第7章 墨染事件
慶応3(1967)年12月17日、すっかり日が落ちて辺りが暗くなった頃、お孝、沖田、鉄之助、りょうの4人はいったんお孝の住まいに寄った。鉄之助は、置屋の使用人のような格好をしている。衛士の目を逃れるため、芸妓と舞妓を連れて来たように見せるのである。周りを気にしていた沖田が言った。
「見張られてるな」
住まいが見える高台に、誰か潜んでいるようだ。
「お孝さんはどうするのですか?」
りょうが聞いた。
「うちんことは心配しいひんでください。近藤から、なんかあったら、島原に隠れろ言われてます。うちは大丈夫や。あんた方出ていったら、うちも逃げますよって」
と、お孝は言った。姉の亡くなったあと、近藤にずっとついてきたお孝であった。身の危険は、初めてではない。
「堂々と表から出よう。その方がバレずに済む」
芸妓が挨拶に来たような様子で、三人は駕籠に乗った。あとはもう、伏見まで駕籠を走りに走らせた。沖田にはかなり辛い走りだったが、沖田は耐えた。
その夜中、お孝の住まいが御陵衛士の襲撃を受けた。しかし、中にいたのは下働きの女中だけで、沖田の姿も、りょうの姿もなかった。お孝もすでに家をあとにしていた。衛士たちは、
「しまった!さっきの芸妓たちか!?」
と言って悔しがった。
夜も更けて、日付は18日に変わっている。伏見奉行所の屯所で、歳三はイライラしながら、沖田たちを待っていた。探索方の報告では、お孝の家が襲撃されたらしいが、沖田たちはいなかったということだった。
(遅え!なんかあったんじゃねぇだろうな……あいつらに何かあったら、衛士を一人だって許さねぇからな!)
「歳さん!総司と良蔵が戻ってきた!二人とも無事だ!鉄之助も一緒だ!」
永倉の声が聞こえた。歳三は、ふぅ~っ、と大きなため息をついて座り込んだ。
(無事だったか……!寿命が縮んだぜ……)
三人は近藤の部屋に通されていた。歳三はまだ来ない。
「近藤先生、お孝さんにはお世話になってしまって……」
と沖田が言うと、
「なんだか元気になったようだな、総司。とにかく、二人が無事で、良かったよ……プッ!」
近藤が堪えきれずに吹き出した。
「わかってますよ、変なんでしょう?僕の芸妓姿。仕方ないでしょう?これしか方法がなかったんですから」
沖田が恨めしそうに言うと、永倉が
「いやぁ~、なかなかだぜ、総司。一度、酌でもしてもらいてぇもんだ」
と笑う。
「気色悪い」
とは、斎藤の一言である。
「あっちは相当可愛いのにな。見違えたぜ。雛人形みたいだ」
と原田がりょうを見て言った。銀之助と馬之丞がりょうを囲んでいた。
「こんな格好、苦しくてしょうがないよ!土方先生に挨拶したら、すぐ着替えるんだからな!見るなよ!」
とりょうはふくれている。
「かわいいなあ、良蔵。ずっとこの格好をしてたら?」
馬之丞がデレッとして言うと、銀之助も、
「鉄~、よく平気だったなあ。こんな良蔵見ていて」
と鉄之助をからかった。鉄之助は、
「な、何言ってんだ!それどころじゃなかったんだからな!俺は必死で!」
と言い返した。
「鉄之助は僕たちをよく守ってくれた。感謝するよ、ありがとう」
と沖田が言った。鉄之助は、そんな……と頭を掻いていた。落ち着かないりょうは、
「土方先生、遅いなあ、僕、報告に行ってくる!」
と立ち上がって部屋の外に出ようとしたとき、入ってきた歳三と鉢合わせをした。歳三は息を飲んだ。そこに見たのは、紛れもない、おうめの姿だった。
「お……うめ……!?」
歳三は思わず、後ずさりして、尻もちをついた。
「おい、トシ、大丈夫か?」
近藤が心配した。
「歳さん、良蔵のあまりの可愛さに、びっくりしたんだよ。ほら、良蔵、起こしてやれよ」
永倉に促されたりょうが手を伸ばした。歳三は動揺を隠せない。りょうとおうめの顔が重なって見える。
(歳さん、あなたの娘よ。きれいになったでしょう?)
