第39話 笑ったりなんてしないから
「どうして、なのかしらね」
先輩は、ぽつりとそう俺に問いかけるように言葉を溢す。
どうして……、という言葉が意味するところは、はっきりとはわからない。けれど、
その一言には、ちょっとした怒りとか、悲しみとか、単純な疑問とか、色々な感情が込められているような気がした。
なんだろう、こんな先輩初めて見る。こんなに怒りを露わにする先輩、見たことない。
「どうして……と、言いますと?」
「とぼけないで頂戴。貴方はそう、どうして自分を出そうとする時、変に躊躇っちゃう時があるのか聞いてるのよ。わかるでしょう?」
「いや、まぁ、とぼけたつもりは全くないんですけど……ね」
「っ……!本当に、貴方、そういうところよ……!」
先輩はそんな俺の言葉を聞いてさらにイラッときたんだろうか。よりずいっと距離を縮めてくる。
いや、本当に惚けてるつもりなんて、ない……。ないんだけど、さ。
そこじゃないんだろうな。彼女が本当に怒ってるのは、そこじゃないんだろう。
とぼけてるとか、とぼけてないかとかじゃない。もっと別のところで、彼女は怒ってるんだ。
「どうしてそうやって変に隠そうとするのよ。芽衣子たちと一悶着あった時もそうだったじゃない。自分の好きなものなら、それが素晴らしいものだって自信があるはずでしょう? 恥ずかしくても堂々とできるはずじゃない。なのにどうしてそんなに、自信なさげにするのよ……!」
「それは――――――」
「答えなさい。そうじゃないと本当に怒るわよ」
もう怒ってんじゃん……なんて、そう思うけど、その言葉は飲み込んでおく。大事なのはそこじゃないはずだ。
――――――そうだ。俺が自信なさげにしていることに対して、怒っているんだ。
自分が自信を持って素晴らしいと思っているものを、表に出すことを恥ずかしがって隠すこと。きっと彼女は、それが許せないんだろう。
彼女は、音楽に対してひたむきな俺が好きだと言ってくれた。だからこそ、こんな態度を取ってる俺が許せないんだと思う。小馬鹿にしてるんじゃないかとも思われてそうだ。
でも、やはり、どうしても頭をよぎってしまうことがある。
どんなに理解してくれる人たちが増えようと、頭と心にこびりついて離れない気持ちが、俺にはある。
それを人に話すことは、正直なところしたくはない。あんまり話してて気分のいい物じゃないし。けれど――――――、
話すしかないんだろうな。そうしないと納得しない顔してる。
「あー、御門氏よ。俺からも頼むわ。話せる限りでいいからよ、なんでそこまで渋ってんのか言ってくんね? さっき君がおっかさんと話してた時もそうだったけど……、やっぱなんかどっか引っかかる気分で気持ち悪ぃし。一応俺君のこと親友だと思っとるから……さぁ」
飛猿からも、彼にしては珍しい神妙な声色で、そう促される。
……まぁ、ここまで言われちゃしょうがないのかも、しれない。
「わかり、ましたよ。話しますから。でも先輩、ちょっと離れていただけると。ち、近いです……」
「……あ、そう、ね。ごめんなさい。熱くなっちゃって」
先輩はふと、思い出したかのようにそう言うと、ぱっ、と素早く距離をとる。頬を紅くして、少し俯きながら。
距離が近いの、無自覚だったんだな。まあそれもそっか。普通にしてたらあんな真似するの、相当勇気いるだろうし。
でも、今はそんなことどうでもいい。そう自分に言い聞かせて、一つ息を吐く
少し時間を掛けて、幾許か頭の中を整理する。
そして、少し震えそうになる声を押さえつけて、云った。
「……今まで自分の感性のままに作ったものって、認められてこなかったんですよ。歌にしたって絵にしたって、何にしたって」
思い返されるのは、小中学時代の記憶。図画工作の授業や書初めの授業の一部だ。
あんまり思い出したくない出来事なものだから、少し顔を顰めてしまうけれど……、気を取り直して話を続ける。
「もともと俺、小中学では少し浮き気味だったんですよ。そんなやつだったから、絵にしても何にしても……、どこか変なところがあったみたいで。よく馬鹿にされてたんです。だせぇだの下手くそだのって」
絵画のポスターコンクールの時、俺の作った作品をクラスの奴らの大半に指さしで馬鹿にされたこととか。ゲラゲラ笑ってたなあいつら。
合唱練習で音痴だ下手くそだって罵られて、必死に自分の声を聞いたりして改善してもなお馬鹿にされたりとか。じゃあどこが下手なんじゃ……って言っても文句言う奴は誰も教えちゃくれなかったけど。
「だから、どうしても怖くて。こうして趣味を分かち合える人たちに恵まれても、なお思っちゃうところがあるんです。自分の感性はどうしようもなくおかしいんじゃないか、誰からも受け入れられないんじゃないかって」
