第3章 父に挑む

 りょうは、それから七年間を、日野で過ごした。日野宿本陣の道場で、剣術の修行をする他、玉置良庵からは、勉学と医学の基礎を習った。玉置良庵は、若い頃は長崎で西洋医学を学んでいたらしく、りょうは、その時代にしては新しい医学の知識を、自然と蓄えていった。


 慶応元(1865)年、4月、土方歳三が佐藤彦五郎宅を訪れることになった。すでに、新選組で副長として、その地位を確立していた歳三は、新たな隊士募集のために、江戸に下行していたのだ。その話を同じ道場の少年たちから聞いたりょうは、

「先生、行かせてください!あいつに会えるのは今しかないんです!」

と良庵に詰め寄った。

「行ってどうするね?母親の仇でも討つつもりかな?」

りょうの殺気のこもった目を見て、気持ちを見透かすように良庵は言った。

「大人になるまで歳三さんには会わないという約束になっとる、忘れたのか!?彦五郎さんやおのぶさんに迷惑じゃ」

良庵の言葉に、りょうは反論した。

「僕はこの日のために、腕を磨いてきた!あいつと立ち合って勝つ!!そして言ってやるんだ。僕はお前が金で捨てた女の子供だ、って!!」

良庵はりょうを叱った。

「何を言っておるんじゃ。歳三さんは、今や100人の隊士を率いる立場じゃ。子供と立ち合うわけなかろう。少し頭を冷やせ!」

だが、りょうは聞き入れない。

「僕には、総兄ぃが教えてくれた、突き技がある。大人とだって何度も試合して、勝ってる!彦五郎先生だって、僕の突きは、なかなか、かわせないんだ!」

りょうは、得意げに言った。

「歳三さんは新選組だぞ!真剣でいつも戦うとる者と、道場で木刀で稽古しとる者とは、気合いが違う。それに、万が一、歳三さんを怪我させたりなんぞしたら、お前だってただじゃあすまんぞ!手打ちになるのは目に見えておる」

良庵は、なんとかりょうの気持ちを変えさせようとして必死だった。だが、

「あいつを倒して手打ちになるなら、それでもいい!母さんの仇が討てるなら!」

とりょうが答えたので、ついに堪忍袋の緒が切れた。

「バカ言ってるんじゃない!!おうめさんは、親父に娘を斬らせるために、お前を生んだんではなかろうが!」

真っ赤になった良庵に、母の名まで出されて、りょうはそれ以上反論できなかった。

(総兄い……僕、どうしたらいいんだ……)

沖田の浅黒い笑顔が思い出された。本陣の道場で、りょうに剣を教えたのは、他ならぬ沖田総司だった。


 『日野の佐藤家に行き、剣の道を極め、武士になれ』

それは、母うめの遺言だった。それまでは、自分を女と思うなと。母と、お腹にいた自分を捨てた男が、土方歳三だと知ってからは、その男と戦う日のために、道場に通った。道場主の佐藤彦五郎は、天然理心流の免許皆伝であった。歳三もここで天然理心流に出会い、近藤勇や沖田総司と出会ったのだと、彦五郎や沖田から聞いた。日野での、りょうの目的はひとつだった。土方歳三よりも強い武士になって、父親だというその男を見返してやるのだ、と。


 沖田は出稽古のとき、道場に来た子供たちにも、少しずつ剣の相手をしてやっていた。ほとんどが木刀の持ち方や振り方の基本だけを教えるもので、稽古はすぐに終了し、あとは子供たちと鬼ごっこをして遊ぶのが常だった。ある日、りょうの稽古を見て、すぐにその素質を見抜いた。彦五郎からりょうの生い立ちを聞き出した沖田は、幼くて世間に放り出されたりょうに、自分の幼い頃を重ね合わせたようだ。その頃の歳三に対しては、沖田なりに、いろいろ不満もあった。だが、りょうに、父親を仇にさせるわけにはいかなかった。沖田はいろいろ考えた末、りょうを真剣に鍛えることにした。

「土方さんを斬りたいって?そりゃあ、名案だ。僕も協力するよ、りょうちゃん」

と、いたずらっぽく笑った沖田だったが、稽古は幼い子供に(それも女の子に)対するものではなかった。大人たちの稽古が終わったあとからが、りょうの稽古の始まりであった。りょうは大人たちの稽古が終わるまで、ずっと素振りをさせられていた。

