激動編1 鳥羽伏見から江戸

第1章 山崎丞の命令

 近藤、沖田、りょうがが大坂に下った直後、伏見において、新選組と薩摩兵や土佐兵との衝突があった。近藤不在による結束力の衰えを、歳三は痛感した。衝突は大事には至らなかったが、尾張藩より、伏見撤退の命令も出された。この時、

「尾張様の言い分は、重々承知。しかし、新選組は若年寄永井様を長官と仰ぐもの。長官からの命令がなくて、勝手に伏見を離れることはできぬ」

と、歳三は断ったという。幕府命令系統がややこしかったことが幸いし、この命令は執行されなかった。しかし、その前に、二条城で水戸藩と警護の件で揉めており、今回、伏見での尾張藩といい、御三家を敵に回すような事態になったことは、後々、新選組が旧幕府から守られなかった要因のひとつ、であったかもしれない。


 慶応3(1867)年12月25日、ついに、旧幕府の堪忍袋の緒が切れた。江戸で庄内藩による薩摩藩邸焼き討ち事件が起こったのである。西郷隆盛の作戦により、江戸市中ばかりでなく、関東一円において、略奪や放火などが頻繁におきており、庶民が巻き込まれて、被害がでていた。芝赤羽橋や三田にある、庄内藩お預かりの屯所も、薩摩の雇った浪士により襲撃された。流れ弾により、町人にも死者がでた。旧幕府は、当時幕府軍を指導していたフランス顧問等に了解を取り、庄内藩などに、薩摩藩邸を攻めさせた。幕府にしてみれば、至極当然の報復措置と考えており、この時点では、幕府にとっての敵は薩摩藩であった。勿論、朝廷に反する意識など、徳川慶喜始め、旧幕府の誰も持っていなかった。


 この一報を大坂に届けたのは、小幡おばた三郎だった。薩摩藩邸焼き討ちから、わずか三日後のことである。

「りょう、俺はこれから、薩摩屋敷に潜入する。幕府は、薩摩と戦闘態勢に入るぞ」

と小幡は言った。

「三郎、死ぬなよ!」

りょうは、小幡を見送った後、すぐに医療道具の準備を始めた。

(ここも戦場になるかもしれない。僕は新選組の医者なんだ)

山崎のいないこの場を、なんとしても守らなければならない。りょうの中に、医者としての心の芽生えが始まっていた。


 藩邸を焼かれて品川から逃げ出した薩摩藩士たちは、船で兵庫の港に逃げた。だが、そこに待っていたのは、すでに江戸からの報告を受けた、榎本武揚たけあき率いる、幕府海軍であった。慶応4(1868)年元旦には、兵庫港に停泊していた薩摩軍艦に砲撃を開始し、薩摩藩からの抗議にも、江戸での幕薩間の事件を盾にはねつけた。薩摩の春日かすが丸はやっとのことで薩摩に帰国したが、品川から幕府海軍に追われていた翔凰しょうおう丸は自焼した。海での戦いでは、幕府がまさっていたのだ。


 しかし、陸軍はそうはいかなかった。『討薩とうさつの表』を携えて、大坂城に集結し、天皇の勅許を受けて薩摩を討つという計画であり、上京はあくまでも、勅許をもらうため、であった。江戸から来た多くの兵士には、戦うという意識が欠如していた。『徳川が大軍を率いて上京するのだ。薩摩一国が、立ち向かえるわけがない』という、甘い考えを持っていたのかもしれない。反して、薩摩はすでに戦闘体制を十分に整え、どこからでも攻撃できるように、兵を配置していた。戦う前の意識からして、旧幕府と薩摩とでは、異なっていたのである。


 1月3日、鳥羽街道において、幕府軍と薩摩軍の戦闘が始まった。先頭体制を整えていた薩摩軍に対して、入京するまでは戦闘せず、としていた旧幕府軍は、鉄砲に弾を込めてさえいなかった。敵の攻撃に驚いて、真っ先に逃げたのは、指揮官だったという。鳥羽方面での戦闘が始まると、伏見でも戦端が開かれた。伏見奉行所の向かいの高台、御香宮ごこうのみやには、薩摩軍が布陣しており、一斉に奉行所に向かって砲撃を開始した。新選組も応戦したが、高台への砲撃は不利であった。そして、銃の違いによる射程距離の差も、戦力の差であった。陸軍奉行の竹中重固たけなかしげかたは早々に逃げ、奉行所は火災を出し、新選組は伏見から撤退せざるを得なくなった。


