第13章 会津の生き残る道

 りょうと時尾がたえの見舞いに訪れたその夕刻、西郷頼母たのもは、若松城で容保かたもりに謁見していた。

「頼母、急な要件とは何じゃ?」

容保が聞いた。容保にとって、この国家老は苦手な相手である。まだ12の年、高須たかす藩から、当時の第八代藩主、容敬かたたかの養子として会津に来たとき、容保の教育係を務めたのが頼母だった。以来、他の者が言いにくいと思うようなことでも、頼母は物怖じせず進言してきた。古株の藩士にとっては頼れる存在であるが、若い家老たちの中には、頼母をうっとうしいと思う者も多い。その頼母が、あらためて謁見を申し出たことに、容保は身構えた。

「大殿、いつぞや、日新館に、兵士の慰問にいらっしゃったことがございましたな?」

頼母が聞くと、容保は頷いた。

「うむ。突然思い立って、皆を労うてきたのだ。頼母には、あとから伝えることになってしまったが……それがどうしたのだ?」

「大殿は、そこで、松本良順を手伝っている、玉置良蔵という、新選組、土方歳三の小姓にお会いなされたはずです」

頼母は、いきなり本題に切り込んだ。


 容保は黙っている。いや、頼母の出した名前に、動揺していたのだ。

(なぜ、良蔵のことを……そうか、頼母の長女が、日新館を手伝っていると時尾が申していた……だが、梅乃どののことは、良蔵本人も知らないはずではないか……)

容保が何も言わないので、頼母は口火を切った。

「大殿……今こそ、会津の生き残りを図るべきかと存じます。正統なお世継ぎを立て、新政府に恭順を示し、徳川慶喜よしのぶ公との関係を絶つのです!」

頼母の言葉に、容保は顔色を変えた。

「頼母!そちは、何を言うておるのだ!?余はすでに、喜徳のぶのりに藩主を譲っておる!正統な世継ぎとは誰のことじゃ!?」

容保は声を荒げた。頼母は構わず続けた。

「大殿はご存知でしたな。先々代、容敬様には、とし姫様の他に、奥女中との間に、姫がおられたことを……その姫が長じた時の証拠にと、お刀と、書付けを入れた観音像を奥女中の嫁ぎ先にお渡しなさったことも……それは、後々の会津藩のお世継ぎのためだったのです。敏姫様亡き今、容敬様のお血筋は、その姫しかおりませぬ」

容保は、

「頼母、その姫はもう亡くなっていると、調べがついておる。奥女中の嫁いだ家は、主家の騒動に巻き込まれて断絶した。市井の人となった後に、奥女中も、姫も亡くなったと」

と言った。しかし頼母は引かない。

「その姫の忘れ形見が、今、会津に居るのです。それも、このご城下に……大殿は、まだご存じない振りをなさるのですか?」

容保は黙ったままだ。

(頼母は知ったのだ。良蔵のことを……しかし、土方の子供だということや、良蔵が女だということまでは知らないようだ)

頼母はついに言った。

「玉置良蔵。この者こそ、容敬様の血を引く孫ぎみ。この者に会津松平家をお継がせになり、降伏と、家名存続の願いを新政府にお出しになるべきと存じます!徳川との縁を切り、喜徳様は、水戸にお返しなされませ!」

「頼母!控えよ!!」

容保は怒鳴った。その時、襖がさっと開いて、容保の警護の侍が刀に手をかけたまま、頼母を囲んだ。容保は警護の侍たちに、待て、と目で合図をした。彼らは、かしこまって下がり、襖が閉められた。


 容保は、ふうっと息を吐くと、

「喜徳は昨年、徳川慶喜様よりわが藩に養子としてお薦めがあり、ありがたくお受けした。以来、藩主としての務めを立派に果たしておる。何の落ち度もない者を、お返しすることなど出来ようか!」

と言った。すると、頼母は、

「もともと、我らは十八男の昭武あきたけ様をご養子として望んでおりましたのに、あちら様は十九男の喜徳様をよこされたのです。欧州への使節というのは、あくまでも建て前、我らは水戸様に軽んじられたのです。今さら慶喜様に忠義だてされることはございませぬ。大勢は決しております。お家の存続のみ、会津の安定のみを願われるべきと存じまする!」