「殺気がまるわかりだ。そんなんじゃ、すぐ見抜かれちまうよっ!」

りょうの素振りを見て、沖田はいつもそう言っていた。たまに対戦しても、沖田の体に木刀が触れることは、まずなかった。

「足元がら空きだ!土方さんは足払い得意だぞ!」

さっと足元をすくわれて転がされるのは、いつもりょうであった。毎日傷だらけのりょうをみて、おのぶは彦五郎に言ったことがある。

「総司さんは、りょうが女だってこと、わかっていないんじゃないのかね。こんなに毎日青あざ作っていたら、将来、嫁の貰い手がなくなっちまうよ」

彦五郎はそれに対して、冗談のように答えた。

「そのときは、沖田さんにもらってもらうから、いいさ」


 りょうの上達は、目を見張るようだった。負けん気の強さは歳三譲りらしく、打たれても打たれても食ってかかっていった。りょうは歳の割には小柄な子供であったが、年上の男の子と立ち合っても負けてはいなかった。特に、沖田に教えられた突き技は、大人顔負けであった。免許皆伝の彦五郎でさえ、二回に一回は一本取られた。しかし、技を磨くより勝てばいい、という喧嘩のような試合運びで、そんなところも、歳三に似ていた。

「親を知らなくても、似るもんだな。」

彦五郎は苦笑した。


 やがて、沖田は歳三や試衛館の仲間と共に浪士隊に加わり上京することになった。りょうが11歳の頃だ。

「りょう。僕はもうここには来れないよ。今度は、君が一人で修行する番だ」

出稽古の最後となった日、沖田はりょうに言った。

「総兄ぃ、また会える?」

りょうの、珍しく子供らしい質問に、沖田は微笑みながらも、

「京は遠いからね。そうそうは会えないよ」

と答えた。沖田自身、この時は、半年後にどうなるのかもわからなかったのだ。りょうの寂しそうな顔を見て、沖田もまた、胸が苦しかった。

「土方さんは筆まめだから、きっと便りを書くよ。彦五郎先生に見せてもらえばいい」

と沖田は言った。

「土方歳三なんて嫌いだよ。便りなんて見たくないよ」

りょうはそう言って顔をそむけた。だが、沖田はその言葉の裏に、りょうの歳三への思慕の念を感じていた。大人の都合で会わせてはいなかったが、歳三が何度か日野を訪れていたことが、りょうの耳に入らないはずはなかったのだ。仇だと口では言っていても、成長した自分を見てほしいと思って当然だ、と沖田は思った。

「じゃあ、仇を討てるくらいに強くなったら、土方さんと立ち合いに、京に来ればいいじゃないか。僕も待っているよ」

沖田は、思わず言葉が出てしまった。だが、りょうの顔がパッと明るくなった。

「本当?僕、たくさん稽古をして、今よりもっと強くなるから!」


 しかし、なんの理由もなく、りょうが京に行ける訳がないまま、二年が過ぎた。沖田が伝えたのか、歳三や、近藤から文が届くと、彦五郎はりょうにもその内容を教えてやった。もちろん、歳三は日野に自分の子がいるとは、想像もしていなかったのだが。


