第5章 沖田総司の反乱

 慶応3年12月は、本当に嵐のような日々だった。


 7日に、天満屋において、紀州藩の三浦休太郎を警護していた斎藤一ら新選組が、土佐の海援隊士十六人に襲撃された。斎藤はかすり傷ですんだが、隊士二名が死亡した。うち一人は、近藤の従弟だった。前月に、新選組は幕府から坂本暗殺について取り調べを受けており、全く無実であることを申し開きしている。それを不服とする海援隊士が、黒幕を紀州藩と決めつけて起こした事件だった。


 9日、岩倉具視らが王政復古クーデターをおこし、御所を封鎖した。これにより幕府組織の解体が宣言されたが、それよりも新選組を怒らせたのは、見廻組と幕府与力を合わせて、新遊撃隊と名を変え、新選組を『新遊撃隊御雇』とする、という情報であった。

「なんで俺たちが見廻組の雇いになるんだ!?」

「新選組を無くそうとしているんじゃないか!?」

皆の、憶測がとぶ。

「俺は、勝に会ってくる。こんなことは許せねぇ!」

「やめろ、トシ。勝海舟が我らに会うわけがない!」

近藤が歳三を止めた。幕臣になったとはいっても、上層部は新選組を下層の集団として見ていた。近藤は、幾度となく、現状を打開するための意見を述べてきた。しかし、まともに取り上げてもらったことなどなかった。二条城で会議に出席して、何度苦汁を飲まされてきたことだろう。

「我らは、戦で功をあげて、その力を認めさせるしかないのだ」

近藤は言った。


 同じ頃、りょうは、沖田の薬を準備している最中だった。最近は、山崎から、薬の調合もやるように命じられていた。間違えてはいけないと、薬に集中していたので、沖田の質問に、無意識に答えるだけだった。

