第30話 医師の見解

「なあ、瑠璃?」

「なあに」


 朱雀が打ち込み始めて2ヶ月程経った朝、朝食の用意をしている瑠璃に、ダイニングに座った健介が話しかけた。


「この頃朱雀、何やってんだ?ずっと引き籠ってピアノ弾いてるけど、宿題か何かか?ちょっと無理かかってるんじゃないか?」

「確かに無理はかかってるかも」

「おいおい、あいつまだ全快って訳じゃないぜ。時々休ませんといかん」

「だけど、父さんにも関係あることなのよ」

「え?もしかして、あの話か?」

「多分父さんが思ってるのとはちょっと違う。父さんがずっと前に助けた女の子に関係あるのよ」


 瑠璃は手を止めて父親を振り返った。


「それっておまえ、なんで知ってるんだ?」

「偶然なんだけどね。本当に偶然に朱雀の教え子だったのよ」

「あ?」

「北泉音大でね、朱雀、ある先生の代理で地元の音高に教えに行ってたのよ、バイトみたいな感じで。向こうで入院してた時にちょこっと言ってたでしょ。そこでの教え子の友だちが付き添ってくれてた高倉翠。それで教え子が、糸巻彩葉。父さん、名前に覚えある?」


「イトマキ…、なんてことだ」

「覚えてるってことね」

「ああ。うろ覚えだったが今思い出した。珍しい名前だったし」

「その糸巻彩葉って子ね、色が見えないの」

「え?」

「流石にこれは父さん、知らないでしょ。彼女は物心ついた頃からモノクロームの世界で生きてるの」

「色覚がおかしいってことか?」

「そう。何だっけ、一色型とかいうヤツ」

「そうなのか…」

「本人も眼科の先生も先天性のものだと思ってた。けど多分違う」

「ん?何故判る?」

「朱雀が倒れた時ね、彼女一緒に演奏してたでしょ。それで朱雀が血を吐いたのを見てショックを受けて赤が見えるようになったのよ。赤色だけね」

「…」

「だから多分後天的なものだと私は思うの。それで調べたのよ。物心つく前に、彼女に何かなかったかって。そしたら父さんの名前が出てきたの。もうびっくりなんてもんじゃないよ。で、なんで父さんがあそこにいたんだろうって考えてて思い出したのよ。母さんが北陸のタカクラさんにお金振り込んでたこと。ネットでやったから私、手伝ったの」

「ううむ」


「母さんに聞いたらあっさり教えてくれた。高倉翠が私たちの妹だってこともね。でもまあ、そっちはいいとして、問題は糸巻彩葉の方よ。私、色覚障害についても調べたの。そうしたら多分だけど、父さんの方が詳しいと思うけど、あと緑と青を感知できれば、イロハは色が見えるようになるんじゃないかって思ったわけ。間違ってる?」

「いや、概ねそうかも知れん」

「それで朱雀は、緑と青をイメージさせる曲を今一所懸命作ってるのよ。糸巻彩葉に演奏させるとひょっとして何かが起こるかもしれないって。1年前に朱雀が倒れた1学期末の演奏会でやれば、その記憶も蘇って何かがイロハに作用するかもって」


 健介は突然の話に完全に呑み込まれていた。


「父さん、これって医者から見てどうなんだろ。普通はそれだけで色が見えるようになるとは思えないよね。朱雀は思ってるみたいだけど、赤が見えるようになったのも朱雀が血を吐いて倒れたショックがあったからだと思うの。だから反対に、色を失うほどのショックなことがイロハにあったのかって、私は調べた訳だけど、紅葉の木で腕を切った程度じゃショックにもならないよね。実際に手当てをした父さんはどう思う?」


 健介は考え込んだ。十数年前の光景がまざまざと蘇る。


「瑠璃、その演奏会はどこであるんだ?」

「学校よ。西谷高校。多分講堂だと思うけど。ちょっとしたホールになってるのよ」

「おまえたちも行くのか」

「勿論。今では私の教え子だから、伴奏するし」

「朱雀もか?」

「多分行くって言うと思う」

「その時、ちょっと仕掛けてみてくれんか」


 健介は瑠璃をリビングに誘った。リビングのソファで健介と瑠璃は顔を突き合わせて小声で話し込んだ。

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