第11章 少年たち

 りょうは一日だけ日新館を休み、ゆっくり眠った。翌日にはすっかり体調は回復し、りょうはまた日新館で医師たちを手伝う日々に戻っていた。


 天寧寺はにぎやかだった。数日前に白虎隊のフランス式軍事訓練が終了した。その時、銃の訓練を手伝っていた長島五郎作に挨拶のため、白虎士中二番隊が、天寧寺に集まっていたのだ。御前試合のときは儀三郎やりょうのゴタゴタで落ち着かなかった少年たちだが、このところすっかり仲良くなっていた。

「儀三郎は、あれからたえさんに頭が上がらないんだ」

駒四郎が儀三郎をからかう。

「うるさいな。俺はたえさんに看護の礼を言っていただけだ!」

と反論すると、りょうが、

「ああ、それ。たえさんは、もっと儀三郎と話したかったのに、さっさと帰ったと言って怒ってたよ」

と言った。りょうが天寧寺に戻る前、たえが、

「良蔵さん、聞いて!」

と、りょうに不満をぶちまけていたのであった。真面目な儀三郎は、本当に礼しか言わなかったようだ。儀三郎が赤くなったので、皆、わっと笑った。


 そこに歳三と斎藤が入ってきたので、一瞬静かになった。

「君は、御前試合の時、福良の入口を守備していた……」

歳三は、少年に向かって話しかけた。少年はかしこまって、

「安達藤三郎とうざぶろうです!その節は、たいへん失礼をいたしました!」

と言った。すると、歳三は、

「いや、あれで良いのだ。大人だから、役付きだからと遠慮しては、守りにならないからな。末頼もしい」

歳三に誉められ、藤三郎は感極まってしまったようだ。

「あれ、藤三郎さん、泣いてるの?」

銀之助が言うと、藤三郎は

「泣いてない、汗だ!」

と言ったので、また少年たちは笑った。すると、

「さあ、皆さん、ご馳走ができましたよ」

と、料理を運んで来たのは、時尾だった。これには斎藤が驚いた。

「と、時尾どの!よろしいのですか?こんなところまでいらっしゃったりして……!」

焦る斎藤に、勘の良い歳三はすぐに気づいて、彼をからかった。

「こんなところたぁ、坊さんたちに失礼だよなぁ。時尾どのは、おめぇにうまいもんを食わせたくていらしてくださったんだぜ、はじめ

すると、時尾が顔を赤らめて言った。

「良蔵さんが土方さまに勝って、澤さんがご馳走を作られると聞いたので、お手伝いに来たのです。もう、いやですわ、土方さまったら……」

歳三にからかわれて、斎藤は小声で反撃した。

「土方さん、あんまり他人をからかうと、江戸の医学所で総司に焼きもち焼いた話、島田たちにばらしますからね!」

すると、歳三はあわてて、

「な、なんだ、おめぇ、あのハゲから何を聞いた?俺は焼きもちなんか……」

と言うと、食べ物の話には耳ざとい馬之丞うまのすけが、

「え?この上に、焼き餅まで食べられるの?嬉しいな~!」

と言ったので、思わず二人は吹き出した。

「いや、全く、馬之丞には叶わねぇ。大した食い意地だぜ!」


 その時、銀之助が叫んだ。

「この煮物、美味しいね!」

りょうが続けて言った。

「これ、食べたことあります!母さんが作ってくれた味!これ、何ですか?澤さん!」

呼ばれた澤が、部屋に顔を出して言った。

「これは、時尾さまがこしらえてくださったんですよ。会津伝統のお料理だそうです」

「『こづゆ』っていうんですよ。会津のお祝いで出す料理で、母から娘に伝えられるんです。この味を知ってるなんて、良蔵さんのお母様は、会津の方なの?」

時尾が聞いた。

「いえ、亡くなった母からは何も。江戸の生まれだと言ってましたが……」

りょうはそう言って歳三を見た。歳三は黙って『こづゆ』を食べている。歳三は食べたことがないのか……とりょうは思った。しかし、歳三は思い出していた。初めて、この料理を食べた日のことを……


『うめえな。この煮物、なんてんだ?』

『『こづゆ』っていうの。お祝いの時に食べるのよ』

『ふぅん。どこの食いもんだ?江戸じゃねえな……』

『母から教わったの。奥州らしいわ。詳しくは教えてくれなかったけど』

『奥州か……で、何の祝いだ?』

『ふふっ。当ててみて』

『なんだ?富くじでも当たったのか?』

『もう……違うわよ』

『じれってぇな、教えろよ、おうめ……』

『あなたのお父ちゃまは、意外と鈍感なようよ……』

お腹をさするうめに、やっと意味を理解したのだった。

『おめぇ、子供が……?』

『そうよ、あなたはお父さんよ、歳さん……』


(そんなこともあったな……あん時、母親の腹ん中にいた赤ん坊が……)

歳三は、周りにわからないように、ちら、とりょうを見た。りょうは懐かしそうに『こづゆ』を食べている。


 「五郎作さんは、『江川塾』で砲術を学ばれたとか……すごいですね!」

伊東悌次郎ていじろうが興味を示した。

「はい。慶応3年の夏に免許をいただきました。それで新選組に入隊したんです」

五郎作が言った。五郎作は、江川塾で藤堂平助に出会い、その明るい人柄に引かれたという。藤堂の勧めに応じて新選組の門を叩いたときは、時すでに遅く、藤堂は伊東甲子太郎と共に御陵衛士に分離してしまっていた。歳三は、最初、近藤の小姓としてついていた五郎作が砲術に詳しいと知り、自身の側に置くようになったのだ。歳三が、西洋式の新しい新選組を作るためには、五郎作のような有能な若い力が必要だった。

