太平洋海域攻防戦
明輪15年9月14日、愁が艦長を務める戦艦「桜蘭」及び第一主力艦隊、それに第二主力艦隊を加えた太平洋海域遠征艦隊は、トラック諸島に集結を果たし、軍令部の作戦に従いメビウス艦隊の迎撃準備を整えていた。
総司令官以下主力艦隊を統率する司令部は現在トラック諸島にあり、「水の都」要塞の軍令部は後方からそれを支援する立場にある。総司令官が太平洋海域へと出てくるのは稀なことではないが、司令部が前線までやってくることはかなり珍しい。
その理由は、今回のメビウス艦隊の跳梁だった。
メビウス艦隊の中でも精鋭に属する、艦隊識別符丁「朱雀」が「雲雀」とともに太平洋海域の中央部へと侵攻してきた。これは、人類にとっては危機的とも言える状況だった。
太平洋海域の中央地帯には島嶼が少なく、もしもこのまま侵攻を許せば太平洋の東西で人類の戦線が分かれてしまうことになる。それは、戦力的な余裕のない人類にとっては致死的な一撃だった。
事態を重く見た軍令部は、軍令部総官のベアトリクス大将以下積極派による強行採決という強硬手段によって半ば強引に二個主力艦隊の投入を決定した。
近年の軍令部は、極めて優柔不断で、そのうえ判断力が欠如していることがあまりにも多く、特殊戦出身の総司令官、ジャック・スプルーアンス中将による独断専行を許さなくてはならないほどだった。
「とはいえ、ベアトリクス大将も良く消極派を押し切ったな…」
「全くその通りだ。消極派が多数を占めている軍令部の席で、良くやっていけると感心するよ」
特殊戦長官のジャックはそう言った。
何度も言うが、特殊戦は極めて特殊な位置にいる。教育部所属でありながら総司令官直属の主力艦隊に教育途上の艦長候補者が乗った戦艦を配属したり、国防軍の艦隊に配属したり、様々な権限が認められている。
「私としても、あんな奴らと絡むのはゴメンだ。ホント、アイツラは優秀な人員なのか…?」
「この前のマーシャルでの件も、ハワイでの件も、スプルーアンス総司令官による独断専行がよくいったから良かったものの…」
軍令部は、今から10年ほど前から二分されている。
一つは、積極派。マーク・ベイズ艦長の教え子であるライト・アルズ退役中将を中心とした派閥で、メビウス艦隊に対して積極的な攻勢に出て、メビウス艦隊の殲滅を図る派閥。
もう一つは消極派。こちらが現在の主流で、今や前線司令官と言い換えても過言ではない島嶼部政府軍事顧問団がその中心だ。島嶼部政府にはある程度の軍事力の保有が認められているが、逆に言えば大規模な侵攻があればあっという間に島嶼部は陥落してしまう。
その為、ある程度の戦力を島嶼部に配置しろという主張をしており、メビウス艦隊に対しては守勢で望むべきだという主張をしている。
「アルズ退役中将が恨みを買いすぎたんだ。全く、どうしたらあれだけの恨みを変えるのか聞きたいものだ」
アルズ退役中将もまた特殊戦所属だった将校だ。
しかし、その入り方は文字通り道場破り。特殊戦所属の艦長全員を (特殊戦長官も含めて)模擬戦で降し、実力で特殊戦に入った。特殊戦は基本的に人格破綻者が多いが、アルズ中将ほどではなかった。
それほどまでに、アルズ中将は酷かったのだ。
性急な戦力投入によるメビウス艦隊の支援枯渇、意図的な島嶼部の明け渡し、軍令部に対する独善的態度など、その罪は数えれば切りがない。
あのオリンピック作戦も、無人艦隊計画もそうだった。特に、「雪風」の叛乱などは、アルズ中将のせいなところが大きい、とジャックは思う。
