第9章 揺るぎなきもの
「良蔵、土方先生が着替えて稽古場に来いって」
と、朝早く鉄之助が伝えに来た。今は、歳三の身の回りの世話は鉄之助の仕事だった。りょうが稽古着に着替えて行くと、竹刀を持った歳三が立っていた。
「良蔵、おめぇに稽古をつけてやる。どっからでもかかってこい」
「でも、先生はまだ、足が……」
りょうは歳三の足の怪我が完治していないのを知っていたので、そう言った。しかし、歳三は、
「来ないのなら、こっちから行くぞ!」
と、竹刀を振り上げた。りょうは必死で受けた。
「ど、どうして、こんなこと……」
りょうは受けながら言った。歳三は構わず、グイグイ押してくる。りょうは防戦一方で、反撃すらできない。
「総司のことなんか、さっさと忘れてしまえ!」
歳三が怒鳴った。りょうはその一言に愕然とした。その時、歳三の竹刀が思いきり面を打った。面を付けていなかったら、りょうは大怪我をしていたかも、と思われるほどの勢いだった。りょうは、歳三が本気で自分を痛めつけようとしているのだと思った。りょうは歳三を睨んだ。
「俺が憎いか?憎いならかかってこい!日野で会った時のように!」
「でやああっ!」
りょうは歳三に挑んだ。
(僕には
そう思おうとすればするほど、竹刀が重たく感じる。昨日、儀三郎に勝ったのが嘘のように、りょうの動きは後手後手だった。やがて壁際に追い詰められ、竹刀を払い飛ばされ、肩先を鋭く打たれた。りょうは、へなへなと、座り込んでしまった。歳三は言った。
「どうやら、総司の亡霊は、おめぇを助けてくれなかったようだな。今のが真剣なら、おめぇは袈裟懸けに斬られて死んでいる」
歳三がニヤリとしたので、りょうは歳三に向かって叫んだ。
「ひどい!総兄ぃのことを亡霊だなんて!!総兄ぃは生きているんだ、僕と共に!」
すると、歳三の目がりょうを見据えた。
「いつまでも死んだ男にすがってんじゃねぇ!!」
雷に打たれたように、りょうは固まった。
「総司を追っかけてどうする!?総司は死んだんだ!どうして総司を真似る!以前のおめぇはどこに行っちまったんだ!?まっすぐに前を向いて俺に挑んで来た良蔵は!!今のおめぇの目は、腐った魚と同じだ。目の前の相手が見えてねぇ!」
歳三が怒鳴ると、りょうは、
「僕は儀三郎に勝った!」
と言い返した。
「なに?あれを勝ったと言うのか?じゃあ聞くが、おめぇには儀三郎が見えてたのか!?」
歳三の問いに、うっ、と言葉に詰まるりょう。その答えは自らが一番良くわかっていた。
「亡霊の技を習得したって役にたたねえ!そんなんじゃ刀を持つだけ無駄なこった!俺の言うことがわかんねえなら、さっさと日野に帰れ!」
歳三の言葉に、りょうは唇を噛んだ。悔しかった。
「……鬼!!」
思わずりょうは叫んだ。
「僕の総兄ぃに対する思いを、一番わかってくれるのは先生だと思っていたのに……あなたはやっぱり鬼だ!」
すると、歳三は言った。
「そうだ。俺は鬼だ。おめぇから総司の亡霊をおっ払うためなら鬼になる。総司のことは忘れろ!」
「嫌だ!」
りょうは叫んだ。
「悔しかったら俺に勝ってみろ」
歳三はそう言い残して稽古場を出た。
入れ替わりに、小姓たちが入ってきた。
「良蔵!」
「良蔵、大丈夫か?」
3人は心配そうにりょうを見る。りょうは、悔し涙を見られたくなくて、精一杯笑顔を作っている。
「大丈夫だよ。昨日の試合のやり方が悪いって、絞られちまった。思いっきり肩を打たれたよ。イテテ……」
「良蔵、これで冷やせよ」
と、
「ありがとう。馬之丞」
ニコッと微笑むりょうに、馬之丞は顔を赤らめる。
「ホント、先生は鬼だよ……僕はこれから日新館に仕事に行くってのに……」
と、着物の襟元を開けて、肩を出そうとする。りょうの白いうなじが見え、小姓たちはドキッとした。鉄之助があわてて、
「お、お前、着替えてこいよ。もう時間だぞ。ここの掃除は俺たちがやっておくから。ほら、手拭い持って!」
と言ったので、
「そうだな。みんなごめん!おわびに何か美味しいもの買って来るよ」
りょうはそう言って走っていった。銀之助は、
「あ~、ビックリした。思わずドキッとしちまった。変だな、おんなじ男なのに」
と言った。馬之丞も、
「良蔵、かわいいからな」
と照れている。
「馬之丞、赤くなってる!そういえば、良蔵が舞妓姿で屯所に来たときも、かわいい、かわいいって言ってたよな」
銀之助が馬之丞をからかう。鉄之助は、
(全く、無頓着というか、空気読まないというか……危なっかしいやつだ!女だってばれたらどうすんだよ……)
と思いながら、掃除を始めた。
