第7章 刀に託した思い

 りょうの目の前に、一振りの刀があった。新選組に入る前に、佐藤彦五郎から渡されたものだ。りょうはその頃のことを思い出していた。


 「大変だ、上様が、大坂で亡くなられたそうだ」

りょうが稽古のために日野宿本陣の道場にいたとき、彦五郎がそう言った。

「じゃあ、長州に攻め込む話は、どうなっちまうんだ?」

「幕府は、負けっぱなしというじゃないか」

事情通を気取った大人たちが騒いでいた。りょうもまた、歳三たち新選組がどうなるのか心配であった。

幕府が、将軍の喪に服すために、軍を引いたということだったが、誰もが、幕府は長州に負けた、と思った。りょうの決意はそのとき固まった。

「お願いです。僕を新選組に行かせてください」

りょうは、玉置良庵と佐藤彦五郎夫妻を前にして、きちんと正座をして、頭を下げた。勿論、最初は全員に反対されたが、どうしても父の姿を見ていたい、というりょうの強い意志に、良庵と彦五郎は折れた。彦五郎は、

「どうしても行きたいなら、きちんと天然理心流を修めていけ。目録までとれば、上京を許す」

と言った。りょうは序目録を取得した。だが、歳三が修めたという『中極位目録』までは取得できなかった。上京を諦めかけた時、彦五郎がりょうに刀を見せた。それは歳三が最近、彦五郎に送ってきたもので、磨り上げによって短くされていた。

「これが、誰のためのものか、わかるか?歳は、これをお前に渡せとは書いてこなかった。だが、この重さ、長さ、誰に合わせたのか、私にはすぐわかったよ。お前は、この刀に恥じない働きを、歳のためにできるか?歳はお前が自分の子供だということを知らない。上京しても、歳の子であることを伏せたまま、ただの新選組の隊士として生きられるか?甘えは許されないんだぞ」

彦五郎の問いに、りょうはその刀をじっと見つめ、しばらく考えていた。

「僕は、新選組の一隊士として、土方歳三を守るために生きたい」

りょうの決意を聞いた彦五郎は、刀をりょうに渡した。

「持っていきなさい。お前は武士だ。この刀は、お前のものだ」


 別の日、良庵もまた、りょうに一枚の書き付けを渡した。

「玉置……良蔵?僕の名前ですか?」

りょうが聞くと、良庵は頷いた。

「本当の名を明かすわけにはいかないし、武士が苗字がなければおかしいじゃろう?昨年、お前は歳三さんに自分は『りょうぞう』だと言ったではないか。わしが字を当てた。どうだ、良い名じゃろう。この書き付けは、養子縁組の証じゃ」

「養子?いいんですか?ここに転がり込んだだけの僕に……」

りょうが言うと、良庵は顔をしかめた。

「わしは、転がり込んだだけの者に、医術を教えたりはせん!」

りょうの目がうるんだ。

「良庵先生……」

良庵は言った。

「良いか?お前は武士になるために日野に来た。だが、わしは、お前に勉学と医術を学ばせた。今の京は、ある意味戦場じゃ。強いものが生き残る。お前がここで学んだことは、必ず役に立つ。無駄なことは一つもないのじゃ。精進するんじゃぞ!」

「はい!ありがとうございます!え……と、義父上ちちうえ

りょうが慣れない言葉を言うと、良庵は笑って、

義父上ちちうえは、こそばゆいのう。わしはただの村医者じゃ」

と言った。

「じゃあ、お義父とうさん」

りょうは笑って、そう呼んだ。良庵も笑って、

「からだには、十分気をつけるのじゃぞ。名はおのこでも、体はおなごなのじゃ。ああ、通行手形には、男名は書けないのでな、『玉置りょう』になっとるわい」

と言った。


 二人に見送られて、日野宿を出てから、一年が過ぎていた。

「僕はまだ、何もできていない。彦五郎先生や、お義父とうさんにこんなにしてもらったのに。いつになったら、父さんを守れるような隊士になれるんだろう……」

刀を前にして、りょうは大きなため息をついた。


 慶応3(1867)年の秋、再び歳三は隊士募集のため、江戸下行していた。幕臣に取り立てられて、故郷に錦を飾った上に、今度は井上が同行していたので、多摩にいる時間は長かった。