「軍令部も軍令部ですよ。今の軍令部の中でまともなのは総官のベアトリクス大将だけです。他の人は全員積極派なのか消極派なのかの派閥争いに終始しています。
全く、どうすればこうなるんだか…」
「全くその通りだ。軍令部は派閥争いによってまともな機能を失い、前総官のリュッツォウ大将時代にはレイテ沖海戦、サマール沖海戦を生起させることを許した。
これだけで十分な罪過だ。
あの時は主力艦隊の司令官も酷かった。積極派の司令官を許すまいと消極派が血塗れの抵抗を繰り広げていたからな。あの抗争がなければ、レイテ沖海戦もサマール沖海戦も生起しなかっただろう」
軍令部は政界にも影響力を持っている。
所謂「
このままでは、何年もしないうちに政府が崩壊しかねないだろう。
「あの抗争がなければ、なんていうIFの話は、悲しいことに意味が無いんですけれどね」
「あの抗争」というのは、明輪12年後半から13年前半にまたがる、軍令部及び主力艦隊司令官の粛清である。
この抗争の結果、有能な艦隊司令官が何人も軍を退役し、一部は暗殺すらされた。
これは民族的対立も巻き込んでおり、神話の時代から仲の悪いアジア系とヨーロッパ系の対立がこの裏に潜んでいる。
当時の軍令部は過半数をヨーロッパ系が締めており、これに対してアジア系が巻き返しを図るために、テロ組織のAEF(Anti Europian Force)を用いたヨーロッパ系司令官の虐殺行為を行ったのだ。
「そういえば、愁はアジア系か…」
「あまり、特殊戦では気になりませんからね、そういう民族的な対立は」
その点でも、特殊戦は特殊だ。
挨拶もしないというとんでもない組織である反面、そこに民族的な対立は巻き込まない。そんなことよりも実力を重視するのだ。
ある意味、特殊戦の人々はストイックなのだ。
「軍令部、民族対立、積極派と消極派…。これだけ内憂で、外患であるメビウスは強大…。どうして、纏まれないんだろうな」
「人は、本来は一人で生きていけるからでは?」
「かもな…。一人で生きていける人間を、無理に束ねようとすればこうなってしまうのかもしれない」
政府、軍令部、そしてメビウス…。
人類という種の存続にとって、どれが味方でどれが敵なのか…。愁には分からない。だが、それでも。
愁にとっては、桜蘭が唯一の味方で、ジャックはそれを支援してくれる強力なパートナー。それ以外、どうでも良かった。
「さて、休憩は終わりだ。
「
ジャックは、特殊戦長官として戦艦「ジェルフィッシュ」に乗り込む。
愁は「二冠の魔女」として、そして「桜蘭」艦長として、桜蘭とともに今日もまた戦場を駆ける。それは、海の漢として生きる、そして死ぬであろう愁の運命(さだめ)であり、そして欲する使命でもあった。
中部太平洋海域機動戦の末、第一主力艦隊は既にメビウスを至近距離に捉えていた。
愁にとってもジャックにとっても、気の抜けない一ヶ月だった。
だが、その一ヶ月は終わりを告げて、代わりにより集中力を強いる一日が訪れようとしていた。
「桜蘭、敵艦隊を三次元ホログラムに表示。敵艦隊の編成を確認」
「敵艦隊を三次元ホログラムに表示します。敵艦隊、編成を確認中…。敵艦隊の編成、不明。敵艦隊の所在不明」
「…、目視確認できるのに…、なるほど、電波妨害手段か…」
電探(レーダー)を使用不能にされたようだ。
だが、それでも。
愁にとって、それは
「仰角42,0度、砲塔0-8-9、微差修正0,12度+。砲塔励起開始、砲弾装填用意。艦長号令のもと、攻撃開始」
「仰角42,0度、砲塔0-8-9、微差修正0,12度+、砲塔励起開始。砲弾装填開始!」
