第8章 新選組の医者
りょうは、沖田と、負傷した近藤と共に、大坂に行くことになった。
その夜、近藤の仇を討つ、と興奮していた沖田が眠り、りょうがやっと一息ついた頃、山崎がりょうを呼んだ。
「良蔵。ちょい、ええか?」
「はい?」
山崎の部屋に入ると、若い旅装束の男が座っていた。
「りょう、久しぶりだな」
その男の顔を見て、りょうは驚いた。
「おばたの、ドラ息子!」
りょうが言うと、山崎が吹き出した。
「なんや、自分、良蔵に相当、恨まれとるみたいやな?」
男の名は、
子供の頃は、道場でよくりょうをいじめていた。負けず嫌いのりょうが、試合で年上の男の子を初めて打ち負かした時の相手が、小幡だった。
「あん時は、悔しくてな。それ以来、お前に負けないように鍛えてきたんだが、こっちが直らなかった」
と人差し指を曲げてみせた。
「まだそんなことやってたのか!よく捕まらなかったものだなあ」
とりょうが呆れていると、
「俺は足に自信あるからな、町方には捕まらないんだ」
小幡は、子供の頃から韋駄天とあだ名されるほど、足が早かった。悪さをしても、大人たちが追い付けないようなところに逃げてしまうのだ。
「良蔵、自分、『韋駄天小僧』を覚えとるか?」
山崎の突然の質問に、りょうは、
「え~と、『韋駄天小僧』って、確か、僕がこっちへ来る少し前に、京で出没していた盗賊でしょう?義賊とかなんとか言われてた……ええっ?まさか……」
と、小幡を驚きの目で見つめた。
「し~っ。声がでけぇよ。そう、俺」
小幡は、ニヤリと笑ってみせた。
「何言うとるんや、ヘマして、死にかけたくせに」
山崎はそう言うと、一旦、部屋を後にした。
「しかし、お前が新選組に本当に来るとはなあ。それも、男の振りをして」
と、小幡が言った。
「それは、絶対言わないで。秘密なんだ」
りょうが小声で答えた。
「どうせ、沖田さんに会いたくて来たんだろ。お前はガキの頃から沖田さんの後ばかり追いかけていた。
と小幡がりょうをからかうと、りょうの顔が赤くなった。それを見た小幡は、
「なんだ、今でもやっぱり、沖田さんに惚れてんのか、お前」
と言い当てた。
慶応2年の冬、山崎と斎藤は、探索にあたっていた長州屋敷から傷を負って逃げ出した盗賊を捕らえた。それが、韋駄天小僧こと、小幡三郎だった。放っておけば死んでいたほどの重傷だったが、山崎の手当ての甲斐あって回復した。まだ二十歳にもならぬ若者であり、一度は新選組の門を叩いた者。山崎が近藤に相談し、以降、探索方、山崎の手足となって、各地で情報収集を行ってきた。これは、新選組の幹部でも知る者は少なかった。
「俺は、局長には二度、人生を変えられた。山崎さんや斎藤さんに救われなければ、今頃は三条河原に首を晒していた。この人たちのためなら、俺は命をかけられるんだ」
小幡は誇らしげに言った。
「今だって、局長の伝言を伝えに、島原までひとっ走りしてきたところだ」
「島原……お孝さんのところだね?近藤先生の怪我のこと伝えたの?」
りょうが尋ねると、小幡はふん、と笑って、
「ガキには関係ない、大人の伝言だ」
と言った。
「僕はガキじゃない!ちゃんと役目だってあるんだから!」
と、りょうが反論すると、
「大好きな沖田先生の看病、だろ」
と、またからかう。小幡は楽しそうだ。
「ち、違うよ。山崎先生の助手として……」
りょうはますます必死に弁解する。
「いいじゃないか、惚れた男の面倒みるなんて。いっそ、そのまんま嫁になっちまえよ」
「ばっ……馬鹿言うな!いい加減にしないと怒るぞ!!」
りょうは真っ赤になっている。小幡はケラケラ笑っていた。
「お前らのことなんてお見通しだ。俺は何度も山崎さんの使いでお孝さんのところに、行ってたんだからな」
小幡はそう言ってニヤリとした。
「え、えっ?あの使いの人って……」
みんな知られていたのか、とりょうは恥ずかしくなり、顔を伏せた。
山崎が戻ったので、そこで話はおしまいになった。
「少しは昔の話ができたか?」
山崎が聞くと、
「はい。ありがとうございました、では」
と小幡は立ち上がった。
「また探索方として、どこかへ行くのか?えっと……三郎?」
りょうは小幡の名前を思い出して、そう呼んだ。
「俺は新選組隊士じゃない。山崎さんや斎藤さんからは、『韋駄天』て呼ばれてる。それでいいぞ」
「でも、僕にとっては幼なじみの三郎だから」
りょうがそう言うと、小幡は嬉しそうに笑った。
