第8章 君菊
「あっ!沖田先生、寝ていなきゃダメですよ!」
りょうの声が響いた。外で素振りをしていた沖田が、
「しいっ!そんな大きな声を出したら、土方さんに聞こえるじゃないか。大丈夫だよ、今日は暖かいし、調子もいいんだから。寝てばかりいると、からだがなまっちまうよ」
と言った。
「だめです。あんまり言うことをきかないと、良順先生に、苦~い薬を出してもらいますからね!」
とりょうが言うと、沖田は頭をかきかき、部屋に上がってきた。
「叶わないなぁ。良順先生よりも、土方さんや山崎さんよりも、良蔵が一番おっかないよ」
と笑った。秋の始めに倒れてから、沖田の病状は一進一退だった。今日のように、体調の良いときもあるのだが、熱を出して寝込むこともあった。松本良順医師は、
『栄養のあるものを食べ、安静にすることが、この病を治すには大事なことだ』
と言っていたが、沖田はまず、安静にしていなかった。山崎やりょうの目を盗んでは道場に稽古に行くので、歳三に、道場への入室を禁止されたほどだ。
「僕は、沖田先生の看護を土方先生から任されていますので、僕の言うことは、土方先生の言うことだと思ってください」
と良蔵が胸を張った。その様子が楽しげだったので、沖田はりょうに聞いた。
「土方さんに呼ばれていたんじゃないのか?何か、いいことでもあった?」
りょうは、ふふ、と思い出し笑いをした。
「土方先生に、君菊さんに会った話をしたんだ。もう、慌てちゃって……面白かった!」
とりょうが言ったので、沖田は驚いた。君菊というのは、元、北野の芸妓で、歳三が身請けし、休息所に住まわせている女性であった。りょうと歳三の関係がわかってから、幹部たちは、このことがりょうに知られないように気を使っていたのだった。沖田が心配そうな顔をしたので、
「大丈夫だよ。僕、もう子供じゃないもん。近藤先生だって、永倉先生だって、休息所にしょっちゅう行ってること、知っているよ」
とりょうが言った。もう、敬語はそっちのけで、大好きな『総兄ぃ』との会話を楽しんでいる感じだった。沖田はそんなりょうを微笑ましく見ていた。
(まだまだ、危なっかしいところは子供だよ……)
と、沖田は思った。
「そうか。君菊さんは、まだ僕たちが壬生浪士組だった頃からの馴染みなんだ。今だから言うけど、京に来た頃、モテたんだよ、土方さん。舞妓からいっぱい文をもらって、それを鹿之助(注:小島鹿之助 武蔵国多摩郡小野路村の名主で新選組の支援者)さんに送ってさ」
と沖田は話し出した。
「知ってるよ」
と、りょうは無表情だ。沖田は続けた。
「でも、その文を無くしたって鹿之助さんから詫びの文が来て……」
すると、りょうが澄ました顔をして言った。
「それ、僕がやったんだ。小島さんが彦五郎先生のところにその手紙を見せに来たとき、僕が小島さんの荷物から取って、燃やした」
「ええ?」
沖田は目を丸くした。
「だって、憎たらしかったから。母さんを捨てたくせに、女と遊んでいて、って。……僕もその頃はまだ、子供だったからさ」
りょうの言葉に、沖田はクスクス笑いながら、
「今はもう子供じゃないみたいなことを言って……とんでもないバラガキだ!」
と言うと、りょうは口を尖らせて、
「あとで、ちゃんと小島さんと彦五郎先生には謝ったよ。彦五郎先生にげんこつ食らったけど……彦五郎先生、細いくせに力強くて、あれは、痛かったなぁ」
と、頭のてっぺんを撫でた。沖田はその時の二人の様子を想像して、あははは……と声を出して笑った。部屋の外から、沖田の笑い声を聞いた歳三は、
「総司のあんな明るい声を聞いたのは、久しぶりだ。良蔵が側に付いたことで、少しは元気になってくれるといいんだがな」
と言った。まさか、自分の書いた文が話題になっているとは思っていなかったのだろう。隣にいた山崎も、
「良蔵の元気な笑顔、総司には一番の薬なのかもしれまへんで」
と、微笑んだ。
「ところで、何で君菊さんに会うことになったんだい?みんな、一応は、りょうに気づかれないようにしようとしていたよ。この僕だって……」
と沖田は聞いた。りょうは、ああ、と頷きながら、
「何日か前だったかな……」
と、思い出しながら語った。
その日、賄方の沢忠助が、りょうを呼び止めた。副長の文を届けてほしい、というのだ。
「沢さん、土方先生の手紙なら隊士の方に渡せば……」
