第0話 魔女の休暇

 ドアをノックして部屋へと入る。博士のやや白みがかった髪を含む後ろ姿を見ることができる。いつも、それこそ昔と同じ椅子に座っている。


 失礼します、と声をかける。




 「那珂川博士、ご久しぶりです」




 那珂川博士の、やや老けた、でも艶がある顔は昔と変わらない。まるで時間が止まったかのようにその時空間だけが異質なものに見えた。


 もっとも、錯覚だということは分かるのだか。




 「? ひょっとして…、浅野愁か?」


 「はいっ! 覚えていらっしゃったんですか?」




 博士が眼鏡を拭く。


 その姿ですら、昔と同じ。文字通り、既視感(デジャヴ)がある。




 「いや、その声で思い出したよ。まったく、嫌味っぽい、でも嫌味のないその口調は久しぶりだ。もっとも、嫌な奴には嫌味っぽさがひどかったものだが」


 「そんなことないと思うんですが…。僕だって、嫌味っぽい、嫌味っぽいって言われるから、嫌味っぽく聞こえないように努力しているんですよ」


 「なら、その努力は失敗しているな。残念」




 いや酷い、と思いながら、それでも憎めない。


 もっとも、嫌な奴に会いに行く趣味はないから、ある意味当然だ。おいおい、と後ろでは良輔が首を振っている。まあ、十年前にあった一人の少年を覚えているほど、博士が記憶力がいいとは思っていなかったんだろう。




 「中澤良輔と佐成美沙、二人と…、あと、そこにいる女性は知らない」


 「はじめまして、第一主力艦隊…」


 「仮想人体、か」




 桜蘭が肯定する。




 「私は、仮想人体に会うのは初めてだ。まあ、脳外端子を装着したのが最近だからな」


 「なるほど、そうでしたか。私は基幹戦艦「桜蘭」の仮想人体で、桜蘭とお呼びください」


 「分かった、桜蘭、だな。それで、今宵は何の御用か?」




 今宵ってほど、外は暗くはない。これも博士の口癖の一つだ。


 例え朝だろうが昼だろうが夕方だろうが、それこそ夜だろうが深夜だろうが、博士に話しかけると必ず「今宵は何の御用か?」と聞かれる。




 「博士は世界五分前仮説と世界意識説を肯定していると聞きました。本当ですか?」


 「なるほど、その要件か…。確かに、両方とも肯定と取れる仮説を立てている。とはいえ、それを証明する手段はない」


 「博士らしくもない。実験データだけを信頼する科学者らしくもありませんね」




 那珂川博士は、特に気分を害した風もなく話を続ける。




 「そうだな、全くそのとおりだ。これは、科学というよりも哲学の範囲だ。知っているだろう、科学は世界原理を与えることはあっても、世界観を与えることは絶対にない。それに対して、哲学は世界観を与える。


 私がこの世界観を持っている理由を聞きたいか?」




 肯定する。那珂川博士が話を続ける。




 「今の科学の最先端は量子力学だ。知っての通り、古典力学分野の不明範囲は殆ど消滅していて、量子力学も電磁気力、強い力、弱い力、重力の四つの根本の力を統一することに成功した。もっとも、数式の上での話であり、しかも五次元以上の次元では発散してしまう限定的なものだが、それでも統一に成功した。


 量子力学での根本、というよりも前提は「時間は一方向に流れる」、つまり過去へと遡ることはできないというものだ」


 「どれだけぶっ飛んでいるように見える理論でも、確かに時間は一方向に流れることを前提にしていますね。でも、それとなんの関係が?」




 まあまあ早まるな、と博士はお茶を出す。




 「桜蘭お嬢さん、お茶、要るか?」


 「別に雰囲気だけで十分です」




 なるほど、と博士が言う。


 博士が三人の脳外端子に同時にアクセス許可を求める。三人はそれぞれ承諾する。いつの間にか桜蘭の目の前にあったカップにお茶が注がれている。




 「お嬢さん、これで飲めると思うが…」


 「はい、博士。ありがとうございます」




 なるほど、仮想空間でお茶の映像を映し出しているのか、と納得する。




 「さてと、なんの関係があるのか、と聞いたな。簡単な話だ。時間は本当に一方向にしか流れないのか、ということだ。時間は物体の加減速によって伸び縮みする。加速していけば、光速付近まで到達するととんでもなく時間が伸びる。


 物体の運動によって時間が伸び縮みする、というのならば、時間が本当に負の値を取ることはないのか? それが気になって仕方なかった。だから、先程の仮設を提案した、それだけのことだ」


 「? おっしゃられている意味がわかりかねます」


 「簡単に言おう。時間というのは変化を示すための関数のようなものだ。世界は人々の認識によって成立していて、その認識は瞬間でしかない。その瞬間認識を連続させていくことによって物体の運動は完成する。


 そして、その認識の連続の為の関数が時間。瞬間認識による瞬間世界を連続させていくことによって生み出された物体の運動を合理的に説明するための関数だ」




 どこか掴みどころのない話だ。


 というよりも、話の種はわかるようなわからないような、そんな感じだった。まるで、伏線を張り巡らせて分かりにくくされているSFを読むような、そんな気分だ。




 「まあ、あくまでもこれは私が世界に関して納得するための仮説だ。別に信じろ、と言っているわけでもないし、世界観が完成しているわけでもない。興味があるなら、自分でも考えてみたらどうだ?」


 「いえ、まあ…。興味深い…、参考になる話をありがとうございました」




 三人が立ち上がる。続けて桜蘭も立ち上がる。




 「また、会いに来るか?」


 「すいません、僕は、商業柄上いつ休暇が取れるかも分かりませんから」




 博士の問にそう答える。なるほど、と博士は行ったあと、暇になったら来てもいいぞ、と言って僕らを送り出した。




────────────────────────────────




 電車に乗り込む。


 スーパーで買い物でもしようかと思ったが、よく考えると夜半までには自宅に帰らなければならないし、それに自宅には無料の食料がある。二人と休暇中同居するわけでもない。


 実際、二人とは中央藤が丘駅で分かれる予定だ。二人の仕事はアニメーター、つまりアニメを作る人たちだ。そんなひましているわけでもないらしく、今日は偶々合う予定だった人との約束がキャンセルになって散歩兼自宅偵察に来ただけらしい。




 だから、中央藤が丘駅までは話すつもりだった。


 色々なことを。僕の禁忌タブー以外は。久しぶりにあった友達で、しかも久しぶりとはいえ気はかなり会う。こんな人、軍の周囲にはいない。




 桜蘭とは話ができるが、思い出話ができるほど付き合いが長いわけでもない。


 実際、レイテ沖海戦以前には特殊戦の中でも軍歴が若かったので副艦長付の指揮だったから、桜蘭の仮想人体を作ることはなかった。




 「どうだったか、久しぶりの故郷は?」


 「うーん。別に、特に大したことはない」




 そうだろうな、と良輔は返す。




 「なあ、愁」


 「どうした?」




 何か、遠いものでも見るかのような目で話し続ける。目を合わせてはいない。


 人と話すときは目を見て話すように、と言われるが、それを実際に守っている人は何人いるのだろうか、と無意識のうちに考えてしまう。多重処理の弊害だな、と思った。




 全く、余計なことを考えてしまう。




 「この戦争、いつ終わるんだ?」


 「…、さあね。伝説によると、僕らはもう百年近く戦ってきているらしい。丁度、神話のフランク=イングランの百年戦争のようにね。こんなくだらない戦争、いつ終わるのかと聞かれても、どちらかが滅びるまでじゃないか、としか答えられない」




 桜蘭と美沙は話し続けている。


 なんか二人とも、楽しそうだ。良輔の隣に美沙が座り、その隣に桜蘭が座っている。席がガラガラだからいいものの、混んでいたら席を譲ることが必要になる。


 脳外端子をつけていない大人も、極少数とはいえ存在する。そうでなくとも、現実にはいない人のために空間を開けていくのは無駄でしかない。




 「でも、もしも戦争が終われば、その時には桜蘭も処分されるんだろうな…」


 「そうか…。そうだよな…、どれだけ人間に似ていても、所詮は機械、だもんな…」




 機械の宿命だろう、と思う。


 使うだけ使われて、役に立たなくなったり、いらなくなればポイ、と捨てられる。ICチップをもったAIでも、要らなくなれば捨てられる。


 どれだけ人間に似ていても、結局は人間によって捨てられてしまう。桜蘭にそのことを聞いたことはないが、桜蘭はそのことについて「それが私の役目ですから」と答えるだけだろう。




 「機械に感情って、あると思うか?」


 「別にあってもなくても関係ない。僕らが性格があると思ったらあるんだろうし、ないと思ったらないんじゃないか?」


 「そういう考え方もあるな…」




 最近、人と仮想人体の区別がつかなくなってきている気がする。


 例え仮想人体だろうと、触る感覚はあるし、声も聞ける。僕が桜蘭を仮想人体だと知っているから仮想人体と認識できるだけで、正直に言って区別できないんじゃないかとすら思う。




 相手が仮想人体だろうが人間だろうが、区別できないならそこに差異は無い気もする。何かあるのかもしれないが。




 「…!? 艦長、緊急です!!」


 「桜蘭、どうした!」




 桜蘭が力の限り叫ぶ。焦っていることが明白だった。




 「敵艦隊です! 「水の都」要塞南方六〇浬、敵艦隊! 敵艦隊は空母を含むそうです!!」


 「何!?」




 監視は何をしていたんだ、と頭の中でキレる。


 素早く今の駐留艦隊と入港中の艦船を確認する。結果としては最悪に近い。


 半壊した第一主力艦隊を除き、他の主力艦隊は各島嶼部へと派遣されている。文字通り攻勢限界に近く、戻ってくるには数日かかる。さらに、駐留艦隊は今現在、陥落した硫黄島などの小笠原島嶼部への偵察に臨時戦力として組み込まれている。




 「桜蘭、出港準備! 緊急出港だ! 司令部に割り込み通信、「我レ、第一主力艦隊ノ指揮ヲ取ル」!」




 「桜蘭」を兎に角緊急出港させる。空爆を受ける可能性がある以上、すぐにでも出港させたい。それに、海上戦力をなんとしてでも敵艦隊の阻止に当てたい。




 「済まない、二人とも。僕達は緊急で艦に向かう。だからここでお別れだ」


 「しゃあねぇな、でも、期待してるぞ!」


 「私も応援してる! 二人とも頑張って!」




 休暇は終わりだ。


 桜蘭、レイテ沖の魔女。これより出港する。

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