第0話 魔女の休暇

竜崎美麻。身長168cm、胸に膨らみはないが、れっきとした女だ。もっとも、こんなやつを異性として意識したことはない。


 幼年学校の初等科の時のいわゆるミーハー女子であり、そのくせして成績優秀かつ先輩に対する態度は極めて良かった。同年代からの評価は散々だが、先輩からの評価と実力のみでのし上がってきた女だ。




 「…、僕に、何かようですか?」


 「別に。あんたが帰ってきたって言うから、お祝いに来ただけよ」


 「…、すみません。僕は、好きでもない異性から煽られる趣味はないもので。できればおかえりいただきたいのですが」




 美麻はわざとらしく演技をする。




 「あらあら、やっぱり私じゃ満足じゃないと。そりゃそうよね、あんだけいい女が、いっつも貴方様の周りを囲んでくださるものね、いや、羨ましい限りだわ。ほんと、邪念なく、本当にいい環境だこと、いや、いいもんですね。


 あの、自分の不手際で部下を失った、あの無能とは思えないような環境ですわね」


 「…、ざけてんのか」




 怒りを感じる。いくらミーハーだとはいえ、流石にこれは酷すぎる。散々煽った挙げ句、僕の一番触れてほしくないところに平然と土足で踏み入る、その態度は本当に、本当に怒りしか感じられない。




 「あらあら、お怒りなことで」


 「…、ヅラ貸せ。その小綺麗な面ぶん殴って、二度と人前に出られないようにしてやる」




 あらあら、なんて怖いことかしら、と抜かして美麻は帰っていった。




 「…、愁…」


 「ごめん、何でも無い」




 イライラしているのは自覚している。美麻の言っていることは本当だからだ。


 それを本心から否定できない、僕自身に苛ついているのだ。そんなこと、分かっている。でも、だからといって、あんな言い方は無い。


 でも、その原因は僕にあるのだ。




 「愁!」




 頭を壁にぶつける。血が流れる。


 痛い。血が冷たい。目に血が入る。目に激痛が走る。


 もう一度頭をぶつける。もう一度、さらにもう一度とぶつけようとしたところで、首から無理矢理後ろに連れ戻される。




 「ねえ、どうして話してくれないの!いつもみたいに」


 「…、さっき、言ったよね。僕だって、話したくないことだって、ある」




 血が頭から滴る。その血を拭おうとしてくれるが、残念なことに実態があるわけでもないからそのまま流れ落ちていく。やがて、流れるだけの血も流れてしまった。




 「愁…、大丈夫?」




 それしか、聞けないんだろうな。そう思った。


 僕がこんな状況にあったとしても、そんなふうにしか聞けないだろう。




 「大丈夫、だと思う。血もそこまで出たわけじゃない。輸血する必要もない」


 「そういう意味じゃなくて!」




 言いたいことは、分かっているつもりだ。


 大丈夫。僕の気持ちは落ち着いている。ただ、自分の無能加減に自分自身をぶん殴ってやりたくなった、それだけのことだ。それ以上でも、それ以下でもない。




 「大丈夫だって」




 彼女の肩に手を乗せる。触覚が反応して、まるでそこにいるかのような温かみがある。筋肉が脳外端子によって動かされて、そのままの位置に停止する。




 「僕は、大丈夫だから」




 そう言った。彼女はまだ心配そうな目で僕を見つめる。




 「そういえば、お茶を淹れないとね。淹れ忘れてたよ」




 そして、キッチンへと向かった。




─────────────────────────────────




 艦長としての義務は、じつはあまりない。


 艦隊司令官の中でも中枢幹部クラスにあたる「五冠八将」以上の階級ならばかなり義務に拘束されるのだが、艦長はそこまでではない。とはいえ、軍の中でも精鋭部隊とされる総司令官直轄艦隊ならばそれなりの義務が伴うので、これでも割と義務は多い方なのだ。




 そもそも軍、といっても制度はかなり複雑だ。


 まず、もとから存在している「国防軍」と総司令官の直卒艦隊である「直轄艦隊」の二つがある時点でかなりおかしい。




 今では「国防軍」がいわゆる警備艦隊を、「直轄艦隊」が主力艦隊を率いているものの、20年前はもっとややこしかったという。




 話が長引いてしまったが、ようは暇なのだ。


 確かに臨時とはいえ戦隊長としての仕事もあるし、基幹戦艦「桜蘭」の姿を見なければならないが、正直言ってそこまで時間を使うものでもないのだ。




 「桜蘭、何か、することある?」


 「チェスでもしますか?」




 桜蘭の気の利いた言葉に甘えたいところなのだが、あいにくチェスをしようにも端末を余計なことに使ってはならないので自分のコンピューターを使わなければならない。そして、そのコンピューターは現在故障中。


 つまり、しようにもできないのである。




 「コンピューター、故障中」


 「…、折角ですし、戦史漁りでもしますか?」


 「…、ひま、持て余し過ぎだなあ…。よし、桜蘭。今日はすこし出かけよう。その移動時間中に戦史漁りしない?」




 桜蘭がコクリと頷く。




 「じゃあ、決まり」








 愁は、別に気晴らしに出かけようとしているわけではない。


 愁自身の問題だ。愁には両親に対して感謝の欠片の気持ちもないが、自分の故郷を少し訪ねてみたい気分になったのだ。自分の故郷がどんなところなのか、それが少し気になったにすぎない。