小姓たちは、知らぬうちに、りょうを守ってやりたいと思うようになっていた。それまで喧嘩ばかりしていた彼らがそう思うようになったのは、りょうが歳三と対立して謹慎させられた頃からであった。銀之助は、鳥羽伏見で井上を自分の失態から死なせてしまった。その時、りょうが優しくいたわってくれたのを覚えていた。馬之丞は、賄方の沢に叱られて食事抜きにさせられたとき、りょうがそっと握り飯をくれたのを覚えていた。不思議な絆が、4人の中に生まれていた。そしてそれは、4人のまとめ役として五郎作が加わって、より固くなっていたのである。
しかし、りょうの心は暗かった。歳三の言葉がりょうを苦しめていた。
『総司のことは忘れろ』
『亡霊の真似はするな』
「……くそっ!鬼オヤジめ!」
りょうが吐き捨てた言葉を、その時、障子の内側にいた松本良順が聞き咎めた。
(あれは良蔵の声じゃ……またなんかあったな)
良順は、歳三の足の治療に天寧寺に寄ったのだった。その原因はすぐに推察できた。歳三がむすっとした顔をしていたからだ。足を診た良順は歳三に言った。
「足がこんなに腫れておるではないか!あれほど無茶をするなと申したのに!また歩けなくなっても知らんぞ!」
すると、歳三は、
「無茶をしなきゃいけねぇ時もあんだよ、先生」
と言って黙ってしまった。良順はため息をつきながら、
「困った
と言った。歳三は答えなかった。
(娘だから……だ!男なら放っておく!娘だから……男を思い続けて不幸になるのを見たくねえんだ!)
自分のために身を引いた妻、うめ。それでも自分のことを愛し続けて、りょうを産み育て、不幸のまま死んでいったうめの二の舞は、りょうにさせたくないと思う歳三だった。
歳三の部屋に、沖田の大和守安定が置かれていた。歳三は、その刀に触れながら語りかけた。
「総司……おめぇの願い、俺は聞いてやれなかった。俺についてくることも、あいつのことも……おめぇがどんな想いで、あいつに自分の技を伝えたのか、俺にはわかる。おめぇは、これからは、俺と一緒だ。かっちゃんと共に、俺のここの、一番懐かしい場所にいるんだからな。もう、おめぇをおいては行かねぇよ」
歳三は、拳で自分の胸を、とんとん、と叩いた。
「だから、いい加減、りょうを自由にしてやれ……おめぇの願いを叶えるために、あいつはおめぇになろうとしたんだ。あいつは、おめぇの気持ちに全てを捉えられ、がんじがらめになってる。それはあいつの本来の姿じゃねぇ。おめぇだって、そんなあいつを望んでねぇだろう?あいつの心を解放してやってくれ……頼む……総司……!」
「良蔵さん、顔色悪いわ、大丈夫?」
日新館でたえがりょうに聞いた。
「土方先生に、朝、稽古をつけてもらっていたので、ちょっと寝不足なんです。大丈夫ですよ。それより、城下で美味しいお菓子を扱ってる店を知りませんか?僕、小姓仲間にお土産を買うって約束してきたんで」
りょうが言うと、たえは、それなら『
「先々代の藩主、
と言われて、日新館からさほど遠くない、河原町の店の近くまで来た。その時、店から出てきた男がいた。それは、懐かしい、永倉新八であった。
「永倉先生?永倉せんせ~い!!」
名前を連呼され、怪訝そうに周りを見回した永倉は、りょうを見つけると嬉しそうに微笑んだ。
「なんだ、良蔵じゃないか!会津に来てたのか!久しぶりだなあ!」
りょうは、懐かしい永倉に会ったのが嬉しくて、気が緩んだのか、
「永倉先生も、お元気そうで……」
と言ったとたんに涙が出てきた。菓子屋の前で大人が子供を泣かせているように見えたのか、通る人が眉をひそめて永倉を見た。
「おいおい、良蔵。なんか俺がお前を泣かせているみたいに見られてるぞ……泣くなよ。どうせまた、歳さんとやりあったんだろう……全く、しょうがねぇ親子だなあ……」
永倉はあきれたように呟いた。
二人は湯川の川原に腰を下ろした。川面を渡る風が心地よかった。
「近藤さんのことも、総司のことも風の噂で聞いていたよ。辛かっただろうに、よく頑張ったよな、良蔵。会津に来るのも難儀したろう。ほら、羊羹。うめえぞ」
と永倉がくれたのをかじりながら、りょうは、京の屯所の頃を思い出していた。歳三に反抗しては叱られ、落ち込んでいるとき、いつも慰めてくれたのは、永倉と原田であった。その原田は、上野の戦で彰義隊と共に戦って亡くなった。
「原田先生にも、会いたかったな……」
りょうが呟くと、永倉は、
「左之は、いつでも俺のここに一緒にいるからな。あいつのことは、決して忘れねえ」
と、拳で胸を叩いてみせた。りょうは、永倉に、御前試合のことや、歳三に沖田を忘れろと言われたことを話した。
「歳さんは、お前が総司のことでいつまでも思い悩んでいるのがいけねぇ、って言ってんじゃねぇのか?」
永倉は言った。