 幕府軍苦戦の報は、大坂にも届いていた。りょうは、いても立ってもいられず、良順に、

「伏見へ行かせて欲しい」

と頼み込んだが、良順の答えは否、だった。

「お前のような未熟者が行ってどうするのじゃ?足手まといになるだけじゃ」

と良順は言った。すると、りょうは、

「でも、僕が必要な治療道具を背負って、兵士と一緒に本営まで行くとか、そうすることができれば、怪我した人を、すぐ、治療できますよね?戦場のすぐ後方で怪我の手当てができるなら、また出陣することもできます!」

と言った。良順は、思わずりょうの顔を見た。この小姓は、何ということを考えるのだ、という顔だった。当時は、『従軍医師』という発想はなかった。戦国時代、武田信玄が応急処置の知識を武将たちに習得させ、戦場で役立てたらしい、という話はあったが、医師そのものが軍隊に加わるということはなかった。医者はまだ貴重な存在であり、戦場で危険にさらすことは考えられなかった。また、太平の世であった江戸時代には、その必要もなかったのである。ただ、この時、りょうが何気なく言った言葉が、良順の心に残ったかどうかはわからないが、松本良順は、後に、軍医制度の創設に貢献し、日本で最初の軍医総監になっている。


 良順は、ある程度の戦況を理解していたので、今、この若い医師見習いを戦場に送り出すわけにはいかなかった。良順は、近藤を通して、歳三から文を貰っていた。そこには、『彼の無鉄砲の事、宜しく申上げ候』と書かれていた。言葉少ない文であったが、りょうを決して京に戻さないでほしいという歳三の願いを、良順は読み取っていた。

「お前は、何をしなければならんのか、わかっておらんようだな!お前の役目は、ここで山崎の代わりを努めることだ。それをしないで、どうしても伏見に行きたければ、近藤と沖田を斬ってから行け!」

と、りょうは怒鳴られ、京に戻ることを断念した。歳三や仲間たちの安否が気になったが、大坂城内にも怪我人が運ばれてくるようになっており、今、ここを離れることはできなかった。

「土方さんが心配?」

と、沖田がりょうに聞いた。良順の治療で、沖田は小康状態を保っていた。りょうの不安そうな顔を見て、

「大丈夫だよ。土方さんは不死身だから。そのうちに隊を引き連れて、大坂にやって来るって」

と言った。りょうは、自分が沖田に気を使わせてしまったことに気がつき、

「ごめんね。僕ったら、何やってんだろう。今は、僕が新選組の怪我人を診なくてはならないのに。そうだよね。土方先生はきっと無事で帰ってくるよね……!」

そう言って、りょうは沖田に背を向けた。不安そうな顔を沖田に見せてはいけない、誰よりも歳三の元に行って共に戦いたいと願っているのは沖田なのだ、ということを、りょうはわかっていた。気持ちを切り替えようと、

「さあ、総兄そうにぃ、今日は天気がいいから、寝巻きを取り替えようね。洗濯、洗濯!」

と、元気な声を出し、沖田の着替えを手伝った。沖田は、苦笑いしながら、

「また着物を剥ぎ取られるのか~、そんなにしょっちゅう換えなくてもいいのに」

と情けない声を出すと、

「ダメだよ、良順先生が、清潔が一番だと言っていたんだから」

と容赦ない。そんな様子を、往診に来た良順が見て言った。

「なんじゃ、まるで若夫婦がじゃれあっとるようだの、わしは邪魔だったか?」

二人の顔が真っ赤になったのを見て、良順は大笑いした。


 旧幕府軍は、敗退を繰り返していた。新選組の突撃などで、いったんは情勢を盛り返したように見えたが、突然の錦旗きんきの出現により、旧幕府軍が朝敵にされてしまった。味方と思っていた諸藩には、すでに朝廷から寝返りの命令が出されており、旧幕府の呼び掛けに応ずる藩はなく、司令官を失った旧幕府軍は、戦意も喪失していた。徳川慶喜が描いていた、『徳川対薩摩の私闘』という構想は潰えた。


