成熟編

第1章 原田左之助の独り言

それは、りょうがまだ謹慎中だったある夜のことであった。原田左之助が蔵の前にやって来た。酒を片手に、どっかと腰を下ろした。

「良蔵、起きてるか?まあ、寝ててもいいか。これは俺の独り言だ」

りょうは体を起こした。

「あの日のことは、今でも覚えている。歳さんと一緒にいたのは、総司と、山南さんと、俺だった」

りょうは、原田が自分に何かを伝えようとしているのだと気がついた。

「歳さんは、お梅を平気で斬ったといわれているが、あれは、起こるはずのないことだったんだ。本当なら、あの日、お梅はあそこにいるはずはなかった。歳さんが、お梅の芸妓時代の妹分にお梅を誘わせて、一緒に有馬の湯に行かせたんだ。それは芹沢も了解していた」

りょうは黙って聞いていた。

「芹沢も、俺たちといつかは斬り合うことを予想していた。その少し前に、同じ派閥の新見ってやつが粛清されたのを知っていたからな。芹沢だって、そんな場に、好いた女を置きたくはねぇだろうさ。だが、旅に出たはずのお梅は戻ってきた。女の勘、ってやつか、何かを察したんだろう。俺たちは、お梅があの場にいるとは知らなかったんだ。これは本当だ。最初の一太刀の際、お梅は、芹沢の上に覆い被さったんだ」

原田の話を聞きながら、じゃあ、なんでそう言わないんだ、とりょうは思った。

「なんで言わないんだ、って思ってるだろ。歳さんは、そういうやつだからさ。結果、殺しちまったことには変わらない。言い訳はしないんだ。自分が責任を負えば済むといつも思っている。不器用な副長だろう?」

原田は、蔵の扉に目をやった。りょうは唇を噛み締めた。

「俺は、歳さんに、『なんでそこまでするんだ。お梅だって、芹沢が得た金で楽しんでいるんだぜ』と言ったことがあった。でも歳さんは言った。『あの女も芹沢と離れれば、別の人生がある』ってな。歳さんは、お梅を斬る気なんて、はなっからなかったんだ。責任は男が取ればいい、と言っていた。ただ、他の仲間の手前、女を逃がしたと思われるのはまずい。お梅が旅に出ていて留守ならば、上にも言い訳が立つと考えたんだ」

蔵の中で小さな音がした。原田は、ふっと笑って、

「俺は、良蔵と歳さんの間に何があるのか、詮索する気はねぇし、そんな暇もねぇ。でも、歳さんは、女を犠牲にしてまでおのれを通そうとするやつじゃねぇことは、この俺が保証する……おっと、誰か来そうだから、独り言は終わり。寝よ寝よ」

原田が去って、静かになった。りょうは泣いていた。自分は今まで、何をしてきたのだろう、という後悔の念からだった。

(僕は、なんにも分かっていなかった。母さんの仇だとか、土方歳三より強くなりたいだとか、土方歳三を守りたいだとか、偉そうなことばかり考えて、あの人が……父さんが何を思い、何を苦しんだかなんて、考えようともしなかった。父さんの中にあるのは、新選組を守ることだけだと決めつけていた。自分の考えを通すためにはどんな非情なこともする人だと……僕は、父さんの考えを勝手に決めつけて、それに反抗していただけなんだ。父さんの心なんて、考えもせずに……ごめんなさい、ごめんなさい、父さん……!)


 歳三と井上が江戸から連れてきた隊士が増えたこともあり、鍛練には熱が入っていた。撃剣師範の吉村貫一郎は、新入隊士の調練のあと、両長召抱めしかかえである小姓たちの剣の稽古も見ていた。吉村は元盛岡藩士で、慶応元年の隊士募集で新選組に入った。剣の腕も確かで、目立たぬ風貌から、山崎と共に、諸士調しらべ役兼監察の仕事を受け持っていた。普段の物腰は優しく物静かで、小姓たちの緊張を和らげていた。

「さあ、小姓だぢ。一生懸命げんめけっぱるべーな(さあ、小姓たち。一生懸命頑張ろう)!」

吉村の掛け声が盛岡弁であることも、小姓たちを笑顔にしていた。だが、稽古は厳しかった。

「さあ、今日、最初におらにががってくるのは、だれだ?」

と吉村が聞くと、

「はいっ!先生!お願いします!」

と真っ先に手を挙げたのは、りょうだった。

「おっ、玉置が。元気が良ぐでいいね。よし、始めるべー!」

りょうと吉村が竹刀を合わせているのを、歳三が見ていた。

「なんだ、良蔵はずいぶん楽しそうじゃねぇか。謹慎をくらったやつには見えねぇな」

と歳三が笑うと、

「歳さんたちがいねぇ間に、なにか心境の変化があったんじゃねぇのか?」

と、側にいた原田が意味ありげに言った。

「そういや、あれから大人しいですね。他の小姓とも仲良うやってます」

山崎が言った。歳三は、

「蔵の中が、相当こたえたんだな。よしよし」

と言いながら頷いていた。謹慎中の原田の「独り言」を歳三が知るはずもなかったのだ。このあと、歳三は、沢から、『留守中に届いた君菊への文』の件を聞くことになったのだが、歳三がどうなったのかは、すでにご承知のとおりである。