「今を逃したら、またあいつは京に戻ってしまう。どうすれば戦えるんだ!?」

その時、ひとつの考えがりょうの頭に閃いた。

「先生、僕は新選組に入隊します!!」

言うが早いか、りょうは家を飛び出した。

「な、なんじゃと~!?」

良庵があっけにとられている間に、りょうの姿は見えなくなっていた。


 高幡村から日野宿の本陣までは半時ほど歩く。りょうが本陣についた頃、歳三はすでに帰り支度をしていた。

「じゃあ、義兄さん、姉さん、もう当分はこっちに来れねぇけど、達者でな」

挨拶をすませ、歳三が立ち上がったとき、長屋門から飛び込んできたのが、りょうだった。

「新選組副長、土方歳三様!!」

その甲高い声に、歳三は振り返った。

りょうは、初めて父の顔を見た。スラッとしていて、その目は涼やかで、一見したところは役者絵になりそうな風貌だ。

「いかにも、俺が土方だが。なんだ、小僧」

びっくりしたのは、おのぶである。まさか、りょうがこの場に来るとは思っていなかった。今日は、道場の稽古を休みにしていたからだ。

「こっ、この子は、た、高幡村の玉置先生の……」

「ああ、玉置のじいさんの……あのじいさん、いつの間にこんなガキこさえたんだ?」

歳三が聞いた。

「いや、ほんとの子供じゃないが、せ、世話してもらってる……えーと、医者の手伝いもしてるんだ、な」

彦五郎が、どもりながら答えた。

「どうした?義兄さん、何焦ってんだ?……で、小僧、俺に何の用だ?」

歳三はりょうを見た。ふと、記憶の底にある、懐かしい顔が浮かんだ。それは、歳三の心に甘酸っぱさと苦しさを思い起こさせる、古傷の痛みのようなものだった。歳三の脳裏に、あのときの白梅の花が浮かんで、消えた。

(……たく、なんでこんな時に……気に食わねぇ顔つきのガキだな……!)

歳三が少しイラついた時、りょうが叫んだ。

「新選組に入隊させてください!!」

歳三は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにきつい顔になって、

「小僧、おめぇ、いくつだ?」

と聞いた。りょうは、

「13歳です」

と答えた。歳三はふん、と鼻で笑って、

「ガキの募集はしてねぇよ」

と言った。

「必要なのは、剣を使えるやつだ。棒切れで鬼ごっこしているガキじゃねぇ」

歳三はそう言うと刀を持ち、外に出ようとした。

「それに今回はもう隊士は集まった。余分な人数はいらねぇ」

と言ったとき、りょうは思わず叫んだ。

「け、剣には自信があります!」

歳三の手が止まった。ちらと、りょうを見た。

「ほ〜ぅ。おめぇが、新選組の即戦力になると?」

「はい!」

「おめぇ、人斬ったことあるか?」

いきなりの歳三の問いに、りょうの顔色が変わった。

「い、いや、僕は…」

歳三はその様子を見逃さなかった。

(ほほう、面白ぇ返事じゃねぇか。何かあるな……)

しかし、勿論、答えは決まっていた。

「ガキのくせに、偉そうなこと言ってんじゃねぇ!刀がまともに使えなきゃ無駄なこった。新選組はお遊びじゃねえんだからな!」

(こいつは、僕の言うことを本気にしてない。僕は、強いんだ!)

歳三にばかにされていると思い、腹が立ったりょうは叫んだ。

「お願いします!僕と立ち合ってください!」

「なんだと?」

「僕が勝ったら、新選組に入れてください!」

(仇を取るには、近くにいなくちゃならない。新選組に入るしかないんだ!)

りょうは、そう思い込んだ。歳三をきっと睨んだ。その眼に殺気が宿っているのを歳三は見てとった。なんだかわからないが、この子供は自分を倒そうとしている、と歳三は思った。

「言うこときかねぇガキだな。よし、相手になってやる。もしお前が勝ったら、望みどおり京に連れていってやる。ただし、負けたときは、覚悟しろよ。新選組の土方に挑んだことを後悔することになる」

歳三は厳しい眼差しでりょうを見据えた。すると、怯えるかと思った相手は、まっすぐこちらを見返してくる。

(本気って訳か……面白ぇ。どんな腕か、見てやるぜ)

おのぶはそれを聞いて震え上がった。

「な、何てことを、歳三!子供のたわごとじゃないか。りょう、あんたもいい加減におし!」

すると、歳三はおのぶを振り返って言った。

「姉貴、あれは、たわごとって眼じゃねぇ」


 道場で、歳三とりょうは立ち合うことになった。

良庵が駕籠に乗って、真っ青な顔で本陣にやって来た時には、すでに試合が始まっていた。

「な、何をしとるんじゃ、あの二人は!?彦五郎さん、なぜ止めん!?りょうの身になにかあったら……!」

焦る良庵に、彦五郎がそっと言った。

「りょうも覚悟のうえだ。あいつは本気で、親父に勝とうと思ってるんですよ、先生」

りょうは、大人を相手に何回も稽古をしたことがある。試合形式で、負かしたこともある。しかし、歳三と相対したとき、それまでに感じたことのない思いに襲われた。りょうは、ごくっと、つばを飲み込んだ。

「大きい……!今までの誰よりも、この人は大きく見える……」

歳三の身長は、五尺五~六寸。細身の体格で、普通にしていれば、そんなに大きくは見えない。しかし、木刀を構えた歳三には、相手を威圧する力があった。りょうの背中に冷たい汗が流れた。

「いいぞ。どっからでもかかってこい」

隙のありそうな不安定な山影の構え。眼光は鋭く相手を見据えている。

りょうは覚悟を決めた。沖田に教えられたことを思い出せばいいのだ、と思った。

「お願いします!」

平晴眼の構えをとった。

(ほう。隙のない構えだな。ガキの割にしっかりしてやがるぜ……)

歳三は思った。

「でやぁっ!!」

先にかかっていったのはりょうである。最初の一撃は、簡単にはねのけられた。次の胴もかわされた。

(ぜ、全然とどかない!!)