全て、愁の目視によって行われるからだ。
「…、できればホログラムに表示してほしいが…」
「第二主力艦隊、砲撃を開始」
その声と同時に、戦場に轟音が響き渡る。
落雷のような轟音は、敵艦隊へと放たれた砲弾の超音速波(ソニック・ブーム)とともに目標へと向かって飛翔し始める。
「敵艦隊、砲撃開始。敵艦隊の電波妨害手段が停止!」
敵艦隊の砲撃が始まる。
戦場に遠雷が聞こえる。轟音と同時に、数多の砲弾が第一・第二主力艦隊へと向かってくる。
「もらった! 修正、砲塔仰角+0,4度、角度-0,09度!」
「砲塔仰角修正+0,4度、角度-0,09度!」
砲塔仰角、角度が修正されていく。
そして、それが終わると同時に、敵艦隊の砲弾が超音速波(ソニックブーム)を伴い「桜蘭」へと向かってくる。
遠雷のような音が一気に拡大し、鼓膜を支配していく。
「…、当たらない! 砲撃開始!」
「砲撃開始(オープンファイア)!」
「桜蘭」の砲撃が開始する。
「桜蘭」の4基の砲塔から一発ずつ、計4発の弾丸が放たれる。
轟音が「桜蘭」を包む。さらに、「桜蘭」がやや横へと振られる。
そして、それを敵弾が包み込むかのように弾着する。
「敵弾弾着! 左舷側に四発着弾! 遠弾です!」
「第二主力艦隊の砲撃は…」
愁が目視する。
第二主力艦隊の砲撃は、全てが外れる。敵艦隊の甲板に炎の色は見えない。特殊戦の艦長も外したようだ。
まあ、初段命中できるほどの腕を持つ艦長はとっくに「魔女」の称号を受けていることだろう。そして、いまの戦場に「魔女」の称号を持つのは二人。
一人は。
「着弾! 目標艦に火災炎を確認!」
愁。
「二冠の魔女」の仇名は伊達ではない。「レイテ沖の魔女」と「サマール沖の魔女」の二つの称号を持ち、歴代最強クラスにすら冠せられようとしている愁にとって初段命中は当然のこと。
もう一人は。
「敵一番艦に火災炎を確認!」
今、第二主力艦隊の先頭を行く「ジェルフィッシュ」艦長─ジェームズ・ロバート特殊戦長官。
同期の中で最速の出世を遂げたジャックは「トラック沖の魔女」の仇名を持つ。第八次トラック沖海戦で戦艦12隻を撃沈するという戦果を上げたジャックにとってもこの程度は普通だ。
「それ以外は?」
「…、確認できません」
「分かった。後は計算して砲撃を続行して!」
さっさと仕留めないと、砲撃を集中されかねない。
その時、頭に閃光が走る。
「狙われた!」
敵艦隊の砲撃が始まる。
敵艦隊の第二射、普通ならば各砲塔から一発ずつ放たれる「交互撃ち方」のはず。だが、今回の砲撃は、明らかに音が違った。
「うっ…!!」
頭が痛くなるような轟音。
遠雷なんていう次元ではない。頭に、まるで雷神槌(トール・ハンマー)を落とされたかのような、頭に響き渡る轟音。
これは、各砲塔が放てるだけの砲弾を放ったときに見られる「一斉撃ち方」だった。
「まずい…」
明らかに狙われた。
そう直感が告げていた。直ちに回避を命じる。
「サイドスラスター全開! 左舷側最大噴射(レフト・フル・ブレイズ)!」
「最大噴射(フル・ブレイズ)!」
最大噴射(フル・ブレイズ)を命じる。
全力噴射を超える速度で回頭が始まる。そして、そのGは容赦なく愁に襲いかかる。倒れ込むかのように、「桜蘭」が一気に曲がっていく。
甲板に水が浸かる。
そして、それに気付く隙もなく、敵艦隊がミサイルを放つ。
「敵艦隊、ミサイル発射!」
「こっちばっかり狙って! 何のつもり!」
超音波が頭を襲う。