おうめの声が聞こえる気がする。
「先生、土方先生。大丈夫ですか?」
小姓たちの声に、歳三は我にかえった。
「な、何でもねぇ。良蔵があんまり変な格好だから、面食らったんだ。手は要らねえ。自分で立てる!」
歳三に変な格好と言われて、りょうは急に悲しくなった。本当は、歳三にもこの姿を見てもらいたかったのだ。
「ただいま戻りました。僕、着替えてきます……」
りょうはうつむいたままとぼとぼと部屋を出ていった。
「もう!土方さんは!あれじゃ、かわいそうじゃないか!?」
沖田が歳三に食ってかかった。
「総司、おめえも変な格好だなぁ。そんな芸妓がいたら、酒が進まねえな」
と、歳三は聞こえていないふりをした。
「僕のことはいいから、良蔵になんか言ってやりなよ。ほら!」
と、歳三を促す。
「総司を気遣いながら、無事で帰ってきたんだぜ。誉めてやらないで、どうすんだよ」
と永倉が言った。他の幹部も、行け行け、というように手を振る。歳三は、仕方ねえな、という表情で、良蔵の後を追う。
「全く、ホントに不器用な副長だな。あれじゃ、結婚出来ないわけだ」
と原田が言うと、近藤が、
「トシは出来ないんじゃなくて、もう、する気がないのさ。トシの恋女房は一人だけなんだとさ」
と言ったので、皆笑った。つかの間の明るい屯所だった。
寂しそうに歩くりょうの後ろ姿に、歳三はやはりおうめの後ろ姿が思い出された。
「良蔵」
その声に、りょうは振り返る。男姿のときは感じなかったが、こんなに母親に似ていたのか、と歳三は改めて思った。
「さっきは悪かった。驚いたもんでな。おめぇと総司が無事で、俺はほっとした。何かあったらと気が気でなかった。疲れたろうから、もう休め」
と歳三が言うと、りょうは明るい顔になって、
「はい。ありがとうございます」
と答えた。
「あ、それからな……」
歳三が言いかけたので、りょうは歳三を見つめた。まっすぐ相手を見つめる仕草は、うめと良く似ている。歳三は一旦、咳払いをしてから、
「良く、似合ってるぞ。それ」
と言った。歳三の言葉を聞いて、りょうはとても嬉しそうな顔をした。歳三もまた、りょうの笑顔に安堵した。りょうは一礼して、奥の小姓部屋に消えた。歳三は、りょうを見送りながら、在りし日のうめの姿を思い出していた。
(あいつは、うめが残してくれた、俺の娘だ。必ず守ってみせる……!)
朝早く、近藤は二条城へ登城することになっていた。昨夜のことがあるからと、普段の護衛の他に数人をつける、という歳三に対して、近藤は、
「あまり大人数になると、お偉方がうるさくてな。普段どおりでいいよ」
と言って断った。伏見において、新選組の平隊士によるトラブルが頻発しており、幕臣たちからの評価が悪いのを、近藤はとても気にしていたのだ。
「じゃあ、魁を連れていけ。二人分にはなる」
と、島田
「いつでも出動出来るようにしておいてくれ」
と、一、二番隊に待機するように伝えた。それは、歳三への『虫の知らせ』だったのかもしれない。
沖田は、前日の無理がたたって、高熱を出していた。りょうは沖田の側についていた。山崎はこの日、探索のため外出しており、屯所にまだ戻っていなかった。
「局長が狙撃された!」
という一報が入ったのは夕刻だった。二条城帰りの近藤が、伏見街道の
弾は右肩から胸にかけて貫通したらしい。島田の機転で、
「局長、絶対に手綱を離さないでくださいよ!!」
と馬にムチを入れると、馬はまっしぐらに走り出した。屯所までまっすぐの一本道であったことが幸いし、近藤はなんとか落馬せずに屯所まで戻ることが出来たが、護衛一人、馬丁一人が衛士に殺された。島田も、衛士と斬りあった際に怪我をしたが、自力で帰りついた。