「新選組が、見廻組の配下になるって、本当か?名前も無くなるって……」

沖田が聞いた。

「うん。近藤先生が言ってた。内々のお達しだって」

りょうは沖田に背中を向けたまま答えた。沖田が更に問う。

「僕は、二条城に行く面子には、入ってないんだな?」

「うん。近藤先生の休息所で、療養するようにって、僕も一緒に行けって言われたんだ。よし、できた。総兄そうにぃ、薬……」

と、りょうが振り返ったときである。

「りょう、ごめん!!」

沖田に当身を食らって、りょうは気を失った。


 しばらくして、血相を変えた山崎が、近藤の部屋に駆け込んできた。

「局長、副長、大変や!総司が!」

珍しく慌てた山崎の声に、歳三が振り返った。

「どうしたんだ山崎。何かあったのか?」

すると、真っ青になった山崎が言った。

「総司が、良蔵を人質に取った!」

「何だって!?」

近藤と歳三は、部屋を飛び出して沖田の部屋に向かった。ちょうどそこに斎藤がいたので、歳三は斎藤に言った。

はじめ、総司の部屋に誰も近づけるな!」

ただならぬ気配を察した斎藤は、頷いた。


 部屋に入ると、沖田がりょうを抱えていた。その手には、愛刀の大和守安定が握られている。りょうは両手を縛られて、気を失ったままである。

「総司!!何をしているんだ!?」

近藤が叫んだ。

「近藤さん、なぜ、僕を連れてってくれないんですか!?」

沖田が叫ぶ。

「みんなが二条城に詰めるのに、なぜ僕だけ離されるんだ!僕は、まだ戦えるのに!」

そう言って、周りのものを蹴散らす。

「総司!良蔵を離せ!」

歳三が怒鳴った。その声を聞き付けて、永倉と原田が来た。部屋の前に斎藤がいたが、二人を見ると中に促した。

「どうしたんだ歳さん、大きな声を出し……な、何やってるんだ総司!正気か!?」

永倉が叫んだ。原田も慌てた。

「お前、良蔵をどうする気だ!?」

沖田は永倉と原田に向かって、弱々しく微笑むと、歳三の方を向いて言った。

「土方さん、僕はみんなの前で、聞きたいことがあるんだ。答えによっては、良蔵を殺すよ」

沖田は本気だ、と永倉と原田は感じた。


 歳三は、わざと落ち着いた声で言った。

「おめぇ、自分が何を言っているのか、分かってんのか?らしくねえことは、するんじゃねえ!」

近藤も、

「落ち着け、総司。良蔵は、お前を看病してくれる大切な存在じゃないか。お前をどんなに慕っているか皆が知っている。それを斬るってのか!?」

と、沖田をたしなめようとした。沖田は、笑って言った。

「ははは、今になって、僕は伊東さんの気持ちが理解できたよ。目的を達するために、誰をどうすればいいかってことを。土方さんを斬るのは難しいけど、言うことをきかせることはできる。こうすれば!」

きっさきを、りょうの胸元に突きつける。歳三は、思わず刀を抜こうとして手をかけた。

「待てっ!!総司、話を聞くから!」

近藤が必死に止めた。歳三は、刀から手を離したが、顔は真っ青だ。永倉と原田はいつでも飛び出せるように体勢を整えた。土方小姓たちも、騒ぎを聞いてやって来た。斎藤が、

「お前たちは戻れ。戻らぬと怪我をするぞ」

と言い、鯉口を切ろうとすると、皆退いた。だが、鉄之助は、斎藤の手を振り切って部屋に入った。

「良蔵!」

近づこうとすると、山崎に止められた。

「あかん!今の総司に近づいたら、本気まじで斬られるで!」

山崎は襖をぴったりと閉めた。これで外からは見られない。

鉄之助を横目で見て、沖田は歳三に問いかけた。

「僕は新選組に要らない人間ですか、土方さん!?」

歳三は答えない。

「らしくないって言うけど、じゃあ、僕らしいことって何ですか?へらへら笑って、布団に横になっているのが僕らしいことか?新選組がなくなるかも知れないこんなときに、何にもできずに寝てるのが沖田らしいことだって言うんですか!?」

沖田はそこまで言うと、咳き込んだ。山崎が、

「総司、今無理したらあかん。また熱が上がるさかい」

と言った。先日まで沖田は高熱を出していた。りょうが懸命に看病し、やっと少し良くなってきたのだった。沖田はさらに叫んだ。

「土方さん!答えてくれよ!僕は歩ける!刀も振れる!薩長と戦えるんだ!!僕は新選組一番隊組長だ。どうしても置いていくと言うなら、今ここで良蔵を斬る。それでも、僕を必要ないと言うのか!?」

沖田は再び咳き込んだ。

「総司!!」

永倉と原田が叫んだ。歳三は、ピクッと動きかけたが、沖田の目を見て言った。

「そうだ。今のお前は必要ねぇ」

「トシ!」

近藤が歳三を見た。

「歳さん!なんてことを!」

その言葉に、永倉も、原田も、歳三を見つめた。

一瞬、沖田の動きが止まった。

沖田は再び激しく咳き込み、ぬぐった右手には血がついていた。

「総司、もうやめろ!」

永倉と原田が出ていこうとする。

「来ないで!僕は何するかわからないよ!」

その迫力に、二人は止まった。

「おめぇは病人だ。二条城には、上様や会津公がおいでになる。病のやつを二条城に連れていく訳にはいかねえ。おめぇの隊は、新八が面倒見る。戦えないやつは……邪魔だ!」

歳三が答えると、沖田は、あっはっは……と笑った。

「はっきり言ってくれますね、土方さん。好きだなぁ、そういうところ。少しは憐れんでくれるかと思ったのに、全然なんだもの。沖田は新選組には用済みだって?あなたは良蔵の命よりも新選組の立場が大事なんですか!?」