頭痛がする。高いキーンという音が、愁の耳を襲う。超高音(モスキートーン)が、愁の思考力を容赦なく奪う。
「CIWSの指揮権を艦長に!」
「CIWS指揮権、艦長に委譲! 承認!」
大きな回転が、急速回転が。
「桜蘭」は大回頭をして、辛うじて元の航跡から離れる。
そして、轟音を鳴り響かせて進み始めた弾丸は、元の航跡の周辺に多数着弾する。一部が大きく外れて弾着する。
水柱が、視界を覆い隠す。
「間に合わない…! 直接リンク!」
水柱による視覚の大幅な制限は、愁の強みを消すもの。
だから、その時間的な空白を埋めるために、脳外端子とCIWSの弾着管理システムを直接リンクする。
敵ミサイル群の位置を、速度を、方向を全て脳外端子へと焼き込む。
水柱が晴れる。
レーダーに表示される。その表示と目視確認による座標修正を行う。
愁の頭が痛くなる。だが、それでも。
「目標敵ミサイル群! 行けェェェェ!」
CIWSから火線が飛ぶ。
CIWSの弾丸は、敵ミサイル群を落とすために虚空を飛翔していく。
虚空を貫く敵ミサイル群と弾丸。
超音速での両者の交錯は一瞬。だが、その一瞬を制御し、自らに有利なように傾ける。それが、愁の、艦長としての強みだ。
敵ミサイル群が、爆発炎となる。
「敵ミサイル群、全基撃墜!」
「カウンター! 長距離誘導対艦ミサイル発射! 砲撃続行、一斉撃ち方!」
「長距離誘導対艦ミサイル(LRSSM)、発射!」
長距離誘導対艦ミサイル(Long Range Surffer Sea to Sea Missile)が放たれる。直接誘導を開始。愁の脳外端子が焼き切れそうになる幻覚を見る。
「沈め!」
低い声でそう言う。
愁にとって、最大の怨念の声。これほどの回避を強いられたことへの屈辱。そして回避させられるほどの弾丸しか放てない敵艦隊への嘲り。
すべての感情がごちゃまぜになっている。
「第二主力艦隊、砲撃続行!」
その声と同時に、第二主力艦隊から轟音が鳴り響く。
第二射、第二主力艦隊。超音波を伴う轟音は、敵艦隊へと向かう。それに対して、敵艦隊は応戦しない。
「敵艦隊砲撃! 一斉撃ち方!」
「その手はもう食わない! CIWSによる迎撃準備!」
敵艦隊の砲撃は、もう見切った。
下手くそな砲撃ならば、CIWSで全弾を弾き返せる自信がある。これほど下手くそな砲撃ならば、回避する必要などない。
「第二射、撃ち方始め!」
桜蘭がそう叫ぶ。
「桜蘭」から第二射が放たれる。
「第一主力艦隊、砲撃続行!」
第一・第二主力艦隊の戦艦48隻と「朱雀」の32隻が砲弾を交わしあう。
「魔女」と「朱雀」が砲弾を交わす。
「桜蘭、敵艦隊の旗艦を狙う! 敵艦隊の旗艦を突き止めて!」
「通信量計測10秒、9、8…」
数えているうちに、「桜蘭」の放った弾丸が着弾する。
音速を超える弾丸は、その圧倒的な破壊力を目標艦に突きつける。一瞬の轟音、そして爆発。
「轟沈か…」
ミサイルと砲弾が敵艦の薄い装甲を打ち破り、敵艦の弾薬庫に命中したのだろう。
だが、敵艦から放たれた弾丸が轟音を鳴らしながら接近してくる。
「…、見切った!」
超音速で飛行してくる弾丸。
それを、CIWSの小型の弾丸が貫く。砲弾にキーンという音が響き、そしてコースが大きく逸らされる。
一発が逸れるころには、既に二発、三発と逸らされている。
「敵旗艦発見、アイコン紫!」
「確認した! 砲塔仰角42,1度、微差修正+0,02度。旋回角度0-8-9、微差修正-0,25度! 砲撃開始!」
敵艦の艦橋を、砲塔を、甲板を。
ありとあらゆるところを見る。すべての所が見える、いや、観えた気がする。
