第4章 新選組入隊
慶応2(1866)年、秋。りょうが、突然、新選組にやってきた。この年の夏に第十四代将軍、徳川家茂が大坂で急死した。幕府内は混乱し、一橋慶喜が徳川家を継ぐことになったが、将軍職は空いたままだった。薩摩と長州は年の始めに、盟約を結んでいた。三条大橋西詰北側にある
歳三の部屋に、局長の近藤勇、幹部の沖田、斎藤が集まっていた。
「大人になってから来い、と言ったはずだが」
歳三の声は、以前にも増して厳しかった。だが、りょうは、そんなことは覚悟していた。引き下がる訳にはいかなかった。旅立ちに際し、養子縁組してくれた良庵、おのぶに内緒で金子と刀を持たせてくれた彦五郎に申し訳ない。絶対に入隊すると決めてきたのである。
「トシ、日野からせっかくやって来たんじゃないか。今夜は久しぶりに故郷の話でも聞いてやったらどうだ」
近藤が言った。
「近藤さん、何を甘いこといってやがる。俺はこの前も身内気取りのやつらを断った。日野かどうかなんて、関係ねぇ!今こんなときに、15歳にもならないガキ雇ってる暇あるか!」
歳三が怒鳴った。
「玉置良蔵くん、だったね。君の親御さんは、了承されているのかい?新選組に入ることを」
近藤は優しく聞いた。
「ぼ……私には両親はおりません!」
りょうは言った。そう言おうと決めていた。
「母は幼い頃亡くなりました。父は……」
目の前にいるのは父ではない、これから対決しようとしている新選組の鬼だ、と自分に言い聞かせた。この鬼に認められなければ、入隊できないのだ。
「父は、私を身ごもった母を捨てたと聞いています」
そう言いながら、りょうは歳三を見た。歳三はりょうの言葉の意味するところに気づいていないようだったが、沖田はすぐに、りょうの『宣戦布告』だと気がついた。
「母は一人で私を育てました。養父は高幡村の医者です。入隊の意志は伝えてあります!」
まっすぐ、歳三を見て言った。それを聞いた歳三の眉が、ピクッと動いた。相手の言動に不満があるときに無意識に出る仕草で、他の者にはわからないが、沖田には歳三の心の中が見えるのだ。沖田は、内心ハラハラしながら、りょうの発言を聞いていた。
(まったく、りょうは攻撃的だなぁ……)
斎藤は、
(やっぱり刺客だな。それも、いちばん危険な殺し屋だ……)
とニヤニヤしていた。
「な、なんだか複雑そうだね」
近藤は、悪いことを聞いたかな、という顔をしながら、
「この件は、トシが決めてくれ。俺はちょっと……」
と言って出ていった。どうせ休息所に行くんだろう、と歳三以下、幹部は思っていた。
「ちっ。肝心なことはいつも俺任せだ。俺は認めん。良蔵、さっさと日野へ帰れ!」
そう言って立ち上がろうとした。
「いやです!!」
りょうはきっぱりと言った。
「なんだと?」
「この刀に誓ったんです。新選組で働くと!」
その刀を見た歳三は、自分が彦五郎に送った刀だとすぐにわかった。
(彦五郎義兄貴(あにき)も一枚かんでんのか!?まったく、どいつもこいつも!)