今までの大人との立ち合いと、まるで違う。死ぬか生きるかの実戦で培った剣法がそこにあった。歳三は息も乱さず、りょうを見ている。なんて涼しげな顔。悔しい。りょうの頭に血がのぼった。

(こいつは母さんの仇だ。母さんを捨てた男だ!斬る!)

歳三はその殺気に、

(このガキ、マジで俺を斬ろうとしてるのか?)

と感じた。一度、二度、木刀が合わさる音をたてた。いつしか歳三も真剣になっていった。スッと、りょうが体勢を低くした、と思った瞬間、鋭い突きが飛び出した。

(総司!?)

歳三は驚いた。りょうの突きが決まったかに見えたが、胴を払われて背中を思い切り打たれたのは、りょうの方だった。

(え?……なんで……?)

りょうは倒れて気絶してしまった。

「一本!歳の勝ち!」

彦五郎が叫んだ。おのぶと良庵は、気絶したりょうに駆け寄り、部屋に運んだ。

「もう、ホントにしょうがない子だよ!もうこんな立ち合いはやめておくれ!」

歳三に言ったのか、りょうに言ったのか、おのぶは半分泣いていた。


 半時を過ぎた頃だろうか、りょうは、うとうとしながら額に暖かい温もりを感じていた。ゆったりとした心地よい、何かに包まれているような安心感……ふっと眼を開けると、そこに歳三の顔があった。歳三がりょうの額に手をおきながら、

「大丈夫か?」

と尋ねた。

「だ、大丈夫です!」

りょうは顔を見られないように、歳三に背を向けた。負けたのだ。手も足も出なかったことを思い知らされた。悔しさと恥ずかしさで、涙が溢れてきた。後ろから、歳三の声がした。

「悪かったな。お前が本気でかかってきたんで、俺も本気で相手をしたまでだ」

すると、りょうは呟いた。

「僕を殺すんでしょ?」

「えっ?なんだって?」

歳三は聞き返した。

「負けたら後悔するぞって言ってた。いいさ、新選組の副長にかかっていった時点で覚悟はあったんだから!」

りょうは泣き顔のまま、歳三を睨んで言った。

「でも、ただじゃ死なないぞ。腕でも足でも噛みついてやるからな!」

とたんに歳三は笑いだした。

「全く、懲りねぇバラガキだぜ。いいか?お前みてえに殺気が見え見えじゃ、相手に防御の余裕を与えるだけだ。次に何が出てくるか、みんなわかっちまう」

「えっ?」

それは、昔、沖田に注意されたことだった。りょうは殺気が勝ちすぎて、自分を見失っていた。それにやっと気づいた。

「いいか?一度しか言わねぇぞ!……相手をよく見ろ。相手の癖を見ろ。右か、左か、どんなときに進んでくるか、どんなときに引くか。お前が突いて来たとき、俺はもうかわす準備ができていた」

歳三の言葉を、りょうは体を起こして聞いた。

「新選組は人斬りが目的じゃねぇ。不逞浪士を捕まえて、京の治安を守るのが役目だ。そのための隊士集めだ。だが、今のお前に新選組の巡察は出来ねぇよ。お前が見廻りゃ、浪士はみんな気づいちまう。役に立たねぇ!」