辺りの空気、大気のゆらぎ。
そんなもの全てを見切る。そう、これが愁の本当の力。
レーダー座標が、修正される。
愁の観測によって座標がずれる。
「
敵旗艦に別れを告げる。
古来、あらゆることにおいて、対戦相手との実力差が極めて僅差で、両者の実力が拮抗している時、その拮抗は「超集中領域(ゾーン)」へどちらか、あるいは両方が至ることで破られた。
そして、愁の能力はその上、「未来予知(ノウ・ゾーン)」。
周りが
そして敵艦へと放たれた弾丸は、全てを読み切った愁にとって、必ず当たる、文字通りの「必中」の弾丸だった。
「「ジェルフィッシュ」より通信、艦列を整えよとのこと」
「了解。桜蘭、針路修正、味方艦隊へ合流する」
敵艦隊の砲撃は続く。
そのたびに遠雷が響き渡る。だが、それでも。
もはや、それらは愁にとって脅威の対象ですらなかった。
敵旗艦が轟沈すると同時に、敵艦隊が乱れ始めた。
「さて、司令官のやる事は多分…」
「司令官より各艦へ通信、「戦果を拡大せよ」」
だろうな、と愁は思う。
敵旗艦の撃沈は、敵艦隊に一時的とはいえ深刻な艦列の乱れを与える。この隙さえ生まれれば、あとは戦果を拡大するだけだ。
「桜蘭、僕達は戦域を離脱する」
「本部に許可は取りましたか?」
「先程取った。僕等が相手にするのは…」
愁が指をさす。
そこにいるのは、機動戦によって分断した、敵の主力艦隊─符丁「雲雀」だった。
「僕等はこれから巡洋艦一個分隊を率いて「雲雀」を足止めする」
「了解」
「雲雀」は「朱雀」よりも大きな戦力を持つ。
その「雲雀」をわずか一個分隊で相手するにも関わらず、愁は恐れる気配は一つもない。愁にとって、「雲雀」は、十分に抗し得る対象だったからだ。
第一・第二主力艦隊が圧倒的優勢な戦力、状況のまま攻撃を続ける。
遠雷の様な音は、容赦なく「朱雀」を破壊し、艦隊としての機能を失わせていく。だが、それでも「朱雀」は諦めない。
「戦艦「鳳柏(ほうはく)」、被弾! 機関に重大な損害、戦列を離れる!」
「朱雀」の砲弾は大気を揺るがし、容赦なく第一主力艦隊の基幹戦艦「鳳柏」の機関室に命中する。
もちろん第一主力艦隊も負けない。
各艦魂の「一斉撃ち方!」の号令のもと、大量の弾丸が放たれる。超音速波(ソニック・ブーム)を伴う砲弾は、大気を揺るがして、各艦の目標へと命中していく。火災を起こす艦も相次ぐ。
「敵一番艦、大火災! 行き足止まります!」
敵一番艦は、統率の取れていない隙きに第二主力艦隊の旗戦艦「ジェルフィッシュ」による多数の弾着を受けて、遂に行き足 (機関)が停止する。
敵二番艦、三番艦は既に海面に没しており、敵四番艦は火災を起こしてすでに半ば沈黙している。六番艦は轟沈、九番艦は砲塔すべてを旋回不能にされた。
この時、敵艦隊の動きが統率を失った。
「敵一番艦が臨時旗艦だったか…」
敵一番艦は喪われ、統率を失った敵艦隊の脅威度は大きく下がる。
そこに、とどめを刺すかのように、いよいよ激しい砲撃を与える。「朱雀」の艦隊としての機能が喪われても、追い打ちをかけるかのように、逃さないかのように砲撃を続ける。
ただ「朱雀」もやられてばかりではいない。
「第一主力艦隊「酩茱(めいしゅ)」、被弾! 被害甚大、大火災!」
「第一主力艦隊「柳武(れいぶ)」、被弾! 弾薬庫に誘爆、轟沈!!」
最後の抵抗で、第一主力艦隊に被害が山積する。
第一主力艦隊の戦艦は次々に火災を起こし、行き足を止まらせてしまう。それでも、第一主力艦隊も第二主力艦隊も、「朱雀」も諦めない。