 1月6日朝、徳川慶喜は、大坂城への撤退と、徹底抗戦を兵士たちに告げた。夜、大阪城に新選組が入った。りょうが見たその姿は、かつての新選組ではなかった。隊服も、隊旗もボロボロになり、真っ赤に血にまみれ、皆、負傷していた。

「怪我をしている方たちはこっちへ!怪我のない方や動ける方は中でお休みください!」

りょうは、そう叫びながら、歳三を探した。歳三は、隊の一番最後に入ってきた。

「土方先生!」

歳三はりょうと目を合わせたが、何も言わず中に入った。歳三の後ろ姿には、悔しさを噛み殺した悲しみが現れていた。先に入った小姓たちのうち、鉄之助と銀之助は歳三を待っており、歳三の姿を確認すると、あとに従って中に入った。馬之丞と五郎作は、負傷していたので、治療所に回った。永倉も、原田も、斎藤も、皆、一様に複雑な表情をして、黙りこくっていた。りょうは、幹部を一人一人確認していたが、井上の姿がない。鉄之助と、銀之助が幕の外に出てきたので、りょうは聞いた。

「鉄、井上先生は?」

その瞬間、鉄之助はビクッとしてりょうを振り返り、銀之助はわっと泣き出した。りょうは驚いた。

「ど、どうしたんだ、銀?」

すると鉄之助が大きな声を出した。

「泣くな!銀!お前のせいじゃない!」

「だって……僕を助けて井上先生は死んだんだ……僕のせいだ……!」

それを聞いて、りょうは愕然とした。

「井上先生が死んだ!?そんなバカな……」

井上のにこやかな笑顔が浮かんだ。近藤より少し年上とはいえ、天然理心流の目録である。剣の腕は確かだった。誰よりも慎重で落ち着いており、状況に合わせて臨機応変に行動できる、頼りになる幹部であった。


 鉄之助の話によると、淀藩の寝返りで淀城に入れなかった幕府軍は、薩長軍と5日の淀堤千両松よどつつみせんりょうまつで戦闘となったが、撤退中に遅れてしまったのが、一番年下の銀之助だった。井上は、撤退を遅れさせる訳にはいかないと、銀之助を助けに戻り、銃撃の中を助け出したのだった。安全な所で銀之助が気がついた時には、井上はすでに事切れていたらしい。


 りょうは、泣いている銀之助を抱き締めた。

「泣くな、銀。井上先生は、お前に命を託したんだ。銀は井上先生と二人分生きなきゃな……無事に戻ってくれて良かった……!」

「良蔵……ありがとう」

銀之助は小さな声で言った。その時、良順の弟子がりょうを呼びに来た。

「良蔵、良順先生が早く来いと言ってるぞ」

りょうは、鉄之助の肩に手をおいて、言った。

「鉄が生きていて、本当に良かった。銀や土方先生を頼むね」

鉄之助は、りょうの言葉に、少し気持ちが和らぐのを感じていた。


 りょうは、怪我人が収容されている部屋に走った。ふと、包帯で顔の半分を巻かれている重体の患者が目に入った。

「や、山崎先生!!」

思わず駆け寄った。側には良順と、沖田がいた。

「山崎さん、しっかり!」

沖田が呼ぶと、山崎は答えた。

「総司やな……いつもと逆になってもうたな……へましたわ……大砲に当たってもうた…」

こんなときまで冗談を言おうとしている。

「山崎先生!!山崎先生!!どうして!?」

りょうは泣いている。すると、山崎が言った。

「その声……良蔵やな……?なんで泣いとるんや……ええか……?医者は、どんな時でも、決して泣いたらあかん……!患者を不安にさせて、どうするんや?泣くんやないで……これは、命令や……!」

山崎は、少しだけ動く手で、りょうに触れた。りょうはその手をしっかり掴んだ。

「……泣きません!泣きませんから。山崎先生は、僕が治します!」

それを聞いた山崎は微笑んだ。

「頼もしな……良蔵……」

りょうは、良順を見あげた。良順は、ゆっくりと首を左右に振った。


 翌朝、近藤は歳三を伴い、怪我を押して登城した。老中板倉勝清いたくらかつきよに逢い、徹底抗戦を主張するためであったが、この謁見は行われなかった。板倉が拒否したとも、すでに板倉はいなかったとも言われているが、それよりも大坂城の兵士たちを愕然とさせたのは、徳川慶喜の大坂脱出であった。前日に徹底抗戦を宣言した本人が、会津、桑名の両大名と共に、兵たちに何も知らせずに大坂城を出て、江戸に帰ってしまったのである。

「総大将が城を捨てたんじゃ、いくさなんて、勝てっこねぇだろうが!!」

歳三は怒ったが、心のどこかで覚悟していたことだった。

(このいくさは、負けるべくして負けたんだ!)