と反論した。その言葉に、容保は頼母をにらんだ。

「余によくもそのように申せたものだな。大勢が決する原因を作ったのは誰か!?」

頼母は白河の戦のことを言われると、何も言えない。戦場で切腹しようとした頼母を止めたのは、容保の命令だった。

「このしわ腹、切れとおっしゃるのであれば、いつでも切る覚悟はできております!しかし、このまま新政府に抗っているのは、得策ではござりませぬ。民が疲弊するばかりにございます!どうか会津の生き残る道を、お考え下さりませ」

頼母は真剣だった。


 西郷家は、元は会津松平家の祖、保科ほしな家に繋がる家柄である。徳川への忠誠心にかけては誰に引けを取るわけではない。頼母は、容保が京都守護職を拝命した折りに、最後まで反対して、容保に、一時、家老職を解かれたのである。しかし、今となっては、自分の方が正しかったと思っていた。守護職を受けなければ、薩長にこれほど憎まれることはなかったのだ。今となってはただ、会津藩を守りたい一心だった。


 容保にしてみれば、頼母は高須藩から来た、何も知らない少年を藩主として育てあげた、親代わりのような存在であった。徳川への絶対的な忠誠心を説いたのも、頼母であった。守護職就任に反対されたときも、他の藩士たちから暗殺されかねない頼母を守るために、家老職を解き、国元に帰したのだ。白河口総督を任せたのも、厄介者扱いになっていた頼母の信頼を取り戻させようとしたからであった。しかし、その期待は裏切られ、頼母は白河の戦で惨敗、新政府軍に奥州攻めの拠点を与えてしまう結果となった。容保が頼母の切腹を止めたのは、頼母に多くの藩士を死なせた責任を取らせるためであった。それなのに、頼母は自分たちを守るどころか、降伏せよ、と進言してきた。


 容保は心を痛めた。

(頼母には、余の心はわからぬのか……)

「新政府軍は、会津を逆賊として扱うと言った。余は、先の帝より、もったいなくも、ご宸翰しんかんを拝領いたしておる。逆賊などとは考え違いも甚だしい!我らは逆賊の汚名をはらすために戦おうておるのだ。降伏などする道理はない」

容保は答えた。

「大殿」

何か言おうとした頼母を遮り、容保は続けた。

「敏(姫)はもともと体が弱く、我らは子をもうけることはできなかった。側室にも子はできず、そんな余に慶喜公がお薦めくださったのがご実弟の余九麿よくまろぎみ、今の喜徳じゃ。余にとっては大切な息子であることに変わりない。このような時勢となって、本心は水戸に帰りたいのかも知れぬが、それを表に出さぬように努めている。余は、喜徳を取り替えるつもりはない。二度と世継ぎを替えるなどという話はするでない。それに、良蔵自身が会津の世継ぎになることなど望むまい。あれの父親が離すまいて……」

容保は、歳三の顔を思い浮かべて微笑んだ。

「良蔵の父は、多摩の医者だと聞き及んでおりますが、違うのですか?」

頼母は聞いたが、容保は、

「うん、いや、そのようであったな」

と言葉を濁し、

「頼母よ。あの、官軍を騙る薩長どもは、日本国を我が物にしたいのじゃ。どうしても会津や奥州を潰したいのじゃ。徳川が大政を奉還したときに唱えたものは、公議政体論であった。何事も天子さまのご決断を仰ぎ、諸侯と心を合わせて協力し、諸侯と共に我が国を安んじ守るという考えであったのだ。そのために、徳川は諸侯の一つとして、国家につくすことを望んだのだ。しかしそれでは日本国を独裁することができぬとふんだ薩長は、我らを潰しにかかっておる。我らがどのように出ても、徳川や会津を残すつもりはないのだ」

と、頼母を見つめて諭すように言った。


 容保の考えが変わらぬことを感じた頼母は、その場を辞した。しかし、頼母はあきらめたわけではなかった。頼母の願いは、ただ会津松平家の存続にあった。そのために何かを犠牲にしても仕方ないと思っていたのだ。


 容保とて、会津松平家が断絶するのを望むわけはない。良蔵の利発さや、度胸の良さを頼もしく思っていたのは事実だった。しかし、そのために今の親子の縁を切ることはできないと思っていた。何かを犠牲にした上での家名存続などは考えられなかった。


 二人の考えは、相入れないものであったのだ。


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