第0話 魔女の休暇

三亜港から出港した「桜蘭」は、途中から味方の第三艦隊に護衛されながら、「水の都」要塞へと辿り着く。「桜蘭」の四基の41cm主砲は、仰角をかけることもなく、真正面、あるいは真後ろへと向けられている。




 「「水の都」要塞第三軍港まで後2浬」


 「減速一杯、両舷前進微速へ」


 「よーソロー、両舷前進微速」




 速度がだんだんと落ちていく。


 「桜蘭」は第三軍港とよばれる、比較的大きな軍港へと入港しようとする。出撃したときは先頭を旗戦艦「厦須あす」、後ろに「海梁みりょう」が後続していたが、その威容はもう見ることができない。


 それだけではない。


 第一主力艦隊の第二水雷戦隊は巡洋艦一隻、駆逐艦四隻を失っており、第二戦隊の巡洋艦も一隻失われている。殆ど壊滅状態だった。




 「…、戦いから戻ってくると、いつも艦が減っている。僕らもいずれ、消えていくんだろうな」


 「愁、お疲れですか?」


 「いや、ただ、いつもそう思うだけ。くだらない戯言をいったね、忘れてくれ」




 桜蘭の仮想人体は、うらわかい、それこそまだ二十歳はたちにも満たない愁よりも更に若く見える。愁がそのように設定している。


 その桜蘭は、無機質な、でも温かみのある声を愁に向ける。




 「残念ながら、私のハードディスク上に記録されたデータの消去権限は、私ではなく海軍軍令部が握っています。忘れることは不可能です、申し訳ございません」


 「まあそうだけど…、少なくとも、学習データからは消してくれ」


 「了解しました。私は前後十秒の音声データを削除します」




 消去し終えたようだ。とはいえ、とくにそれで意味があるわけでもないが。




 「ねえ、桜蘭。僕のこと、どんなふうに思っているの?」


 「? 私にはおっしゃられている意味がわかりません」


 「ううん…、えっと、艦長としてどう、じゃなくて、一人の人間としてどう思う?」




 桜蘭は、すこし悩んだあと答える。




 「その質問に答えるには、私のデータが不足しています」


 「べつに、正確に答えろとか、完璧な答えを期待しているわけじゃないよ。なんなら、外見とか、そんなところからの判断でもいい」


 「一人の人間として、愁は性格の良い人だと私は認識しています」




 ふうん、と愁はいう。そして、そのあとは興味を失ったかのように黙った。


 桜蘭に感情があるとか、ないとか、そんなのはどうでもいい、と愁は思っている。感情があろうがなかろうが、戦闘時に支障がなければ、そんなのはどちらでもいい。


 感情のせいで戦闘に支障が出るならば、感情は必要ない。




 「私からも質問させてもらってよろしいでしょうか?」


 「? 構わないよ、珍しいね」




 「桜蘭」が入港まであと1浬に迫ったときに、唐突に桜蘭が話しかけてきた。


 桜蘭から話しかけてくることなど、普通はない。なにかあるのかと思い、愁が尋ねる。




 「愁は私のことを一人の人間として、どのように思っているのですか?」


 「? 人間として…、ああ、そういう意味か」




 そもそも人間じゃない、と愁は一瞬思った。だが、よく考えれば仮想人体を与えている時点で人間としても見ることができる。そのように見たときにどう思っているかということなのだろう。




 「僕は君のことを…、そうだな、性格の良い人として認識しているよ」




 少なくとも、嫌味っぽいといわれる僕と付き合えるのだから、性格があるとすれば良いだろう。それに、実際戦闘時には何度も助けられている。人間としては、頼りがいのある人だ。


 もっとも、現実には人工知能なのだが。機械知性、ともいえる。




 「わかりました、私は愁に感謝します、ありがとうございます」




 なんともぎこちない日本語だ、と思った。


 だが、べつにそれでも構わない。僕が気兼ねなく話せるのは、彼女だけなのだから。




 「両舷停止」


 「両舷停止」




 両舷停止と命じる。桜蘭は復唱して、機関を止める。やがて、「桜蘭」の巨体が軍港で停止した。


 「桜蘭」は、出撃を終えて帰港したのである。




───────────────────────────────




 桜蘭とともに海軍本部へと向かう。


 端末から呼び出す、といったが、実際は引き金に過ぎない。3Dモデルは自分自身の脳内に埋め込まれている脳外端子、と呼ばれる脳の補助機構によって視覚情報として浮かび上がるだけで、実際はそこには何もない。




 脳外端子をつけている人ならばだれでも視覚情報として桜蘭を認識できるが、脳外端子をつけていない人からすればただの変人である。ついでにいうと、触覚、嗅覚などの五感からでも彼女を感じることができる。




 ただし、桜蘭が3Dモデルとして視覚情報に焼きこまれるのは半径1キロ以内であり、それ以上離れた位置で端末を作動させても効果はない。だから、桜蘭は三亜港での一騒動の時にほぼ無理矢理に近い形で加速したのだ。