伝習隊、新選組、会津や桑名の各藩も、大坂を後にすることになった。

「江戸へ帰るぞ!!」

新選組は、順動丸と富士山丸という、二つの船に分乗して、江戸へ向かった。


 文久3(1863)年2月に浪士隊として上京してから、約5年。新選組は、慣れ親しんだ京、大坂に別れを告げた。そして、二度と戻ることはなかった。


 船の中で、りょうはずっと山崎に付きっきりだった。

「こら、総司の薬は、どないした……?わしにばかりついとらんと……仕事せいや……」

山崎が言うと、りょうは涙をこらえながら、元気な声で答えた。

「ちゃんとやりましたよ、もう。今は総兄ぃは眠ってます。これからは先生を診る時間!」

「元気やな。その調子や……今、どのあたりや……?」

山崎が聞いた。

「紀州沖ですよ」

りょうは答えた。

「京……離れてしもうたな……」

山崎は寂しげに呟いた。

「江戸もいいですよ。僕の故郷の多摩につれてってあげますよ、先生」

「……うまいもん、あるか……?」

「お不動さんのまんじゅうは、おいしいですよ。帰ったら、一緒に、食べましょう……!」

りょうは言葉に詰まった。涙が溢れた。

「……ちゃんと帳面、見とるか……?」

「はい。今日の薬は書きました。任せてください」

りょうが答えると、

「……安心やな……」

そう言って、山崎は手を動かした。りょうが手を握ると、

「顔、触らせてんか」

と言う。りょうが自分の顔に山崎の手を触れさせると、

「わしにも、生きてれば……良蔵くらいの子がおったんや……」

初めて山崎が自分の話をした。りょうの後ろには、歳三が立っていた。りょうは歳三に気づいたが、歳三が頷いたのでそのまま山崎の話を聞いていた。

「あんたといると、子が側におるようで、楽しかったわ……ありがとな……副長が、羨ましなぁ……」

山崎の手が落ちた。

「先生!先生!しっかりしてください!」

「山崎!しっかりしろ!」

歳三の声に、山崎は反応した。

「副長……お役に立てずに、かんにんや……」

歳三は言った。

「何を言う!?たくさん仕事をしてくれたじゃねぇか。辛いこともさせてしまった」

山崎は笑って、

「副長の命は……ぜったいやからな……良蔵、副長を……頼むで……」

と言ったが、りょうは涙で答えられなかった。すると、山崎は、

「また、泣いとるんか……あかん……言うたろ……」

とりょうを諭したが、その声は、だんだんと、小さく、弱くなっていく。

「はい……!」

りょうの目から、涙が次から次へ、こぼれ落ち、山崎の手にも落ちた。

「最後に……お願いや……を……頼むわ……」

よく聞き取れなかったので、山崎の口元に耳を近づけた。

「先生、もう一度言って!」

すると、山崎は、

「……や。見捨てんといてな……」

りょうは、うん、うん、と、山崎の手を顔につけて頷いた。

山崎は、りょうの動きを感じとると、ふっ、と笑って、そして眠るように息を引き取った。

「山崎先生……!!」


 初期の頃から入隊し、医者として隊士に慕われ、また監察として裏の仕事を一手に引き受け、交渉ごとや幅広い人脈で新選組を支えてきた、山崎すすむは逝った。その亡骸は、船の慣習に従って水葬にされた。葬儀は、富士山丸の艦長を務める肥田浜五郎ひだはまごろうが、海軍式に正式に行った。近藤、歳三、沖田も、正装で見送った。りょうは、山崎と約束した通り、泣かなかった。山崎の亡骸が海に沈んでいくのをずっと見ていた。


 『医者は泣いたらあかんで……患者を不安にさせたらあかん。ええな、良蔵』

この山崎の命令を、りょうは生涯忘れたことはなかった。

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