りょうは歳三の言葉に反論できずに黙って下を向いていた。言い方は乱暴だが、歳三の言うことはすべて当たっていた。少しの間が空き、歳三が言葉を続けた。

「今は、だぞ」

その言葉に、りょうは顔を上げた。

「おめぇは未熟者だが、剣の素質はありそうだ。しっかり修行して、大人になったら京に来い」

その時の歳三の顔は、優しかった(ように見えた)。

「は、はい!」

その時だ。

「失礼します。土方副長、そろそろ出立しないと、日が暮れてしまいますが」

障子の向こうで、物静かな、落ち着いた若い声がした。

はじめか。すぐ行く」

土方を迎えに来たのは、斎藤一だった。

「じゃあな。えーと、」

「り、りょう……」

「りょうか。女みたいな名前だな」

「いや、りょう……ぞう。『りょうぞう』です!」

とっさに口から出た、男の名前だった。

「じゃあ、『りょうぞう』、またな」

歳三は、りょうの頭をぽん、と軽く叩き、立ち上がった。りょうは何か言おうとしたが、続く言葉が出てこなかった。障子がぴしゃりと閉まった。

『大人になったら、俺のところに来い』

父はそう言った。りょうの中に、今までとは違う、何か熱いものが込み上げてくるのがわかった。りょうは痛む体で立ち上がり、転げるように土間に降りて、外に向かった。二人の男の後ろ姿が見えた。その後ろ姿に向かって、りょうは、思いきり叫んだ。

「僕は、行く!強くなって、京に行くから!そして、絶対次はあなたを倒すから!」


 歳三の隣で、斎藤がクスクス笑った。

「伊東さんが聞いたら、大喜びしそうな宣言ですね」

「怖いもの知らずと言うか、バカというか……」

歳三もため息をついた。

「でも土方さん、嬉しそうですよ。殺されかけたのに」

珍しく歳三が微笑んでいるので、斎藤が聞いた。

「なんでぇ。見てやがったのか。人が悪いやつだなぁ」

「途中からです。真剣だったら危なかったですよ、土方さん」

あのとき、一瞬でも歳三の身のかわし方が遅かったら、床に転がっていたのは彼だったかもしれない、と斎藤は思った。

「あの殺気は本物でしたね」

歳三はその言葉には答えなかった。彦五郎に聞いた話が気になっていたのである。


 「義兄さん、まさかとは思うが、あのガキ、人を斬ったことがあるのか?あの殺気は、子供のものじゃねぇ」

歳三にそう聞かれて、彦五郎は困った。本当のことを言うわけにはいかない。そこで、

「あ、ああ。高熱で良庵先生のところに担ぎ込まれたらしいからな。詳しいことは知らんが……旅芸人の一座に拾われていたらしいが、仲間を殺されそうになったのを助けたとの話だ。そのとき、置いてあった相手の刀で刺してしまったらしい。本人は、その時の記憶がないので、あえて何も聞いていないんだ。子供だしな」

と答えた。歳三はそれを聞くと、

(あいつから滲み出る殺気は、そのせいかもしれん……)

と思った。

「で、良庵のじいさんが面倒みてるのか」

「そ、そうみたいだな」

彦五郎の言葉は、あやふやだった。

「その話は、できればずっとしないほうがいいな。あいつのために……ガキのうちに人を殺していたなんてことを知ったら、根性がねじ曲がっちまうかもしれないからな」

彦五郎は、思いもかけない歳三の言葉に驚いていた。意識はしなくても、りょうに対して何か感じることがあるのだろうか、と、歳三を見た。

「何だ?珍しいものでも見るような目で」

歳三が聞くと、彦五郎は、

「歳らしくない、優しいことを言うからさ」

と微笑んだ。歳三は、

「バカいうな、あんな無鉄砲なガキ。俺と立ち合おうなんて十年早ぇ。少しは懲りたろう」

と言った。ふと、腕に軽い痛みを感じ、袖をめくると、アザになっていた。りょうの突きをかわしたつもりだったが、かすかに木刀が触れていたのだった。歳三は腕を撫でて、クスッと笑った。

(あの突き技は、総司のものだ。出稽古の時にでも教えたのか……?あんなガキのくせに、総司の技を真似できるとは、並の根性じゃねぇことだけは確かだな)

突いてきた時のりょうの顔が浮かんだ。同時に、殺気を込めて向かってきた目が、決して忘れることのできない女の顔と重なっていた。

(気になる、あいつの目……あいつの顔……うめに似ていた。これは、偶然なのか?)


