第3話 道案内

 3月に降る雪は湿っている。1,2月に較べると量は減っているものの、歩道は積雪でぐちゃぐちゃだ。下校途中の彩葉は薄日が射す空を見上げながら急ぎ足で横断歩道に差しかかった。さっきからピヨピヨ音が聞こえているので間もなく点滅になりそうだ。そして横断歩道に足を踏み入れた途端、 


ずるっ…ずてっ!!


 まるでマンガのように転んだ彩葉は路面にお尻を打ち付けた。

 

 痛っ~ 恥ずかしくて声に出せない。お尻が痛く冷たい。信号が『とまれ』になり、間もなく車が走り始める。やば、撥ね水かけられる。彩葉は立ち上がろうとスクールバックを脇に置いて、両手を地面につけ、そして力を入れようとした。が、それより一瞬早く、堅くて力強い誰かの手が両脇の下に入り、彩葉はずるずるっとそのまま歩道へ引き上げられた。え?


「あぶねーよ、さっさと立たなきゃ」


そのまま引き起こされた彩葉の前には一人の男性が立っていた。髪が金色、と言っても彩葉には白っぽい真ん中の色にしか見えないのだが、顎には黒っぽい短い髭がモシャっている。大学生くらい…だろうか。


「あ、有難うございました、すみませんでした」


 彩葉はひとまずお礼を言った。


「雪国の人でも転ぶんだねー、安心したわ。お尻びっちょじゃない?拭いてあげたいけどそうはいかないからさぁー、何とかしたほうがいいよ、めっちゃ冷たいしさ」


見てくれ同様、何だか軽そうな人だ。


「はい大丈夫です。すみません」


答えながら、言われたことだし、と彩葉はハンカチタオルを出してお尻をポンポンと拭いた。


「あのさ、お礼代わりにって言ったら厚かましいんだけどさ、道、教えてくんないかな」


『すすめ』に変わった信号を前にして男性は更に言った。彩葉は歩き出せず、男性の方を向く。


「スマホのマップじゃよく判んないんだよねー、唐沢町郵便局って知ってる?」

「はい、えっと多分、信号渡って、あっちの道入った先にあるところです」


正式名は知らなかったが、唐沢町はここいら辺だし、ここいらで郵便局はあそこしかない。たまに回り道で通る場所だ。


「やっぱ、反対側かぁー、そうじゃないかと思ったんだけどねー、マップがさ、スマホ持ち替えるたんびにクルクル回るから判んなくなってさぁー」


男性は、ははは と軽く笑った。本当に軽そうな声だ。


「えっと、前まで行きましょうか」

「Oh!待ってたよその言葉。そのために助けたんじゃないよー、言っとくけど。地元JKのガイド付きってオレ、何か持ってるなー」


 目の前では信号が、また『とまれ』になっていたが、文句は言えない。彩葉はそのまま信号を待った。男性は続けて話しかけてくる。


「オレ、この街初めてでさぁ、不動産屋さんに道順聞いたんだけど、目の前でJKすってんころりんでみんな飛んじゃったさぁ」

「それはすみませんでした」

「いやいや、ラッキーだったよ、どっちか言うと。あーごめんねベラベラ喋って。オレ、貝原朱雀(かいはら すざく)って言うんだ。朱雀って解るかな。大昔からある伝説の動物って言うか鳥だけどさ、えっとフェニックスとか火の鳥みたいな奴ね。真っ赤な姿になって飛ぶんだぜ。かっけーだろ?オレも髪の色、赤にしても良かったんだけどさ、流石に恥ずかしいってか、名前負けっーて感じでさ、それでキミは何ての?」

