第8章 御前試合

 「御前試合?」

天寧寺の本堂に集められた5人の小姓たちは、皆、一様に不思議そうな顔をしていた。

「来月の始めに、若殿、松平喜徳のぶのり様が福良の本陣を視察なさる。そのとき、会津の若者たちの腕を観たいと仰せなのだ。供として来る士中二番隊と、土方小姓組とで、弓術、砲術、剣術の試合を行う。皆、練習に励め」

斎藤が伝えると、五郎作が聞いた。

「隊長、俺たちは、正式の作法とか知りませんが、大丈夫でしょうか?」

すると、斎藤が、

「新選組の中でも、その辺に詳しいのは安富やすとみさんだ。良く教えてもらえばいい。こんな時なので、あまり形式にとらわれることはするまい。それよりも、お前たちは実際の戦場に出ていたのだ。自分に自信を持て!」

と言ったので、皆、少し安心した。

「当日は、土方さんも復帰されるぞ」

と、斎藤が言ったとたん、

「わっ!」

と、小姓たちが叫んだ。この少年たちの土方への思いは特別なのだと、斎藤はあらためて感じた。

(しかし、御前試合とは、土方さんも考えたな。良蔵の言い分を聞けば、白虎隊の篠田の誤解だということは明らかだ。しかしそれを言ってしまえば篠田の名誉が傷つくし、少年と言っても篠田は武士。正式な果たし状を添えてきた以上、無視するわけにもいくまい。しかし、果たし合いを受ければ、たえどのと良蔵が関係あったように思われる。御前試合にしてしまえば新選組にとっても私闘でなくなり、双方の名誉も保てる)

歳三の頭の回転の良さに、感心する斎藤だった。


 数日後、日新館に行ったりょうは、時尾から、山本八重やまもとやえを紹介された。

「良蔵さんがしばらく銃の練習をしていないっていうんで、八重ちゃんに頼んだのよ。八重ちゃんは私の親友で、お父様は藩の砲術指南のお役に就いてらっしゃるの」

りょうは嬉しかったが、

「僕が教えてもらったりしたら、白虎隊の方に悪いのではありませんか?」

と心配した。

「白虎隊士も私が指導するんだから大丈夫よ。片方だけに指導したら不公平でしょ?新選組の他の子たちは、常に訓練してるみたいだけど、あなたは病院詰めだもの」

りょうは喜んだ。沖田に付き添ってから、ずっと銃を持っていなかった。全く自信がなかったのだ。八重の家は日新館から近かったので、日新館の帰りに練習させてもらった。何回か練習するうちに、以前の勘が戻ってきた。新選組でも、何度か西洋式軍隊の調練を行っていた。ゲベールの購入もしていた。鳥羽伏見では、幕府側の作戦不備で、効果を発揮できなかったのだ。八重は、りょうの腕が良いのに気づいていた。

(この子なら、スペンサー銃が使えるかもしれないわ)

八重の家には、兄、覚馬かくまが送ってきたスペンサー銃があった。ゲベール銃などとは違い、後装式の七連発ライフル銃で、格段に射程距離が長かった。それに、ゲベールよりも多少軽く、持ちやすい。覚馬は、長崎でこれを手に入れたらしいが、新政府は、こんな新しい銃をたくさん手に入れて、この会津を狙っているのだという。

「私は、父上や藩の上の方々にこれを紹介して、なんとか調達して欲しいとお願いしてみたけど、高価すぎて無理だって言われたわ。でも、兄の話だと、佐賀藩にはこんな新型の銃が溢れているらしいわ。せめて、会津の若者には、新しい武器を教えたい。そのために、良蔵さん、あなたはぜひ、これの使い方を覚えてほしいの!」

八重の言葉に圧倒されたりょうは、御前試合のための練習と一緒に、スペンサー銃の使い方も、八重に教わることになった。


 この頃、新選組も加わり、白河小峰城の奪還戦が行われたが、結局敗戦し、ついに白河を新政府軍から取り戻すことができなかった。この戦いに歳三は参戦しなかった。白河小峰城が新政府の拠点になったことは、会津にとって、侵略者に国への入口を差し出してしまったようなものであった。