「幼なじみ、か。いい言葉だな……じゃあ、俺はお役目だ。またな、良蔵」
あっという間にいなくなった。本当に韋駄天のようだ。
「やつにも、懐かしゅう話せる友達がおって良かったな。良蔵に会わせて正解やった。生き返ったようだったな」
新選組の間者のような仕事をして、常に神経を研ぎ澄ましているような小幡も、一人の若者である。つかの間でも人間らしいやり取りをさせてあげようという、山崎の優しさであった。
小幡が江戸から持ち帰った情報は、大変なものだった。
王政復古をしたといっても、国を統率する力が諸藩や公家にあるわけがなく、徳川を支持する声は、日々強くなった。それを阻止し、徳川を『朝敵』にするために、西郷隆盛は、幕府の方から戦を仕掛けさせようとしていた。雇った浪人やヤクザに、江戸のあちこちで放火や強盗をさせている、という。旧幕府中枢部では、
「薩摩を討て」
との声が日増しに高まっているという。
「薩摩の挑発だ。こんなもんに引っかかるなんて、どうかしている」
と、歳三は思った。こんなときに、近藤がいなくなるのは痛かった。しかし、泣き言を言うわけにはいかない。歳三は、自らが局長代理となり、新選組を率いることに決めた。
近藤、沖田、りょうが大坂に下る前日のこと。
「土方先生、お呼びですか?」
りょうは歳三の部屋の前に来た。
「入れ」
と歳三の声がした。また、何か怒らせることをしたかな……と、りょうは気が気でない。入口で立ち止まっていると、
「何をしてるんだ。こっちへ来い」
と歳三が手招きした。
「あの……僕、また何かしたでしょうか?」
その顔を見て、歳三は笑いだした。
「いつも呼ばれるときは怒鳴られる時だからなぁ、そう思うのもわかる。今日は叱るためじゃねぇから、安心しろ」
そう言われて、りょうは、ほっとした。
「明日は、大坂だな」
「はい」
りょうは答えた。
「おめぇには、荷が重いだろうが、近藤さんと総司のこと、くれぐれも頼む」
歳三は、いつもと違って、思いつめたような言い方だった。りょうは、少し心配になった。
「土方先生も……一人になんてならないでくださいね!」
りょうは、以前、藤堂や君菊に言われたことが気になって、ついそんな言い方になってしまった。歳三は不思議そうに、
「何を言ってんだ、おめぇは。俺は局長代理だ。みんなを引き連れていかなくちゃならねぇんだから、一人になるわけねぇだろうが」
と言った。いつもの歳三の口調だったので、りょうは胸をなでおろした。すると、
「おめぇに渡すもんがある。これだ」
と、出されたのは、脇差・堀川国広であった。
「あ、これは、母さんの……!」
長い間にすっかり忘れていたが、母が病床で、りょうに渡した刀であった。決して他人に渡してはならない、と言われた刀であった。その刀を見た瞬間、りょうは、母の言葉を思い出した。りょうが黙って刀を見つめていると、歳三は言った。
「これを、姉貴からおめぇに渡すように頼まれてきた。このあと、いつおめぇに会えるかわからない。もう会えないかもしれないしな。だから、今、渡そうと思って……」
りょうが、その続きを遮った。
「ダメです!これは、先生が持っていてください。とても大切な刀だから、僕じゃなく、先生が!」
「良蔵?」
「この刀は、お守りです。きっと先生を守ってくれます。僕は大丈夫。こっちがあるから」
と、上京した時に彦五郎に渡されたた刀を出した。歳三が送った刀である。歳三はそれを見て微笑んだ。
「そうか。そうだったな」
歳三は頷いた。
「先生、大坂で待っています。必ず、無事で来てくださいね」
りょうは、まっすぐに歳三を見つめて言った。
(こいつ、仕草まであいつに似てきやがる……)
「ああ、わかった。必ず、大坂まで迎えに行ってやる。それまでおめぇも頑張れよ」
と、りょうの頭をポン、と叩いた。
本当は、会うのは、これが最後もしれない、と死を覚悟して出陣しようとしていた歳三だった。しかし、りょうの言葉で、その覚悟は別のものに変わっていた。
(また、こいつの顔を見るまで、死ぬわけにはいかねぇな……!)
りょうは、母の言葉を思い返していた。
『りょう。この刀は、決して他人に渡してはなりません。もし、土方歳三に会ったとき、その人が本当の武士であったら、この刀を渡しなさい。そうでなければ、あなたが武士になったとき使いなさい』
(大丈夫。きっと、母さんは、父さんを守ってくれる……!)