 「ここ、だよね」


 「私はそうだと思います」




 見間違えることもあるまい。目の前に「総司令官室(CA)」という物々しいプレートが置かれている。どう考えても、総司令官のいる総司令室だろう。




 「浅野愁、失礼します」




 総司令官が、入れ、と命じる。




 「第一主力艦隊基幹戦艦「桜蘭」艦長、浅野愁であります」


 「知っての通り、ジャック=A=スプルーアンスだ。さて、早速だが君に辞令を伝える」


 「懲罰配置、でしょうか?」




 少なくとも、愁の最後の不手際で貴重な戦艦二隻を失ったのは事実だ。それによって懲罰配置されても仕方ない、と愁は覚悟していた。


 しかし、どうやら違うらしい。




 「いや違う、確かに最後のは君の不手際かもしれんが、あの状態では適切な対応だったと評価している。我々は、君に臨時の第一主力艦隊第一戦隊司令官を努めてもらうことを命じる」


 「はっ、受領いたします」




 どうやら、第一戦隊の臨時司令官として任じられただけらしい。


 もっとも、第一戦隊には戦艦一隻しかいないが。




 「第一戦隊は戦力再編が終わるまで本部待機とする。戦力再編終了日は11月24日を予定している。再編が終わり次第、君は元の職に復帰する」


 「なるほど、名目上の、司令官ということですね。了解しました」


 「くれぐれも勘違いするな。もしものときには君が第一戦隊を率いることになる。第一戦隊はいわば砲撃戦の要だ、くれぐれも注意してほしい」




 敬礼して退出する。


 心配していたことは大丈夫そうで安堵する。




 「その顔を私が見たところ、私は愁が安心していると考えます」


 「桜蘭か、当たりだ。僕はいま、すごく安心しているよ」




 さてと、そこまで気にならなかったのだが、時間も空いたことだし、桜蘭の言語処理ソフトをそろそろ更新することにするか、と決断した。








 家に帰るが、別に誰かがいるというわけでもない。


 両親とは既に何年もあっていない。たかが17年しか生きていないのに、あっていない時間は年で数えて二桁だ。普通ならばありえないだろう。




 「桜蘭、新しい言語処理ソフトを取り込んでみたが、どうだ?」


 「ありがとうございます。なんか、話しやすくなりました」


 「やっぱり、話しやすいとか、話しにくいとか、そういうの、わかるんだ」




 感情も豊かになった、気がする。


 今回取り込んだ言語処理ソフトはMac.ja.transfer.detail.41とよばれる、最新の日本語ソフトだ。機械語を日本語へと翻訳するソフトだが音声データなども学習データとして登録できるような特殊なソフトである。


 これを民間が開発したというのだからすごい。




 もっとも、その凄さがわからないのが残念だが。




 「ええ。私の日本語が、愁の使っている日本語よりも不自然だとは思っていましたから」


 「なるほど、ね…」




 劇的になにか変化するわけではない。


 ただ、すこし話がしやすくなった、それだけの話だ。相手は、たかが機械なんだから。


 どれだけ人間に似ていても、それはあくまでも異質なもの。本当の人間なんかでは、ない。僕が気兼ねなく話せるのも、あくまでも人間ではないからだ。




 「ところで、まえから気になっていたのですが…」




 そういって、彼女は写真に指を指す。




 「彼女は、だれですか?」


 「…、桜蘭。あのね、人にはさ、思い出したくもないものだって、あるんだよ」




 桜蘭は、すぐに謝る。




 「別にいいよ、知らなかったんでしょ。あやまること、ないって」


 「でも…」


 「でももへちまもなし。僕は、別にそれを聞かれて桜蘭に怒りは感じてなんていないし、桜蘭に非はないよ。ただ、僕自身に怒りを感じた、それだけだから」




 彼女が悲しそうな顔をする。




 「ごめん、なんでもないって!ほんと、ね。大丈夫だから、元気出して」


 「うん、ありがと」




 彼女の顔は、あの時とまた同じだった。


 僕は、あの時の彼女を守ることすら、できなかったんだから。




 「それより、お茶、飲む?」


 「? わたし、飲めないけど?」


 「まあ、雰囲気。雰囲気って、重要でしょ」




 彼女はコクリと頷く。


 そして、お茶を入れるため立った時、ピンポーン、という音がなった。僕が嫌いな音の一つだった。




 「はい、誰でしょうか?」




 インターホン越しに尋ねてきた人物は、僕の知人だった。


 もっとも、なんのために来たかは想像がつく。それでも、通さなかったら通さなかったで後々面倒だから、とりあえず開ける。




 「よっ。って、おまえ、やっぱりまだコンピューター女に惚れてんのか、笑いものだな、艦長さんよ」




 相変わらず、殺したいほど憎たらしいやつだった。


 竜崎(たつのさき)美麻(みあ)、それがこいつの名前だった。

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