沖田が聞くと、歳三は、

「今のおめぇに、刀が振れるのか!?」

と言った。沖田は歳三を睨み、

「じゃあ、今ここで、試してみましょうか?あなたの大事な良蔵を斬って!」

と、さらに鋒をりょうの喉に近づけた。少しでも沖田の手元が狂えば、りょうの喉にささりそうだった。皆、息を殺して状況を見守っていた。歳三は、

「おめぇがそいつを斬っても、俺の考えは変わらねぇ。おめぇを隊務につかせるわけにはいかねぇ!」

と答えた。歳三の声は、少し震えているように聞こえた。その時、りょうが気がついた。

「良蔵!」

鉄之助の声が聞こえた。周りにいる近藤や歳三の顔が見えた。りょうは自分のおかれている状況を即座に理解した。自分に向けられている沖田の剣を見ても、不思議と心が落ち着いていた。むしろ、こうしなければならなかった沖田の気持ちを思うと、胸が締め付けられる思いだった。

「総兄ぃ、僕を斬ってもいいよ」

りょうの声に、沖田は顔を向けた。りょうは沖田を見つめて言った。

「土方先生の気持ちを変えようったって、無理だよ、総兄ぃ。だって僕も土方先生と同じ気持ちだから。僕は総兄ぃに元気になってほしくて、看病しているんだ。山崎先生だって同じだよ。無理をして倒れる総兄ぃを見るくらいなら、僕はここで死んだ方がましだ……!僕を斬って、総兄ぃの気が済むのなら、そうして。僕は総兄ぃに鍛えられてここまで来た。総兄ぃに斬られるなら本望だよ」

りょうは、そして目を閉じた。

「……りょう……」

沖田の手がかすかに震えている。長い時間、片手で刀を支えることが困難になっていた。それほどに、沖田の体は弱っていたのである。沖田にもそれがわかっていた。

「くそっ!新選組一番隊組長、沖田総司は終わった!」

沖田はりょうを突き飛ばし、自分の首筋に刀をあてようとした瞬間、鉄之助が、体当たりをした。沖田は思わず刀を離した。すると、近藤の手が、沖田の右手を掴んだ。あっという間に沖田は近藤に組み伏せられた。天然理心流柔術である。

「近藤さん、さすがだな」

歳三も、永倉も、原田も、斎藤も、山崎も、その場にいた誰もがほっと胸を撫で下ろした。突き飛ばされたりょうは、鉄之助に支えられて、起き上がった。


 近藤が、沖田を押さえ込んだ。沖田は身動きがとれない。近藤の目には涙が滲んでいた。近藤は沖田に言った。

「総司、斬るんなら俺を斬れ。良蔵はおまえだけじゃない、新選組の病人や怪我人にも必要だ。斬らせるわけにはいかない。お前の気持ちは痛いほどわかっている。全て俺の責任なんだ。だから、俺の命をくれてやる。やがて天然理心流宗家もお前にやるんだ。俺に悔いはない」

「近藤さん……!」

沖田がうつ伏せのまま、声を出した。近藤は更に続けた。

「お前は俺が育てた。9歳のときからだ。お前がこんなになるまで気づかなかったのは俺のせいだ。もしもお前の両親が健在で、普通に武家の嫡男として育てられていたら、今ごろはきっと、白河藩の指南役に出世していたにちがいない。俺がお前を預かり、剣を教え、京まで連れてきて、病気になるまでこき使って、お前をこんなに痩せ細った体にしちまった。俺が不甲斐ないばかりに、新選組が見廻組の下に置かれるようなことになるんだ。すべては俺の責任だ。お前は悪くない。だから、体を大事にしてくれ。頼むから、俺たちの言うことを聞いて養生してくれ。どうしても納得できなければこの俺を斬れ。総司!」