「……さん、土方さん?」

斎藤の声に、歳三は慌てて顔を上げた。

「う、いや、なんでもない。あの殺気を吸収してやるのも、必要かと思っただけだ。あのままだと、あいつの将来は、殺し屋だからな」

「来るかもしれませんよ。京に。もしかしたら、土方さんを狙う刺客として」

「怖ぇこと言うな、はじめ

歳三は笑った。今回集めた隊士より、あいつの方が有望かもな、と思いながら。


「伊東はどうしてる?」

歳三の顔から笑顔が消えた。

「入隊した隊士の、旅籠の割り振りとか、今後の旅程の調整とか、色々お願いしてあります」

斎藤が即座に答えた。

「そうか、忙しくて、暗躍できそうにねぇか」

歳三がニヤッと笑った。

「はい」

「伊東先生には、京に戻るまで、もっと忙しくしてもらわなきゃな」

そう言った歳三の顔は、『新選組の副長』に戻っていた。


 さて、こちらはりょう。歳三に向かって叫んだあと、振り返ると、そこにはものすごい形相のおのぶが立っていた。りょうは、おもいっきり頬を叩かれた。

「こんなことをして!おうめさんが草葉の陰で泣いてるよ!!」

おのぶの目は真っ赤だった。りょうは、感情のまま突っ走ってしまったことを反省した。

「おのぶさん……ごめんなさい」

良庵の家に預けているとはいえ、おのぶはりょうが6歳の時から母親代わりとなって面倒をみていた。娘も同然なのである。


 りょうの存在は、土方の本家には秘密である。これは良庵と彦五郎の間の約束であり、りょうも、それを納得していたはずだった。成人するまで、親子の名乗りはしないと決めていた。たまたま、歳三が本陣にいることを知ってしまったことが、押さえていたりょうの感情に火をつけてしまったのである。おのぶは言った。

「おうめさんに、歳三がしたことを今さら謝っても仕方ないから、あたしは今までお前がなにをしても黙っていた。道場に通うのも、男のなりを続けるのも、おうめさんの遺言だと思うから、これからも好きにするがいいさ。でもね、命は一つしかないんだよ。あんたと歳三が斬りあいするなんて、あたしはごめんだ。それだけは認めるわけにはいかないよ!」

りょうは、おのぶの気持ちがわかっていた。

「大丈夫だよ。おのぶさん。心配しないで。僕はちゃんと良庵先生のとこで勉強するって約束する。勉強も剣術も未熟だから、今は新選組には入れない。両方とも修行だって言われたよ」

「じゃあ、もう歳三を斬ろうなんて、考えないでおくれね」

「うん」

そう言ったが、りょうは諦めてはいなかった。絶対に京に行って新選組に入り、もう一度、歳三と立ち合う。そう心の中で決心したのであった。


その様子を見ていた彦五郎がりょうを呼んだ。

「彦五郎先生、あの、今日は、ありがとうございました」

りょうは、頭をさげた。自分のわがままを黙って聞いてくれた彦五郎に感謝した。

彦五郎は、りょうの赤くなった頬を撫でながら、

「痛かったろう。のぶの力は強いからなぁ」

と笑った。

「悪く思うなよ。のぶはお前を本当に心配しているんだ。親心だよ」

「わかっています。おのぶさんにはいつも迷惑かけて……」

「歳三ものぶの顔を見て、まずかったと思ったんだろうな。帰りを遅らせて、お前が目覚めるのを待っていた」

「えっ?」

りょうは、先程の額のぬくもりを思い出して赤面した。

「珍しく、心配顔でな……」

そんな、まさか。心に浮かんだ感情を、りょうは打ち消した。

「どうだった。歳三と立ち合って、かなわないと思ったか?」

彦五郎が聞いた。

「かなわない……今は。すごく大きかった。怖かった……殺されると思った……」

りょうは正直に答えた。

「今でも仇として思っているか?歳三を……」

そう彦五郎に聞かれて、りょうは、自分が、今はそう思っていないことに驚いた。だが、負けん気の強いりょうは、そのことは言いたくなかった。あくまでも、土方歳三に追い付いて、母の無念を訴えたかったからである。

「僕はあの人に、父さんに負けたくないんだ。だから、強くなりたい!もっと、もっと!」

それは、りょうの口から、初めて歳三に対して、『父』という言葉が出た瞬間だった。彦五郎は頷きながら、

「親父との対決は、無駄じゃなかったみたいだな」

と言った。

彦五郎は、りょうの心の成長には、歳三を知ることが必要と考えていた。思ったとおり、りょうの心に、土方歳三という男は大きなインパクトを与えたようだ。

「これからも道場においで。鍛えてやるから」

「はい!」

彦五郎は、りょうの良き理解者であった。彦五郎とおのぶと良庵、この三人に見守られ、りょうは、さらに成長する。

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