伏見の屯所は大騒ぎになった。山崎はまだ戻って来ず、りょうは、重症の怪我人を初めて一人で診なくてはならなくなった。それも局長である。責任の重大さに、
「ぼ、僕にはできません!」
と、りょうは歳三に訴えた。心細いのだ。いつも隣に山崎がいて、自分は助手で良かった。今日は一人だ。いつもなら手際よく出来る止血がうまくいかない。まだ15歳の少女である。体格のいい近藤の肩を止血のために晒しで縛るのは、容易でなかった。手も、声も震えた。すると、歳三がりょうの肩をガシッと掴んだ。
「しっかりしろ!!今はおめぇが医者なんだぞ!」
りょうはビクッとした。
「一人でしろなんて言わねえ!俺たちの力が必要なら使え!もうすぐ会津の医者が来る。山崎も戻る。それまで頑張れ!」
歳三に言われて、りょうは大きく深呼吸した。すると、落ち着いて患者が見えてきた。
「近藤先生の右肩を少しあげていてください。止血をします。時間を計ってください。縛り続けられないので。四半時立ったら緩めます」
野村や相馬が手伝った。重たい近藤の体を傾けたり支えたりして、なんとか止血をした。紙に、止血をした時刻を書いた。
「できた…!」
そう言った途端、りょうがふらっと倒れかけた。歳三は思わず手を伸ばし、その体を支えた。
「あ……すいません……」
りょうが歳三を見上げると、
「よく、やったな。あとは先生たちに任せろ。このまま、少し休んでいろ」
歳三は、りょうを自分に寄りかからせながら、優しく言った。
「はい……」
りょうは、肩を抱く歳三の、その手の温もりに、少しだけ幸せを感じながら、目を閉じていた……
血相を変えた山崎と、会津藩の医師、南部精一が来たのは、すぐその後であった。
「土方くん、久しぶりですな」
「南部さん、あんたが来てくれたのか。ありがてぇ……!」
南部精一は、松本良順が新選組を訪問したとき、一緒に来て、隊士の治療をしてくれた医師であった。それ以来、時々新選組を訪れては、隊士の健康状態を診たり、近藤や歳三と親交を深めたりしていた。南部は、手当てをしたのがりょうだと知って驚いていた。南部は、近藤の傷を診て、大坂の松本良順の元で、治療した方がいい、と言った。近藤の傷は、かなりの深手であり、筋もやられているのでは、という話だった。診察のあと、南部はりょうの方を向いて言った。
「でも、近藤先生の命を救ったのは、あなたの止血ですよ、良蔵くん。早く血を止めたのが良かった。私が来てからでは、間に合わなかったかもしれません」
南部は、りょうの手当てを誉め、会津藩に報告のため戻った。
「良蔵、よく、頑張ってくれた。感謝する」
歳三はあらためて言った。
「皆さんが手伝ってくれたからです。僕一人ではできませんでした……良かった、近藤先生が助かって……」
りょうは、相馬や野村に頭を下げた。
「俺たちは良蔵の指示の通りに、先生を支えていただけだよ。大したもんだったよ、良蔵は」
野村が言った。
「立派な医者だったな」
と、相馬も言った。山崎は、周りの書類などを片付けながら、りょうの方を向いて言った。
「ほんま、ようやったわ。話を聞いたときは青うなったけど、止血の手順も完璧やった。もう、ここは任せられるな」
「えっ?」
何気なく言ったのだろうが、りょうにはこの時の山崎の言葉が引っかかった。
「近藤さんは、隊士の心の支えだ。おめぇは、近藤さんだけじゃねえ、隊士の心まで守ってくれたみてぇだぜ」
そう言って襖を開けると、たくさんの隊士たちが、拍手をした。皆、近藤を心配して部屋の外で待っていたのだ。
「ほらほら、静かに拍手せんと。局長の傷に障るさかい」
山崎は笑ったが、その目は笑っていなかった。山崎が歳三に耳打ちすると、歳三は頷いた。
「良蔵、疲れてるところ悪いが、総司も診てやってくれ。山崎をしばらく借りる」