沖田の頬に涙が幾筋も流れた。沖田は言った。

「僕が……近藤さんを……斬るなんて……出来るわけないじゃないですか!僕は…あなたに……ずっと……ついてきたんだから……!」

「総司、わかってくれるか?」

沖田はゆっくりと頷いた。近藤は、優しく総司の体をおこし、壁際に運んだ。沖田はもう動く元気はなかった。うつろな眼差しで遠くを見つめていた。

「あれは、総司じゃねぇ。まるで、総司の抜け殻だ」

永倉が、そんな沖田を見て言った。永倉と原田が、総司のそばに寄った。

「総司、大丈夫か?」

原田が言った。

「原田さん……永倉さん……僕は……」

沖田の目の前に、歳三が来た。

「土方さん……」

「この、馬鹿野郎が!覚悟は出来てんだろうな!!」

歳三は沖田の胸元を掴んで、拳を振り上げた。

「歳さんやめろ!総司はもう動けねえよ!」

永倉が叫んだ。その時、りょうが走り寄った。

「だめ!殴らないで!僕は何もされてない!総兄ぃは、何もしてない!」

沖田を掴んでいた歳三の手を払いのけ、沖田の体を庇った。その一瞬、歳三の脳裏に、芹沢鴨暗殺の際に、芹沢を庇って死んだお梅の姿が重なった。

(りょう、おめぇは……総司を……!)

歳三は、思わず手を離した。

「良蔵。お前は沖田先生に殺されそうに……!」

鉄之助が言おうとすると、良蔵が鉄之助をキッと睨んだ。その形相に、鉄之助は言葉が出なかった。

「近藤先生、土方先生、僕は沖田先生に自慢の『大和守安定』を見せてもらっていたんです。途中でうっかり眠っちゃって、沖田先生が肩を貸してくれていたんだ。山崎先生を勘違いさせたのは、僕が悪いんです!」

りょうは、必死で歳三に訴えた。

「幹部も皆、一部始終を見ているんだぞ。そんな下手くそな言い訳が通用するか!?」

歳三が言うと、原田が、

「いや、俺は見てねぇよ、何にも。なあ、新八?」

と言った。

永倉は、そんな原田に面食らいながらも、

「お、おう。俺も知らねぇな。何かあったのか?斎藤」

と、側にいた斎藤に振った。斎藤も、

「いや、俺は外にいたから知らぬ。土方さんの声でここに来た」

と、素知らぬ風である。

「おめぇら、本気か?今のことを、無かったことにするってのか!?」

歳三は唖然とした。

「トシ、みんなの気持ちをいただこう」

と、後ろから近藤が声をかけた。

「近藤さん、あんたまで!」

歳三が半ばあきれたように言った。

「今回のことは、俺に責任がある。良蔵は、何もなかったと言っているんだ。誰も咎めることなんかできないよ。それに、誰よりも、総司の処罰なんて、お前が望んでないだろう、トシ」

近藤に言われて、歳三は言葉が出ない。その通りであった。

「わかったよ。今回は何もなかった。総司の具合が悪くなって、幹部が集まったことにすればいいんだろう!良蔵、もう馬鹿なことをしないよう、総司をしっかり診ていろ!」

歳三はそう言って、近藤とその場を離れた。りょうは、

「ありがとうございます。皆さん……」

と、深々と頭を下げた。原田が、りょうの頭をポン、と叩いた。

「良かったな。これからも総司を頼むぞ、良蔵」

と言った。永倉も、斎藤も、山崎も頷いていた。りょうは、

「はい!」

と返事をして、沖田の傍らに寄り添った。

「総兄ぃ。もう大丈夫だからね」

と、沖田に上着をかけてやった。沖田は黙ったまま、その場に座っている。りょうは沖田がちらかした周りのものを片付け始めた。部屋の隅に置かれたままの刀を拾うと、鞘に納め、沖田のところに持ってきた。