すると、沢は手を振って、
「隊士はダメだよ。これは休息所に届ける文だから」
と言った。幹部には、休息所があり、そこには愛人や恋人がいることを小姓たちも知っていた。しかしどこにあるかは、あまり公表されてはいなかった。
「休息所?」
「君菊さんだよ」
一般の隊士が休息所に行くと人目につくため、歳三は君菊への使いには、賄方の沢に頼んでいた。当然ながら、沢は、りょうが歳三の子供であることを知らなかった。
「この文は、今朝江戸から届いた。急ぎの伝言らしい。本当なら私が届けるのだが、今日の仕入れは反対方向で、遠出になるので、間に合わないんだよ。副長は、鉄之助か馬之丞に渡せと書いてあるんだが、二人ともいないんだ。でも同じ小姓だから良蔵でもいいよな。悪いが、頼む」
と、歳三の文をりょうに渡した。りょうは、沢に道順を書いてもらい、君菊のいる休息所へ向かった。
りょうは複雑だった。沢に悪気が無かったことはわかっているのだが、父の愛人に、自分が文(多分金子であろう)を届けるなんて、と、自然と顔がこわばった。町屋の一角に、君菊は住んでいた。
「ごめんください。土方先生の小姓をしている、玉置という者ですが」
りょうが声をかけると、少しの間をおいて、
「はい」
という小さな声がして、戸がカラカラと開いた。小柄な女性が顔を出した。
「あれ、今日はいつものお方とちゃいますなぁ、まあ、入っとおくれやす。寒かったやろ」
その顔を見て、りょうは驚いた。
(母さん!)
君菊が出してくれたお茶で、体が暖まった。
「あ、これを言付かって来ました」
文を渡し、りょうはもう一度、君菊の顔を見た。似ていた。化粧をして華やかだが、その面差しは母に近かった。歳三からの文は短かったのか、読んですぐに閉じられた。
「うちはどなたはんかに、似とりますか?」
君菊が聞いた。
「えっ?い、いえ、ごめんなさい」
あわててりょうは謝った。
「土方はんも、そないな顔をしはりましたんえ。初めて会うたとき」
と君菊は笑った。
君菊がまだ舞妓の頃、二人は出会った。新選組はまだ壬生浪士隊と呼ばれており、隊をまとめるために、島原や北野での酒宴は多かった。
「土方はんは、いつもうちをお呼びやした」
君菊は懐かしそうに言った。歳三は、酒を飲んでも騒ぐことはなかったという。「永倉はんや、原田はんはお呑みになると賑やかでおした。一番お若い藤堂はんはお酒に
君菊の言葉に、藤堂の笑顔が浮かんだ。来年は花見がしたいと言っていた藤堂の、最後の言葉をりょうはふと、思い出した。
『土方さんを一人にしちゃだめだよ』
その時、りょうは、棚の上に小さな位牌があるのに気づいた。君菊は、そんなりょうの表情を見て、
「うちの子どす。生まれて
と、悲しげに答えた。
「えっ?」
(父さんの子供?)
と、りょうはドキッとした。腹違いとはいえ、自分の弟か妹になるのだ、ということが瞬間的に頭の中にひらめいた。君菊は、
「土方はんがきっと何もおっしゃらへんのやろうな。みんな、うちと土方はんの子と思うとる。小姓はんもやろ?」
と笑った。りょうは、休息所というところは、そういう女性がいる家だろう、と心の中でつぶやいた。すると君菊は、
「ちゃうんどす。土方はんの子やおへん。別の殿方の子です。土方はんは、みんな知った上で、うちを身請けしてくれはったんどす」
と言った。りょうが驚いたのは言うまでもない。
「他の方に言うたのは、初めてどすさかい」
と君菊は言った。りょうは、理解に苦しんだ。頭の中がごちゃごちゃになった。でも知りたくなった。なぜ歳三がそこまでしたのか、そこに歳三の本心があるような気がした。
「教えてください。土方先生はどうして……?」
りょうが尋ねると、君菊はりょうのことを見つめた。
「今まで、どなたにも話すつもりはあらしまへんどしたけど、あんたには話さなあかん気がして。なんでやろうな?」
と君菊は言い、話し出した。
池田屋事件の少し後のこと。いつものように新選組の席に呼ばれていた君菊だったが、体調がひどく悪かった。歳三はそれに気付いて、
「君菊、今日はもう下がっていいぞ」
と言った。君菊は大丈夫と断ったが、
「そんな青い顔で酌をされたんじゃみんなの士気が下がっちまう。下がれ!」
と、強く言われたため、座を辞した。君菊は、お客を怒らせてしまったと思い、店の女将にわびを入れたが、女将は