歳三の顔が更に険しくなった。
その刀は、近藤が、会津中将、松平
「余が京に連れてきた刀工の一人が、まだ若い頃に作刀したものだが、とても良い出来である。将来有望な若い隊士にでも、授けるが良い」
との、容保の言葉であった。近藤はこれを歳三に預け、
「歳の下で働く、若い隊士か、甥っ子にあげたらどうだ?」
と言った。
「俺の甥っ子の源之助(佐藤彦五郎の嫡男)は、こんな刀が持てるほど、まだ修行できてねぇな」
と笑っていた歳三だったが、ふと思い出したように、刀屋に行き、その刀を磨り上げてきた。そして、それを日野の佐藤彦五郎に送ったのだ。もちろん、文に、りょうに渡せとは、一言も書かなかったが、刀を見た彦五郎は、歳三の意図をすぐに見抜き、りょうが上京するときに、それを渡したのであった。
りょうは、相変わらず歳三をまっすぐ見つめている。その意志は固そうだ。歳三は、りょうのこの目が苦手だった。この目を見ると、どうしても思い出してしまう面差しがあるからだ。それは一年たって、ますます強くなったのがわかった。できればこの目を見ていたくない歳三だった。
沖田も少し慌てた。これ以上、歳三を逆撫でしたら逆効果になると思い、言った。
「よし、僕が相手をしよう。僕に勝てば合格ってことで」
当然、負けてやるつもりだった。すると斎藤が言った。
「沖田は日野とは縁があるから、手心を加えないとも限らない。俺が相手になろう」
斎藤も沖田と並ぶ剣豪である。沖田は思わず斎藤を見たが、斎藤は沖田に向かって微かにうなずいて見せた。
「お、お前ら~!」
二人の魂胆がわかってしまった歳三は、二人を睨みつけた。
その時だった。バタバタと大きな音がして、屯所が騒がしくなった。
「山崎さん、いる!?隊士が斬られた!手当て頼む!」
声の主は、藤堂平助。彼の隊は、今日の巡察当番だった。
「どうした、平助!」
歳三が駆けつけた。
「通りで斬り合いになっちまった。むこうの方が多人数だったもんで、二、三人怪我人が出たんだ!」
戸板に乗せられて、若い隊士数人が運ばれてきた。とたんに、屯所に埃と血の臭いが広がった。
「医者を手配しよう。山崎くんだけでは無理だろう」
しかし、手配した医者は、往診中ですぐには来られないということだった。
「誰か手伝うてくれへんか!?一人じゃ、診きれへんのや!」
山崎が言ったときである。
「僕が!」
りょうが、さっと立ち上がり、怪我人のいる部屋へ向かった。
「誰や?」
山崎が聞いた。
「新しく入隊した、玉置良蔵です。お手伝いします!」
ちゃっかり、入隊したことにしてしまった。歳三は唖然として、
「俺は許した覚えはねぇ!」
と言おうとするところを、沖田と斎藤が、まぁまぁ、と抑えていた。
「ほんまか?ずいぶん若いみたいやけど、まあ、助かるわ。よろしゅう頼むわ。あっちから晒しと包帯持ってきてんか」
山崎が指差した方向に、
「はいっ!」
と言って、良蔵は走った。
りょうはてきぱきと動き、晒しと包帯を準備した。歳三は、腕組みをして、りょうの動きを見ていた。隊士の血にうろたえることなく、着物を脱がしたり、裂いたりして、山崎の補助をしている。
(ほう。良庵のじいさんのところで、ずいぶん学んだようだな……上手いものだ)
歳三が、そんなことを思っていると、
「ちょっと、ぼうっと突っ立ってないで、お湯沸かして来てくださいよ!」
と、りょうが、歳三に『命令』した。
歳三は面食らって、
「あ、あぁ。誰か、賄方に湯を沸かしてもらってこい!」
と他の隊士に伝えた。
沖田、斎藤は笑いをこらえるのに必死である。それを見た他の隊士たちが、ひそひそと囁いた。
「すっげぇ。副長に命令してるやつがいるぞ」
「命知らずなやつだなあ……」
「誰だ?あれ……まだ子供じゃないか?」
「山崎さんの弟子か?」
周りがざわざわしてきたので、山崎が怒鳴った。
「関係ないやつは、向こう行っとき!ここは怪我人の部屋や!!」
と、襖をピシャッと閉めた。
医者がやってきたとき、応急処置がすんでいた。医者と山崎は、りょうの手伝いに感謝し、歳三に報告した。
「ほんま、助かったわ。あんた、医者の卵かいな?」
山崎がりょうに礼を言った。山崎
「いえ、養父が故郷で村医者をしているので、看護の手伝いを少し」
と、りょうは答えた。
「若いもんは、血ぃ見るだけで嫌がる。あんたは平気で血止めしとったからな。そっか。お父上がお医者……ええのんか?後継がのうて?新選組入ったら継げへんで」