「返すよ。これは、総兄ぃの大切なものでしょう?」

さっきまで自分に向けられていた刀を手にしたりょうを見て、沖田は力なく微笑み、

「……参ったな。君は、どこまで度胸がいいんだ。僕がもう一度、それを抜いたらどうするの?」

と尋ねた。すると、りょうは、沖田をまっすぐに見つめて言った。

「言ったでしょう?僕は、総兄ぃに斬られるなら、本望だって」

その言葉の裏には、『僕は沖田総司を信じている』というりょうの気持ちがあふれていた。だが、今の沖田には、りょうのその気持ちに応えるだけの強さはなかった。

(僕が京に来たのは、近藤さんや土方さんと一緒だったからだ……この『安定』だって、近藤さんの『虎徹』に近づきたかったから手にいれたんだ……二人の側にいられない沖田総司は、もう、本当の役立たずなんだ……もう、僕には、何もない……)

沖田はうつむき、肩を落としていた。りょうはそんな沖田にかける言葉を見つけられず、ただ、側によりそうしかなかった。


 沖田とりょうをを見ながら、歳三は、近藤と二言三言話をすると、襖を開け、そこにいた隊士の一人に、全隊士を広間に集合させるよう告げた。りょうも、山崎と共に、沖田を支えながら、広間の隅に座った。


 歳三は、一人の若者に、

「五郎、隊旗を持ってこい」

と、『誠』の旗を持ってこさせた。若者の名は、長島五郎作といい、安房の出身だといった。五郎作はりょうより一つ年上で、この秋に入隊した。最初は近藤の小姓を勤めていたのが、今回の任務を機に、歳三附きになったのである。

歳三は、隊旗を翻すと、良く通る声で言った。

「全員、よく聞け!!新選組は、なくならねぇ!」

その声に、一同がしん、となった。

「王政復古だとか、幕府がなくなっただとか、いろんなことを言ってくるやつがいるが、新選組は変わらねえ。一度こっち側と決めたら、最後まで同じだ。もちろん、見廻組の下にも付かねえ。新選組を作ったのは俺たちだ。俺たちは、俺たちの守りたいもののために、これから戦うんだ!」

歳三の声は、それまで隊士の心の中にあった不安をぬぐうのに十分であった。皆が高揚するのがわかった。

「これから先、薩長といろんなところで戦うかもしれん。心が迷うこともあろう。もし、お前らが進む方向がわからなくなったら、これを探せ」

と、『誠』の隊旗をかざした。

「お前らの目に、この旗が映ったら、それがお前らの進む先だ。そこには、俺がいる!俺や近藤さんがいる。新選組は、この旗の元にある。いいな!!」

一同、おおっ!!と拳を高々と上げた。もう、誰も下を向いていない。若い隊士などは、きらきらした眼差しで歳三を見ている。不思議な力だ、とりょうは思った。歳三に言われると、そのとおりになる気がする。