「え?名前ですか?」

「あーそっか、そりやまずいよねー、ストーカーとか居るから名前なんか簡単に言っちゃったら駄目だわ。いい、いい、言わなくて。でも学校はこの近くでしょ?」

「ええ、まあ、もう少しあっちですけど」


 三度目の『すすめ』信号だ。色は判らなくても下段の灯火が明るくなってピヨピヨ鳴るから、彩葉にもすぐ判る。彩葉は横断歩道に足を踏み出し、貝原朱雀なる男性もついてくる。


「今度は滑んなかったねー。丁度この境目とか危ないんだよねー、雪国のJKでも滑っちゃうんだからねー」


あーもう分かったよ。彩葉は少々ウザくなって来た。アンタの名前にも興味ないし、なんで前まで行くなんて言っちゃったんだろ。


「でさ、高校はなんて高校?」


軽い朱雀は畳みかけてきた。


「え、高校ですか?」

「あーそっか、それも拙いよねー、危ない危ない、オレも危ない」

「西谷高校です」


どうせ制服でばれちゃうんだからと彩葉は腹を括った。


「おー、西谷高校!ぜーんぜん知らないや。ってか、よく考えたらここら辺の学校、オレ全く知らんかった」


なんだよ、だったら聞くなよと思ったが、勿論口には出さない。彩葉は雪を踏みしめさっさと歩く。


「さっすが雪国のJKだねー、歩くの慣れてる」


あーJKJKって面倒くさ。オッサンはやだ。細い通りへ曲がって間もなく、彩葉は前方を指さした。


「あそこが多分その郵便局です」

「あ、なるほど。その斜め前のハイツって、ああ、あれかぁ、メゾン・ラルクアンシェル!」


 朱雀の視線の先には、白っぽい四角いハイツがあった。妻面の庇の下に何やら濃淡の模様のプレートが見える。


「あそこが目的地ですか?」


彩葉はカーナビのように聞いてみた。


「そう、目的地って言うか、住まいだよ。あそこに引っ越すんだ」


あー、そういう事。転勤みたいなものなのか。一応社交辞令として聞いておくか。


「あの、貝原さんってどこから来られたんですか?」

「東京だよ。国分寺って言っても判んないかな。都心からちょこっと西の方」


 東京って言い方がちょっと気障きざに聞こえたので、彩葉は少々逆襲することにした。


「東京って5cm雪が積もっただけで大騒ぎになるところですよね」

「いやあ、そりゃ厳しいなぁ、慣れてないんだから仕方ないっしょ」


自分のことを棚に上げてとは思ったが、そこは突っ込まれなかったのでひと安心して彩葉は二の矢を放った。


「電車だってすぐ止まっちゃうって」

「まあねえ、安全第一だからねー電車は」

「こっちのワンダーバード号なんて、雪の中でも元気に走ってますよ」


さすがに朱雀はムッとしたようだ。


「犬ころかよ…」


その言い方と表情が可笑しかったので、彩葉はクスッと笑ってしまった。


「お、ウケた」


朱雀は安心したようににっこり笑うと改まって


「道案内有難う、助かったよ。でも気を付けなよ。キミだって5cm積もって慌てる東京人のこと笑えないぜ。じゃ、元気で勉強しろよ」


うわ、言われちゃった…。彩葉は焦りながら、いえ、どーもと口籠ってペコリと頭を下げると、来た道をいそいそと引き返した。

 曲がり角でそっと振り返ると、貝原朱雀が両手を思いっきり振っているのが目に入った。軽そうだけど悪い人じゃ無さげだ。名前、言っても良かったかもな。彩葉は小さく手を振りながら、角を曲がった。お尻は今頃になってじわっと冷たくなってきている。後ろから染みが見えるかな…。彩葉は家路を急いだ。


 JKが見えなくなって朱雀は両手を下した。そしてハイツを見上げる。ホントにサイコロだな。不動産屋の言った通りだ。優雅さや余裕のない角ばった白い建物。今のオレには丁度いいや。何もかも削ぎ落され、駈け込む監獄のような建物。朱雀は不動産屋で受け取った鍵を取り出し、階段を上った。

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