歳三はそう言って、他の幹部と共に、部屋を出た。
沖田が目覚めれば、このことで大騒ぎするのはわかっているので、りょうは急いで沖田の部屋に行った。だが、沖田はすでに起きていた。そばには意外にも、鉄之助がいた。そしてもう一人、少し前に歳三付きになった小姓、長島五郎作がいた。
「玉置くん、初めまして。局長付きから土方先生付きになった長島五郎作です」
「玉置良蔵です。良蔵って呼んでください」
りょうは、歳三のそばで隊旗を掲げていた五郎作を思い出して、軽い嫉妬を覚えた。
(この人は、これからもずっと父さんのそばで、『誠』の旗を持つんだろうな……僕が決して、立つことのできない場所で……)
案の定、沖田は、
「熱が引いたら、薩摩屋敷に行って衛士を引きずり出してやる!」
と息巻いていた。沖田にとって近藤が特別な存在であることを、隊士たちはよくわかっていた。気持ちが高ぶり、この前のような無茶をしないように、若い隊士や小姓たちがかわるがわる沖田の様子を見に来ることにしたのである。自分の弟子たちを目の前にしては、いくら沖田でも感情のまま突っ走ることはしないだろうという、歳三の作戦であった。
「良蔵、鉄から聞いた。ありがとう、近藤さんを助けてくれて」
沖田がりょうに礼を言った。
「総兄ぃ、近藤先生は、大坂の良順先生に診てもらうことになりそうだよ」
とりょうが言うと、
「大坂?そうか……」
それきり言うと、沖田が黙ってしまったので、その場を取り繕おうと、鉄之助が話し出した。
「沖田先生、この五郎作さんは、江川塾で砲術を学んできたんですよ。今、日々の洋式訓練も、五郎作さんが指導しているんです」
すると、五郎作が照れたように言った。
「敬語使わなくていいよ。年もそんなに違わないんだから。それに、五郎作、は呼び辛いから、土方先生は『五郎』って呼ぶよ」
その話題に、沖田の目が輝いた。
「江川塾……じゃあ、平助と一緒にいたのかい?」
沖田に聞かれて、五郎作は答えた。
「はい。私は安房の生まれで、13歳の時、藩命で江川塾に。その時、親切にしてくださったのが藤堂平助さんでした。私は藤堂さんから新選組に誘われたんです。なかなか脱藩できなくて、この秋になりましたが」
歳三が近藤から五郎作を預かったのは、砲術師範としての技量を買ってのことだった。
「藤堂さんが?」
思わず、身を乗り出すりょう。沖田は言った。
「近藤さんが江戸に隊士募集に行ったときに、平助も一緒に行ったんだ。平助はその時、伊東たちを勧誘したあと、砲術を習うのに、江戸で江川塾に入ったんだ。その次に土方さんが江戸に行ったときに、一緒に帰って来たんだよ」
藤堂に会ったのは、一年と少し前。しかし、あまりに色々なことが起こりすぎて、りょうには、昔のことのように感じられた。沖田は、遠い目をしていた。沖田もまた、平助の記憶と共に、その頃のことを思い出していたのだろう。
五郎作は、洋式調練のことについても話した。
「新選組にはゲベール銃しかないのが残念です。ミニエー銃が手に入れば、もっと成果が上がるのに」
五郎作は残念そうに言った。近藤は、ミニエー銃の購入を何回となく、会津や幕府に打診していたが、高価なことを理由に断られていたようだ。しかし、このころ薩摩などにはたくさんのミニエー銃が着々と用意されていたのである。
歳三は、若手の隊士や小姓たちに洋式調練をずっと課していた。若ければ覚えが早い。藤堂に砲術習得をさせたのも、幹部で一番若かったからである。伊東甲子太郎も、藤堂の砲術習得の技術を利用しようとしていた。この時に、藤堂が新選組に生きていたら、戊辰の戦はまた違っていたのであろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます