第42話 合格発表
その日は東京にも早春のドカ雪が降った。水分を含んだ重い雪だ。少し西の八王子では積雪が30センチにもなっていて、電車のダイヤはボロボロだった。今度は彩葉の合格発表。昨日から彩葉も貝原家にお世話になっている。
「な、良かったろ?歩いて行ける所でさ、おっと」
足を滑らせながら朱雀が喋りかけるが、彩葉は緊張で何も喋れない。
「ほらほら雪国JKの意地見せてスタスタ歩いてよ」
朱雀は一人陽気だ。どうしてもついて来ると言い張って一緒に貝原家を出てきたのだ。慣れない積雪に足を取られながら彩葉の緊張をほぐそうとしている。彩葉もそれは判っている。嬉しい事だと思う。朱雀さんと二人で歩いてるなんて。しかし、今は入試の結果が大事だ。課題曲の演奏で手痛いミスもした。楽典とか英語は何とかなったが肝腎の実技でのエラーは痛い。自由課題はまあ満足に出来たのにな。点数の配分はどうなっているのだろう。足元だけをじっと見て、彩葉は速足になった。
「お、メンツ出して来たな」
「朱雀さん静かにして下さい。今はドキドキもいいとこなんだから」
「大丈夫だよ、彩葉ちゃんなら。姉ちゃんも二重丸って言ってたし」
「そんなことないです。ミスしたんです」
「だって課題曲でしょ?アンデルセンなんだからお伽噺だよ」
「全然面白くないです」
「オレが審査員だったらさー、彩葉ちゃん出てきた瞬間に満点あげてるよ」
だめだこりゃ。彩葉は呆れて朱雀の顔を見た。大学近くになると、同じく発表を見に来た高校生がたくさん歩いている。若月音大のゲートが見えた所で彩葉は立ち止まり、胸に手を当てた。ふーっ。はぁーっ。
「行こうぜ、もう人一杯だ」
周囲は次第に明るくなってきた。雲も薄くなったようだ。あー、どうしよう、見たくないけど見なきゃいけない…。そんな彩葉の背中を朱雀が押した。指が硬い。朱雀さんの指…。
突然彩葉は受験の後で見せてもらった朱雀の義指を思い出した。金属製の指だった。横断歩道で転んだ時、助け上げてくれた指。ピアノを弾いてくれた指。胴上げを受け止めてくれた指。保健室で抱き止めてくれた指。この指がずっと私を支えてくれた。
騒がしい人たちの後ろを、その指に押されながら彩葉は歩いた。器楽科と書かれた掲示板の前で朱雀の手は彩葉の背中を離れた。
「あーーっ!あった!やっぱあった!彩葉ちゃん合格ぅー!」
まだ心の準備も出来ていない彩葉に、朱雀の声が降って来た。
「えー?私、まだ見てない…」
「ほれ、あそこ、378番!おめでとう!これで後輩だぁ」
朱雀に促されて掲示板を見上げた彩葉の目に、彩葉の受験番号がようやく入って来た。あった…。受かった…。若月音大。その瞬間、彩葉は朱雀に抱きしめられた。え?ここで?え?
「おめでとう、良かったなあ、本当に良かったなあ…」
「あ・ありがと…ございます…朱雀さん、恥ずかしい…」
「あーごめんごめん、感極まっちゃった。姉ちゃんに知らせなきゃ。はい、彩葉ちゃん証拠写真撮るからさぁ、掲示板の前に立って。そ、番号見えるようにねー、そこ、もうちょい右、いや左だ」
朱雀はスマホで何枚か写真を撮る。彩葉も母に送るためにスマホを取り出して番号の写真を撮った。
「えー、姉ちゃん!受かったよ彩葉ちゃん!好成績で合格。え?判るんだよ、オレには。いいじゃん」
あー朱雀さん適当な事を言っている。呆れる瑠璃先生の顔が目に浮かぶ。って言うか、私が掛けなきゃじゃない。
「朱雀さん!私にも代わって下さい!」
彩葉は朱雀の隣へ駈け寄りねだった。朱雀は微笑んでスマホを彩葉に渡す。飛び込んで来る『おめでとー』の声。
「有難うございました。瑠璃先生のお蔭で…、ホントにホントに…」
急に涙が溢れた。頬を伝って雪の上にポロポロ落ちる。下を向いた彩葉の目に、溶けかけた雪粒がキラキラ光って見えた。人生ってこんな風に変わるんだ…。一生忘れない、今日という日を。彩葉は雪粒の一つ一つに誓った。
薄日が射す中、溶け始めた雪の歩道を二人は歩いて帰る。まずは真っ直ぐ帰って、貝原家のみんなに報告しないと。お礼も言わないと。彩葉は急ぎ足になる。
「彩葉ちゃん、帰りはハイペースだねえ」
「はい。だって1分でも早く帰らないと」
貝原家までの道のりには幹線道路が一本ある。流石に車道は除雪されていて、道路の所々に雪だまりが出来ている。
横断歩道の脇の並木も根元がこんもりと雪で盛り上がっていた。歩行者信号が赤になった。朱雀は少し前に出て、珍しそうに並木の根元の雪山を蹴っている。
「固まると結構硬いなあ」
「何、遊んでるんですか。車の撥ね水かかっちゃいますよ」
「今日は怖いからみんなゆっくりだよ。ほら」
朱雀がやって来るトラックの方を指さした。その途端、雪山に乗せられていた足が滑ってバランスを崩し、朱雀は見事に尻から
大変!
彩葉は咄嗟に車道へ踏み出し、仰向けに転がった朱雀の両脇を思いっきり引っ張った。接近するトラックに焦った朱雀は仰向けで彩葉に抱えられたまま、慌てて両足で地面を蹴った。 うわっ!
反動で彩葉も朱雀を抱えた姿勢のまま並木の雪だまりに倒れ込む。辛うじて朱雀が身を返し、彩葉は下敷きを免れた。
「ごめん!」
雪の上に這いつくばった朱雀が両手を合わせる。あー、びっくりした。朱雀さん無事で良かったけど。
「今度はオレが助けてもらっちゃったなー。2年前と反対だ」
「はい…、危ないです、雪の横断歩道」
弱々しく彩葉は答え、顔を回した。肩に掛けていたバックが勢いで雪だまりを掘り返して脇に転がっている。通りがかる人が珍しそうに見て行くのが判る。
めっちゃ、恥ずかしい、立ち上がらなくちゃ。彩葉が身体を回し、手をついて起き上がろうとした時に、それが目に入った。きっと並木の根元に元々植栽されているものなのだろう。
「スイセン?」
彩葉のバックが掘り返した雪の中からすっくと立ち上がった草花は、先日翠と一緒に日本海で見たのと同じ、スイセンの花だった。
彩葉はそのままの姿勢で目を疑った。起き上がった朱雀が不審気な目で彩葉を見る。
「どしたの? 足、捻ったかな?立ち上がれない?」
「いえ、足は多分大丈夫…。でも、目が…」
「目?」
朱雀は焦った。ヤバい…、1歳の時みたいに衝撃で色が消えたか。またモノクロームの世界に戻ってしまったのか。ようやくここまで来たのに。色を掴みつつあったのに…。
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