 御前試合の朝、福良への街道を警備していた白虎隊士の一人、安達藤三郎あだちとうざぶろうは、関所の守りに就いていた。すると、騎馬で通りすぎた武士がいたので、

「待て、止まれ!」

と威嚇のため発砲した。すると、騎馬の武士が引き返して、

「すまぬことをした。私は新選組の土方だ。福良本陣に向かうところだ。通っても構わぬか?」

と聞いた。藤三郎はびっくりして、

「しっ、失礼いたしました!!どうぞお通りください!」

とかしこまると、

「お勤め、ご苦労!」

と、歳三は笑顔を残して颯爽と駆けていった。噂に聞く、新選組の鬼副長…その後ろ姿に、しばし藤三郎は見とれた。


 観覧の席には、藩主松平喜徳、家老の萱野権兵衛かやのごんべえ梶原平馬かじわらへいま、白虎隊隊長の日向内記ひなたないき、他、会津藩の近習、新選組は斎藤、歳三他、新選組の古参隊士がいた。


 藩主、松平喜徳は容保かたもりの養子で、実兄は徳川慶喜である。容保の隠居によって藩主に就いた。しかしまだ14才の若さであり、実権は容保にあった。白虎隊の少年たちは、やがてこの藩主を支えることを自らの目標としていた。今日は、その藩主の前で技を披露できるとあって、白虎隊士は皆、張り切っていた。


 新選組の小姓たちも、今日は特別である。歳三が隊に復帰するのだ。勿論、名目上は、歳三は幕府軍の参謀であり、新選組の総隊長である。が、小姓たちにとっては、大好きな『土方先生』なのだ。歳三の目の前で試合をするなど、初めてであった。緊張と喜びでいっぱいだった。しかし、りょうはこの二日ほど、体調がすぐれなかった。頭痛がして、時々ぼうっとしてしまうこともあった。7月に入っても、残暑が厳しいからだろう、とりょうは思っていた。


 試合は、まず弓術からだった。残念ながら、小姓たちは弓を実戦で扱うことがないため、圧倒的に白虎隊が強かった。ただ一人、藩士としての期間が長かった五郎作が力を発揮した。


 砲術は、実戦で培った経験から、銃の扱いに慣れた小姓たちの方が、うわてだった。中でも五郎作と鉄之助は、動作も素早く、的中率も格段に高かった。りょうは、彼らには及ばないまでも、八重の指導の成果が現れた結果を残した。白虎隊では、八重の家の隣に住んで、八重に良く銃を習っていた伊東悌次郎ていじろうが頑張った。


 剣術は、5人が一対一の勝負をすることになった。新選組は、銀之助と鉄之助が勝った。五郎作の相手は簗瀬やなせ勝三郎で、儀三郎と並ぶ武術の達人であり、惜しくも負けてしまった。最後はりょうと篠田儀三郎が対戦することになっていた。儀三郎は、白虎隊の中でも体格が良く力も強かった。一方、りょうは小柄であり、観る者は皆、一瞬で勝負が決まるだろう……儀三郎の勝ちだ、と思っていた。儀三郎自身も、勝ちを信じていた。

(こんなチビに俺が負けるはずがない……!)


 りょうは、江戸に帰還してまもなくの頃を思い出していた。

「え?本当?総兄そうにぃ……僕に『三段突き』を教えてくれるの?」

それは、沖田の口から、りょうに自分の必殺技を伝授する、という言葉が出た時のことだった。

「でも……総兄ぃでも、そんなに使わない技、僕にできるわけないよ」

りょうは一度は辞退した。だが、仲間と離れて、一人療養している沖田の気持ちが少しでも晴れるなら、そして自分が沖田の技をもし習得できるなら嬉しい、との思いが、りょうを動かした。沖田は自分が剣をとり指導することはできなかったが、理論的に、りょうの頭の中に『三段突き』の戦法を覚え込ませた。医学所の中庭で、りょうは一人で練習に励んだ。沖田は遠くからりょうを見ていた。りょうは、沖田の眼差しに包まれているという充実感と、心地よい疲労感に満たされていた。半ば暗示のかかったように突き技に取り組むりょうに、一番に気づいたのはもちろん歳三だった。

「おめぇ、医学所で総司に会ってなにしてんだ?稽古でもしてんのか?総司に無理させてるんじゃねぇだろうな」

それに対するりょうの返事は、いつも決まっていた。

「僕、なにもしていませんよ」

沖田に、自分と『三段突き』の練習をしていることは歳三に言うな、と言われていたからであった。このとき、歳三が甲陽鎮撫隊の準備に奔走していなければ、りょうの精神的な変化に気づいたのであろう。りょうは、沖田への届かぬ思いを、『三段突き』に重ねていた。りょうにとって、『三段突き』は沖田であり、それを習得することが、沖田の心を自分のものにできる術だったのだ。


 りょうと儀三郎は、御前に一礼し、相対した。

「始め!」

の声がした直後だった。りょうを頭痛が襲った。

(こんなときに……!)