本当、矛盾してるんだよな。この気持ち。曲は作っていたい。でも、作った曲には自信がない。そんなヘンテコな感情を持った自分が嫌になる。
「それでも曲を作っていたいって気持ちはあるから、こうして作り続けてはいるんですけど……ね。人前に出すとなるとどうしても尻込みしちゃって」
一通り言い切った後、無理矢理にでも笑いを作る。
きっと世の中の人の大半にとっては取るに足らないことなのだろう。くだらないことなのかもしれない。けど、どうしても悩んでしまう。ったく、ますます自分が嫌になってくるな。
さて、ここまで聞いて先輩たちはどう思っただろうか。くだらないことだと笑うだろうか。さっきから静かに聞いてくれてるけれど……。
「まぁ本当にダサい感性はしてるんでしょうけど。じゃなきゃこんなに馬鹿にされる訳――――――」
そう言いながら俯き気味だった顔を上げた、瞬間。
『そんなことないっ!!』
『何言ってるんですかっ!!』
先輩と高垣さんが同時に、声を上げた。
「ん、へぁ?」
ちょっとびっくりしてしまったものだから意図せず変な声が出てしまう。
いやだって急だったし。それに先輩もそうだけど高垣さんが声を荒げるなんて……、想像もしてなかったから。
「貴方の感性がおかしいなんて、そんなことない、そんなはずないじゃない。じゃあ何よ。あの時貴方が平手君と即興でセッションした時に、貴方の演奏に感動した私の気持ちはどうなるのよ。その気持ちもおかしいってことになるの?」
「……え、いや、断じてそんなことは」
「そういうことじゃない。そんなつもりじゃないなら二度とそんなこと言わないで。本当の本当に――――――怒るだけじゃ済まさないわよ」
少し肩を、声を震わせながら先輩はそう言葉を放つ。そんな先輩を見て、少しはっ、とさせられたような気がした。
あの時、飛猿と一緒に即興演奏を
だけどあの時、俺の演奏は飛猿のオマケのような感じがしてた。だから、そんな大したものじゃない、なんて思ってたんだけど。
先輩の心にもしっかりと、あの時の俺の演奏は本当に良いと思ってもらえてたんだ。なんて、今更ながらに思う。
「ここに、貴方の感性から紡がれる音楽をいいと思ってる人間がいる。それが、貴方の感性が優れてるって証明よ。大丈夫、私は、私たちは、絶対に貴方のことを笑ったりなんてしないわ。もしそんな奴がいたら……、思いっきりぶん殴ってやるわ」
いつの間にか、先輩は俺の手を両手で握っていて。
俺に対して訴えるように、そう呟いた。
初めて、かもしれない。他人に、こんな言葉をかけられたのは。そう思うと、少し嬉しい。
「そう、ですよ。音無君っ。私だって、私だってあの時、貴方のピアノ、すごく良いと思ったんだからっ……! そんな私の、明星先輩の、平手君の気持ちを、否定しないでくださいっ……!」
そんな先輩に続くように、高垣さんも俺の方に体をグイッと近づける。
ここまで激しい感情を表に出す高垣さんは、正直見たことがない。普段のちょっとおどついた印象はどこへ行ったんだってくらい、強く訴えるような表情をしている。
高垣さんがここまで感情を露わにするなんて。そう思うと、ちょっと戸惑いが隠せない。
「夏休み前の発表会の時も、ライブハウスでの演奏も……! すごくすごく、良いと思ったんですよ? 貴方の感性がおかしいなんてそんなの、あるわけ、ないじゃない……で、ひゅ、かぁっ……!」
やばい、泣き出しちゃった。ポロポロと、堪えきれない思いを表すかのように、彼女は泣いている。
彼女まで、そう思ってくれてたのか。それはすごく嬉しい……、けど、同時に申し訳なくもなってくる。何泣かせてんだよ。俺は。
「あーあ。泣ーかせた泣ーかせた。責任とってほらどうぞ。ここまで言うてくれてる人がいんのに、まーだしおらしい態度見せるつもりか? 御門氏よ。これ以上俺たちを惨めな気持ちにさせていいんか?」
「そう、だよね。すみませんでした。もう、こんなこと言いませんし、しませんから」
俺の感性を、ここまで認めてくれる人がいる。今まであまり認めてもらえなかった
もう、隠して良い理由なんて無くなっちゃったな。
「じゃあ、聞かせて頂戴。貴方の音楽がしっかりと詰まった音楽を……ね。聴かせなきゃ何も始まらないわよ?」
貴方のことだもの。作ってるんでしょう? そう言うと先輩は優しく微笑む。
この笑顔は……、安心させようとしてくれてるんだな。でももう大丈夫ですよ。
「わかり、ましたよ。じゃあ待っててください。流しますね」
そう言って俺は、もう一つの方のファイルをクリックする。そして、
再生ボタンを一つ、押した。
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