第18話 バレる

 翌週の副科実技。瑠璃はクイッとドアを開けると、黙って椅子を引き寄せ座る。


「じゃ、悲恋のメロディを聴かせて」


彩葉は教本を拡げ、譜面台に置く。それを見て瑠璃が腰を上げた。


「あ、悪い、ちょっと待って。楽譜貸してくれる?自分用にコピー取って来るわ。練習してて」


そう言うと譜面台の教本を掴み、練習室を出て行った。止む無く彩葉は暗譜している部分をポロポロと弾いてみる。

数分後、ドアが開き瑠璃が戻って来た。手にした教本を譜面台に立て、自分用のコピーを膝に置いて、ペンを持った。


「始めます」

「うん」


 全部は暗譜し切れなかったけど、チラ見で何とかなりそうだ。彩葉は弾き始めた。瑠璃は膝のコピーと彩葉を交互に睨みながら聴いている。曲は2分ほどで終わった。


「ふうん。今度は左も入れてみて。テンポ落としていいから」

「はい。暗譜は出来ていません」

「見ていいよ」


 瑠璃はメトロノームを調節する。丁度晩秋の風景を眺めるようなゆったりとしたテンポだ。彩葉は再び弾き始める。時々楽譜を確かめながら、そしてペダルも踏んでみた。瑠璃は膝のコピーに何やらチェックを入れながら、やはり彩葉の手と楽譜を交互に眺め、聴いていた。


「ふうん」


演奏が終わってもしばらく瑠璃は膝のコピーを睨んでいる。そして顔を起こすと彩葉の方を向いた。


「イロハ、赤色、見えてるでしょ」


え? 彩葉の目は大きく見開いた。


「ど、どうして解るんですか?」

「弾き方、音色と楽譜見りゃ解るよ。おかしいなと思ったんだ。色が見えないってのに鉛筆と赤鉛筆で書き込んであるからさ、そんな濃淡の区別の仕方、普通しないだろって。だってこういう風にしか見えない筈だよ」


 瑠璃は自分用のコピーをひらひらさせた。


「はい…。実は赤だけ見えてます。見えるようになりました。朱雀先生のお蔭で」

「ほう、朱雀、何にも言ってなかったけどな」

「朱雀先生には言えていません。本当は真っ先に言いたかったけど出来なくて。それにお医者さんも原因不明で、また元に戻るかもって」

「ふうん。病院に行ったんだ」

「はい。地元の掛かりつけの眼科と大学病院。どっちも原因は解らないって言われました」

「そっか。ま、見えてるかどうかは本人しか判らんもんな。きっかけは何かあったの?」

「はい。言いにくいんですけど、1学期の期末演奏会のステージです。朱雀先生が倒れられた…」


 瑠璃の眼差しが強くなった。


「血を吐いた時?」

「はい。その色が、初めて見た赤でした。翠は、あ、友だちの看護科の子が紅って言うんだって教えてくれてた色でした」

「高倉さんでしょ。知ってるよ。病院で会った。そうか、初めて見た赤が血の色だったのか。そりゃショックだわな。いや、ショックだったから見えたのかな」


 瑠璃は宙を睨む。


「じゃあ朱雀は自分が言った通りにイロハに色見せられたってことか。やるじゃん、あいつ」

「で、でも、そのせいで朱雀先生倒れて、私のために一所懸命やって下さったのに、恩をあだで返したみたいで、私の責任です。すみませんでした」


 瑠璃は彩葉の肩に手を置いた。


「違うよ。あいつのは病気だよ。気管支がどうのって病気。いつかはああなってたさ。イロハのせいでもなんでもない」

「でも、声楽で歌わせてしまって酷くさせました」

「だから違うって。自分でやるって言い出したんでしょ?あいつはここでは先生で、イロハは生徒なんだ。その間にはね、見えない一線があるんだよ。先生のくせにセルフコントロールも出来ないのは先生失格だ。だから自業自得。イロハは悪くない」


 彩葉は項垂うなだれた。瑠璃の手が妙に温かい。


「さっきの演奏、二色が表現出来てたよ。まだ覚束ない感じはあるけど、JKの悲恋の息吹って感じだった。面白くなりそうじゃん」

「はい…」


 ビミョーな話だ。あんな事を引き起こしたのに、その被害者の実のお姉さんにこんな事言って、させてていいのだろうか。まだ彩葉は瑠璃を直視できない。


「で、どうすんの?赤色見えました宣言はするの?しないの?」

「えっと、まだもうちょっと止めとこうかなって。眼科の先生以外には誰にも言ってないし」

「ふうん、まあそれはイロハの自由だから、責めも止めもしないよ。じゃあ、今の感じで二色刷りで練習に励もうか。ピアノでこれだからフルートはもっと良くなるよ。自信持ちな」


 最後に瑠璃はにっこり笑った。可愛い…。まさに美人の微笑み。彩葉も釣られて微笑んだ。

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