その異変は、歳三や斎藤にもわかった。

「良蔵、どうしたんだ?なぜ動かない!」

歳三が身を乗り出した。

集中力が途切れそうになるのを防ごうと、りょうは目を閉じた。

(総兄ぃ……僕を助けて……僕は総兄ぃと、ひとつになるから……)

りょうを見つめる沖田の眼差しが脳裏に浮かび、竹刀を持つ手に、沖田の温もりを感じた。どこからか沖田の声が聞こえた。

『りょう、そこだ、突け!』


 りょうの一瞬の動きが勝負を決めた。儀三郎の体が飛んだ。

「勝負あり、新選組、玉置良蔵!」

その声に、りょうは我に返った。目の前に儀三郎が倒れていた。わっ!と小姓たちが駆け寄る。

「僕……勝った……の?」

「何言ってるんだ。すごい突きだったぞ!」

五郎作が言うと、鉄之助が言った。

「沖田先生に教えてもらったのか?そっくりな三段突きだったぞ!」

「えっ?三段突き?」

りょうは自分の出した技が三段突きと言われて驚いていた。

(いつの間にかできるようになってたのか……とにかく勝ったんだ、良かった!)

喜ぶ小姓たちを見ていた斎藤は思った。

(あいつ……目を閉じたまま、笑いやがった……)

複雑な思いだった。隣の歳三を見ると、厳しい顔をしていた。古参隊士の島田かいが歳三に言った。

「良蔵に沖田さんの技ができるなんて。まるで神がかったみたいですね、土方先生!」

すると歳三は言った。

「神がかり?そんなんじゃねぇ。あれは、取り憑かれてんだ!」


 勝負は、二対一で、土方小姓組の勝ちであった。会津藩の重臣たちは、

「いや、驚きました。新選組の若者たちも、頼もしい限りですな、山口どの」

と世辞を言った。

「ありがとうございます」

斎藤は、礼を言って頭を下げたが、きっとあとから白虎隊は叱られるのだろう、と思っていた。武士とも言えない子どもたちに負けたのだ。さぞ、藩の重臣たちは悔しかろう……すると、喜徳が言った。

「皆のもの、本日は見事な試合であった。余は、この新しい、若い力がさらに精進することを望むばかりである。双方、あっぱれじゃ!」

あえて勝ち負けを表示しない喜徳に、大人たちは感心した。これで負けた白虎隊を罰する理由も無くなった。勿論、勝ち組の小姓たちには、喜徳から褒美がでた。


 りょうのところに、歳三が歩いてきた。りょうは、

「先生!僕、勝ちました!」

と嬉しそうな顔で言った。当然、歳三は誉めてくれるものと思っていた。すると、歳三が冷やかに言った。

「亡霊の力に頼って勝ったのがそんなに嬉しいか?」

そう言うと歳三は行ってしまった。りょうは歳三の言葉の意味がわからず、呆然とその場に立ち尽くしていた。


 本陣の控えの間に、儀三郎は寝かされていた。喉元が赤くアザになっている。その儀三郎に心配そうな顔をして付き添っているのは、たえであった。やがて、儀三郎が目を覚ました。

「儀三郎さん、私がわかる?」

たえは儀三郎を見つめて、聞いた。

「たえ……さん。俺は……玉置と試合を……」

そこまで言いかけて、喉がかなり痛いことに気づいた。儀三郎は、先程のことを思い出した。負けたのだ。玉置の突きに、何もできずに俺は飛ばされて倒れたのだ……と。悔しさと恥ずかしさで、儀三郎はたえから顔をそむけた。

「俺は……負けました。たえさんは、玉置のところに行ってください」

かすれた声で言うと、たえが泣きながら言った。

「もう!あなたが勘違いなんかするから、こんなに大きなことになってしまったんです!私は良蔵さんとはお友達です!私が、私がずっとお慕いしているのは、あなたです!儀三郎さん!!」