 「愁、これって、何?」


 「これって…、この艦隊のこと? えっと…、たしか、旧総司令部直轄艦隊だったと思うけど…」




 そうじゃなくて、と桜蘭がいう。




 「その、胸ポケットの中に入っているもの。お守りとか?」




 指を指した先にあるのは、愁の胸ポケットの中に入っている、やや厚みのある布製の袋だった。愁は回答に少し悩むが、やがて肯定する。




 「お守り、というか…。まあ、簡単に言えばそうなんだけどね…」




 そういって、愁は寂しそうに笑った。




 「ふうん…」




 何か感じたのか、桜蘭は黙る。そして、目的地につくまで結局一言も話すことはなかった。


 仲が悪いというわけではなく、話すことがないから話さなかっただけ。ただそれだけだ。それに、これが本来の形である。必要のないときに、機械知性は本来話すことはないのだから。




 「ここは、何駅だったっけ…」


 「わざとだよね。調べればすぐ出てくるし…。ここは中央藤が丘駅、日本人地区管区政府がある所」




 電車を降りる。発車ブザーが鳴り響き、電車が次の駅である東京駅へと向かう。


 要塞、というよりはもはや人工大陸とも言うべきこの広大な人工物は、東西34キロ、南北18キロと超巨大であり、実際人工物としては他の要塞を入れても一位の広さを誇る。




 それだけ広い為、中には三本の中央鉄道が走っており、さらに支鉄道として七本の鉄道が存在する。今回乗ったのは、中国人地区からアメリカ系人地区までを横断する桜チェリー通ロード線ラインである。


 ここから支鉄道である日進線へと乗り換え、今池駅に向かう。


 そして、今回の終着点はその今池駅周辺だった。




 「桜蘭、僕が軍に入った理由、知ってるよね」


 「…、うん」




 両親に「嫌味っぽく何でも言う」ことから嫌われ、周りにも煙たがられ、そして幼年学校に無理やり受験させられた。別に、そのことにどうこう言うつもりはない。


 両親が本気で僕を嫌っていたのは知っているが、それでも暴力は振るわれなかったし、そこまで生活するのに苦労したわけでもない。




 恵まれた、とは言わないが、少なくとも恵まれてなくはない環境で育った僕にとって、両親を恨む必要性はどこにもなかった。避けたくはあったが。




 「あれ、愁か?」




 その声を聞き、つい振り返る。




 「やっぱり愁か。久しぶり」


 「良輔か、久しぶり。それと、美沙も久しぶり」




 良輔と美沙が手を繋いでいる。なるほど、やっぱりそうか、と思った。


 むかしから、気があっていたし。まあ、別にそれに対してどうこう思うわけでもない。ただ、この二人だけは幼少期、僕を煙たがらなかった。




 「特殊戦に進んだって、おめでとう!」




 ハイタッチしてくれる。


 やっぱり、性格は変わらないな、と昔を思い出す。




 「ありがとね。そちらも、全然昔と変わらないね。距離感も」




 クスリ、と愁が笑う。続けて良輔も美沙も笑う。




 「お前も俺たちも、全然変わらないってことだな!」


 「そうね、なんか久しぶりだけど、全然変わらない感じだし。その若干嫌味っぽく聞こえるような、でもそのあたたかみのある口調も変わってないしね」


 「あっ、やっぱり嫌味っぽいって思ってたな!かくご!」




 ふぎゃあ、とやられたふりをしてみせる美沙。


 ノリの良さとかも全く変わらない。特殊戦、と聞けばみんな避けるのだが、この二人は幼い頃からそんなことがなかった。特殊戦の人でも普通に接していた、珍しい人たちだった。




 「そういえば、そちらのうらわかい女性は?」


 「私、ですか?」




 桜蘭が自分を指差す。


 良輔と美沙、それに愁までもが頷く。




 「私は桜蘭といいます。第一主力艦隊第一戦隊所属基幹戦艦「桜蘭」の仮想人格です」


 「ああ、仮想人体かあ…。全然わからなかった。やっぱ、最近の技術はすごいな…」




 いや、良輔と美沙も使ってるよな、と内心でツッコミを入れつつ、まあいっか、と割り切る。




 「良輔と美沙はどこかデートでも行くつもり?」


 「いや別に。デートもなにも、まだ付き合ってもないし」


 「……、そのお手ては何、と聞いたほうがいいのかな?」




 ついツッコミを入れてしまった。


 いや、普通に考えてこれデートだよな、と考えた僕が馬鹿なのだろうか。そんなわけ無いと思うのだが、違うだろうか。




 「これ? いつものことだし」


 「…、まあいいや。ひまなら、僕たちについていく?」


 「じゃあ、お言葉に甘えまして…。レッツ、ゴー!!」




 ノリノリの美沙がそう言った。相変わらずいいノリだな、と思いながら、美沙の前に立って日進線へと向かった。

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