「何のことどすやろ?皆はん、上機嫌でお帰りどしたえ」
ときょとんとしていた。
翌日、歳三に座敷に呼ばれた君菊は、
「昨夜は申し訳あらしまへんどした」
とわびた。歳三は、
「具合の悪いときは無理をするな」
と一言言っただけだった。しばらく歳三の相手をしていた君菊だったが、突然吐き気がして、
「すんまへん。ちょい失礼します」
とその場を下がった。戻ってきた君菊に、歳三は、
「もう相手をしなくていいぞ」
と言った。君菊は驚いて、
「すんまへん、すんまへん!」
と何度も謝った。歳三は静かに、
「具合の悪いときは無理するなと言ったろう。おめぇ、腹に子がいるんだろ?」
と聞いた。言い当てられた君菊は更に驚いた。隣の部屋に床がとってあったのだ。歳三が用意させたらしい。店は、よくあることなので不審には思われなかったのだろう。
「休んでいていいぞ。俺はこっちで呑んでるから」
と、歳三は言いながら、手酌で酒を注いでいた。
「そんなことできまへん。お客さんひとりにしはるなんて。それに誰ぞ入ってきはったら……」
君菊は青くなったが、
「ば~か。床をとった客の部屋に誰が入って来るか?心配しないで寝ていろ……そんな顔しなくても、おめぇを襲ったりはしねぇよ。どうせ、誰にも子供ができたこと言えずにいるんだろ?休め休め」
と、歳三は笑った。君菊は、こんな客は初めてだった。涙が出た。床をとられて、生まれて初めて安心して眠ったのだった。ふと目覚めて、隣の部屋を見ると、歳三が脇息を枕にして寝ていた。その顔には、
「非情の鬼」
と恐れられている面影はなかった。君菊は、ありがたさに泣きながら、何度も何度も、その寝姿に頭を下げた。
数日後、置屋の女将から、歳三以外の客を取らないように告げられた。歳三は時々君菊をよぶが、少し酌をさせて、唄や三味線を演らせたあとは、二人きりにさせ、もっぱら自身は仕事。
「屯所にいると、騒々しくて仕事に集中できねぇからな」
と言いながら、魚などの料理を注文すると、
「栄養をつけろ」
と君菊に食べさせた。世間では、
『新選組の鬼が、北野の芸妓におぼれている』
と噂になった。近藤などは本気で心配したが、歳三に
「自分はどうなんだ!」
と一喝されて、何も言えなかったという。
君菊のお腹が少し目立つようになった頃、歳三は君菊を落籍した。
君菊は土方歳三の子供を宿したのだ、という噂が広まった。歳三は別に否定も肯定もせず、休息所を設けて、そこに君菊を住まわせた。
ある日、君菊は歳三に聞いた。
「土方はん、なんでこんなんまでしてくれはるんどすか?うちは、こないなことしてもらえるおなごやおへん。うちは、うちは……」
すると、歳三は冷静な表情で、
「土佐の北添の女か?」
と言い当てた。君菊は、言葉を失った。
(このお人は、なんもかんも知っとって……)
愕然とする君菊に歳三は言った。
「新選組の探索をなめるんじゃねぇ。北野の芸妓の中に、土佐勤王党の馴染みがいるのは調べ済みだった。池田屋の後の座敷で、おめぇは懐に
「ほんなら、なんでうちを斬らんかったんどす?」
君菊は歳三に詰め寄った。あのとき、北添の後を追うつもりでいたのは本当だった。
「おめぇは、母親になるんだろう?」
歳三が君菊を見つめた。
「母親……!」
その言葉は重かった。
「あんなフラフラなからだで、俺たちにかかってきたって斬り刻まれるだけだ。腹の子供に罪はねぇ。親の勝手で一緒に殺されてたまるかよ」
歳三は笑った。あの時、歳三は君菊を叱り、下がらせることで、君菊を守ったのだった。
君菊は泣いた。歳三の気持ちが痛いほどうれしかった。京の花街で生きてきた年月、こんなに人の心の温かみを感じたことがないと思った。
「君菊。腹の子の父親が誰だなんてことは関係ねぇ。この子はおめぇの子だ。おめぇが育てればいい。俺はその場所を与えてやっただけだ」
歳三は、諭すように言った。
君菊は、話しながら、溢れる涙を拭いた。そして、
「北添は、池田屋事件の前に、うちに土方はんを探るよう言わはりました」
とりょうに言った。
「どういうことですか?」
とりょうが尋ねると、
「寝ろ、いうことどす」
と答えた。それを聞いたりょうは、
「ひどい!!」
と、思わず叫んだ。
(自分の恋人になんてこと!亡くなった人でも許せない!)