翌日、大坂まで付いてきてくれたのは、山崎だった。山崎は、道すがら、薩長の布陣や装備の様子を探っていた。大坂城に着くと、松本良順が迎えてくれた。
「良順先生!」
りょうが気安く近寄ろうとしたとき、護衛の武士に止められた。
「無礼者!御典医であられるぞ!」
「ご、ごめんなさい!」
りょうは、あわてて謝った。良順が、
「よいよい。この者らは知り合いじゃから、私が出迎えたのだ。子供に大声をあげるでない」
護衛の武士は一礼して下がった。そういえば、良順が着ている着物も、新選組に来ていた時と比べて、かなり豪華であった。
「良順先生、偉くなったんですか?」
りょうが聞くと、良順は笑いながら、
「私は元々、幕府の医者じゃ、新選組の専属ではないぞ。近藤さんや土方くんに呼びつけられるんで、出向くだけじゃ。まあ、出来の良い弟子もおるしな」
と、山崎の方を向いて言った。山崎は少し照れながら、
「いや、他に誰もおらへんから、私がやっとるだけですわ。今はこの良蔵がいて、助かってます」
と返した。りょうも、少し照れ臭かった。
「さあ、怪我人と病人を中に早く連れていきなさい」
良順に促され、近藤と沖田の駕籠が大坂城内に入った。
良順は、近藤の怪我の具合を診察した後、山崎と話し合っていた。りょうは、その様子をずっと見ていた。山崎は、分厚い帳面を良順に見せながら、説明していた。沖田の様子を話すときも、また別の帳面を出して説明していた。その帳面は、屯所の、山崎の机の上にいつも置いてあったものだ。毎晩、色々書き込んでいたのを、りょうは見ていた。良順が山崎に言った。
「いや、大したものだ。これだけ細かく患者のことを書いている医者もおらんだろうの」
山崎は、いや、と言いながら、
「わしには他に役目もあるさかい、他の者に患者を任せなあかんこともあります……」
と、りょうの方を向いた。良順は、りょうを見ながら、
「山崎先生は、お前に期待しているようだぞ、良蔵」
と言うと、りょうはあわてて、
「そんな、僕なんか何も。山崎先生のお教えの通りに、ただ、お手伝いをしているだけです」
と言った。だが、山崎の心は、この時には、もう決まっていたようだ。
良順の診察の結果、近藤の肩の怪我は結構重傷で、以前のように刀を振ることは難しいということだった。肩の腱をやられているので、腕が上まで上がらないだろうと言われた。近藤は、笑って、
「私には、代わりに動いてくれる部下がたくさんおりますから、私はどっしりと構えていればいいですから」
と言っていたが、やはり悔しそうだった。山崎に、
「今になって、山南さんの気持ちが、わかるなぁ……武士が刀を振れないとは、悔しいことだ……」
と呟いたという。
その夜、山崎は、りょうの前に、昼間の帳面を出していた。
「良蔵、これは昼間、良順先生に見せてた帳面や。局長や総司の病状の他、飲んだ薬の種類と量、今までわしが診てきた新選組の患者の治療のことが書いてある。わしは、これを全てあんたに託す」
「えっ?」
りょうは、山崎の顔を見た。山崎は、とても真剣な表情をしていた。
「あんたが明日から、新選組の医者や」
山崎の言葉にりょうは耳を疑った。
「や、山崎先生、何を冗談言ってんですか。僕はまだ……!」
りょうが慌てて断ろうとするのを、山崎は遮った。
「あんたは確かにまだ15歳で、まだ未熟もんや。ほんでも、わしは、一年あんたを手伝わせてきたんや。あんたはようやってきた。総司のことも、安心して任せられる」
りょうは、ごくっと唾を飲み込んだ。誰にも頼らず、患者を診るなんて、自信がなかった。
「先生……僕には無理です。僕は治療の判断なんて、できません。先生がいなければ、何もできません!」
りょうは不安だった。山崎が遠くに行ってしまう気がして、引き留めたかった。
「大丈夫や。今は、この大坂で、良順先生の元で、色んなこと学んだらええ。良順先生のすることを見て、真似て、おのれのもんにするんや。あんたならできる!」
真剣な山崎の顔に、りょうは彼の強い思いを感じた。
「こんな状況や、いつ戦になるか、わからへんのや。ちょくちょく病人の元に戻るなんてこと、できへんやろ。わしは副長を支えて、元のお役に徹する」
と、山崎は言った。歳三の背負ったものがいかに大変なものかをわかっての言葉だった。
「土方先生を支える……」
りょうが呟くと、山崎は言った。
「そうや。わしも、良蔵も、土方副長を支えんのや。お互い、気張るで!」
りょうは、まっすぐに山崎を見つめた。そして言った。
「僕は、先生のお留守を守ります。でも、必ずまた僕を鍛えにきてください。お願いします」
それを聞いて、山崎は微笑んだ。安心したような、優しい笑顔だった。
翌朝、りょうが起きたときには、すでに山崎は大坂を後にしていた。
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