「土方さんは、すごいな……」

沖田が呟いた。

「総兄ぃ……少しは落ち着いた?」

りょうが尋ねた。

「これだけたくさんの隊士の心を、まとめてしまう。あの人が話すと、不思議と光が見えてくる。行き先を照らす一筋の光が……それが嘘であっても」

沖田は言った。

「総兄ぃ!」

りょうは沖田を見つめた。投げやりな言葉が心配であった。

「あの人の思いどおりに動いて行けるなら、どんなに楽か……もう、僕の行く先には、誠の旗はないんだから……!」

沖田は、そう声を荒げ、拳で畳を打った。後ろの方にいた何人かが振り返った。

「総兄ぃ、そんなことはないよ!ちゃんと病気を治して……」

りょうが続けようとしたが、数人の隊士が立ち上がってやって来た。

「組長、待ってますよ、私たちは」

沖田の一番隊の隊士だった。山野八十八やそはちが言った。端正な顔立ちの古参隊士が、仲間と一緒に、沖田の周りに集まった。

「一番隊組長は、沖田さんしかいませんよ」

山野より少しごつい感じの、蟻通勘吾ありどおしかんごが言った。

「みんな……こんなになってしまった僕でもいいのか?」

沖田は隊士たちを見回した。皆、頷いている。沖田は、隊士たちの心が嬉しかったが、それに応えることができない自分が歯痒くてならなかった。

「ありがとう、みんな。その気持ちはとても嬉しい。でも、今は永倉さんについていってください。永倉さんなら、みんなを任せられるから」

沖田はそう言って笑った。一番隊の隊士たちは、皆沖田が戻ると信じて戦うと言った。

「良蔵、少し眠りたい。肩を貸してくれるか?」

沖田が言うので、りょうが沖田の額に手をやると、熱が上がっているのがわかった。

「土方先生、沖田先生を休ませるので下がります」

りょうは歳三に向かって言った。

「ああ、いいぞ」

歳三は気になったが、まだ隊士たちに話すことがあった。

新選組の屯所自体は、伏見奉行所に一時移ること、幕府老中よりの命で、二条城警備に当たること、そして、新選組は、新遊撃隊御雇を返上し、新選組として活動すること、などを話した。

話し終えると、歳三は永倉たちに聞いた。

「総司はどうしてる?」

原田が、

「また熱が高くなって、あっちで山崎さんと良蔵が診てるよ」

と言った。

「そうか」

と行こうとした歳三に、永倉が言った。

「歳さん、今のあんたは総司の気持ちをちっともわかっちゃいねえ。行かない方がいいぜ」

永倉の言葉に、歳三は、

「どういう意味だ、新八?」

と、ムッとして言った。原田が、

「今はそっとしておくのがいいってことだよ。歳さん。総司は二人に任せて、俺たちは俺たちの仕事をしようや」

と言うので、歳三は広間を出ていった。

「新八、歳さんにケンカ売ってどうすんだ。あの人はあの人なりに総司を元気づけたんだ。分かってやれよ」

原田が永倉をなだめるように言った。

「歳さんには、戦いたくても戦えねえやつの気持ちはわからねえ。山南さんの時も、そうだったんだ」

永倉は悔しそうに言って、広間を後にした。原田は、やれやれ、と言うようにため息をついて、永倉のあとから広間を出た。


 「総司、苦しいか?無理するからや」

山崎が沖田に言った。ここは、沖田の部屋。沖田は何かにうなされていた。りょうは、沖田の額の手ぬぐいを何度も替えてやり、沖田を心配そうに看ていた。


 沖田は夢を見ていた。夢の中で沖田は走っていた。先を行くのは、白衣を羽織った娘……笑いながら、どんどん先に行く。沖田は追い付けない。走っていくと、そこに一人の若者がいた。藤堂だ。

藤堂とその娘は手を取り合って遠くへ走っていく。

(平助、貞さん、待ってくれ……)


 「総兄ぃ!」

沖田はその声で目が覚めた。りょうが心配そうに見つめていた。

「りょう……」

「大丈夫?だいぶうなされていたよ」

りょうが薬を差し出した。

「山崎さんが薬作ってくれたよ。今度はちゃんと飲んでね」

「りょう、僕は、君のことを……」

と言いかけた沖田の口元に指を出し、りょうは言った。

「その話はもう言いっこなし!」

冷たい手拭いを持ってきた山崎も、

「総司、自分、しばらくは良蔵に頭上がらへんぞ。覚悟しときや」

と笑った。

「ごめん、二人とも……」

沖田は、りょうから薬を受け取って飲んだ。

「いつもより苦いな……砂糖足りないんじゃない?山崎さん」

薬の苦さに、沖田は顔をしかめた。

「憎まれ口きけるようなら、少しは良うなっとるんやな。良薬、口に苦し、や」

二人の会話を聞いて、りょうも笑った。


 新選組が二条城に向かう前日、沖田はりょうと共に、近藤の休息所である、お孝の家に移った。翌日には新選組は不動堂村の屯所を出た。贅を尽くした広い屯所に新選組が居住したのは、わずか半年であった。

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