儀三郎はそれを聞いて、真っ赤になって固まった。良順がごほん、と咳払いしながら近づいてきた。

「あ~、たえどの、向こうの方まで告白が聞こえておりますぞ。儀三郎、呼吸はできるかの?」

たえも真っ赤になって顔を伏せた。良順は儀三郎を診察しながら、

「うむ。呼吸は大丈夫のようじゃの。心臓は早鐘のようじゃが、まあ、これはすぐ治るじゃろう。ははは……ほら、仲間も心配して来ておるぞ」

士中二番隊の皆がやって来た。

「儀三郎……ごめん、俺たちが不甲斐ないばかりに」

謝る隊士たちに、儀三郎が言った。

「玉置は強かった。俺の負けだ……俺の独りよがりで、みんなに迷惑かけた。すまん!」

すると、野村駒四郎が言った。

「でも、たえさんの心が変わっていないことがわかったんだから、怪我の功名ってやつだな」

「たえさん、こいつ、真面目だから勘違いも真面目にするんですよ。こんなやつですがよろしくお願いします」

勝三郎が続けた。たえは顔を赤くしながら、

「……はい!」

と答えた。なんだそれは、とふくれる儀三郎を見ながら、白虎隊の少年たちは笑った。


 その夜、歳三と斎藤は差し向かいで酒を酌み交わしながら話していた。

「同盟軍が白河を取り返すのは、もう無理だな」

「新政府軍の援軍が多すぎます。戦っても無駄に死人を出すだけです。ついに容保様も西郷頼母さいごうたのもどのを解任しましたが」

「俺は、元々あの家老は好かねぇんだ。頭が固すぎて、大将の器じゃねぇ。娘の方がよっぽど大将に向いてるぜ」

「たえどのですか……今日の試合の原因……と言っては気の毒ですな」

斎藤はニヤリとした。試合後の儀三郎の様子を聞いていたのだ。

「鉄や銀も、俺のいねぇ間に、ずいぶん強くなったもんだ。はじめたちが面倒見てくれているおかげだ。感謝する」

「土方さんが来ると聞いて、皆いつも以上に稽古に励んでいましたから」

「五郎や馬之丞も頑張ってたな。惜しかった……」

歳三の言葉に、『奥歯にものが挟まったような』感じがした斎藤が切り出した。

「……土方さん、言いたいことがあるんでしょう?一人名前が抜けてますよ」

歳三は、ジロッと斎藤を見た。やはり、にらまれると怖い。歳三が言った。

「おめぇ、知ってたろ?あいつの剣筋が変わったこと」

やはりな、と斎藤は思った。

「こっちへ来て、何回か稽古に立ち会ったのですが、総司の構えに似てきたな、と思ってました。江戸で、まだ元気だった頃の総司に見てもらっていたと言ってましたが……」

斎藤は、試合の前日に起きた出来事について話した。

りょうの練習相手をしていた新選組隊士が、いきなりりょうの突きに倒れたのだ。その音に驚いて皆振り返ると、りょうはぼうっと立っていた。その隊士はまだ声が出せないらしい。

「たぶん、その時も今日のように三段突きが出たのでしょう……大の男が飛ばされる突きなど、それ以外に考えられません。ただし、その時のことは覚えていないようなんです。今日の試合の時も、まるで意識が飛んでしまっているようでした。こんなこと言うと土方さんに笑われそうですが、総司が乗り移ったような……」

斎藤は言った。すると、歳三は笑わず、呟くように言った。

「あんなに病んでいるとは思わなかったぜ、あのばか野郎……」

それが、りょうに対してなのか、沖田に対しての言葉なのか、斎藤には良くわからなかったが、歳三が本気で心配していることはわかった。

はじめ、二、三日、あいつに稽古をつけたいんだが、いいか?朝だけだ。あとは普通に仕事させる」

と、歳三は聞いた。

「わかりました。何かお考えがあるんですね」

斎藤は答えた。

「総司をあいつから離さなきゃならねぇ……厄介だぜ……」

歳三は真面目な顔をしていた。斎藤は、りょうのあの一瞬のニヤリとした顔が、人を斬るときの沖田の顔に似ていたのを思い出して、背筋が少し寒くなった。


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