と山崎が言うと、藤堂が、
「山崎さんと一緒じゃないか。山崎さんも家業放り出して、新選組にいるじゃない」
と笑った。
「僕は藤堂平助。よろしくね、良蔵」
明るく笑う藤堂。りょうは、その笑顔に、初めて緊張が解けたような気がした。
「は、はい!よろしくお願いします!」
りょうは頭を下げた。
「土方さん、これでも帰すの?彼を」
沖田が意地悪く聞いた。
りょうの看護の仕方は見事だった。しかし、隊士として使うには、まだ未熟なのは明らかだ。歳三は悩んだ。
「仕方ねぇ。玉置良蔵を、俺の小姓として入隊を許す。まだ隊士としては使えねぇからな。いろいろ教えなきゃならねぇ」
渋い顔で言う歳三だったが、その内心は、りょうの成長を喜んでいる、と沖田には見えた。
「あ、ありがとうございます!」
りょうの顔がぱっと輝き、歳三をまっすぐに見つめた。この、相手を見つめる癖は、母と同じ癖であり、相手を心から信用しているときに自然と出る癖であった。歳三はりょうの仕草に少し動揺したが、続けて言った。
「局長や幹部は、先生と呼べ。それから、おめぇが日野の出であることは、他の隊士に言うな。変に勘ぐられるのも気にくわねぇからな……総司、あとはおめぇが何とかしろ。こいつぁ、おめぇの教え子だろう?俺に隠し事はきかねぇよ!」
沖田は、
「やっぱりわかっちゃったか……良蔵、屯所の中を案内するよ。こっちにおいで」
とぺろっと歳三に向かって舌を出した。沖田とりょうが出ていったあと、歳三は、ふん!と顔をそらし、机の上の帳面に記した。
『慶応二年、○月○日、新規入隊者一名 両長召抱人土方付 玉置良蔵』
沖田は、りょうに聞いた。
「どうしたんだ、急に京に来るなんて。僕も驚いたよ。土方さんが許してくれたからいいようなものの、京は、今、安全な場所じゃないんだ。大人になるまで待てなかったのか?」
すると、りょうは言った。
「僕だって、もう幼い子供じゃない。京で何が起きているのかわかっている。危険は承知の上だよ。僕は、総兄ぃや、父さんが進んでいこうとしている方向が何なのか、ちゃんと知りたいんだ。新選組の『誠の道』を。もちろん、父さんなんて呼ぶつもりない。『土方先生』って呼ぶよ。総兄ぃ、僕のわがままを許してよ」
沖田を見つめるその目は、三年前に別れた時の、幼い少女のものではなかった。若き武士としての決意がそこにあった。
「わかった。でも、くれぐれも女だと悟られないようにするんだよ。ここは男所帯なんだから。君は僕が多摩で稽古した中の一人、ってことにしておくんだよ」
沖田は、自分がこの弟子を守ってやらなければ、とそのとき思った。りょうは、
「大丈夫だよ。僕はこれで、ずっと過ごしてきたんだから。これからよろしくお願いします、『沖田先生』」
と、笑って言った。
「それと、土方歳三と立ち合うという目的は、忘れていないから!」
と付け加えた。沖田はそれを聞いて、苦笑いした。
それからまもなく、
『鬼の副長に命令した命知らずな小姓』
として、りょうは屯所内で名を知られることになった。
「おはようございます、斎藤先生。稽古、よろしくお願いします!」
りょうが言った。
今日の剣術指南は斎藤である。竹刀を合わせる。小気味良い音が響く。
「殺気を消せるようになったね。一年、しっかりと修行したようだ」
「えっ?」
「俺は去年、君と会っている。あのときの、君の大宣言が楽しみで」
その時、りょうは初めて、あのとき歳三の隣にいた若い男が斎藤だったことを知った。そのとたんに左からの突きを食らった。斎藤の得意技の左片手突きである。
「油断大敵!」
と、斎藤がニヤリとした。
「先生!今のはずるいです!」
りょうは抗議したが、
「実戦ではそんなこと言ってられない。生きるか、死ぬか、だ」
斎藤は厳しかった。
剣の稽古と歳三の使い、山崎の手伝いで、りょうの毎日は瞬く間に過ぎていく。
新選組の中でも、若手の藤堂は、りょうによく声をかけてくれた。
「僕は先生って呼ばなくていいよ。土方さんに比べてうんと若いから」
「平助、聞こえてるぞ!」
歳三の声がする。
「いけね。退散、退散~」
藤堂はいつも笑いを振り撒いていた。りょうはそんな藤堂が大好きだった。
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