正義感の塊のようなりょうに、君菊は微笑みながら、
「自分の女に、他の男と寝ろちゅう男と、自分の女でもあらへんのに、身請けまでしてくれたお方と、小姓はんが女やったら、どちらの男はんに惹かれるやろ?」
と聞いた。
(ああ、この人は、本気で父さんを愛したんだ……!)
りょうは、君菊の言葉に、深い愛がこもっているのを感じた。
「皆はん、土方はんのこと、鬼や鬼や、言わはるけど、あないに優しい鬼は、どこにもいてはりまへん!」
君菊は、りょうを見つめて言った。
しかし、君菊の願いむなしく、生まれた赤子は、夭折してしまった。君菊は、しばらく何もすることができなくて、自分も死ぬことばかり考えていたという。
そんなとき、君菊の元いた置屋の女将が訪ねてきた。小さな女の子を数人連れてきて、この子達に芸事や行儀作法を教えてほしいということだった。舞妓になる前の修行中の子ども、いわゆる『仕込み』の教育を、君菊に任せたいというのだ。
これも歳三の配慮だった。気落ちして、食べるものも満足に取らない君菊を見かねて、置屋の女将に話を持ちかけたのだった。その人物の最も得手とすることをさせて、その人物を生かすことは、新選組の中で歳三の役割であり、その力量が新選組の組織を支えた。君菊が生きてきた中で意義を見いだせることは何か、歳三にはよくわかっていたのだ。
「うちは、土方はんのおかげで生き返ったんどす」
そう話す、君菊の表情は明るかった。
新選組が大きくなると、歳三はたまにしか休息所には来なくなったが、子ども達の稽古などで、君菊は気が紛れた。それでも、世間は歳三の愛人として見ており、君菊にはそれが辛かった。
「土方先生も、酷い人ですね!君菊さんの気持ちを知ってるのに!」
りょうは、本気で怒っていた。
「土方はんには、ずっと忘れられんおなごがいてるそうどすえ」
と君菊は言った。
「えっ!?」
りょうはドキッとした。
君菊は、自分を本当の愛人にしてくれと一度だけ頼んだらしい。
「うち、アホどすやろ?」
君菊は笑った。りょうは思い切り首を振った。本気で好きなら、当然だ。りょうはいつの間にか、自分が君菊を応援していることに気がついた。
君菊の申し出に、歳三は、
「ありがてぇが、それはできねぇ。悪いな、君菊」
とあっさり断った。君菊はショックだったが、予想していた答えだった。
「酷いことをいう男と憎んでいいぞ」
歳三は言った。
「そんなこと……うちのわがままどす」
君菊は歳三を見つめた。
「俺には、幸せにしてやれなかった女がいる」
その時、君菊は気付いた。初めて会ったときの歳三の表情を。
「うちに似てらしたんどすか?」
今度は歳三が驚いた顔をした。
「女は勘がいいな。初めておめぇを見たときは、正直、びっくりした」
「うちは身代わりどすか?」
君菊が聞いた。歳三は首を振った。
「身代わりなんて思ったことはねぇ。おめぇはおめぇだ。俺はいつも言ってるはずだ。だが、あのまま堕ちていきそうなおめぇを放っておけなかった。子どもを育てさせてやりたかった……叶えてやれなくて、悪かった」
「そんなん、土方はんのせいやあらへん!あの子の寿命どす!」
君菊は涙を浮かべて言った。
「あいつの腹の中にも、俺の子がいた。生きていれば、十二、三歳くらいにはなっていただろうがな……」
「亡くなりはったん?」
「本当のことは、知らん。そう聞かされている。女も、子どもも死んだと」
そう言った歳三の顔には、諦めのようなものが見えた。君菊が思わず、
「なら、ほんまは生きてるかもしれまへんよ。こら、うちん勘どすけど」
と言うと、歳三は笑って、
「勘が当たるといいがな……すまんな、君菊。俺は他の女は考えられんのだ。不器用な男でな」
と答えたという。少し、照れた様子の歳三からは、自分の恋にまっすぐな、少年のような心が見えた。君菊は、改めてこの男を愛しいと思った。
「土方先生が…ずっと……」
母さんを、と言いかけて、りょうは言葉を飲み込んだ。胸が熱かった。初めて、父の心に触れた気がした。君菊はりょうを見て言った。
「土方はんは、小姓はんらのこともよう話してくれますえ、楽しそうに。まるで、ご自分のお子のことを話すみたいに」