静かなる闘気は、戦場に轟音を鳴り響かせながら、敵艦を沈めていく。
落雷、轟沈、大爆発…。ありとあらゆる音が戦場を乱していく。
やがて、「朱雀」の音が希薄になり、そして全てが失われた。
第一主力艦隊も第二主力艦隊も、音を止ませる。
戦場が、つい先程までの喧騒さを失い、急速に静粛に包まれていく。
「朱雀」の艦艇は大火災を起こし、行き足を止めている。
助かる見込みのないほど、破壊された艦もある。
第一主力艦隊の被害も大きい。
これほどのワンサイド・ゲームでも第一主力艦隊は戦艦11隻を大破させられ、5隻を撃沈された。無傷なのは僅かに2隻だった。
その頃には、「雲雀」との遅延戦闘を終えた「桜蘭」も第一主力艦隊へと戻っていた。
「雲雀」は戦艦2隻を失い、「朱雀」との戦闘を諦めて退却していく。だが、愁の艦隊も無傷ではない。撃沈こそなかったものの、巡洋艦二隻、駆逐艦四隻が大破した。
「桜蘭」は終盤に二発被弾し、ほとんど損害はなかったものの、一時的に三亜港で調査を受けなければならなかった。
だが、愁の注目はそこになかった。
「桜蘭」を被弾させた敵艦隊─「雲雀」。その指揮に、並々ならぬ熟練感を感じたのだ。そう、「朱雀」とは比べ物にならないほどの、熟練感。
「もしかしたら、後々災禍になるかもしれない」
そう口ずさんだ。
悲しくも、その危惧は現実のものとなる。
だが、軍令部にとって、そんなことはどうでも良いことだった。
軍令部作戦局では、今後の作戦行動について、軍令部総官のベアトリクス大将と総司令官のスプルーアンス中将 (ただし前線にいるので、オンラインで参加)、軍部参議、軍部次官、戦務局、参議を含めた最高作戦統帥会議を開催していた。
これほどの大規模会議が開催されたのには理由がある。
スプルーアンス中将による独断専行が、あまりにも相次いでいたからだ。そして、その全てが妥当であったこともまた問題だった。
即ち、軍令部の方針自体が誤りであることに、ベアトリクス大将が危機感を感じていた。
これは、スプルーアンス中将もまた同様だった。
ベアトリクス大将とスプルーアンス中将は、公的には先輩後輩の関係に当たるのだが、実は両者とも旧くからの知り合いだった。だから、私的な場では俺貴様で話す仲だったのだ。
ベアトリクス大将もスプルーアンス中将も、現在の軍令部の事なかれ主義には霹靂していた。だから、両方とも専断を繰り返していた。
今回の中部太平洋海域への二個主力艦隊もスプルーアンス中将への支援としてベアトリクス大将が強行採決したものだし、その他の面においてもできる限りベアトリクス大将はスプルーアンス中将を支援していた。
だからこそ、今回で一気にけりをつけるべく、二人は最高作戦統帥会議の開催という強硬手段に出た。
「ですから、今回の件によって、メビウス艦隊は主力の「朱雀」を失いました。今からあと二、三ヶ月は猶予があります。
だからこそ、今すぐに戦力を再配置するべきです。各島嶼部への戦力の部分配置による漸減と、主力艦隊の投入による殲滅という作戦案は今後もはや機能しません。
各島嶼部単位で、メビウス艦隊への対抗がある程度可能な戦力を保持し、襲撃があった際にはある程度の損害を与えたあと、周辺の島嶼部に戦力を配備してもらい、一気に殲滅するという機動防衛戦に移るべきです!」
そういうのは、消極派であるサルディーニャ・ラティス軍部次官。消極派の主張は各島嶼部への戦力の配置、それに対して積極派のハミルカル・バルカス軍部次官が反論する。
