第3話・奥様は何も悪くありません

「アンナ、ちょっと聞いてよっ」

「奥さま。どうなさいました?」


 その後、部屋に戻った私は、そこに実家から連れて来た侍女のアンナがいるのを認めて、溜め込んだものを吐き出すように言った。他の侍女には言えない事だけど、彼女になら言えた。


「旦那さまと仲良くお食事をされていたのでは? 何かあったのですか?」


 アンナは私の勢いに驚いたようだ。目を丸くしていた。彼女は私より五つ年上。性格は落ち着いていて、私にとっては何でも話せる姉の様な存在だ。彼女の亡き夫が、私の実家で従者をしていた縁で仕えてくれている。私がこの家に嫁いで来る時にも、彼女の実家が私の嫁ぎ先の周辺にあるからと言って、嫁ぐ不安に揺れていた私に快く同行を申し出てくれた頼もしい侍女なのだ。


 その彼女は、今朝から機嫌が良かったはずの私が、憤慨して戻って来たので何事かと思ったようだ。私はアントンに言われた事を告げた。


「アントンさまから離婚したいって言われたの」

「離婚ですか? ずい分と急なお話ですね」


 彼女は私より年上で落ち着いているせいか、その話には思ったより驚かなかった。逆に聞いてくる。


「またどうして?」

「さあ? それがよく分からないの。私に何か至らない部分があったのかもしれないと思ったのだけど、アントンさまは私には問題がないって言うし、ほかに好きな人でもできたのかと……」

「アントンさまに限ってそれはないですわ」


 アンナが断言する。


「そうよねぇ。あの仕事に真面目なアントンさまのことだもの。浮いた話は全然聞かないし。でもアンナ、あなた、アントンさまの身の回りの御世話をしていて、何か怪しいことに気付かなかった?」

「怪しい事とは?」

「アントンさまの服から女性の香水がしたとか、口紅らしきものがブラウスについていたとか?」

「奥さまは旦那さまの浮気を疑っているのですか? ありえません。アントンさまは大変真面目な御方ですもの。怪しい事なんて何一つありませんわ」


 もし、あったなら私が見つけているところですわ。と、アンナが言う。アンナは宮殿に泊まりこむアントンへの連絡や、彼の身の回りの世話をする為に、三日に一度はこの屋敷から宮殿に登城してくれていた。


「それで奥さまは今後、どうなさるおつもりですか?」

「そうね、アントンさまから荷物を纏めておくように言われたから近々、離婚になると思うわ」


 この家から追い出されるように感じられて心細くなってきた。目の前のアンナがこちらを窺うように見ていた。


「奥さま」

「何がいけなかったのかしら?」


 納得できない思いが喉下を押し上げて、涙となってはらはらと膝の上の両手に落ちた。その両手をアンナが握り締めてきた。


「奥さまは何も悪くないですよ」

「アンナ……」


 湧き上がる衝動のままにアンナに抱きつけば、彼女は優しく私の背を撫でた。私は込み上げるものを抑えきれずに、しゃくりあげながら泣き続けた。アンナはそんな私が泣きやむまでずっと側についていてくれた。


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