歳三が楽しそうに話すところなど、りょうはあまり想像できなかったが、自分たちを気にかけてくれるのはうれしかった。
「土方はんを一人にしないでおくれやす、小姓はん。うちはもうお側におることができひんさかい」
君菊に藤堂と同じことを言われたので、りょうは驚いた。君菊は、歳三からの手紙を見せた。中には、短い文面で、京が危険なこと、子どもたちを連れて田舎に行けということ、もう会えないことが書かれていた。薩長と幕府は、一触即発であった。歳三は、君菊に別れを告げたのであった。
君菊はきっぱりと言った。
「うちは、あの子らを守る。
りょうは頷いた。守るものがいる人間の強さを、君菊の中に見た。君菊は、最後にもう一度言った。
「一人にしないでおくれやす。土方はんは、ほんにどんくさいお人どすよって」
相手の心を読んで、先を見越して行動することが得意な歳三だが、自分の気持ちには不器用であることを心配して、君菊はりょうに伝えたのだ。きっと、藤堂も同じだったのだろう。
君菊と別れての帰り道、りょうの気持ちは穏やかだった。父は、今でも母を愛しているのだ。それがわかっただけで充分だった。
歳三は、江戸から帰って来ると、沢に聞いた。
「沢、文はどうした?鉄か馬之丞に託さなかったのか?」
沢は、特に気にせず、
「鉄も馬之丞もつかまらなかったので、良蔵に預けました。あ、ちゃんと地図を書いてわたしましたよ、副長」
とにこやかに答えた。
「何だって!?良蔵に!?」
歳三の背中に、珍しく冷や汗が流れた。りょうに知られるのは、歳三にとっても、最も避けたいことだったのだ。
りょうは歳三の部屋に呼ばれた。歳三は、複雑な顔をして、ウロウロ部屋を歩き回っていた。
りょうは、笑いそうになりながら、
「土方先生、お帰りなさい!」
と、わざと大きな声で言った。歳三はビクッとして、
「あ、ああ、良蔵。つ、使い、ご苦労だったな」
と言いながら、汗をふいていた。
「暑いんですか?この季節に~?」
秘密を知った以上、りょうの方が優位である。歳三はどこまで知られたのかと焦っているのがわかる。
りょうがニヤニヤしていると、歳三は、
「なんだ、何笑ってやがる?」
と聞いた。
「土方先生が、なんで君菊さんを身請けしたのかわかりました」
りょうが答えると、歳三は、困った顔をしながら、
「おめぇ、どこまで聞いたんだ?」
と呟いた。
「先生が、君菊さんにしたこと。全部聞きましたよ」
りょうの声は妙に明るかった。逆に、歳三は、力が抜けたように、大きなため息をついた。
「いいか。他のやつらには、絶対言うな!面倒くせぇから!」
と歳三が言うと、
「先生が、本当はとっても優しいってことが、ばれちゃうからですか?」
りょうは、またもニヤニヤ。歳三は赤くなって、
「うるせぇな。俺は、女房でも、愛人でもない女を囲ってるって、騒がれるのが面倒なんだ!」
と顔を背けた。これが、世間から鬼と思われている歳三の素顔なのだと、りょうは思った。そこで、りょうは、
「君菊さんが、言ってました。『土方はんは、どんくさいから、側にいておくれやす。』って!」
「な、なに~!?」
もう、歳三が声を大きくしても恐くなかった。
「大丈夫ですよ。僕や鉄や馬之丞や銀が、ず~っとついててあげます!どんくさい先生の面倒、見てあげますからね~!!」
りょうはそう言って、歳三の部屋を後にした。
「良蔵!!」
歳三は叫んだ。
(あいつめ、親父をからかいやがって、とんでもねぇガキだ……!)
だが、その顔は怒った顔ではなかった。
沖田は楽しそうなりょうを見つめていた。
「『どんくさい』って、京の言葉で、不器用って意味なんだって。土方先生に合ってるよね」
とりょうは沖田に聞いた。沖田は頷いた。
「土方さんのこと、好きかい?」
「うん」
りょうはすぐにそう答えた。沖田がりょうに初めて会ったとき、りょうは土方歳三なんて大嫌いだ!と言っていた。大きくなった。精神的にも成長した。沖田は、りょうと過ごしてきた日々を思い出しながら、満足げに頷いた。
(大丈夫だ。僕がいなくなっても、土方さんがいる……)
沖田は、自分の命がそう長くないことを解っていたのだ。
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