「脱藩せずにいたら、もしかしたら俺は敵方だったかもしれないな……」

五郎作が呟くと、鉄之助が言った。

「良かった。五郎さんが敵じゃなくて……」

その言葉が、あまりに真剣に聞こえたので、また少年たちは笑った。


 「江川塾では、銃の扱いだけでなく、戦場における医療についても学ぶんだ」

りょうはその話に聞き入った。

「医者が戦場に行くことができるのですか?」

りょうが五郎作に聞くと、

「アメリカや、イギリスでは、とっくに『軍医』というものがいるそうだ。戦場に病院も作るらしいぞ」

と五郎作は答えた。りょうは驚いた。以前、良順に話していた想像の話は、外国では当たり前のことだったのだ。日新館のような野戦病院が、外国の戦場では普通に作られていると聞いて、りょうは、外国の医学は、日本より大きく進んでいるのだと痛感した。

「例えば、すぐに医者の手当てが必要な者、手当てが必要だが応急処置だけで時間が稼げるもの、自分で手当てのできる軽傷者、とか、怪我の重さに応じて、医者が患者に序列をつけるんだ。それは、殿様でも歩兵でも変わらない」

五郎作が言うと、白虎隊の少年たちが驚いた。

「殿様を後回しにするのか!?」

「軽傷なら、重傷者よりも後だ」

「会津では、考えられないな……何事も、身分の高いものからだ」

源吉が言った。

すると、鉄之助が聞いた。

「死にそうな者はどうする?」

「手の施しようのない者は、死んだ者と同様になる」

五郎作が言うと、りょうが聞いた。

「生きているのに!?もしかしたら、生きられるかも知れないのに?……僕にそんなことできないよ……!」

すると、五郎作は言った。

「良蔵は、多摩のお義父上ちちうえの跡を嗣いで、医者になるのか?もしかしたら、この先、そんな場に出るかもしれないな。心しておいていいかも……」

りょうは、ごくっと唾を飲み込んだ。怪我人を分けるなんて、できるんだろうか……?


 りょうの将来の話から、少年たちは自分の将来についても話しはじめた。儀三郎が言った。

「俺の父上はお供番ともばんだ。兄上は朱雀すざく隊にいるが、父上と同じようにお供番になる。俺も同じだ。この腕で、お殿様をお守りすることを、誇りとする」

その顔は誇らしげだった。源吉は、

「うちは、もう兄上が次の藩医を継ぐ。俺は医術より剣術の方が好きだ。儀三郎のようにお供番になれればいいが、なれなければ、どこかの医者に養子に出されるだろうな……」

と、なんとなく頼りない。

「厳しいな、お武家の子は……自分の自由にならなくて」

鉄之助が言った。りょうは、

「鉄だって元はお武家の子だろう?」

と言うと、鉄之助は、

「俺が小さい時に、父は大垣藩を出たからな……よくわからないよ。俺は、俺の力で武士になるんだ」

と、自分に言い聞かせるように言った。

「鉄、カッコいいぞ!」

銀之助が囃した。再び笑い声が起こった。そんな少年たちを、歳三や斎藤は微笑ましく見ていた。

(笑えるだけ笑っておけ……今はつかの間の休息だ。おめぇたちが子供らしく笑っていられるのは、もうそんなに長くねえ……)


 その休息は、時尾の声によって破られた。

「土方さま、お城からのお呼び出しでございます。今、殿様のお使いの方が……」

歳三は時尾が持ってきた書状を読み、小姓たちを見た。

「若松城へ行く。五郎、供をせよ。鉄、支度を頼む」

五郎作と鉄之助は、

「はいっ!」

と返事をして立ち上がった。斎藤も、

「銀之助、馬之丞、頼むぞ」

と二人を呼んだ。斎藤や安富などの幹部の支度を手伝うのは、銀之助たちの役割だった。こういうとき、りょうは一抹の寂しさを感じる。そんなりょうの顔を見て、儀三郎が言った。

「良蔵、お前の仕事場は日新館だろう?お前はお前の役割を全うすればいいじゃないか。俺たちも戻る。一緒に行こう」

白虎隊の少年たちが頷いた。白虎隊の少年たちにとって、りょうはもう、よそ者の新選組ではなかった。りょうはその時思った。

(会津に、いつまでも居られたらいいのに……僕は、会津が好きだ!)


 その日から歳三は、屯所に帰って来なくなった。


7月中旬以降、同盟軍は敗退が続く。7月始めの久保田藩を皮切りに、弘前藩や三春藩が同盟を脱退した。脱退した藩は新政府に恭順し、新政府軍の数ばかりが増えていく。北越方面も、新潟港を新政府軍に押さえられ、一度取り返した長岡城を再度新政府軍に奪われた。7月末のことだった。


 このころ、仙台藩から洋式訓練の要請を受けた歳三は、仙台で軍を立て直そうと考え、7月下旬には第一大隊と新選組の仙台行きを決断したが、7月の末に二本松城が落ちてしまった。

 二本松に進軍していた歳三の隊は、二本松を通れなくなり、やむを得ず、米沢を経由する方法で、第一大隊を仙台に先発させた。土方隊は半分になってしまったのだ。


 長岡と二本松、会津の盾となっていたこの城が落ちたことにより、新政府軍の照準は、ついに会津に定まった。歳三は、残りの新選組を仙台に向かわせるべく、天寧寺を立つ準備をしろと、五郎作を通して小姓たちに伝えるつもりだった。しかし戦況の悪化で連絡がうまくいかないまま、猪苗代に行かねばならなくなった。


 特に、日新館は二本松からの負傷者が多く、忙しかった。8月になるとりょうは天寧寺に戻れず、新選組との連絡が途絶えてしまっていた。


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