第23話 ミドリな親子
秋が深まる街には時折
「それで高倉さんは東京で就職したいんだって?」
「え?」
「朱雀が言ってた」
瑠璃の言葉に翠は慌て気味だ。
「はい、何か当てがあればと思ってます」
「マジ?翠、東京?」
彩葉も驚いている。ずっと一緒と勝手に思っていたからだ。こくんと頷いた翠は
「母はいい顔しないんです。あたしが出て行くと一人になっちゃうし、何だか東京にはいいイメージ持ってないみたいだし、バイトしながら看護学校って大変そうだし」
「住めば悪い所じゃないけど、確かに高校卒業して一人で出すには親は不安だわな」
瑠璃は暢気に言う。翠はそんな瑠璃の表情を上目遣いでそっと伺った。
「あのう…、瑠璃先生。この前お話しした貝原病院って、もし親戚とかだったら紹介とかして頂けるでしょうか?当てがあれば母も説得しやすいし、彩葉の先生の関係って言えば安心もすると思うんです」
瑠璃は視線を外した。
「人口が多いから貝原って名前も結構あるからねえ」
翠は瑠璃の反応にちょっと気落ちしたようだった。
「ですよね。国分寺ってちょっと離れた場所ですもんね」
彩葉は自分の卒業後の進路をぼやっと考えながらオールドファッションを
「こっちに看護学校ってないの?」
「あるけどね。国立大学の医学部看護学科とか、県立の看護大学とか」
「難しそうだね」
「うん。普通は高校にあと2年行ける短大みたいなのがくっついてて、そこで国家試験の受験資格取るみたいなんだけど、ウチないんだよね、それ」
「ふうん。中途半端」
「みんなブーブー言ってる」
「みんなはどうするの?」
「そこ受けるか、名古屋とか大阪とか行くみたい」
「東京は少数派なんだ」
「高そうだから、生活費」
「だろうね。瑠璃先生んとこに下宿とか」
瑠璃が二人をじろっと睨んだ。
「なに言ってんのよ。高倉さんなら国立大の看護学科でも受かるでしょ?」
「そうだよ、翠、成績良かったじゃん中学の時から。出て行ったらお母さん泣いちゃうよ」
「そこなのよ、あたしのウィークポイント。てか彩葉はどうするつもりなのよ」
「あー、どうしよう。やっぱ北原先生の音大かなあ」
翠は彩葉の言葉に少しほっとした。彩葉が朱雀さんの大学に行くって言ったら、あたし真剣に
しかし彩葉は彩葉で朱雀の顔を思い浮かべていた。また朱雀先生、こっちに帰って来てくるかな。あ、でもそれって翠のところにって事か…。忘れたくても忘れられない面会室の影二つ。ふう…。
+++
翌日、瑠璃は決意をもって帰京した。はっきりさせないと、あの二人の高校生の将来をも左右するのだ。父がまだ帰ってこない夕方のダイニング、瑠璃は母・貝原麻実(かいはら まみ)に切り出した。
「母さん、ずっと前にネットで振り込みしたよね。私が手伝って、北陸の銀行に」
「うん?あー、そうだったかな、ずっと前ね」
「ちょうど2年近く前だよ。私、中身はどうでも良かったんだけどさ、ちょっと不思議なことがあってね」
「何よ今頃」
「あのお金、タカクラって人に振り込んだじゃん」
「よく覚えてるわね」
「だって通帳見ちゃったもん。ちゃんと記帳されてるよ。200万円って大金じゃん。タカクラミドリって誰?」
「ちょっとした知り合いよ、お父さんの」
「あのさ、朱雀の後釜で、私向こうへ行ってるでしょ。母さんは聞いてないかもだけど、朱雀が入院した時、病室でお世話してくれたの、高倉翠って高校生の子よ。アキラってヒスイのスイって漢字ね。緑って意味だよね。看護科に行ってて、朱雀の教え子の友だち。高倉翠とタカクラミドリ。似過ぎだよね、名前」
「…」
麻実は料理の手を止めた。
「母さん心当たりない?父さんはあるっぽいんだけど」
麻実はガスコンロの火を止めて、ダイニングテーブルで瑠璃と向かい合った。
「バレちゃってた?」
「推測、瑠璃探偵の」
「そっか。ま、瑠璃ももう大人だからね。あっちにお父さんの子どもがいるのよ、翠って女の子が」
やっぱり…、瑠璃は当たった予想を噛み締めた。麻実は続けた。
「お母さんが緑さん。高倉緑(たかくら みどり)さん。確かに似た意味の名前だけど、名付けは緑さんだから詳しくは知らない。初めてお父さんに聞いたときは、さすがの私も怒り狂ったわよ。ちょうど翠って子が小学校に入学するタイミングね」
「それまでは知らなかったの?」
「うん。今でも細かいことは知らないのよ。会ったこともないしね。聞こうとも思わなかったし」
「向こうは養育費よこせ!とか言ってきたの?」
「ううん真逆。自分の娘だし何かして頂こうとは思っていませんって。小学校入学って節目だからお知らせしておこうと思って電話したら、間違って自宅に掛けちゃったって」
「へえ」
「あとはお父さんに任せたわ。お父さんもお祝い送っただけみたいだったけど。でもね、中学入学の時にはお母さんがお祝い送ったのよ。それで電話で話したら結構いい人じゃんって思っちゃった。元々東京の人だったの。それでその翠って子は、将来食いっぱぐれがないから看護師になりたいって言ってますって。少しは血を引いたんだって笑ってた」
そう言う理由だったのか…。瑠璃はドーナツ店で、彩葉が翠は成績も良かったと言っていたのを思い出した。本来なら普通科高校から大学進学ってコースもあり得たんだ。翠はウィークポイントの母親の事を考えて看護科を選んだんだ、きっと。
「でさ、揉めるような要素もないし、お父さんも引きずってないみたいだし、その後はお母さんが時々電話してたのよ、親戚みたいな感じで。そしたら高校は看護科に進むって言うのね。看護科ってほら、満更ウチと関係なくもないじゃん。あんたたち誰も病院継がなさそうだったから、まあいいかって、高校の入学祝と授業料の足しに200万円送ったの。それがあの時」
麻実はそう言って立ち上がった。
「あ、でも本当に大変なのはこれからよね。お父さんが一番よく知ってると思うけど」
「母さんはどうするつもり?」
「どうもしないよ。お父さんが考えるでしょ」
再びコンロに点火して料理を続ける母親の背中を、瑠璃は見つめた。母さんにもいろんな思いがあった筈だ。夫の浮気だもんな。でも実際翠に会ったら、翠を知ったらそんな思いも吹っ飛ぶかも。
瑠璃は前日の会話を思い出した。ウチに下宿させるって、ありかも知れない…。父さんが決断したら、だけど。
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