「僕は、ずっと総兄ぃの側にいた。誰よりも、誰よりも総兄ぃのことを思っていたのに、総兄ぃは違ったんだ……」
りょうが言うと、永倉は、
「そんなことはねぇよ。総司はお前のことを大切に思ってた」
と言った。
「僕もそう思っていた。総兄ぃが、自分の技である、『三段突き』を教えてくれたから。でも、それは、僕が土方歳三の子供だから、だったんだ。最期の時だって、総兄ぃに見えていたのは、近藤先生と父さんだけだった……僕のことなんて見てくれてさえいなかった。僕は総兄ぃをつかまえていたかった。僕が総兄ぃの技をできるようになれば、総兄ぃを僕の中に留めておける。そのために……だから『三段突き』を……無意識にしてしまったんだ」
りょうが言うと、永倉は聞いた。
「お前、『三段突き』を本当に使ったのか?」
「覚えていないんだ、その時のことは。意識が遠くなって、気づくと相手が倒れていたんだ。父さ……土方先生に叱られた」
りょうが言うと、永倉はうなずき、真面目な顔をして言った。
「俺の前では、『父さん』でいいぜ……まぁ、歳さんが怒るのは当然だな。倒す相手のことを見ていないで、偶然に頼るのは危険すぎる。相手によっては自分が死ぬぞ。それにな、良蔵、そんな剣は、お前の剣じゃない」
永倉は、歳三と同じことを言った。
「歳さんは、言葉が足りねぇからな。いいか?良蔵。お前がいくら総司を真似たって、総司の『三段突き』は、総司のものだ。お前は総司にはなれないんだ。夢の中で総司になっても、目が覚めればむなしいだけだぞ」
「僕が、夢の中で総兄ぃになったというの?」
りょうは永倉に詰め寄った。
「お前は総司と一緒にいたのに、総司の心が満たされないまま逝ったと、自分では総司を幸せにできなかったと思ってる。その負い目が、お前の剣をそんな風に変えちまったんだ。確かに、あの3人の繋がりは特別だ。いくらお前だって、割って入れるもんじゃねぇ。だがな……仕方ねえやつだな、もう、歳さんには言うなって言われてたけど話すぞ、よく聞けよ!」
りょうはドキッとした。永倉の話は、こうだ。
甲府に遠征に行く少し前、確かに、沖田の容態は落ち着いて来ていた。松本良順の処方する薬が効いていた頃だ。しかし、それは消えかけた蝋燭の、最後の明るさのようなものだった。沖田はそれをわかっていて、あえて歳三に言った。
「りょうを嫁に欲しい」
歳三もまた、りょうが嫁に行くなら、沖田だとは思っていたが、
「娘を後家にするわけにはいかねぇ。しっかり治ってからもう一度聞いてやる」
と答えた。歳三は自分の言葉を励みに、沖田に養生してもらいたかった。歳三は沖田が良くなると信じていたからだ。ほどなく、良順から沖田の病状を聞いた歳三は、沖田の願いを叶えてやろうかとも思った。沖田の思いは、りょうの思いだ。しかし、沖田は、
「この前僕が言ったことは忘れて、土方さん」
と言い、その話は二度としなかった。
「俺は、あんな形で新選組から離れたけど、昔からの試衛館の仲間は、近藤さんも歳さんも、総司だって好きなんだぜ。総司は、本当にお前を大切に思ってた。お前を幸せにしてやりたいと思っていたんだ。だから嫁に欲しいと言ったんだ。あいつがずっと守りたかったのは、歳さんじゃねぇ。お前だ、良蔵!」
永倉の話を聞いていたりょうの頬を、涙がつたわった。永倉は尚も続けた。
「不動堂村の屯所に移った頃だ。稽古の合間に、総司の目線を追うと、決まってその先にお前がいた。『貞』さんの事件のあと、自暴自棄になっていた総司をみんなが心配していたが、あいつは、いつの間にか立ち直っていた……お前が総司を変えたんだ。総司はお前のそばで最期を迎えられて、きっと満足していただろう……俺にはわかるよ」
「永倉先生……ありがとう……僕、長い夢を見ていたような気がします……」
りょうは、川の流れを見つめながら言った。
「俺の中の左之のように、お前の中の総司もきっと、揺るぎないものとなるさ。意識しなくても……」
永倉も、川の流れを見つめていた。たぶん、二人は同じことを思っていたのだろう。死んでしまった大切な人を忘れず、この川の流れのように、留まらずに前に進まなくては、ということを。
永倉は、小姓たちにご馳走してやる、と、たくさんの菓子を買って、りょうに渡した。これから自分達は米沢に向かう、と言っていた。
「歳さんには、俺に会ったことは話さなくていいからな。それから、あんまり歳さんを責めるなよ。他のやつらはともかく、お前に『鬼』って言われるのは、あれでけっこう堪えてんだぜ」
永倉はそう言って笑い、二人は別れた。永倉は、この東北での戦を最後に戦地を去り、新たな人生を歩んだという。
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