 「吉村くん。すまんな、小姓たちの相手までさせてしまって」

歳三は、吉村を呼んだ。

「土方せんせ、長旅おづかれ様だ(お疲れ様です)。せんせ方の小姓は、みんな、でぎがエエがら、だすかります。とぐに、市村と玉置は、一歩抜ぎん出でらね(一歩抜きん出ていますね)」

吉村は、鉄之助とりょうの剣の腕前を認めた。

「これなら、副長のそばでおまもりでぎるがもしれねぁーね(しれませんね)」

と言うと、歳三は笑って、

「まだまだ、あいつらに頼らなきゃならねぇほど、新選組は人材不足じゃあ、ねぇだろ」

と言った。

「今、小姓たちの相手をしているはじめや利三郎も、相当な腕の持ち主だ。剣だけじゃねぇ。洋式の鍛練にも加わってる」

この頃、歳三は若い隊士に積極的に銃の訓練もさせていたようだ。歳三が示すところには、入ったばかりの相馬肇と野村利三郎が小姓たちと竹刀を合わせていた。二人は歳三が期待している隊士である。相馬は、入隊してすぐ、局長付組頭に抜擢されたほどである。局長付きの野村は、気さくな性格で、若い小姓たちの兄貴分だった。その野村がやって来て、歳三に聞いた。

「土方先生、玉置の実の父上は、武士なのですか?」

歳三はドキッとして、

「な、なんだ?いきなり」

と聞いた。すると、

「いやぁ、先日、玉置さ、おらの剣の癖を見抜がれましてな。誰さ教わったのがど聞いだら、父上だど言うもので、そなだの父は医者だべ、ど申したどごろ、実の父は、日本一の侍だど言っだのです」

吉村が頭を掻きながら、ばつが悪そうに答えた。

歳三は、以前、りょうと立ち合った時に注意した言葉を思い出して、微笑んだ。

(そうか、あれから学んだというわけか)

「んだども、自分の息子さ、日本一の侍だど言われだら、嬉しいね。玉置のお父上は幸せなお方だな。こんのますい(羨ましい)」

吉村が本当に羨ましそうに言うと、歳三は、妙に照れくさくなり、

「そ、そうだな」

と下を向いた。

「あれ?土方せんせ、顔がなんか赤えよ。熱でもあるのでゃーねぁーだが?早ぐお休みになってくなんしぇ。小姓だぢには、おらが付いでらがら」

と吉村は歳三に言った。何も知らない吉村は、歳三を気遣い、戻るよう促した。

「う、うん、わかった、よろしく頼む」

歳三は、顔を見られないよう、うつむきながら部屋に戻ろうとした。途中、永倉と井上が、

「歳さん、どしたの?顔真っ赤だよ」

というと、

「うるせぇ!!なんでもねぇ!!」

と怒鳴って、部屋に入ってしまった。

「おっかねえ~。虫の居所でも悪いのかな?」

と二人で言っていると、原田がやって来て、ヒソヒソ。それを聞いた井上が、

「歳さんも、親の心がわかるようになったんだねぇ……」

と言った。すると永倉が、

「あれ、源さん、いつ親になったんだ?嫁もいねぇのに」

と井上をからかったので、三人は大爆笑した。


 「ふぅ~ん、土方さん、ついに刺客の手に落ちたか」

と聞き馴染みのある声がした。

「斎藤!」

原田たちは驚いて振り返った。

御陵衛士に入っていた、斎藤一が戻ってきたのである。斎藤は、「山口次郎」と名前を変えていた。新入の隊士ということになっている。実は、斎藤は、歳三が御陵衛士に潜り込ませた間者であった。


 「さあ~、皆さん、今日は、吉村先生直伝の、『ひっつみ』ですよ~!」

賄方の沢の声に、小姓たちがわっと喜んだ。

「鍋だ、鍋だ!腹減った~!」

と、真っ先に飛び込んでいったのは、馬之丞だった。

「馬之丞ったら、こういうときは素早いんだから」

と、銀之助が後を追った。

「沢さん、お手伝いします」

と、鉄之助とりょうが言った。

「盛岡でよぐ食ってらった料理だ。慌でで食うど、喉につまらせるがら、気つけでくなんしぇよ!」

と吉村が言った。鍋の中に、野菜と一緒に団子か餅のようなものが入っていた。

「吉村先生、これが、『ひっつみ』っていうんですか?」

馬之丞が聞いた。

「んだ。粉、水で練って、引っ付んで鍋にいれるがら、『ひっつみ』っていうんだ」

と吉村が答えた。みんな稽古のあとで腹を減らしており、隊士たちも小姓たちも、みな美味しそうに鍋をつついた。


 この頃が、京の新選組にとって、最後のなごやかな時間だったのかもしれない。倒幕派は着々と、戦の準備を進めていた。突然、御陵衛士から戻ってきた斎藤の存在が何を意味するのか、新選組の幹部以外は気がついていなかった。その夜から、近藤と歳三を中心に、夜遅くまで幹部たちが話し合っている様子が見られた。このときは、さすがに沖田の側からりょうは遠ざけられ、もとの小姓部屋での生活に戻っていた。


 冬の京は、嵐の前の静けさを装っていた。


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