第32話 ご当地ソング
副科実技の授業を終えて、瑠璃が彩葉に切り出した。
「イロハ」
「はい?」
「ちょっと早いんだけど、学期末演奏会の演目、選曲したいんだ」
「え?」
「私が決めてもいいかな」
「え、ええ、去年も朱雀先生が決めました。小島先生も納得の曲だったので」
「そっか。コジババとバトルか」
「違う所で朱雀先生もバトルしてました」
「伴奏だろ?」
「はいー」
「それもまた引き継いだ」
「え?また、先生ですか…」
「不満?」
「いえ、この時間に練習できるから私はいいんですけど」
「じゃ私も勝負してくるよ、コジババと」
「はあ…」
「じゃ、今度楽譜持ってくるからさ。新曲なんだ」
「へ?」
「天から降って来た」
「は?」
+++
翌週、彩葉が練習室に入るとピアノの上にメモが置いてあった。
『コジババと延長戦中 暫く待て ルリ』
ぷっ。彩葉は
15分ほど経ってから練習室の扉が開いた。
「あーーー、つっかれたぁーー」
「大丈夫ですか?小島先生納得しませんでしたか?」
「いや、最後は脅迫した」
「はい?」
「これやっときゃ若月に入れるって」
「そうなんですか?」
「んな訳ないじゃん。真っ赤なウソだよ。でも大学院研究生のステータスがちょいと効いた」
真っ赤。私でも解る色。私はこんな時にしか使えない色だけが見える。彩葉はちょっと悲しくなった。もっと優しい色とか、嬉しい色が見たかったな…。
「あの。私、大丈夫でしょうか?」
小島先生怒ってないかな。プライベートなレッスンを受けていない彩葉にとって、やはりコジババは師と言ってよい。進学やその先でも大事な存在なのだ。
「何が?」
「小島先生にはこれから進路とか相談に乗ってもらわなきゃいけないし」
「あーそう言うこと。大丈夫だよ。只の頑固ババアじゃないよ、あの人は」
「そうですか」
「コジババの演奏聴いたことあるんだろ?」
「え? レッスンとか学校での模範演奏だけですけど…」
「そうなの? 私は何回か聴いたんだ。ライブハウスみたいなところでプチコンサートやってるだろ?なかなかいいよ。いつも底に温かいものが流れてる」
彩葉は瑠璃に『大人の演奏家』を感じた。そう言う事が、私も解るようになるのかな。
「で、その曲だけど」
瑠璃はバックからゴソゴソとクリアファイルを出した。はい、これ。
『湯立の紅葉』
瑠璃が差し出した楽譜にはそう書いてあった。湯立って湯立渓谷のこと?近くじゃん。ご当地ソングなのかな。
「たまたま見つけてね。弾いてみたら結構良かった」
「こんなの誰が作ったんでしょう。地元の人ですかね」
「無名の作曲家みたいね。ちょっと演歌っぽいタイトルだけど、中身はそうでもないよ」
瑠璃がピアノで弾いてみる。彩葉は目を瞑って聴いた。本当だ、メロディーがすーっと入って来る。彩葉は遠足でも何度か訪れた湯立渓谷を思い浮かべた。季節は、きっと初夏だな。そこから時が移ろって行く。色は判らないけど、暖かさが増してゆき、暑くなって、そして下がってゆく。曲はタイトル通り、紅葉の季節に終わった。
「いいですね!」
「でしょ?」
私のための曲。彩葉はそう感じた。無名の作曲家さん有難う。演奏会が終わったら探し出してお礼を言おう。
「じゃ、今度はイロハがメロディを吹いてみて」
「はいっ」
吹くたびに音階が身体に蓄積されていく。身体中に音符が染み通る。私自身がこの曲に染め上げられてゆく。もしも色が見えたのなら、今の私はきっとカラフルだ。
学期末に向けて、彩葉は練習を重ねた。
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