しかし、多摩にいる間に大政奉還の報を受けた。

「幕府がしていた仕事を帝がするようになっただけだ。俺たち新選組の仕事は変わらねぇよ」

新選組は、隊士の数も増えて、百五十人規模の大所帯になっていた。実家に来ているとはいえ、歳三は仕事に追われていた。

文久3年に上京してから、初めての実家だった。兄の喜六はすでに他界しており、家は長男の作助が継いでいた。

「あの……歳三さん」

声をかけたのは、兄嫁のなかだった。なかは、今回の歳三の帰郷の際、佐藤彦五郎から、りょうの話をきいていた。歳三に全てを打ち明けることにしたのである。


 「じゃあ、うめが消えたのは、喜六兄貴の差金だったのか。うめと子供が死んだというのも、俺を諦めさせる口実だったと」

「うちの人は、三味線屋のお琴さんが気に入っちまって、あんたと見合させたがっていたんだよ。段取りまで組んじまっていた。でもあんたは、おうめさんを嫁にとると言い張った。お腹に子供もいるという。まともに話したって聴きはすまいと、あんたが奉公先の遣いで江戸を離れたときに、おうめさんに金を渡して、別れさせたんだ」

歳三は、それで合点がいった。りょうが自分を憎むのは、土方歳三は母に金を渡して無理矢理追い出した、と思っていたからなのだろうと。

「当座の生活には、困らないだけの金だったはずだよ。二十両渡したと言ってたから」

なかは、弁解するように言った。歳三は、

「おうめは、それをほとんど使ってねぇよ。りょうが日野に来るときにたずさえてきた母親の形見に、十五両入っていたそうだ。生活は苦しかったらしいが、武家の娘の性格から、使わなかったんだろうな」

と答えた。

「おうめさんの素性を調べて、父親が罪を犯して死んだと思ったらしい。お武家の事情なんて、あたしらにはわからなかったからね。罪人の娘を嫁にとるわけにはいかない、と言っていたのを覚えてるよ。まさか、ご主人様を庇って腹を召されたなんて知らなかったんだよ。今さら頭下げてもどうにもならないけど、せめて、あんたの子供には、土方の名を継がせられるようにするよ」

なかが言うと、歳三は、ふふん、と苦笑した。

「無理だろうな。あいつは、俺と土方の家を相当憎んでいるからな。俺なんか、本陣で殺されかけたしな」

「そんな、冗談、お言いでないよ、歳三さん」

なかは目を丸くした。

「あいつは、高幡村の良庵医師の養子になったそうだ。今は俺の下で小姓として役を果たしている。それ相応の時期が来たら、こっちに帰すから、医者になる手助けでもしてやってくれ。それでじゅうぶんだ」

歳三は、なかに軽く頭を下げた。

「頭なんか下げないでおくれよ。大丈夫、うちは薬を扱ってるんだ、医者との付き合いだってあるからさ。それより、歳三さんが気づいたこと、その子はわかっているんだろう?親子の名乗りはしないつもりなのかい?」

なかは聞いた。歳三は、一言、

「ああ」

と言ったきりだった。

(その方が、俺もあいつも、自然にいられるのさ)

歳三はそう思いながら、仕事を続けた。


 その後、彦五郎の誘いもあって、歳三と井上は、佐藤家に逗留した。

「やっぱりこっちの方が居心地がいいぜ」

と歳三は伸びをした。

「歳は、何かあると、うちに転がり込んで来てたからな」

と、彦五郎が言うと、

「悪かったな」

と、歳三は笑った。

(そう、あの時も、俺は実家ではなく、ここに来た。おうめが消えた日も……)


 まだ、江戸の呉服問屋で奉公していた頃のことである。歳三は当時17歳。店の主人の遣いで、二、三日江戸を離れていた。もう、うめに会いたくてたまらなかった。この仕事を済ませたら、おたなに暇をもらって、二人で日野に帰って祝言をあげるんだ、と歳三は思っていた。次の年には、子どもも生まれる。自分は石田散薬の行商をしながら、武者修行をして、やがては武士になる、そんな甘い夢を描いていた。

「うめ、戻ったぞ!」

二人で借りていた長屋の戸を開けた。いつもなら、

「お帰り」

という優しい声が帰ってくるのだが、中はがらんとしていた。驚いたのは、うめの荷物がなくなっていたことだった。うめが父親の形見だと言っていた脇差もない。

「うめ、どこへ行ったんだ?」

すると、長屋の大家がやって来て、言った。

「おうめさんは出ていってしまったよ。お前さんとは一緒になる気はないと言っていた」

「う、嘘だ!何を言ってやがる!あいつは俺の帰りを待って、一緒に日野に行くと言っていたんだ!」

歳三は叫んだ。すると、大家は言った。

「あんたの留守の間に、石田村のお兄さんが来て、あんたには許嫁いいなずけがいると話したらしい。おうめさんは怒って、多摩のお大尽といっても、やはり農家。武家とは釣り合わないから別れる、と言っていたよ」

歳三は、それを聞いて愕然とした。うめがそんなことを言うはずない、と思っていても、それを打ち消すだけの自信が、その時の歳三にはなかった。武士になる、と口では言っていても、日々の生活で手一杯で、実践には程遠かったからだ。勿論、大家が言ったことは喜六の指示だった。うめの方から去ったとわかれば、実家の勧める見合い話を受けると喜六は思ったようだ。歳三は長屋を引き払って、日野へ帰ってきたが、実家に戻る気になれなかった。当然、見合いなんかする気もなかった。自然に足が向いたのが、佐藤家だった。

