第10章 父娘(おやこ)の四半時

 りょうが持ち帰ったたくさんの菓子は、小姓たちを喜ばせた。馬之丞などは、

「明日も掃除、代わってやろうか」

と言ったほどだ。鉄之助は、

「こんなに買ったら、小遣い無くなっただろ?」

と心配したが、りょうは、

「店の人がおまけしてくれたんだ」

とごまかした。永倉に会ったことは誰にも秘密にした。


 翌朝早く、歳三が稽古場に来ると、すでにりょうは正座して待っていた。歳三は少し驚き、

「ずいぶん早ぇじゃねえか。しごかれることを覚悟しているようだな」

と言った。すると、りょうはニコッと笑い、

「今日は、先生から一本取らせていただきます」

と言った。その様子に、前日とは違うものを感じた歳三は、

「大きく出たな。総司を忘れる気になったのか?」

と聞いた。すると、りょうは言った。

「僕は総兄そうにぃを決して忘れません。総兄ぃは、僕に剣術を教えてくれた大切な人です。教えてくれたものは、すべてここにあります」

りょうは拳で胸を押さえた。りょうは心の中で呟いた。

(総兄ぃに習った技は、僕の全身からだが覚えてる。総兄ぃは僕の心の中にいる。だから、僕は大丈夫だ……もう、総兄ぃになろうなんて思わない)

歳三は、そんなりょうを見て思った。

(何かあったんだな……こいつを変える何かが……)

「よし。来い!」

歳三は構えた。りょうは、歳三の右足に注目した。まだ完全に治っていない足を攻撃したら、勝てるかもしれない。しかし、そんなことをしたら、歳三はまた歩けなくなるかもしれない……りょうは迷った。

「どうした!?まだおめぇの剣は迷子か!?相手を倒さなきゃ、おめぇが死ぬぞ!」

歳三に言われて、迷いが消えた。


 平晴眼の構え。それは、かつて歳三と初めて対戦したときにりょうが見せた構えだ。

(そうだ。その構えだ。それがおめぇの剣だ。まっすぐな……)

「参る!」

二、三度、竹刀が合わさった。歳三が突く。なんとかそれをかわしたりょうが、大きな足音と共に、体ごと歳三の胸をめがけて突きこんだ。

「うっ!」

歳三の体勢が崩れた。

(今だ!)

りょうは腰を下げて、歳三の左足を打った。歳三は右足で体を支えようとしたが、不自由な足では支えきれない。体のバランスを崩した歳三の喉元に、りょうの突きが決まった。歳三は思わず、尻餅をついた。