「今回の件では、中部太平洋海域を「朱雀」「雲雀」という二個主力部隊が島嶼部を荒らし回りました。ラティス軍部次官の主張は一見正しいように見えますが、その実は島嶼部単位での各個撃破を肯定するもの。
何箇所もの島嶼部が同時攻撃されることもまたありえることが今回の件で見えてきたはずです。ならば、どうして島嶼部に戦力を配置しなければならないでしょうか?」
バルカス軍部次官の言うことも尤もなのだ。
しかし、ラティス軍部次官もまた正しい。というのも、島嶼部を守りきれるだけの戦力を配置していないのだ。
現在、各島嶼部には常に警備艦隊と国防軍艦隊が配置されている。
だが警備艦隊は兎も角、国防軍艦隊は島嶼部政府だけでなく周辺海域全域の警備を求められているのだ。だからこそ、国防軍艦隊は常に島嶼部によっているわけではない。
警備艦隊は常に島嶼部にいるのだが、戦力が弱体すぎる。
少なくとも、警備艦隊と国防軍艦隊は反対にするべきだという主張もなくはない。だが、それは国防軍艦隊にとって許されないことだった。
「島嶼部政府を守る戦力は必要だが、それだけの戦力を得ることができないのが根本的な問題だ、そこは皆が理解していると思う」
ベアトリクス大将がそう発言する。
本当に理解しているのか、スプルーアンス中将は甚だ疑問なのだが、致し方ない。常に積極派と消極派で抗争している軍令部を一つにするのが今回の目的だ。
だから、ここは発言するべきではない。
「私としては、両方の主張に理があると思う。だが、もちろんのことながら戦力の分散は避けるべきだ。
だから、私は貴官らに、
積極派、消極派という垣根。
さらに、アジア系とヨーロッパ系という民族の対立。
これらは人類にとっては益にならず、むしろ害である。だが、それでも。
何故、人は、差別するのだろうか。
悲しいかな。未だに差別はなくならないし、垣根も超えられない。でも、軍令部だけでもそれを超えるべきだ、とベアトリクス大将もスプルーアンス中将も思っている。
だからこそ、二人は失望した。
何故なら、このあとの会議全てがその差別、垣根を超えられることもできず、低レベルな会議に終始していたからだ。
そしてこれは、国家権力も同じだった。
議会は、新しい法案を作るためにアジア系とヨーロッパ系の対立、組織間の対立を煽り、優柔不断な決定機関に成り果てた。
神話の時代の日本やアメリカといった国々のように、自浄機能を失った、あるいはほとんど機能していない議会は長くは続かない。
ベアトリクス大将、スプルーアンス中将、ジェームズ・ロバート少将、浅野愁特務少将─。
彼ら四人は、そんな世界を、人類を、危惧していた。
そして、それは現実となってしまった。望まない結末が、その幕を閉じさせることになる。
だが、それはまだ愁にとっても、あるいは他の三人にとってもまだ極めて遠い話に過ぎなかった。
明倫15年10月18日に生起した中部太平洋海域機動戦は人類側の勝利によって幕を引き、メビウス艦隊は主力部隊の一つである「朱雀」を失った。しかし、愁は浮かれた気分にはなれなかった。
メビウス艦隊「雲雀」。
この艦隊が、何か災禍を及ぼすかもしれない。
そんなふうな考えが、頭から離れなかった。
この2年後、浅野愁特務少将、ジェームズ・ロバート少将、スプルーアンス中将、ベアトリクス大将の四人は、時代の荒波に飲まれながらも、ある者は抵抗し、ある者は海で果て、ある者は職務を全うすることになる。
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