子供だけど……」
時尾がそう言って笑った。やがて、戻ってきたりょうが、時尾に聞いた。
「時尾さん、僕、お尋ねしたいことがあったのを思い出しました。この前、『こづゆ』は会津の伝統料理だっておっしゃったでしょう?これも、会津の工芸品ではないですか?」
そう言ってりょうが懐から出したのは、あの、母の形見の観音像であった。時尾は、それを見て、
「こういった物は特に会津伝統というわけでは……あら?ちょっと見せて!」
時尾はりょうから観音像を受け取り、上下左右と、よく見た。
「これ、照姫様のお持ちになっている物と、よく似ているわ……合わせになっているところとか……」
時尾が姫様と言ったので、今度はりょうが驚いた。
「これは僕の母さんの遺品に入っていたものです。お姫様のお持ち物と似ているだなんて、あるわけないですよ……」
りょうは言ったが、時尾は照姫のそばで、何度か姫の観音像を見たことがあった。それは、前藩主の
そこに、この家の当主で、国家老の西郷
「ご家老様、お邪魔いたしております」
時尾が挨拶した。りょうも頭を下げた。
「これは、高木時尾どの。娘の見舞い、ありがたく存ずる……その者は?」
頼母がりょうを見て尋ねた。たえが、
「日新館で、わたくしと一緒に会津の方々を看てくださっている、玉置良蔵さんです。土方さまのお小姓をしてらっしゃいます」
と答えた。
「では、新選組か……?」
頼母は眉をひそめ、りょうを見た。頼母をはじめとする、国元の上層部には、容保が新選組に信頼を寄せることを面白く思っていない者が、まだ少なからずいたのだ。その時、頼母は時尾の手にある観音像に気づいた。
「どうしたのだ?それは、照姫様の観音様ではないか?外へ持ち出したりして……」
頼母が聞くと、りょうが言った。
「あ、いえ、それは、お姫様のではありません。僕の母の形見です。似ているらしいですが、違います」
すると、頼母の顔色が変わった。
「そのほうの……母とな?名はなんという?」
りょうは面食らって、
「玉置……良蔵……」
と言うと、
「そのほうではない。母の名を申せ!」
と威圧的だった。りょうもムッとして、
「母さんの名前は、うめ、です!江戸の生まれですから、ご家老様とは関係ないと思います!」
と答えた。頼母は、
「うめ?『梅乃』ではないのか?そのほうの母は、町人か?」
とさらに聞いてきた。りょうはこのように扱われるのは我慢できない性格だ。
「どうしてそんなことを聞くんですか?僕が新選組だからですか?僕の母は、呉服問屋の下働きをしていました。それが何か!?」
りょうが大きな声を出し、たえもまた、
「おとうさま!良蔵さんに失礼です!」
と反論した。たえの妹たちは、りょうの声に驚いて、遊びをやめてしまった。
りょうが憤っているのがわかったのか、頼母が言った。
「ああ、いきなり失礼した。その観音像は、会津独特のものなのでな、知り合いかと思ったのだ……私の思い違いだろう」
この答えに、時尾が聞き咎めた。
(会津独特のだなんて……初めて聞いたわ……)
その時、りょうは、ふと、どこかで同じ名を聞いたような気がしていた。
(うめの……どこかでその名前を聞いた……どこだったろう?)
大人たちの気まずい空気を察したのか、すえがぐずりだした。千恵がやって来て、すえを抱き、
「あなた……せっかくたえのお友達がいらしてますのに……」
と言うと、頼母は、
「千恵、大殿にお会いする。支度をしてくれ」
と言った。千恵は一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに
「はい。ただいま」
と言って奥に入った。冷静な武家の妻の姿がそこにあった。頼母は、りょうをもう一度見て、そして奥に入っていった。たえが、
「ごめんなさい、良蔵さん。父はいつも、ああなの。自分の考えばかり押し付けて……キライよ……」
と言った。
「いや、僕こそ、つい、いつもの調子で反論してしまってごめんなさい。妹ぎみたちを驚かせてしまって……」
りょうも謝った。すると、たきが、
「お姉さまも時々、おとうさまと喧嘩をするの。お姉さまは強いのよ」
と言ったので、りょうは、
「うん。それは僕も知ってる。姉ぎみは、相当お強い」
と答えた。たきは嬉しそうだ。
「もう!良蔵さん!」
たえがふくれた。たきは、
「お姉さまは、わたしの先生なの。わたしはお姉さまが大好き!」
と言ったので、たえは照れ臭かった。
「いつもわたしのそばで、わたしの真似ばかりするのよ」
恥ずかしそうに言うたえが、りょうには羨ましく見えた。たえの3人の妹たちは、また遊びはじめた。それを見つめるたえ。幸せな姉妹の姿だった。
日新館に戻ったりょうは、観音像を出して見つめた。
(これは会津独特の観音像なのか……?母さんは、会津の人なのか……?母さんが『堀川国広』を持っていたのは、昔は武家だったからで、お
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