「一本!良蔵の勝ち!」

そう言ったのは、斎藤であった。その後ろには、小姓たちがいた。彼らも、心配で早起きをして見に来ていたのだ。小姓たちは手を叩いて、りょうのところに走り寄った。

「良蔵、すごい!土方先生に勝つなんて!」

歳三は、斎藤に起こしてもらいながら言った。

「ああ、負けた負けた!良蔵、いい突きだったぞ。おめぇらしい剣捌けんさばきだった」

『おめぇらしい』という言葉をもらったりょうは、初めて父に誉められたような気がして、胸が熱くなった。りょうの照れたような顔を見て、斎藤は、

「これは、土方先生からご褒美をもらわないといけないな、良蔵」

と言って笑った。歳三は、

「おい、はじめ……」

と一瞬困ったような表情をしたが、

「わかったよ。澤にたのんで、好きなものをこしらえてもらえ」

と言うと、小姓たちがわっと喜んだ。歳三は、そんな彼らを微笑んで見ながら、滝沢本陣へ向かった。


 「良蔵、日新館に送るぞ」

斎藤はそう言って、出掛けようとするりょうを馬に乗せた。いつもなら軽く飛び乗るりょうが、少し、もたついた。

「どうした?疲れてるのか?」

と斎藤が聞くと、りょうは、

「……すいません。大丈夫です」

と答えた。今日も天気が良い。会津は盆地なので、夏は暑い。朝早いとはいえ、陽射しは強かった。日新館に近づいた頃だ。斎藤が

「良蔵、もう着くぞ」

と言ったが、答えがない。

「良蔵?」

斎藤が振り返ろうとした時、ドサッ、という音がして、りょうが落馬した。

「良蔵!大丈夫か!?しっかりしろ!!」

斎藤はあわてて、りょうを抱き抱えて日新館に運んだ。


 しばらくして、鈴木医師が診察を終えて出てきた。

「先生、良蔵は大丈夫ですか?」

斎藤が聞いた。鈴木医師は答えた。

「貧血で倒れたんだ。ここ数日の暑さと、寝不足も重なったんだろう。おなごによくある血の道の病だよ。ゆっくり休めば良くなる」

そうですか、と言おうとして、斎藤は一瞬、耳を疑った。

「え、先生、今、なんて?」

「ん?貧血だから休ませなさいと……」

「今、確か、良蔵がおなご、と……」

その会話を聞いていた良順が大笑いした。

「はっはっは……何だ、お前さん、知らなかったのか?新選組の幹部は皆知っとるのだと思っとったわい。お前さん、剣術は鋭いが、そっちの方は意外と鈍いんじゃな。でも、部下には秘密にしておけよ。良蔵が困るでの……」

良順はそう言って、口に指を当てた。斎藤の頭は混乱していた。

(良蔵が女……?じゃあ、土方さんの娘……?だから、総司を……なんてことだ……)

呆然としている斎藤を見ながら、良順は言った。

「もうひとりも、たいして変わらん鈍感だわい。それ、もうすぐやって来るぞ」


 すると、馬の蹄の音がして、血相を変えた歳三が走り込んできた。

「先生!良蔵が倒れたって!?……はじめ、何があった!?」

その慌てぶりに、斎藤は、歳三の本心を見たような気がして、思わず微笑んだ。

「な、何がおかしいんだ?」

すると、良順が歳三に言った。

「良蔵は、過労と貧血で倒れたんじゃ。この暑さの中、御前試合に続けて、連日、夜明けから剣術の稽古などしておれば、大の男だとて参ってしまうわ!少しは考えんかい!」

良順に言われて、歳三は、部屋の隅で横になっているりょうを見た。そういえば、今朝は顔色が悪かったようだった……

「悪い病気じゃねぇんだな?」

歳三は、良順に念を押すように聞いた。良順はうなずいた。歳三は、ほっとしたようにため息をついた。

「わかった。今後は、気を付けるようにする」

歳三は言った。良順は、

「今日は、良蔵を休ませてやるが良い。良蔵、ちょうどいいから、土方先生に送ってもらって、帰りなさい」

と言った。歳三が、

「冗談じゃねぇ、俺はまだ部下の訓練に戻らなきゃならねぇんだ」

と言うと、良順は怒った。

「何を言うとるんじゃ!!お前さんの足だってまた悪くなっとるのだぞ!訓練の監視なら、山口隊長がおるではないか!」

すると、りょうが飛び起きた。

「や、やっぱり、僕が足を狙ったからですか!?先生……」

りょうは泣きそうな顔をしている。

「土方さん、俺が本陣に行きます。今日はお帰りください。良蔵を一人で帰らせる訳にはいきません」

斎藤も言った。

「お前さんも忙しいのはわかるが、少しは体を休めんといかん。大将が倒れては、元も子もないぞ!」

みんなに言われて、歳三は、

「わかったよ。良順先生に逆らうと、後が怖ぇからな。はじめ、すまねぇが、あとを頼む……良蔵、支度しろ、屯所に帰るぞ!」

と言うだけ言うと、さっさと外に出てしまった。りょうはあわてて、

「はいっ!」

と言い、急いで準備をした。

「良蔵さん、今日は無理をしてはダメよ」

時尾に言われて、りょうはうなずいた。そのときのりょうの顔が、嬉しそうだったのを斎藤は見ていた。

「ちょっと、良蔵の容態を大げさに知らせてやったのじゃ。土方にも、たまには親らしい心配をさせてもよかろうて」

良順はいたずらっぽく笑った。


 りょうは、歳三と馬に乗るのは初めてだった。

「おめぇはチビだから、前に乗れ。また貧血で落馬されたら面倒だ」

歳三は、後ろからりょうを支えるようにして手綱を取った。りょうは、ふと、甲府遠征の時を思い出した。あのときも、歳三は沖田を前に乗せて支えるように手綱を握っていた。それは、歳三の、言葉にしない優しさなのだ、とりょうは思った。父の腕に守られているような気がして、少し嬉しかった。