歳三がいきなり現れたので、彦五郎ものぶも驚いて聞いた。

「歳三、どうしたんだい?こんなに急に。おたなのご用だったんじゃないのかい?」

すると、歳三は言った。

「女と別れてきた。ふん、俺の方から別れてやったのさ。でも俺は家には帰らねぇ。見合いもしねぇ。俺は、絶対、武士になってやる!」


 歳三が昔のことを思い出していると、のぶが来て言った。

「歳三、あたしは、あんたを誤解してたみたいだね。おなかさんの話じゃ、あんたとおうめさんを別れさせたのは、喜六兄さんだそうじゃないか。悪かったよ。あんたも、辛い思いをしたんだよね……」

のぶがあまりに申し訳なさそうに言うので、歳三は笑った。

「もう、みんな昔のことだ。それに、子どもは生きていた。最も、あんなじゃじゃ馬だとは思わなかったがな」

歳三の言葉に、のぶは、日野にいた頃のりょうを思い出しながら言った。

「ほんとにねぇ。顔はきっと、おうめさんに似てんだろうけど、性格は、あんたにそっくりだもんねぇ」

歳三は飲み始めた酒を吹き出しそうになった。

「どういう意味だ?」

のぶは笑った。彦五郎が続けて言った。

「剣の才も、上達の速さも、歳に似ているよ。おうめさんは、歳に賭けたんじゃないか?」

「賭けた?」

歳三は彦五郎を見た。彦五郎は、

「歳が武士になっていれば、いずれ必ず、親子が出会うときが来ると信じていたのかもしれない。だから、りょうを男として育てたんだろう。りょうを見ていると、おうめさんがどれだけ大切に思っていたのか、わかる気がするよ」

と、微笑んで言った。

「……そうかもしれねぇな」

と歳三は答えた。無鉄砲で、納得いかないことには決して従わないが、情に厚く、仲間に優しい。そんな風にりょうが育ったのは、うめがいたからだ、と歳三は思った。あの時、二人でまっすぐ日野に帰っていたら、俺は新選組にいただろうか、と歳三は考えた。たぶん、女房と子供との生活に満足して、武者修行なんかしなかったかもな、と想像して笑った。うめは、俺を武士にするために消えたんだ、と考えることにした。


 「もう、りょうを返してくれないかい、歳三」

のぶが言ったので、歳三は驚いてのぶを見つめた。

「将軍様が、まつりごとを帝に渡しちまったり、薩摩や長州がなんか計画してたりするんだろ?京は物騒だ。あたしはあの子が心配でたまらないよ。あの子ももう、気がすんだ頃だろう?こっちに帰らせておくれよ。新選組の副長なら、できるだろ?」

のぶの気持ちは、歳三にはよくわかった。だが、それを了承する訳にはいかなかった。

「今はダメだ。新選組の、鉄の掟が許さねえ。それに、あいつには、総司の看病という役目がある。新選組がでかくなった今は、怪我人も、病人も、看護の技量のあるやつじゃなければ任せられねぇ。あいつは、よくやっている。あいつは新選組には必要なんだよ。姉さん」

歳三は、続けて言った。

「いつか、時が来たら、必ず帰す。それまでは、俺があいつを守ってるから、心配しねぇでくれ」

歳三の言葉に、父親の心を見たのぶは、それきり何も言わなかった。


 翌日、のぶは、一振の脇差を歳三に差し出した。

「姉さん、これは……!」

うめと一緒に消えていた、うめの父親の形見の脇差であった。

「りょうが持ってきた刀だよ。大事にくるまれていた。おうめさんが包んでおいて、死ぬ間際に渡したんだろう。あの子が嫁にいくときに持たせるつもりだったけど、嫁になんか行きそうもないし、これもおうめさんの形見だしね。歳三、あんたに預けておくよ。いつか、りょうに渡しておくれよ」

歳三は、その脇差を抜いた。

「『堀川国広ほりかわくにひろ』、か……」

脇差『堀川国広』、一尺九寸五分。うめが武家の出であり、その父は、この刀を持つほどの人物であったことを証明する形見である。りょうは、これを抱えて、幼い身で日野まで来たのか……と、歳三は感慨深げにその刀を見つめた。

(これは、うめ自身だ。うめは、母親から、この刀を絶対に手放すな、と言われて育ったと言っていた。この刀が、俺とりょうを繋いでいるのかもな……この刀には、うめの願いがこもっている。いつかは、りょうに渡さなきゃならねぇものだ……!)

と、歳三は思った。

「わかった。これは、大切に預かっとくよ」


11月の初め、歳三と井上は、新たな隊士を連れて、京に戻った。


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