「全く……夜中からずっと一人で稽古をしていたって?馬鹿じゃねぇのか?倒れるのは当たりめぇだ!」

歳三はあきれたように言った。

「……すいません……先生、足の怪我が悪化したって……僕のせいですよね?僕が足を狙ったから、先生、右足に負担がかかって……」

りょうが申し訳なさそうに言うと、歳三は否定した。

「馬鹿!立ち合った相手に同情すんじゃねぇ!それこそ、大きなお世話だ。足の治りが悪いのはおめぇのせいじゃねぇ。このところ忙しくて、遠出が多くてな」

この時期に、歳三は伝習第一大隊総督に任命されていた。新選組だけでなく、同盟軍の中枢になっていく歳三に休む暇はなかった。それを察した良順の配慮だったのである。

「あのハゲには、頭が上がらねえな……みんなお見通しでやがる……昔から……」

歳三は苦笑いをした。

「どうしても、勝ちたかったんです……先生に……だから足を……ごめんなさい」

りょうが謝ると、歳三は言った。

「だから謝るなって。それはおめぇが会得したおめぇの戦い方だろうが。以前吉村(貫一郎)が言っていた。おめぇに弱点を見破られて攻められたって……おめぇの戦い方が戻ったんなら、それでいい」

りょうには、歳三が喜んでくれていることがわかった。沖田の真似でなく、りょうらしく戦ったことを認めてくれたのだ。


 「僕……先生のこと、尊敬してます」

りょうが言うと、歳三は少しの間をおき、答えた。

「なんだ、いきなり。昨日まで、鬼だなんだと悪態ついてたやつが。雪が降るんじゃねえか?」

(やっぱり気にしてたんだ……!)

と、りょうは永倉の言葉を思い出したが、

「そ、それは先生が、意地悪を言うからで……でも僕、先生が僕のために指導してくれたこと、感謝します。僕、先生を追って新選組に来て、良かったと思ってます」

と言った。

「ほ~う。母親のかたきをとるんじゃなかったのか?」

歳三は意地悪く聞いた。りょうは焦って、

「な、なんでその話を……?」

と聞くと、

「彦五郎義兄貴あにきに聞いたのさ。おめぇが日野に来た頃のことをな」

と答えた。りょうは、

「僕は何もわからない子供だったから……でも今は母さんがなんで僕を武士にしたかったのかわかるような気がします。仇をとらせるためじゃない。僕を先生に会わせるために武士にしたかったんだと思います。僕は、先生の目指す『誠の道』を、一緒に行きたい……うまく、言えないけど……」

と言って黙った。本当は、『父さんと』と言いたかったが言えなかった。歳三は、そんなりょうの様子を後ろから見ていた。頬からうなじにかけての感じが、うめに似ている……やはり娘だ。少しずつ、娘らしくなっていく……俺は、命の続く限り、こいつを守る……

「しっかり掴まってろ。走るぞ」

馬にひと鞭すると、歳三はしっかり手綱を握った。

「うわっ!……でも、気持ちいい……」

向かい風を受けて、りょうが言った。歳三は走りながら思った。

(うめ、ありがとよ。こいつにめぐり会わせてくれて。こんな俺でも、親父の気持ちってぇのを味わうことができたぜ……)


 日新館から天寧寺てんねいじまで、わずか四半時くらい。これが、会津で、親子ふたりで過ごした最後の時間となった。白河を落とした新政府軍の勢いは止まらない。会津は、ついに白河から撤退した。東北諸藩も、同盟から離反するところが相次いだ。歳三の隊も、出陣要請に従い、動かなければならなくなっていた。


 また、ふたりが、別れ別れになる日が近づいていた……


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